《クロム・ディザスター》を討伐してから数ヶ月間『加速世界』では特に目立った騒ぎは起こらなかった。
強いてあげるのならば《ブレイン・バースト》をインストールした子供たちの数が1000人ほどに増えたことにより、今まで無制限にコピーできた《ブレイン・バースト》が今度はひとり一回までしか出来なくなってしまったことだろうか。
さらに追い討ちをかけたのが《インストール適性チェッカー》の消失だ。このモジュールは相手が《ブレイン・バースト》をインストールできるかどうか(生まれてすぐの頃からニューロリンカーを使用していること、VR適性が高いこと)というものが相手も気付かぬうちにチェックできる優れものだった。
BBプレイヤーたちはこれを用いて安全かつ秘密裏に新しいBBプレイヤーを増やしていたのだが、それがもう不可能となってしまった。
もし、適性の無いものに《ブレイン・バースト》をコピーし、インストールが失敗したとしてもコピー元のBBプレイヤーはもう二度と他のものに《ブレイン・バースト》を手渡すことが出来なくなってしまう。今までのことを考えると大変厳しい条件になっているだろう。
当然その事実が判明してからというもの彼らはBBプレイヤーを迂闊に増やすことはしなくなった。
結果として『加速世界』の住人はおおよそ1000人という人口の数で均衡が保たれるようになったのだった。
しかし、ほんの少し未来に起こる出来事を《クロム・ディザスター》を討伐した直後の彼らが知る由もない。
今はただディザスターから受けた傷を癒し、再び訪れた日常を謳歌するだけ。
――これはマサトの周りがまだ平和だった頃の話。
◇
「私、子供を作ろうかと思うの……」
マサトは口に含んでいたジュースを思いっきり噴き出してしまった。
ほんの少し前に小学2年生にはなったものの世間から見ればまだまだ子供扱いされるだろう自分の歳、しかし『加速世界』という現実とは異なる時間が流れる世界にいるため自分の精神年齢はもう少し成熟しているはずだとマサトは自負している。
……何が言いたいのかというと、《スーパー・ヴォイド》に所属するちょっと
「私も、もう十分に成長したと思うし……」
「えっと……まだまだ早いんじゃないかな~、なんてボクは思うんだけど……」
成長って……カンナってまだ小学3年生だったはず、とカンナのスラッとした(悪く言えば凹凸の無い)体を横目で見ながらもう一度自分の持っている知識を確認するマサト。まさかカンナは《ブレイン・バースト》のやりすぎで自分の年齢を勘違いしてしまっているのでは無いか、そう思ってしまう。
「それに一体誰とやろうっていうのさ? ……知ってる? 子供は1人じゃ出来ないんだよ?」
「何言ってるの、当たり前じゃない。候補はちゃんといるわ、この前新宿でたまたま出会ったのよ、その子と…………」
「まさかそんな行きずりの人と!?よく知らない人なんか絶対ダメ!」
「そんな! ちゃんと友達にもなったし、性格もいい人だったわ!」
それでも早すぎるんじゃないのだろうか、もしかして悪い人に騙されてるのでは? マサトの頭の中で多くの疑問がグルグルと渦巻きはじめる。
「それにまだ早いって、マサトはレベル3の時に私を《子》にしたじゃない!
