世界のすみっこにふたりぼっち   作:逢坂 要

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世界のすみっこにふたりぼっち 03

3.「旅立ち」

 

(1)

 

 遂にこの日がやってきた。私は結局一睡もできず過ごしたベッドから起き上がる。午前6:00。すでに朝日は昇っていた。あと数時間もすれば、私は新しいレイシフト先へと旅立つのだ。

 

 師匠との模擬戦から今日までの一週間、私とマシュは師匠から特訓を受けていた。戦闘スキル、思考方法、戦闘戦術、各種時代背景を踏まえた歴史観まで徹底的に鍛えられた。それはもう地獄のような一週間だった。特に後半の雪山行軍過程は記憶が定かでない。そんな地獄を乗り越えて中1日、私たちは出発の日を迎えたのだった。

 

 私は身なりを整え、出発に備える。一応体を動かし調子を確認するが、体の異常はない。寝る前にダ・ヴィンチからもらった薬が効いているようだ。「これを飲めば体の不調は一発退散。筋肉痛などあり得ないさ!」と豪語していただけあってちゃんとしたものだったらしい。

 

身体を動かしていると軽い音がして扉が開いた。振り向くと同時、マシュが全力ダッシュで飛び込んでくるのが目に入る。ベッド脇の私など目に入っていないのだろう。

 

「せんぱーい、朝ですよぉ~!」

 

 その勢いのまま、マシュは私のいないベッドにダイブした。グネグネと布団に抱きついて、数秒後、静止。「あ、あれ!?」と素っ頓狂な声をもらし、布団をめくる。当然、そこに私はいない。慌てるマシュの様子がなんだかおもしろく、私は笑いをこらえられなかった。ギギギ、と錆び付いた人形のような動作で私の方を振り返る。

 

「せ、先輩……、いつからそこに?」

 

「おはよう、マシュ。マシュが部屋に飛び込んでくるところから、ずっとここにいたよ。」

 

 さーっと、マシュの顔色が青に変わり、「いや、これはですね……」と居心地悪そうに口籠る。

 

「別にいいよ。起こしにきてくれたんでしょ? それより、なんでドアのパス抜けられたの?」

 

 前の部屋にいるときもこんな感じでマシュが起こしに来てくれることは多々あった。前回の部屋のパスは私が認証したけれど、部屋を変えてから忙しく、認証するのを忘れていたはずだ。

 

「な、なな何を言っているんですか先輩。ちゃんと認証してくださったじゃないですか。私はシステムに侵入してパスをこじ開けてなどいませんし、システムにルーンの加護が張ってあって、それを破るのに一週間もかかってないですからね!?」

 

 なんとこの後輩、システムに介入してセキュリティロックを強制解除してきたらしい。なんという面倒くさいことを。言ってくれればすぐ認証するのに。ある意味感心していたのだが、私は随分怪訝そうな顔をしていたようだ。慌てた様子でマシュが続ける。

 

「あ、あぁ、でもでも!ダ・ヴィンチちゃんもシステム抜くの簡単だし、先輩の様子は逐一チェック出来るようにしてあるって……」

 

「ちょっと待って。それはさすがの私でも、容認出来ませんけど!?」

 

 とんでもない情報が漏れてきた。起こしに来てくれる後輩はともかく、部屋を覗き見されているなどストーカー被害にあっている気分だ。レイシフト前に抗議しておかなければ、と思っていると軽い音を立てて、またしても私の部屋のドアが開いた。

 

「おはよう、マスター君!今日は特別に私が起こしに来てあげたよ!」

 

 噂のダ・ヴィンチその人がドアの前に立っていた。そのまま、先ほどのマシュ同様ベッドに向かって猛ダッシュ。みんな視野が狭いんだなぁ、などと他人事のように思う。ダ・ヴィンチは現在はマシュが占領するベッドへ勢いそのままダイブする。なぜかそのまま布団を剥ぎ、服まで剥ごうとしている。

 

「はっはっは、今日はとことんまでいっちゃうぞー!」

 

 酔っ払っているのだろうか、やたらとテンションが高い。しかし、相手はただの魔術師である私ではなく、デミ・サーヴァントのマシュだ。そう簡単にはいかない。

 

「む、なんだか今日はやけに力がつよ……あれ、マシュ君!?何で君がここに、ごふぅ!?」

 

