アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

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プロローグ もうひとつの世界へ

 

 

 これは夢だ! 悪い夢に違いない!

 

 花沢 マサトはその場にうずくまり、目をつむり、耳をふさぎながら必死にこの状況を否定していた。

 

 

 ――だって、ボクが憧れている『外の世界』はもっと綺麗なはずなんだ。

 

 地面はゴミで溢れかえり、建物の壁面には野蛮で卑猥な落書きが書き殴られている。超高層ビルがまるで竹林のように乱立し、マサトの好きな空を覆い隠していた。

 

 ――違う違う違う! だってボクが夢見る『外の世界』はもっと優しいはずなんだ!

 

 マサトの周りにいる大人たちは彼を見て笑っている。お父さんが言う、お前は役立たずだと。お母さんが言う、どうしてまだ生きているのかと……誰も彼もがマサトを攻め立て、やがて彼らは有象無象の影へと形を変えていった。

 

 ――嫌だ嫌だ嫌だ! だってボクが『外の世界』に行ったなら、ボクはもっと強くなってるはずなんだ!!

 

 マサトがいくら目をつむっていても見えてしまうあばら骨の浮かぶ体は弱々しく、耳をふさぐ両の手は細くて今にも折れてしまいそう。

 マサトは自分の体が嫌いだった。いつか外を思いっきり走り回るのが夢だった。

 

 マサトは必死に否定する。これは夢だと、現実じゃないと。

 しかし、周りの人影たちは彼のもがく姿を見てさらに彼をあざ笑う。その情けない姿は滑稽だと、無様にすぎないと……。

 

 クスクス。ニヤニヤ。グフグフ。ゲヘヘ

 

 ――うるさいうるさい! ぶっ飛ばしてやる! ボクは強くなるんだ、負けないんだ! おまえ達なんかまるで気にしない、あの物語に出てきた強くて、カッコいいあの生き物のように!

 

 マサトが先日読んだ絵本に登場する生き物の姿を想像したその時、絶え間なく聞こえていた笑い声がピタリと止まる。

 急に静かになった世界でマサトが恐る恐る顔を上げていくと、人影たちはみんな何かに怯え、ひとつの方向を(うかが)い見ているようだった。

 

 彼らは何を見ているのか、マサトがビル群に挟まれた道の先に目を向けたとき、雷鳴のような獣の雄叫びがビリビリとマサトの体を打ちつけた。

 

 そして見た。

 

 立ち並ぶ周りのビルよりも大きな体。

 その体は輝く鱗に覆われ、その傷ひとつない滑らかな鱗は鏡のように周りの景色を映しだしていた。

 

 竜だ……銀色に光る強大な竜だった。

 

 竜はビルを丸々飲み込めそうな大きなアギトを開き、再び天に向かって雄々しく吼え始めた。

 その咆哮にマサトの周りにいた影たちは恐れ(おのの)き、マサトを置いて逃げ出していく。

 マサトはその場から一歩も動けずにいた。

 恐怖で足がすくんでいたから? いや、違う。

 マサトはその竜の偉大な姿に感動していたのだ。

 

 ――ボクも……ボクもいつかあんなふうに強く、カッコよくなりたい。

 

 そう、竜に誓ったとき今まで天に向け声を上げていた竜が頭を下げマサトのほうに向けてくるではないか。

 竜とマサトの距離はだいぶ離れていたが、マサトは竜と目があったことを確信していた。

 鈍く光る力強い両の眼でマサトを覗き込んだまま、竜が口を開く。

 

 

『――それが貴様の望みか』

 

 

 

 

 

 マサトはハッと、目を開ける。

 寝起きのぼんやりとした視界に移るのはいつも通りの真っ白な天井。

 

 ――夢……

 

 マサトはひどく安堵した気持ちになった。

 ああいう夢は昔から何度か繰り返し見てきた……でも決して見慣れることのない悪夢のひとつ。

 あの類の夢を見た日はひどく憂鬱な気分になり、その日一日決してよいことが起きない最悪の日の前兆でもあるんだと、今までの経験からマサトは知っていた。

 

 ――でも……最後はすこし変わっていたような……

 

 今までは果てのない笑い声に苛まれながら目が覚めるのを待つことしか出来なかった。それなのに、今回は“誰か”が助けてくれた気がする……うまく思い出せないけれど……。そう、その証拠にいつもより体が軽い。