そんなあなたにとやかく言われたくないわ!」
「ええ! ボクがカンナを……! ……《子》に…………したねぇ……」
カンナの言う“子供”とは《ブレイン・バースト》の《親》と《子》のことだったのか……。ようやく両方の話の内容に大きなズレがあることに気が付いたマサト。その落差に一気に気力を持っていかれてしまい、脱力した体をずるずるとベッドの上に滑らせていく。
突然萎れた花のように元気の無くなったマサトを不思議にそうに見ながらも、カンナは自分が新宿で出会った人の話を続けてくれた。
その子は以前マサトのお願いでタッグパートナーとして他区の《戦闘エリア》へ遠征している時に出会ったらしい。
「出会ったのは本当に偶然だったんだけどね。混みあってたファストフード店でその子と偶々相席になったの。というか子供同士だからって店員さんがちょっと強引に薦めてくれたんだろうけどね? ……それで、話しているうちに随分意気投合しちゃったというか……どこか私に似てた気がしたから……」
「カンナに? どんなところが?」
曲がったことが嫌いでお節介で
もし前者なら……カンナが2人……チラリとよぎった嫌な予感は無視しつつ、マサトはカンナに続きを促すことにした。
ほんの僅かな間言葉を言いよどんだカンナだったが、“それ”を話さないと先に進めないと考えたのだろう。深呼吸をして一旦場の空気を整えてからマサトの目を真っ直ぐ見て話し始めた。
その子の中に隠され、カンナも抱くその胸の内を――
「きっと、あの子も感じてるの……自分を産んでくれた両親に対する罪悪感と……ほんの一握りの――恨みを…………」
今にも泣き出しそうなカンナの瞳を見ながらマサトは何も言えなかった。
――その感情はマサトの心の奥底にもある物だったから。
確証は無いがその感情は全てのBBプレイヤーに共有することでもあるのだろう。
《ブレイン・バースト》をインストールするために必要な条件のひとつ、赤ん坊の時からニューロリンカーをその首に付けられているということ。
その事実が示すひとつの現実はマサトたち子供でも深く考えてしまえば分かってしまうことだった。
育児の省力化。
ニューロリンカーのAR、またはVRを使っての幼少時から始める英才教育。
またはマサトのように何らかの身体に異常があった場合。
BBプレイヤーの大多数はおそらく両親のまともな愛情を受けて育って来なかったのではないか、ときどき言葉の端から伝わるプレイヤーの
もちろん、両親に聞けばそんな事は無いと、十分に愛してきたと言ってくれるかもしれない。
親の心子知らず…………世の大人たちはそう諌めるだろう。
だが、逆に子供の気持ちを全て理解できる親はいるのだろうか、両親はこの変化の無い病室で1日中過ごすボクの気持ちを知っているの……?
「……ト! マサト! 聞いてるの!?」
「えっ!!? ……うん、ゴメン……」
どこか深く、暗いところに沈みそうになったマサトの心を引き上げてくれたのはカンナの声だった。
マサトの心ここにあらずの返事にカンナは怒ったような悲しんでいるような顔をしながらもそれ以上深く追求しないでくれた。
「とにかく、また今度の週末にその子と会う約束してるからマサトもちょっとはこの部屋綺麗にしておいてよね!」
「うん……、うん? て、ええっ! 連れて来るの? ここに!? その子を!」
カンナから聞かされた突然の提案にマサトの頭の中に再び混乱の渦が発生し、さっきまで感じていた暗い気持ちはその渦によって跡形も無く消え去ってしまうのだった。
BBプレイヤーが最も気を付けなければいけないこと、それはバーストポイントの全損と“リアル割れ”だろう。
例え《ブレイン・バースト》で全戦全勝無敵のプレイヤーがいたとしても『現実世界』に帰ればそのプレイヤーもなんの力も無いただの小学生でしかない。
『加速世界』ではトッププレイヤーの1人であるが現実はずっと病院暮らしのマサトなんかがその例の筆頭ともいえる。
もし現実で肉体的暴力によってバーストポイントを寄こせと脅されたら、その襲撃者から逃げ切れることができなかったのなら……ほかのどんな抵抗も無駄に終わってしまったならば……。
そんな事例はすでにあるらしく、《リアルアタック》と称しBBプレイヤーの1人を大勢で囲んだり、何らかの理由で抵抗しないように脅したりしてバーストポイントを根こそぎ奪っていく、そんな奴らがいるらしい。
被害に遭い、その場はたまたま通りがかった大人に止められたお蔭で一時は無事だったその《リアルアタック》にあったBBプレイヤーもその話を他のプレイヤーに伝えた数日後、《ブレイン・バースト》の世界に現れなくなってしまった。
もしカンナの出合った子がそんな強行にいたった場合どうすればいいのか、マサトはカンナとその子の2人だけで《ブレイン・バースト》のコピーをすれば言いと熱烈に語ったのだが――
「そうなった時はそうなった時よ。それにリアルアタックなんて万年ポイントが少ないへぼプレイヤーがやるようなこと、私の《子》がするわけ無いでしょ。そんな柔な育て方はしないもの。
きっと遅かれ早かれ私の《子》をあなたにも紹介する時が来る。それなら最初から顔見せしてたほうが楽でしょ?」
カンナの豪放磊落な性格が炸裂してしまった。こうなったらマサトのささやかな抵抗は全部丸め込まれるに決まってる、昔っからマサトは口でカンナに勝ったことがないのだ。全面降伏するしかない。
マサトに出来る精一杯のことといえば週末までにこの部屋をいつも以上に片付けることだけだった。
◇
それはマサトがベッドの上をいつもより念入りに粘着テープの付いた掃除道具をコロコロと転がしている時だった。
突然耳を貫く甲高い、ガラスが割れたような炸裂音。
マサトは病院のベッドの上から投げ出され、一瞬訪れた『
――これは……!