 テンションそのまま、反撃に出たマシュに蹴り飛ばされたダ・ヴィンチは、しっかり反応して道をあけたドアから早々に退場した。結構な速度で飛んで行ったのに、即座に反応して道をあけたカルデアのドアは優秀だ。

 

「あの人、結構本気だったんですけど、私の先輩に何するつもりだったんですかね!」

 

 荒い息を整えながら憤慨している。別に私はマシュのものじゃないんだけど。

 

 マシュが立ち上がり、身なりを整える。普段から優等生然として、身なりに隙のないマシュのボロボロな姿が私には物珍しく映った。私はよれている白衣を払ってあげる。優しい、先輩。好き・・・。というつぶやきが聞こえたような気もするが無視しておく。こんな様子だが、きっと出発当日の私のことを気遣って緊張をほぐすために来てくれているのだろう。マシュも一緒に旅立つというのに、後輩に気を使わせてしまうとは。先輩としての不甲斐なさを感じる。ダ・ヴィンチも同じような理由だろう。稀代の天才と言われただけあり、分かりづらいが、あれはあれで周りがよく見えている人なのだ。

 

「呼んだかね!?」

 

 またしても軽い音をたてて開いたドアから、ダ・ヴィンチが顔を出した。この人は心が読めるのだろうか。声に出したつもりはないのだけど……。

 

「マスター君は非常に表情が読みやすいからね。私ほどになるとすぐに内面など読めてしまうのさ!」

 

 はっはっは、と高らかに笑いあげるダ・ヴィンチが突然、前のめりに部屋に転がり込む。

 

「朝っぱらからうるせぇぞ、お前ら」

 

 不機嫌そうな声が響く。何をするんだと、抗議しようと振り返ったダ・ヴィンチの動きが止まる。

 

 先ほどまでダ・ヴィンチがいた位置には、とんでもなく不機嫌そうな顔のクー・フーリンが立っていた。

 

「今何時だと思ってんだ、あぁ!?朝からぎゃーぎゃー、ぎゃーぎゃーとうるさくて眠れやしねぇ」

 

 凄まじい剣幕に三人ともが呆然とする。まるでヤクザだ。本当にあの人とは違うのだなぁと、どこか他人事のように考えてしまう自分を自覚してしまう。そう、私はこのクー・フーリンのことを、未だにキャスターと呼べていないのだ。私にとって、キャスターはただのクラス名の呼称ではなかった。あの人がそう呼んでくれと言ったから。しかし、目の前のクー・フーリンもまた、彼であることに変わりはないのだ。クー・フーリンという英雄。その英雄であった期間。どの時期であっても、彼は彼なのだから。名前で呼ぶのも恥ずかしいし、と悩んでいると好きに呼んでいいということだったので、現状『師匠』という呼び名で落ち着いてた。

 

 そんな彼の剣幕から真っ先に立ち直ったのはダ・ヴィンチだった。

 

「眠れないならそれでいいじゃないか。そもそも私たちサーヴァントは眠る必要などないわけだし?」

 

「え、そうなの?」

 

 と、ダ・ヴィンチは面白そうに話し始める。

 

「そうさ、私たちは世界と契約した英霊。元々はこの世にいられないもの。その私たちがこの世に現界していられるのは、魔力というエネルギーを常時供給してもらっているからなのさ。車で言ったら常にガソリンを供給してもらいながら走っているようなものだね。だから、人間なら食事したり、睡眠をとって体を整える必要があるけど、私たちはそれがいらないってわけだ」

 

 今はカルデアの電力をエネルギーとして、魔力に変異させているのだけれどね、と補足する。

 

「じゃあ、なんで?」

 

 と、私はクー・フーリンをみた。

 

「戦場じゃあるまいし、元々の生活を乱したくねぇんだよ。延々と眠らないで動くなんて、酔狂なサーヴァントだけだろ。お前だって不要なはずの飯は好んで食ってるじゃねぇか」

 

「ぐっ、まぁ、確かに?そういうのはサーヴァントによって嗜好というものがあるからね……」

 

 確かに戦場であるならば、戦士である彼は寝ずに戦い続けるだろう。しかし、ここは戦場ではないのだ。非常事態の真っ只中だけど。

 

 そんな会話をしていると、私の部屋に連絡が入る。立ち上げるとホログラムのロマニの上半身が浮かび上がった。

 

