アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

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第17話 初めての……

 

 

「それでは今日はマサトをよろしくお願いします」

「こちらこそ、マサトくんを責任持ってお預かりします」

 

 子供の突拍子も無い思いつき。しかし、カンナの“それ”はいとも容易く実行に移されてしまった。

 2泊3日の一時退院。その2日目から3日目にかけてマサトはカンナの家にお世話になることになったのである……。

 

 

 マサトと仲良くしているカンナの……木戸一家のことをマサトの母は知っていた。

 それどころかいつの間にか母親同士の接触もあったらしい。大人には大人の付き合いというものがあるのだった。

 

 今はマサトを挟んで大人2人だけで会話している。

 いつもスーツを着て感情の起伏があまりなさそうな母親がカンナの母親にペコペコ頭を下げている姿はマサトの目に物珍しく映った。

 対して、カンナの母親は髪の色こそカンナと同じ燃えるような赤毛だが、ウェーブが掛かり、ふんわりしている髪型はその優しそうな人柄とよくマッチしていた。

 

 どうにも性格が正反対そうな2人はしかし、顔見知り特有のぎこちなさはなく、それどころか1歩距離を詰めた親密さを感じさせる。

 

 マサトの視線に気が付いたのだろう、カンナの母がマサトに顔を向け、昨晩のことを尋ねてきた。

 

「マサトくん、昨日はお家に帰れてよかったわね?」

「は、はい! カンナのお母さん、今日はよろしくお願いします」

「あらあら、マサトくんは礼儀正しいのね。……ねぇ? 昨日の晩御飯は美味しかった?」

「ツバキさん!」

 

 なぜかマサトの母親が焦ったような声を出したが、マサトはその質問に正直に答えることにした。

 

「はい。病院じゃ食べられないような料理もあって美味しかったです」

「そう、よかったわね。……ですって理香さん?

 マサトくん、アレはねぇマサトくんのお母さんが頑張って…………」

「ツバキさん! もう時間が無いので私はこれで失礼します!」

 

 時間が無くて焦っていたのだろうか、マサトの母――理香は唐突にカンナの母に別れを告げる。

 

「あら、ふふふ。ごめんなさい。ほら、マサトくん、行ってらっしゃいは?」

「お母さん……行ってらっしゃい」

「行ってきます。……いい子にしてるのよ」

 

 理香は上目(うわめ)に母を見るマサトの頭をさらりと撫でると踵を返し、駅の方に歩き出す。それを見送っていたマサトだったがその姿はすぐに道角の先へと消えてしまった。

 理香が曲がっていった道の先を見ていたマサトにカンナの母が声をかける。

 

「さ、私たちも家に入りましょう? カンナが今か今かと待ってるわ」

「はい!」

 

 背中を優しく押されたマサトはこれからの予定を思い出し、気分を入れ替えて返事を返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 午前中はカンナの家で手荷物を整理したり、カンナの部屋に案内されたりしているとあっという間に時間が過ぎていった。

 そして、もうそろそろお昼時、というところで突然カンナが立ち上がる。

 

「着いたみたい!」

「え? なにが……?」

 

 理解の追いつかないマサトを置いてカンナは部屋を駆け出していく。

 何がなんだか解らないままマサトもカンナを追いかけると、その行き先は今朝マサトもくぐった玄関だった。

 

「今日はお招きいただきありがとうございます。これ、母からです。つまらないものですが……」

「あらあら、お気遣い頂かなくても良いのに。ありがとうねフーコちゃん」

 

 そこに居たのはカンナの母と、白いワンピースで着飾った楓子の姿があった。

 どうやらカンナは楓子の来訪の合図をニューロリンカーによって受信したのだろう。それで迎えに行ったのだ。

 

「フーコ!」

「カンナちゃん!」

 

 勢いそのままに楓子に抱きつくカンナと、それを受け止める楓子。

 数秒の後、お互いが満足した頃合でゆっくりと体を離していく。

 もう一度両者は笑い合い、楓子はマサトに視線を向ける。

 

「それにマサトさんもお久しぶりです」

「久しぶりだね楓子さん」

「もう、何度も呼び捨てで良いと言ってるのに相変わらず“さん”付けなんですね。

 歓迎のハグもしてくれませんし。わたし……もしかして嫌われてるんでしょうか……」

 

 出会って早々の楓子の泣き真似。楓子のマサトに対するからかいの仕方は変わってないようだった。

 しかしマサトもやられっ放しではない。少し前に見た恋愛物の映画を思い出し、楓子に反撃を決行する。

 

「楓子……ごめんよ。そんなに悲しい思いをさせていたなんて」

「マ、マサトさん!?」

 

 油断していた楓子を優しく抱きしめる。玄関特有の段差のお蔭か、楓子の頭がちょうどマサトの胸に納まった。

 楓子の戸惑いの声が聞こえてくるが、マサトの復讐はまだまだ終わらない。今度は楓子の綺麗な黒髪をゆっくり撫でていく。

 

「落ち着いた?」

「マ、マサトさん……」

 

 楓子が顔を上げ、マサトとしっとり目線を交わす。

 1秒、2秒……加速世界ならゆうに3回は対戦できる時間が過ぎ、ようやくカンナがマサトの頭に拳骨を振り下ろした。

 

「いっったぁ! 何するんだよ!」

「う、うるさい! マサトが悪いんだから。フーコの事抱きしめるし、自分のこと“俺”とか言っちゃうし!」

「冗談だろ!」

「反則よ!」

 