《ブレイン・バースト》の《乱入》である。
ここのところ殆んどの対戦を《無制限中立フィールド》で行なっていたドラゴニュートは久しくなかったこの現象に少なからず驚いていた。
そんなドラゴニュートの驚きをよそに《ブレイン・バースト》は次々と対戦の準備を整えていく。視界中央から伸びる2本の青いHPバー、それぞれのバーの下には対戦者である自分の名前と挑戦者の名前(マサトは例のごとく読めなかったのでスルーした)。最後に1800秒の数字が現れると同時にカウントダウンが始まってしまう。それは挑戦者との対戦が滞りなく始まったことをドラゴニュートに教えるのと同じ意味だ。
どうやらこのステージは建物内の侵入が禁止されているらしい。自動的に病院の外に投げ出されたドラゴニュートは辺りを注意深く見回していく。
挑戦者はドラゴニュートのいる《世田谷第三エリア》に入った途端戦いを挑んだのか、少なくともドラゴニュートの視界の中にそれらしき者の影は無く、ドラゴニュートの視界に映ったのは悲惨な姿になった世界だけだった。
空は分厚い雲で覆われていて全体的に薄暗い。真っ白だった病院の外壁を始め、回りのビルは卑猥な落書きで埋め尽くされていて、地面はひび割れ、電気的な光は一切無い。光源はドラム缶で炊かれた焚き火の明かりのみ。
《世紀末》ステージ、それがこの世界の名前だった。
「敵の方向を示す矢印は……こっちか、よし!」
一通り現在の状況を確認するとマサトは早速動き出すことにした。
通常の場合、乱入したものが接近してくるまで待つのがセオリーなのだが、たまにはそれを覆すのもいい刺激になるだろう。ドラゴニュートはガイドカーソルが示す矢印の方向へ真っ直ぐ向かっていく。
こうすれば相手のカーソルの動きもぶれないため相手からこちらの移動が悟られない。ギリギリまで近づいてから身を隠し、ファーストアタックを奪い取る。それが今回の作戦だ。
幸いここは薄暗い《世紀末》ステージ、隠れる場所なんてどこにでもあるのだから。
なるべく遮蔽物を前にしながら順調に前へと進んでいくドラゴニュート。もう随分と移動してきている、相手との接近を感知し、ガイドカーソルも消えてしまった。もう何時出会ってもおかしくないはずだ、と物音を立てないように慎重に歩き出したそのとき……。
何らかの攻撃の意思、“殺気”とでも言えばいいだろうか、その気配が突然とドラゴニュートを襲い始めた。
襲撃。
それを感知したドラゴニュートは道先に視線をくまなく動かすが、敵の姿は影も形も現れない。
しかし、攻撃の手はすぐそこまで迫っている。
―― 一体どこに……。
すぐさま後ろを振り返ってみても敵影は無し。
前には居らず、後ろにも居ない。残りは――
―― ……上か!?
もしくは
ドラゴニュートが急いで空を仰ぎ見るも、しかしそこには変わらず漆黒の空があるだけ……。
――いや違う!
ステージの闇に隠れて移動していたのはマサトだけではなかった。
全身凶器の死神が今まさにドラゴニュートの首を取ろうと鎌を振り上げていたのだった。
間一髪、襲撃者の一撃を受け流しながら回避したドラゴニュートは地面を二転三転して敵と距離をとる。
「流石、『加速世界』において知らないものはいないハイランカーのひとりなだけはある。
突然の不意打ち失礼。貴方の噂はかねがね聞き及んでいる。《最古の竜》《
わたしはいまだ若輩の身であるが、ご高名の貴方にどうか一手ご指南お願いしたい」
やけに古めかしい言葉遣いで、しかし礼儀正しく挨拶してくる挑戦者にドラゴニュートは、突然じゃない不意打ちはあるのかなどと見当違いのことを考えながら
まるで夜空から切り取ったかのように透き通る黒のボディ。
女性型にしては高く、スラリと伸びた細い体。
彼女の性格のように凛と伸びたV字型のマスクと少女らしさを表したスカート装甲。
そして最大の特徴は両手両足、それ自体が鋭利な刃物となっていることか。その鋭さはステージに漂う空気ですら切り裂いてしまいそうな剣呑な輝きを放っていた。
《ブラック・ロータス》
『加速世界』に現れた新しい《
彼女は自分のことをそう名乗るのだった。
「一手ご指南……はいいけど、キミ、あんまり見たことない顔だね。
最近《ブレイン・バースト》を始めたのかい?」
ドラゴニュートの質問に、その通りだと頷き返すロータス。つまりまだレベル1であるのにレベル6のドラゴニュートに挑んできたということだ。
新しい《
そして信じられないものを見つけてしまうのだった。
――傷が付いてる!?