「おはよう、マスターちゃん。そろそろ出発の時間だけど、準備はいいかな?準備が出来たらこちらに来てくれ」

 

 わかりました、と告げ、私は通信を切る。魔術師は科学を忌み嫌う傾向にあるというが、ここカルデアは特にそのようなことはないようで、通信設備等は最先端の設備を有していた。

 

「ということなので、向かいたいと思うけど、いいかな?」

 

 私は周りの面々を見た。マシュ、ダ・ヴィンチが頷き返してくれる。クー・フーリンは、

 

「んじゃ、オレは部屋で寝なおすわ。じゃあな」

 

 そう言い残して、部屋を出て行ってしまった。私たちも部屋を出て行く。今度ここに戻ってくるのは、いつになるのだろう。

 

 

(2)

 

 部屋を後にした私たちは、レイシフトを行うため、管制室へと向かう。

 

レイシフト。霊子転移と呼ばれるカルデアの発明の一つ。魔術師を霊子化し、特異点へ転送するシステムだ。特異点とは、人類の歴史を脅かす大きな異変が起こっている場所。つまりは過去へ、端的に言えばタイムワープするのである。そこには、私たちが復元すべき人理が『ある』。人理――それは人類の航海図。人類をより長く、より確かに、より強く反映させるための理。

 

 もしこの世界を変えようとするものがいたとする、しかし、この世界はそう簡単には変わらない。仮に過去へ行って、人を数人、数十人殺したところで、その矛盾は世界が強制的に修正するからだ。しかし、その世界すらも修正できないほどの大きな転換が起こった場合、歴史はどうなるのだろうか。過去の大戦で勝つはずだった国が滅ぶ。生まれるはずの文明や発明、時代の天才たちが生まれず、文明の発展はなくなる。多くの矛盾を孕み、歴史は崩壊へと向かう。近未来観測レンズ「シバ」が描いた2017年人類の崩壊は、この人理崩壊に由来する。その人理を修復するために、私たちは今から特異点へと、過去への時間旅行に旅立つのだ。

 

 人理、すなわち人類の歴史を左右するような大きな時代の転換期には、大きな争いが起こっていることが多く、危険度は非常に高い。自然と緊張が高まる。

 

 管制室に入るとロマニが待っていた。目の下にはひどいクマが目立つが、いつもの気の抜けたような笑顔で私たちを出迎えてくれる。

 

「あれ、みんな一緒だったんだね。よかった、連絡がつかないから困っていたんだよ」

 

 大して困っていなかったかのように話すが、もし二人が見つからなかったらどうするつもりだったのだろう。いや、そもそも、ダ・ヴィンチはともかく、マシュは常にデバイスを持ち歩いていたはずだ。

 

「あ、すみません。先輩襲撃のためにデバイスを切っておいたのを忘れていました。」

 

 この後輩は、基本頼りになるのに、たまにこういうミスをする。私も先輩としてしっかりしておかなくては。

 

「キャスターの方にも連絡入れてある。一緒にレイシフトできるわけでもないけれど、来てくれた方が心強いと思ってね」

 

「そうですね。ありがとうございます」

 

 私はちゃんと返事が出来ただろうか。周りに余計な心配をかけるわけないはいかない。

 

 ロマニはさっきの私の部屋の出来事を知らない。私を元気付けようと言ってくれたのだろうけれど、今の私には逆効果だった。きっと彼は来ないだろう。特訓の時も、そのあとも、彼は私のことをあまり見ようとしなかった。模擬戦の時に聞いた言葉。「少しは信頼しやがれ」と彼は言った。あの時は嬉しかった。少し彼との絆が強まった気がしたのだ。でも、あれからの行動から察するに逆だったのではないかと思えてしまう。あの言葉は彼の憤りだったのではないか、と。

 

「まぁ、緊張せずに行こうよ。今回は、初回と違って霊子筐体も使える。快適なレイシフトだと思うよ」

 

 ダ・ヴィンチがあっけらかんと笑う。私を沈んだ思考から引き上げてくれた。

 

 そう、初回は筐体なしで飛んだのだ。あり得ないと言われたが、この通り元気に戻ってこられた。今回は通常通りの工程で行われる。各人専用の霊子筐体に乗り込み、レイシフトを行うのだ。そういえば、と辺りを見渡すがどこも壊れた箇所などなく、もと通りに修復された筐体が二つ、部屋の中央部に鎮座していた。レフ・ライノールの暴動の際、この制御室は爆破され、余すことなく破壊されたと思っていたが、