 もしかしたらなにかの吉兆かも知れないなと、マサトは憂鬱な気分からすこし気持ちを持ち直した。

 

 

 マサトが真っ白なベッドの上でゴロゴロと眠気を覚ましていると部屋の入り口が数回ノック音。続けて「失礼します」と、ひとりの看護婦が病室のドアを開けて入ってくる。

 

 そう、マサトは病人で、物心ついた頃から病院から外に出たことのない……変な言い方だが、生粋の患者であったのだ。

 

「おはようマサトくん。朝の調子はどうかな?」

 

 病室に入ってきた看護婦が優しくマサトに体調を尋ねる。

 しかしマサトにとってそれは毎朝繰り返されるただの定型文であり“おかげさまで”や“お疲れ様でした”などと変わらないただの挨拶のひとつに過ぎなかった。

 

「おはようございます看護婦さん。体調は“いつも通りです”」

 

 なのでマサトも毎朝変わらない挨拶を返すだけだった。

 そう、いつも通り。よくもなく、悪くもない。

 マサトの体はどこが悪いのか自分ではわからない。知っていることといえば、体に筋肉が極端に付きにくいこと、これ以上良くも悪くもならないだろうということ、生きるか死ぬかの瀬戸際とは縁がない病気なのだろうということ……コレくらいだ。他の事はお医者さんと両親が知っていればいいことだと思っている。

 

 逆にわからないことならいっぱいあった。この病室から見える景色以外の『外の世界』の大半のこと、友達と遊ぶことの楽しさ、学校のメンドクサさ、なぜ両親は週に一回しかこの病室に来てくれないのか…………。

 

 ――やめよう……

 

 マサトは気分が沈みそうになる考えをやめ――こんなことを考えるなんてこれもあの夢のせいだ――、代わりに昨日から楽しみにしていたもののことを考えることにした。

 

「ねえねえ看護婦さん。もうネットワークのメンテナンスは終わったの? もうニューロリンカー、接続してもいい?」

 

 

―― ニューロリンカー ――

 今や国民の一人ひとりがその首元に装着しているそれは人々の生活に必要不可欠なものとなっている。

 量子ネットワークにより超高速無線通信を脳とニューロリンカー間で直接行なうことによってバーチャルリアリティ(VR)つまり仮想現実への即時移動を可能とし、現実においてもメール、電話などの基本的なことから視覚や聴覚の補助などの拡張現実(AR)まで行なうことができる万能端末だ。

 

 

 

 暇な入院時間の大半をネットのゲームやコミュニティに費やしてきたマサトにとってそれを使えなかった時間というのは文字通りオモチャを取られてしまったように、なんの面白みのない退屈な時間でしかなかった。

 

 しかし、先週マサトの担当になったばかりのこの看護婦がいうには昨日は病院で使っているサーバーをチェックするため1日中グローバルネットが使えなくなり、さらにニューロリンカーの通信がサーバーのメンテナンスに悪影響を及ぼす可能性もあるのでニューロリンカーの電源は切っておくようにとのお達しがあったのだ。

 

 現在6歳で“そういうこと”に疎いマサトはその言葉を鵜呑みにし、言いつけどおり昨日は1日中ニューロリンカーの電源を切っていたのであった。

 

「ごめんね~。でも私が貸してあげた絵本も面白かったでしょう?」

「うん! あのねあのね! この本が面白かった!」

 

 看護婦が暇なマサトのためにと持ってきてくれた数冊の絵本。その中でマサトが1冊だけ抜き取ったのは可愛いお姫様と大きな竜が表紙に書かれている絵本だった。

 その本の内容は……

 “とある深い森のなかで迷ってしまったお姫様が出会った一匹の竜、心優しき竜はお姫様をお城まで送ってあげたのだが竜のことを大層気に入ったお姫様はみんなのとめる声を無視して何度も何度も森へ入り竜の元へと訪れる。

 最初はお姫様が心配で森へ来るなと言っていた竜だったが、段々とお姫様と会うことが楽しみになっていく。

 そんな折、隣の国の王様がお姫様のいる国へと戦争を仕掛けてきてしまう。のどかで平和な国だったお姫様の国は隣国にどんどんと攻め込まれてしまっていた。

 もう会えないかもしれないと泣き叫ぶお姫様に竜は立ち上がり、その体1つで隣国を攻め立ていく。やがて隣の国は降参し、お姫様と竜は末永く会うことが出来ましたとさ。”