右腕に走る一筋の傷、おそらくそれは先ほどのロータスからの不意打ちを受け流した時にできた傷だ。それを見たドラゴニュートはすぐにロータスが持つ恐るべき潜在能力を悟ってしまう。
確かにドラゴニュートは切断攻撃に高い耐性を持っているが、今まで体に斬撃による傷をひとつも付けなかったわけではない。
最初は剣の扱いに慣れていなかったが戦闘を重ねるにつれドラゴニュートの体を切り裂けるようになった《ラピスラズリ・スラッシャー》。ドラゴニュートと同様の最強の一角に座しており、油断していたら腕の1本や2本容易く持っていく剛剣の使い手《ブルー・ナイト》。他にも切れ味に特化した強化武装を持つ侍のようなアバターなどにその太刀筋をつけられたことはある。
しかし、それらは全て同レベル帯での戦いの話だ。レベルが5も離れた
おそらく彼女の刃は《ブルー・ナイト》の剣、……いやどの強化武装よりも切断することに特化しているのだろう、それが両手両足についているのだからこれほど恐ろしいことは無い。だが、マサトにもトッププレイヤーとしての矜持がある。彼女に対する動揺は心の中だけに押しとどめつつ、戦闘再開の
結果としてこの戦いはドラゴニュートの圧勝で終わった。流石にレベルが5つも離れた相手とは基礎能力が全く違ったためだ。ロータスにはない豊富な経験もドラゴニュートに味方した。
しかし体全体に走るいくつもの切り傷を見て、これから彼女が順調にレベルを上げてきた場合いつまでロータスから勝ち星を奪い続けられるのだろうか、ドラゴニュートはそう考えてしまうのだった。
「さすがに無謀な挑戦でしたね」
いまだ対戦フィールドに残るドラゴニュートに話しかけてきたのはロータスとは真逆の色合いをもつBBプレイヤー《ホワイト・コスモス》だった。どうやら先ほどの戦いを《ギャラリー》として観戦していたらしい。
コスモスとはかつて《クロム・ディザスター》討伐時に少し話しただけの仲なのだが、今このタイミングでドラゴニュートに話しかけてくる意味は――
ロータスも同じ《
しかもよくよく考えるとコスモスが誰かBBプレイヤーの《ギャラリー》をしているなんて話も聞いたことがない。しかしロータスの試合は見に来ていた。コスモスにとってロータスはなにか《特別な存在》だった?
「もしかして、貴方の《子》でしたか? 《ブラック・ロータス》は……」
ドラゴニュートの問いにコスモスは微笑みだけで返す。だがおそらく間違えでは無いのだろう、少なくともロータスの関係者ではあるはずだ。けれどコスモスの態度からあまり突っ込んだ話を聞くのは
「とても手ごわい相手でした。おそらく同レベルだったら負けていたのはボクだったかもしれません」
「そういって貰えるならあの子もきっと喜ぶわ。きっとこれから何度も貴方に挑むつもりでしょうから、よろしければ付き合ってあげてください」
コスモスはそう言葉を残して『加速世界』からリンクアウトしてしまった。周りを見ればもうギャラリーは誰も残っていない。
コスモスのようなトッププレイヤーが親に付き、戦い方を指南されたのならロータスはたちまち
――厄介な新人が現れたもんだなぁ……
ドラゴニュートはもう一度ロータスが立っていた場所に目を向けると、そのまま『加速世界』から抜け出すのだった。
◇
《ブラック・ロータス》と戦ってから数日後、彼女の快進撃は《無制限中立フィールド》にまでその話が轟いていた。おそらくあと2ヶ月もしない内にレベル4まで駆け上がり、この無限の大地に降り立つだろうという話だ。
どうやらマサトの考えは間違っていなかったらしい。彼女の強さをしる当事者のひとりとしては空恐ろしいものではあるのだが。
