「負けちゃったね、シンザン君」
セントライトが手摺に凭れつつ囁き、
「あぁ、負けちまったな、アイツ」
俺も彼女と同様に頷いた。
模擬レースの全過程が終了、日もすっかり落ち、照明を頼りにグラウンド整備に追われるウマ娘達を下に見ながら、俺とセントライトはシンザンのレースを振り返っていた。スタート時の仕掛けといい脚を溜めるポジション取りといい、他のウマ娘を出し抜いたスパートのタイミングといい、直線に入るまでは彼女の独壇場、完璧なレース展開だった。
なのになぜ負けてしまったのか、俺達二人の答えは出揃っている。
「ホント新人だろうが容赦ないよな、お前さんは」
「申し訳ありません、彼女が予想以上に良い走りだったのでつい熱くなってしまいました」
「はぁ~、新人の模擬レースだから本気は出さないし出せない、とは何だったのかしらね?」
「あははは……」
俺達の一歩後ろで、シンザンと同じレースに出た緑帽子が照れ笑いを浮かべた。
「どうしてもトレーナーさんに指導して貰いたくて、つい本気を出しちゃいました」
「まったく、先週退院してばかりたっていうのに……その調子だとまた入院する羽目になるぞ」
「そうならないように今度はしっかり私を指導してください、トレーナーさん??」
「…………ったく、やりづらいなぁ」
「というか、トレーナーは本当にミノルの指導をする気なの?」
「ま、約束だし仕方ないよな」
「ふふふ、ありがとうございます、トレーナーさん」
緑帽子が深々と頭を下げた後、俺に無垢な笑顔を向けた。この笑顔の前では怒りたくても怒気が失せてしまうから、昔から彼女を指導するのは苦手だ。
「てことはつまり、チーム『リギル』復活ってことかしら?」
「そうなるな、スゲー不本意だけど」
「そっかぁ……もっと早く復活してくれたらリギルに戻れたのに……残念」
そういってセントライトが肩を竦めた。
俺がかつて立ち上げたチームリギル、まさかこんな形で再結成することになろうとは……世の中何が起きるか分からないものだな。
「うーん、クリフジさんも誘えばチームに戻ってきてくれるでしょうか?」
「クリは私と同じチームだからダーメ、うちの副将を誘惑しないでね」
「そうですか、なら私とシンザンさんだけですね」
「むしろ二人で十分だよ、俺は不器用だから指導人数が多いと混乱しちまうからな」
ぶっちゃけ、シンザンだけでも手一杯なのに大勢を見れる気がしない、リギル再結成だって比較的素直な
「さて、んじゃシンザンにその事を伝えないとだな」
「トレーナーさん、シンザンさんとはちゃんと挨拶もしてませんから私もお供してもよろしいですか?」
「ん? 別に構わないがお供しなくても今日中に会えると思うぞ?」
「あー、そう言われればそうだね」
「………………え? それはどういう意味ですか??」
「フッフッフー、それは着いてからのお楽しみだよ」
キョトンとする緑帽子に対し、俺とセントライトは揃って勿体ぶった微笑みを彼女に向けた。
「ちくしょう……チクショウ……っ!!」
私は学校周辺のウマ娘専用のランニングコースを全速力で駆けていた。お世辞にも上品とは言えない言葉を吐き捨て、街灯に照らされた
「ハァ……ハァ……ッ!」
校門の前で立ち止まり、したたる汗を拭いもせず息を整える。
嫌なことがあると無性に走りたくなるのは頭が空になるからなんだな。おかげでさっきまで脳内を支配していた敗北感や虚無感は失われ、考える気も起きなくなった。
「ハァ…………もう……走るのはやめよう」
私はボトルの水を飲みながらまっすぐ帰路についた。帰路といっても私は寮暮らし、学園の敷地に入ってものの数分で到着だ。
(相変わらず崩れそうな家だ)
良く言えば『趣のある』、悪く言えば『オンボロ』な年季の入ったアパートが私の住む学園寮だ。
近々全寮制になるらしく、この近くに最新式のアパートを二棟建てる計画ようなので、新しい寮の相部屋に放り込まれる前に一人部屋がある古い寮を借りてやった。
内装は色々と古めかしいけど、他人と生活するくらいならマシだ。
「はぁ……今日は一段と疲れた……特に模擬レースが……ハッ!」
おっとヤバいヤバい、油断するとまた模擬レースのことを考えちまう、さっさとシャワーを浴びてパジャマに着替えて眠りにつこう、朝までぐっすり寝れば模擬レースのことを忘れられるはずだから。
「ただいま我が家~、元気にしてたかマツカゼ~?」
普段通り、部屋で待たせている愛用の
「お、やっと帰ってきたか。こんな夜遅くまで何処ほっつき歩いてたんだ?」
「あの、お邪魔しています……」
部屋を物色する男女の姿が目に飛び込んできた。
いや、物色しているのは男で、女のほうは呆れ気味に隅で佇んでいるだけだが、どちらの人物も見覚えがありすぎて困る。
「…………と、とととととトレーナー!? 私の部屋で何をして!」
「何って、ずっとお前を待ってたんだよ、その間に面白い物が無いか調査をしてただけだ」
「私は何度も止めたのですが……すみません、シンザンさん」
「って、なんでここにアンタがいるんだよ!?」
トレーナーと模擬レースで私をちぎった緑帽子が私の部屋に、呆気に取られて上手く言葉が紡げない。そんな私にトレーナーがマツカゼを持って一言。
「ドウシタノ、シンザン? イヤナコトデモアッッ」
「人の縫いぐるみで遊ぶんじゃなぁああああいいいっ!!」
「ぐえぇええ! や、やめろシンザン! 人様の前で暴力はイカンぞ!」
「うるさいっ! 教え子の私物を勝手に漁って、この変態っっっ!」
「ガハッ……良いトモの張り、良い蹴りだっ……た……」
私の回転蹴りがトレーナーの顔面にクリーンヒット、鼻血を出して床に沈んだ。最後まで変態みたいな台詞を吐きやがって、ゴミらしい無様な最後だ。
「大丈夫ですか!? トレーナーさん!」
「そのくらいでトレーナーは死なないよ。それより、何でアンタがここに居るんですか、てかアンタは誰ですか??」
「え、あぁ、自己紹介がまだでしたね」
緑帽子を外した彼女は胸に帽子を当て、微笑んだ。
「私は『トキノミノル』と申します、今日からこの部屋に住むことになりました」
「なん…………だと…………?」
全身に電撃が走るとはまさにこの事、私はすぐさまトレーナーの胸ぐらを掴んだ。まさかそんな、あり得ないだろ、こんなの!