 

「筐体なしだと思っていましたけど……直ったんですね」

 

「ああ、君たち二人分だけだけれどね。他のメンバーのものはまだ物置でスクラップさ」

 

 どうやらロマニはこれを直すのに苦心していたらしい。目の下のクマはこれの修理に何日も徹夜したせいだろう。医師であって、エンジニアではないのに、良くやる。

 

 実体を持たないサーヴァントに筐体は必要ない。契約したマスターが呼び出せばいいのだから。しかし、召喚には莫大な魔力が必要となる。自前で補える量ではないため、レイシフト先では、まず霊脈と呼ばれる魔力の流れの強いスポットを探す。そこから魔力を吸い上げ、サーヴァントを呼び出す。つまり、霊脈を確保するまでは、どんなに強いサーヴァントが味方にいても呼び出せないのだ。だから、師匠はここには来ないだろう。面倒なことは好むくせに面倒臭いことは嫌いなのだ、あの人は。

 

「まぁ、直したのはほとんど私なんだけれどね」

 

 さすがですね、ダ・ヴィンチちゃん、と返し、私は筐体の中へと入る。

 

筐体の中は入ってしまうとほとんど身動きは出来ないほど狭く、顔の部分にある小さな窓から外を見ることくらいしかできない。さながら棺桶のようだ。そう考えると、私は霊子に分解され、レイシフト先で再構築されるわけだ。それはある意味、一度死んでいると考えられなくもない。レイシフトは本来危険性の伴う事象だ。再構築出来ずそのまま消滅してしまう可能性もある。そのためにカルデアはあらゆる手を使い、適応者を探し回った経緯がある。魔術師であり、マスター適性があり、そしてレイシフトにも適性がある者。世界で48人の選ばれし者。私以外の47人は重傷を負い、戦線から離れた。失敗は許されない、大切なミッションだ。私は気を引き締める。

 

「先輩、一緒に頑張りましょう」

 

 マシュが筐体の近くから声をかけてくれる。そうだ、私は一人ではない。いつもマシュには助けてもらってばかりだな。反省する。

 

「マシュがいるなら怖いことは何もないね」

 

 そう返すと、マシュは素直に照れながら、

 

「はい。先輩は、私が責任を持ってお守りします」

 

 と、笑顔で返してくる。本当に頼りになる子だ。

 

 では、レイシフト先で会いましょう、とマシュは自分の筐体へと入っていく。

 

「それじゃあ、起動するよ。準備はいいかな?」

 

 少し心配そうな声色。キャスターが来ていないことへの憂いだろうか。ロマニの呼びかけに答え、私は心を落ち着かせる。

 

 バッという音と共に照明が落ち、辺りは淡い青の燐光に照らし出される。綺麗な景色。さながらイルミネーションの中にいるような風景。

 

 転送開始を告げる無色なアナウンスが流れはじめ、私は目を閉じた。

 

「アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始します。

 

……アラート、アラート。異常な魔力量を感知しました。プログラムを一時中断します。」

 

 通信回線の向こうがバタバタと慌ただしくなり、アナウンスがプログラムの一時停止を告げる。何事かあったのだろうか。私は目を開けた。小さな窓から外を見ると筐体の近くに人影が一つ、赤く輝く無数の照準に照らされて立っていた。

 

「し、師匠!?」

 

 私は素っ頓狂な声をあげていただろう。来ないと思っていたクー・フーリンがそこに立っていた。

 

 私の声に気付いたのか、朝と変わらぬ不機嫌そうな顔のまま、彼は私に近づいて来る。

 

「やっぱり無賃乗車はバレるか」

 

 いつもと変わらない声色。無数の武装が彼を狙っているが、全く意に介していない様子だった。どうやら、レイシフトに付いてくる気だったらしい。当たり前だろ、このー!などの怒号が部屋に備えられたスピーカーから響く。ダ・ヴィンチちゃんだろう。怒り心頭といった様子だ。それも全く気にしない様子で、

 

「んじゃ、これをやる」

 

 そう言って、おもむろに何かを筐体に投げつける。それは筐体を通り抜け、しかし、結構な速度で私の額を直撃した。衝撃で涙がちょっと出たかもしれない。

 