――《ホワイト・コスモス》もよくそんな人物を見つけたなぁ、コスモスは彼女をレギオンの片腕として扱うんだろうか、それとも……
マサトが期待の新人の将来のことを考えているとあっという間にカンナと約束した週末がやってきた。
あれからカンナは目をつけた人物にメールを送るついでに《インストール適性チェッカー》を走らせ、その人に《ブレイン・バースト》をインストールすることが出来るのかを調べ上げたらしい。
結果は“白”、なんの問題も見つからなかったそうだ。
つまり先日話したとおり今日マサトの病室に来て《ブレイン・バースト》をインストールする手はずになっていたのだが……
「もうインストールしちゃったぁ!?」
「……ま、まあね?」
まあね、じゃないでしょ。マサトはカンナの話に怒りを通り越して呆れてしまう。
「でも! 今日インストールしてもどうせそれだけで解散になっちゃうでしょ? そんなの味気ないなぁ、なんて……ね?」
「……そう思ったらいてもたってもいられなくなっちゃった?」
「……うん」
たしかにカンナの言うとおり今日病室で《ブレイン・バースト》をインストールしてもプレイできるのは明日の朝から、正確に言うなら今晩悪夢を見てからだ。それなら前日にインストールしてきてくれれば《ブレイン・バースト》のことを口で説明するだけじゃなく実際にバトルして教えてあげることもできる。
――できるのは解るんだけどなぁ……
理由はわかるが、なんとなく納得できないモヤモヤを感じるマサトはつい腕を組んで難しい顔をしてしまうのだった。
「マサトさん、カンナちゃんを怒らないであげてください。《あのゲーム》をすぐにでもインストールしたいと言ったのはわたしなのです」
「倉崎さん……」
「楓子、でいいですよ?
先日カンナちゃんと遊んだ時この《ブレイン・バースト》のことを教えてもらいました。現行のどのVRゲームより……いえ、現実でも決して味わえない爽快感を体感させてくれるゲーム。そう説明されてしまったなら我慢できるわけ無いじゃあないですか」
悪戯っ子のような微笑でマサトにそう言ってくれたのは
カンナと同い年という話だったけれど《ブレイン・バースト》で長い年月を過ごしてきたマサトたちよりも大人っぽい雰囲気を纏っているのだからこのまま成長したらどうなってしまうのか想像もつかない。
マサトは楓子の笑顔に免じてカンナを許すことにした。といってもマサト自身そこまで怒っているわけじゃなかった。せっかく2人で約束していたのにカンナがマサトに無断で物事を進めてしまったのだから少し拗ねていただけだ。ただひと言謝ってくれればそれでよかった。
「今度から予定が変わったらちゃんとボクに連絡してよね……」
「うん! するする! ありがとーマサト!」
マサトの怒りが収まったとわかったカンナはマサトに抱きついて喜びをあらわにする。カンナとしても約束を勝手に破ってしまったことに対して少しの後ろめたさを感じていたらしい。
しかしこの喜びの表現はちょっと過激だ。突然の抱擁に照れと恥ずかしさから顔を赤くして慌てるマサト、あらあらと手で口元を隠しながらも2人の様子を見て微笑む楓子、両者を気にもせずよかったよかったとはしゃぎ通しのカンナ。
病室に満ちる騒ぎの声はしばらく落ち着きそうになかった。
「それで、楓子さんはゲームをインストールして、《対戦》をしてみたの?」
マサトのその質問に今まで上機嫌だった楓子はなぜか表情をそのままにピキリと固まってしまった。表情を変える暇も無く、といってもいいかもしれない。
「もちろん! それしかやること無いんだからしたに決まってるでしょ!