「起きろっ! トレーナー!!」
「…………むぅ、まだクラクラする……なんだよシンザン……?」
「彼女が言ったことは本当なのか!? 答えてくれよ!!」
「え、あぁ、彼女の名を聞いたのか。まさしく、彼女はあのトキノミノルさ、だからお前が模擬レースで負けるのは必然──」
「違うっ! 私が聞きたいのは──」
すっと息を吸い、大声に変えてトレーナーにぶつける。
「私はこの人と生活するのか!? 何のために一人部屋を借りたと思ってるんだ!!」
「あぁ……そっちね、もう部屋の申請は受理されたから、悪いが諦めてくれ」
「そん……な……」
ガクッと膝から崩れ落ちた。
わざわざこのオンボロな部屋を借りた私の苦労は一体、今までの気兼ねのない自由な生活が遠ざかっていく……。
「えーと、お邪魔なら別の部屋に移りますが」
「気にするなミノル、コイツが我慢すればいいだけの話だ」
「ぐぬぬ、部屋の住人を差し置いて勝手に決めて、大体こんな時間に何の用だよ!」
「そう騒ぐな、今から説明すっから」
そう、トレーナーがダルそうに咳払いをする。
こういう前振りをする時のトレーナーって話長いんだよな、あーあれか、今日の模擬レースの反省会と私のデビューの件……ま、ここにあの緑帽子がいるってことはそういうことだろう。
「話ってのは三つ、俺はミノルのトレーナーになった」
あぁやっぱり、薄々そんな気はしてた。
いつもサボってばっかで練習も真面目に走らない私より、速くて凄いウマ娘を指導するに決まってる。あの時の口説き文句は嘘なんだって、堂々と要らない子発言されると悲しみより怒りが湧いてくる。
「二つ目、今日から俺はチームを結成する。名前は『リギル』、メンバーはシンザンとミノルの二人だけだ」
「………………は? ちーむ??」
「はい! 一緒に切磋琢磨、頑張っていきましょうね? シンザンさん!」
と、暗い影を落とした矢先、私は耳を疑った。
何を言ってるんだ? 私、トレーナーに捨てられたんじゃないのか??
「その顔は「私、トレーナーに捨てられたんじゃ?」って顔だな? フッフッフ、可愛い奴め」
「バッ! 違うよ!! 勝手に変な想像するな!!!」
べ、別にトレーナーに見捨てられなかったから嬉しいとかじゃなくて、トレーナーの分際で私の心を読んだのが気に食わないだけだ、勘違いして欲しくない!
「ふふふ、二人はとても仲が良いんですね」
「何処がっ! この変態でクズな犯罪者と仲良くなんて無いから!!」
「犯罪者って……トレーナーに何て言いぐさだよ」
このやり取りで仲良く見えるって、このトキノミノルって人、もしかして凄い天然なんじゃないか。
「そして、最後の三つ目だが」
勿体ぶるかのようにトレーナーがポケットから紙を取り出し、私の眼前に突き出した。その内容は──
「シンザンのデビュー戦が決まった、場所は京都レース場で距離は芝1200だ、頑張れよ」
「さっそくデビュー戦ですか、頑張ってくださいね!」
その時、私はトレーナーが何を言ってるのか理解できなかった。
今日はなんだろう、色んな事がいっぺんに起きすぎて頭がパンクしそうな日だ。
「デビュー戦……? なんで、模擬レースで負けたのに……??」
「俺は『結果を出せ』とは言ったが、勝てとは言ってないだろ?」
トレーナーの計ったような笑みに、私は反応できなかった。
時間が一度止まり、ゆっくり動き出すような感覚。
なら、本当に私はデビュー出来るの? あの夢にまで見た大舞台の上に、私は立てるのか??
「たてえ負けようがミノルに次ぐ二着なら充分な結果。それにタイムも──」
「やっっっったぁぁぁぁああああーーーッッッ!!!!!」
今が真夜中で、ここが学園寮だろうが関係ない。嬉しさが大声となり自然と爆発した。当たり前さ、誰だって夢が叶った瞬間はガッツポーズしたり、笑いたくなるだろ? 私は大声で喜びを表しただけに過ぎないのだから。
「静かにしろシンザン! 他のウマ娘の迷惑になるだろっ!?」
「ありがとうトレーナー! 私、絶対勝つからさ、期待してくれよ!」
「わかった! わかったから静かに喜べ、なっ!?」
「ふふふ、やっぱり、二人は仲が良いですね」
トレーナーの制止に構わず、私はひたすら大喜びではしゃぐ。
今日一日でこんなに悔しい思いをして、こんなに嬉しい気持ちになったのは、生まれて初めてだ。