 

 というものだった。ただでさえ紙媒体の絵本は珍しいというのに、こんな過激な内容の本は通常なら一定の年齢からしか読めないようにレーベルがかかっているか、倫理機構の手によってもう発禁になっているはずだ。おそらくこの絵本は病院が取り寄せたものではなく、この看護婦の私物に違いない。

 マサトはいつもみんなで仲良く輪になって踊るような内容の本、それも電子書籍のものしか読んだことがなかったので、この手に汗握る熱い展開の本を大層気に入ってしまったのである。

 

「そう、やっぱり男の子ですものね? こういうお話が好きなんでしょう?」

「うん!」

「よかった。マサトくんいっつも窓の外を見てるからきっと外の世界へ冒険に行きたいんだと思って……みんなに内緒で持って来たのよ」

 

 マサトはその言葉を聞いて自分の中では隠し切っていると思っていた心の中の感情を目の前の彼女にアッサリと見抜かれてしまっていたことに驚いてしまった。

 こんな弱々しい体でも補助台を使えば歩くことくらいは出来る。しかし、まえに病院を探検と名付けた散歩をした時にマサトは体の限界を見誤り、その途中で倒れてしまったことがあった。

 そのことで両親からたっぷり怒られてしまい、それ以降マサトは誰にも心配かけないように、と病室から一歩も外に出ることがなくなってしまったのだ。

 だけど、窓の外から見える外の景色は飽きる間もないほど色んな形に姿を変えて見せてくれたし、外を歩く人たちはそのなかを楽しそうに歩いている。それらを見るたびにマサトの『外の世界』への憧れは消えるどころか膨らむ一方になってしまっていくだった。

 

「じゃあこの絵本、マサトくんにあげるわ」

「えっ?」

 

 マサトの表情から何を読み取ったのか、看護婦さんは優しい笑顔でマサトが手に持っていた絵本を彼の胸に押し付けてくれた。

 

「でもみんなには内緒よ? 見つかったら私も怒られちゃうから」

 

 まるでいたずらっ子のように微笑む看護婦。その笑顔に数瞬見惚れながらマサトは元気に返事を返すのだった。

 

 

 

「それじゃあ、お昼にまた来るけど何かあったら呼んでね?

 あ、そうそうニューロリンカーの電源はもう点けてもいいわよ。それじゃあね、バイバイ」

 

 手を振り病室を出て行く看護婦を見送ったあと、マサトは胸に抱いていた新しい宝物をベット脇にある戸棚の奥深くにしまっておく。ネットゲームが終わったらもう一度読み直そう、と楽しみにしながら常時首につけているニューロリンカーの電源を入れるのだった。

 

 

 

 しかし、この後マサトは絵本のことをすっかり忘れてしまうことになる。

 なぜならばあの絵本の世界よりもより刺激的な『世界』を知ってしまったのだから……

 

 

 

 マサトは首の端末から脳に直接送信された……実際目の前にモニターがあるかのように網膜に映し出されるニューロリンカーの起動画面を見送ってから、ゲームアプリを詰め込んでいるフォルダを探していく。

 年配の人の中には外部入力機器(いわゆるキーボードやマウスのこと)がないというのに空中に指を這わして網膜に映ってるアイコンを操作するのが苦手な人も居るらしい。

 だが、幼少の頃からニューロリンカーを身につけているマサトにとってはまるで体の一部を動かすようにスイスイと仮想デスクトップの画面を操っていくのだった。

 しかしその途中、マサトは見慣れないアプリケーションをデスクトップ上で見つけてしまう。

 

「なんだろう……これ?」

 

 

 

《BRAIN BURST》

 

 

 

 そのアプリケーションの名前はそう表記されていた。

 これは現実世界をぶち壊し、彼ら子供たちを『もうひとつの外の世界』へと誘うチケット。

 マサトの憧れる『ここではない世界』への入り口。

 

 マサトは吸い込まれるようにそのアプリへと手を伸ばしていき、一呼吸おいたあと…………

 

 

 

  《BRAIN BURST》のアイコンをタップするのであった。

 

 

 

 




 作者設定(と、言い訳)
 
 ・マサトのニューロリンカーにいつの間にBB(ブレインバースト)がインストールされていること。
 ご都合主義の一つです。スイマセン。

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