それにフーコはもうレベル2なんだから!」
マサトの質問に嬉々として答えたのは楓子では無くカンナだった。
しかしカンナの言葉のなかに聞き流せないものがあったような……。先日カンナから楓子の話を聞いてから1週間も経っていない、この短期間でレベルアップができる訳ないだろう。マサトは自分の聞き間違えだという事を祈りながらもう一度カンナに問い直した。
「楓子さんはレベル1でしょ? ……あ! もう2回対戦したってこと?」
「何を言ってるの? もう一度言うけどフーコはここに来る前レベル2にあがったのよ。あ、ちゃんとポイントの
聞き間違えじゃなかった……。カンナが言うには楓子はカンナと一緒にいるときに初戦を体験したらしいのだが、運よく対戦相手から白星を上げることができた。その喜びと興奮のせいでつい口走ってしまったのだ……もっと戦いたい、と。
かつてカンナは精神的にドッと疲れる《ブレイン・バースト》の対戦を、マサトと組んで戦った以外にも独自にBBプレイヤーへ挑戦を繰り返し短期間でレベル4に上がった廃ゲーマーだ、そんなカンナを基準に対戦を組まされた楓子は堪ったものではなかっただろう。
今現在も身振り手振りで楓子の活躍を語っているカンナの見えないところで一生懸命手を横に振っている。もちろんカンナが語る楓子の怒涛の連戦劇を否定するためだ。
「ま、まあ、レベル2に上がったのならもう簡単に他のBBプレイヤーにカモにされることはないでしょ? これからレベル4くらいまではゆっくりとレベルを上げればいいんじゃないかな?」
マサトはカンナの思わぬスパルタ教育っぷりに楓子が可哀想になりフォローを入れることにした。楓子もカンナの後ろでうんうん頷いている。
「なに言ってるの! そんな柔な育て方はしないって言ったでしょ! 最低でも来月までにレベル3、4ヶ月以内に《上》に来てもらうんだから!!」
カンナは自分がそうであったから楓子も同じようにできると踏んでいるらしい。しかし、そのスケジューリングは他のBBプレイヤーと比べてかなり早熟だということを知らないようだ。
うーん、でもカンナもそんな感じで《無制限中立フィールド》に来たのだから不可能ではないかな? マサトもついそう考えてしまうのだったが、楓子の身振り手振りが激しくなったので慌てて否定することにした。
「そ、そんなの無理だよ!」
「どうして? 私はもう少し短期間でレベル4にまで上がったわ。フーコならこのくらい余裕よ」
「あー……。そ、そうだ。それはカンナが不定形アバターなんて珍しいカラーだったし、半分はボクの協力もあったでしょう?
楓子さんのアバターが強いとは限らないしレベルはゆっくりと上げた方が……」
マサトの言葉にカンナは思わずムッとしてしまった。マサトは半分協力したというが実際はマサトと組んで戦うよりももっと多くの対戦を単独で繰り返している、そうでなければマサトのレベルに追いつくことなんてできなかったからだ。
その苦労をわかっていないマサトの発言にカンナが怒るのも無理はない。
そして、楓子もまたムッとしていた。これは自分が弱いから連勝できるはず無いと言われたと思ったからだ。まだ楓子の勝気な性格を知らないマサトは知らないうちにトラの尾を踏んでしまっていた。
慌ててたとはいえ余計なひと言のせいでフォローしたはずの相手からも睨まれてしまうマサト。いつの間にか2人を敵にまわしてしまった事に気が付いたマサトは、どうしてこうなった、と目をグルグル回すしかなかった。
「いいわよ、そこまで言うならフーコの実力を見せてあげようじゃないの!
フーコ、有線ケーブル持ってる?」
「ええ、もちろん。マサトさんにはわたしがそこらのプレイヤーに負けない実力があるということを知ってもらいます」
いつの間に取り出したのか楓子の手には2メートルほどのケーブルが握られていた。
どうやら《ギャラリー》の現れない有線直結通信による対戦を行なうつもりのようだ。
「あ、あー……わ、私は持ってきてないわ……。しょ、しょうがないからマサトの短いケーブルで我慢してあげる! ほら、この前の出しなさいよ!」
いささか言葉の起伏がない台詞(わざとらしいとも言える)を口にした後、カンナが顔を真っ赤にしながらマサトに向かって手を延ばすが……
「ああ、それなんだけどね。このまえカンナに怒られたから新しく長いケーブル買っておいたんだよ。はい、今度は3メートルもあるんだ、これなら廊下まで延ばすことも出来るよ!」
マサトがカンナに手渡したのはビローンと長いケーブルの片端。
このケーブルの素材は少々高値なもので出来ており、ケーブルが長くなれば長くなるほど値も張るのだが、マサトの両親はそこのところ無頓着なのか店売りで一番長いケーブルをマサトに買ってきたのであった。
カンナはプルプルと渡されたそのケーブルを握り締めると、そのまま自慢げな顔をしているマサトの頭にゲンコツを叩き込むのだった。
突然の暴力に混乱するマサト、私は廊下に出てろって言うの! と憤るカンナ、やれやれと首をすくめる楓子。やはりこの病室が静かになるのはまだまだ先のことのようだった。
「準備は出来た?」
「うん、ボクは大丈夫」
「わたしもいつでも行けますよ?」
マサトを中心に3人で直結したことを確認するカンナ。2人の返事にもう一度目を配り3人の呼吸を合わせ、そして誰の合図もなしにそれぞれは同時に呪文を唱える。
――《バースト・リンク》――
作者設定
・楓子がカンナの《子》に。