「痛ったー・・・」

 

 当たった物体は額からポロリと私の手に落ちる。それは石と木の根で編み上げた腕輪だった。

 

「……これは?」

 

「ドルイドは自然のものを用いて御守りを作るのさ。そいつには俺のルーンが刻んである。まあ・・・道中、役に立つこともあるだろうよ。霊脈が見つからねぇうちはマシュと二人なんだろ?・・・気をつけて行けよ」

 

 それだけ言うと、クー・フーリンはそのまま具現化を解き、現れた時と同じように何事もなかったかのように消えてしまった。

 

「え、うそ……。」

 

 頭の処理が間に合わない。

 

 遠くでアナウンスが聞こえる。

 

「……全行程 完了。

 

レイシフトを実行します」

 

 気付くのが遅すぎた。一瞬の瞬きの後、視界が青で染まる。

 

 渦巻くは白と青。

 

 身体の感覚が消え、私の意識はそこで途絶えた。

 

人生二回目のレイシフト。向かう先は――。

 

 

 

(3)

 

――第一特異点 邪竜百年戦争 オルレアン

 

――A.D.1431

――人理定礎C+

 

 

 世界は混沌に満ちている。

 

 時は西暦1431年。後の時代に百年戦争と呼ばれる戦乱の時代。オルレアンの乙女とも呼ばれたジャンヌ・ダルクが、異端審問にて火刑にかけられ処刑されて少し経った頃。

 

本来のこの時期は、休戦期であった。百年戦争と呼ばれるが、定期的な戦闘が繰り広げられた状態であったためであり、常時戦争状態だったわけではない。しかし、現在。その歴史は「書き変えられた」。動く死者が溢れ、邪竜が跋扈する、そんな戦乱の世だった。人々は逃げ惑い、そして、滅びへの覚悟を決めていた。

 

 救いなどない。巷は絶望に溢れていた。

 

 ――そう、聖女はすでに自分たちの手で殺してしまったのだから。

 

 

 暗い。それが最初のイメージだ。数百人が優に入れそうな、広く荘厳な石畳の部屋に、松明が数本焚かれただけ。周りは良く見えない。際奥には玉座があり、一つの人影が座っている。その傍らに立つもう一つの影。

 

その前には腕を後ろ手に縛られ、首を差し出すように跪いた男が一人。肥えた肢体を纏う服装は豪奢な司祭服。位の高さを示していた。

 

 男は玉座を仰ぎ見る。脚を組んで悠然と玉座に収まる影はまるで男の様子を愉しむかのような視線を送るだけで、何の声もかけない。男は苛立たしい気に声をあげた。

 

「この私にこのような扱い。断じて許されることではないぞ。顔を見せろ!」

 

 玉座の影はクツクツと笑いを返すのみ。声は意外にも若く、女のものと思われた。嘲笑されているのを自覚し、さらに男は怒りを強くする。

 

 この時代、司教は絶大な権力を誇っていた。己が望む通りに物事を動かしてきた男が、今は地べたに這い蹲り、誰ともわからない者に見下げられるという現実は到底受け入れられるものではなかった。顔を地面に擦りながら、男は玉座の影に唸る。

 

「私を誰だと思っているのだ!? 私はボーヴェ司教、ピエール・コーションであるぞ!」

 

 その言葉に玉座の影は堪えていた笑いを隠すことなく、盛大に笑った。玉座から影が立ち上がり、ゆっくりと数段の石段を降りてくる。

 

「誰だと思っているかですって? えぇ、えぇ!とってもよく存じておりますわ、ピエール司教様。なんたって、私を殺してくださったお方ですもの。・・・自分を殺した相手を忘れるほど、私もお人好しじゃない」

 

 狂気の色を孕みながら、松明に照らし出される玉座の人物。最初に見えたのは足。それから胴体、胸の前で組まれた腕。そして顔。全てが完全を目指した人形のように精緻。一度見たら忘れらないような美貌を誇っていた。肌はまるで陶磁器のような白じろしさ。全身にまとった漆黒の鎧が、それを引き立てていた。

 

「ば、バカな……!? お前は確かに死んだはずだ・・・・・・!」

 

 司教の顔には驚愕の色が浮かぶ。目の前にいる人間が、実在することが信じられないのだ。

 

「その通り。私は確かに、あなたに殺されました。磔にされ、火あぶりにされて。……あぁ、今でも思い出せるわ。あの時の痛みを」

 

 目の前に降り立った女は顔を手で覆い、狂ったように笑い出す。

 

「地獄から蘇ったか、この魔女め!」

 

 司教は半狂乱で叫び、目の前の女を罵倒する。

 

「ふふふ……、地獄から?そうね、そうかもしれないわ。地獄から仲間を引き連れて戻ってきたの。この地も地獄に変えたくてね!!」

 

 女が両手を広げ、くるくると回る。気がつくと、司教を取り囲むように、5つの影が立ち上がっていた。影はサーヴァント。全員が狂化されたバーサーカー。

 

「なんだ、貴様らは!?は、離せっ!」

 

 サーヴァントたちは司教を掴み上げ、磔にしていく。身動きできない司教に抗う術もない。

 

「十字架を用意致しますか司教様。 天に祈りを捧げる時間くらいはお待ちしますよ?それとも私を罵りますか。あの時のように。嘲り、踏みつけ、蹂躙致しますか。邪悪な魔女がここにいると。弾劾してもよいのですよ!」

 

さあ、さあ、さあ!と女は狂ったように続ける。

 

「た――。」

 

 磔にされた司教がつぶやく。

 

「た?」

 

「たす、けて。助けてください。お願いします……!」

 

 先ほどまでの威勢は消え失せ、司教は泣きながら懇願した。自身が弾劾し、笑い、殺した女を前に。主に仇なす魔女とした女に、司教は縋ってしまったのだ。

 

女の顔には怒りのようにも、悲しみのようにも見える表情が浮かぶ。しかし、その内面を慮る人物はここにはいなかった。

 

「ああ、なんということ。これでは何も救われない。司教であるあなたが、神に縋ることすら忘れ、魔女に貶めた私に命乞いするなど……。」

 

 女は告げる。司教の結末を、

 

「わかりますか司教。貴方はいま、自らを異端者だと証言してしまったのです。」

 

 残酷なまでのその結末を。

 

「ほら。思い出して司教。異端をどういう刑に処すか、貴方はもう知っているでしょう?」

 

 女の唇が紡ぐ。

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!!助け……たすけ、てっ……!」

 

「私が聖なる焔で焼かれたならば。おまえは地獄の焔で、その身を焦がすが良い。」

 

 その唇は、歪なまでに歪んでいた。

 

玉座の脇に控えた男が指を鳴らすと、司教の足元から焔があがり、瞬く間に全身を包み込む。司教の絶叫を聞きながら、女は振り返る。

 

「下らない時間を使わせました。ごめんなさい、ジル。」

 

「何を仰いますか。これもすべて意義ある鉄槌ゆえ。」

 

 男は石段をお降り、女の脇へ立つ。サーヴァントたちは磔刑の司教を前に一列に整列。司教を焼く焔に、各自の顔が照らし出されていた。サーヴァントたちの目は虚ろ。表情もなく佇んでいる。女はその様子を満足そうに眺め、命令を下す。

 

「私の卑しい猟犬たち。私の命令はただ一つ。この国を、フランスという過ちを一掃する。刈り取るように蹂躙なさい。老若男女の区別なく。異教信徒の区別なく。あらゆる者を平等に殺しなさい。それがマスターとして、貴方たちに送る唯一の命令です。」

 

 5つのサーヴァントが各々の武器を持ち武装。召喚されたのは、セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシンの5騎。そして彼女の隣に佇む男。キャスター、ジル・ド・レイ。

 

 女の宣言に、傍に立つジルだけが感動の涙を流していた。

 

「おお、ジャンヌよ。人々に担ぎ上げられ、人々の旗にされ、人々に利用され、人々に見捨てられた。私の光よ!」

 

 一度は世界の救済を夢見た少女、ジャンヌ・ダルク。純真故に人に愛され、純心故に人に見捨てられた。故に彼女は復讐する。

 

「この世界の裁定者として、審判を下します。主の愛を証明できなかった人類に存在価値はありません。恐ろしいまでに有罪です。人類はみな、善人であれ悪人であれ平等である。故にすべて殺しなさい。ただの一人も、逃がすことは許されない。」

 

 ジャンヌ・オルタは、高らかに、一切の後ろ暗さもなく、この世界の破滅を宣言した。

 

 

 

 

 

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