 反則って何だ? と疑問に思うマサトの胸にポスンと軽い衝撃が……。

 胸に当たった腕の先を辿っていくと顔を見られないように俯いている楓子の姿。

 

「……反則です」

 

 過ぎた冗談だっただろうか? 反省点を考え込むマサトと、顔を真っ赤にしながら対照的な2人。絶妙な三角形が不思議な空間を作り上げる。

 

 

「あらあら……」

 

 1人、輪の外から見守っていたツバキは子供たちの様子を笑って見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 マサトとカンナ、そして合流した楓子が遊びにやって来たのは品川区にある水族館だ。

 品川駅と隣接している方ではなく競馬場が近くにある方である。数年前大幅に改築し、より広く、よりファミリー向けに作り直されていた。

 そのお蔭だろうか、お昼をカンナの家で食べてから電車に乗って来たのだが、時間が決まっているイベント――イルカのショーや、水槽の中でダイバーと魚が繰り広げるパフォーマンスなどの数が増えていてゆっくりと来ていたマサトたちでも見る事ができたのであった。

 初めて生で見る泳ぐ魚やクラゲ、サメなど見所はたくさんあり、あっという間に時間が過ぎていく。

 

 

「あ、このペンギンのぬいぐるみ、マサトに似てない?」

「あら、可愛らしいですね。マサトくんソックリです!」

 

 今はお土産を見ながらあれこれ話しているところだ。

 お土産ひとつひとつで大いに話を広げることが出来る女の子ってすごい。しかし、自分の使っている仮想世界のアバターにそのペンギンがソックリなわけで、現実の自分とは似ていないよな、と間抜けた顔のペンギンを弄りながら思うマサトであった。

 

 ちなみにペンギンのぬいぐるみはカンナと楓子がお金を出し合ってマサトのお土産に買ってくれた。飾り気の無い病室に置けば少しは雰囲気が華やかなものになるだろう。

 マサトも母から渡されていたお小遣いからイルカのキーホルダーをプレゼントする。カンナには背中が赤い色のイルカを、楓子には青空のようなスカイブルーのイルカを手渡した。

 

 

「あら電話……。3人ともちょっとここに居てくれないかしら。お母さんアッチの人が少ないところで電話に出るから」

「はーい。大丈夫よお母さん。ここで待ってるから」

 

 夕方。お土産も買い、満足気に水族館から帰ろうと外に出たとき、カンナの母――ツバキの電話が鳴り、ツバキはマサト達から少し離れた場所に移動する。

 

「チャンスね」

「……? なんの?」

 

 人の流れの邪魔にならないようにと道の端に寄ったカンナは周りに人がいないことを確認してからそう呟いた。

 

「なんのって……BBよ“BB”」

「ここでやるの!?」

「そうよ。だって私、BBやり始めてらここに来たの初めてだし、貴方だってそうでしょ?」

 

 だからって……、とマサトが楓子の方も確認すると、楓子もすでに《ブレイン・バースト》のインスト画面(メニュー画面のようなものだ)を操作しているようだった。

 

「マサトくん、よかったら今日はわたしとタッグを組みませんか?」

「そういえば2人は組んだこと無かったっけ? ちょうど良いじゃない爺孫タッグなんて聞いたこと無いもの。面白そう」

 

 ダメだこの2人。やる気満々で話を進めている。

 こうなっては仕方ないとマサトも《ブレイン・バースト》のインスト画面を操作して《スカイ・レイカー》からのタッグ申請にYesの返答をする。

 

「私は“アレ”が居ないか確かめてからシングルでバトルしてるわ」

 

 “アレ”。それは3代目《クロム・ディザスター》のことだろう。

 初代、2代目と違い3代目の鎧の持ち主は狡猾で慎重な性格を有していた。

 決して《無制限中立フィールド》には現れず、《通常対戦フィールド》にふらりと現れてはBBプレイヤーを襲い、ひと通り暴れてはニューロリンカーの接続を切り、マッチングリストから姿を消してしまう。

 それも高レベルプレイヤーが乱入しようとする絶妙なところで、だ。

 

 一体何が目的なのか、それはわからないがディザスターは決して捕捉されることなくこの1年間加速世界を生き延びていた。

 いまやディザスターを探し、ディザスターが暴れだす前に対戦を挑むことは高レベルプレイヤーの義務と化している。

 ここ最近はディザスター相手の全損者の話も聞いていない。そろそろ何か動きがあるかもしれなかった。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「マサトくん、対戦相手はあなたに任せますわ」

「解った。行くよ」

 

 3人で視線を合わせ、呼吸をそろえる。

 

「《バーストリンク》!」

 

 そして一呼吸後、寸分のずれも無く3人の口からその言葉が唱えられるのだった。

 

 

 

 

 

 

「おいおい! なんで《竜王》がここに居るんだよ!?」

「マッチングリストに載ってたのは見間違えじゃ無かったのか?」

 

 この品川区で《竜王》――《プラチナム・ドラゴニュート》が姿を現したのがよっぽど衝撃的だったのか対戦相手含め《ギャラリー》からもざわめきの声が聞こえてくる。

 確かにドラゴニュートが《無制限中立フィールド》に行くようになってから他の地区で通常対戦を行ったことは無い。

 

 しかし少し《ブレイン・バースト》を長くやっていれば、カンナと色んな地区を荒らしまわったことを知っていそうなものだが……。たった2年しか経っていないが、その時間が急に途轍もなく昔に感じてしまうドラゴニュートであった。

 

「しかもタッグ相手は《鉄腕》じゃねーか!」

「なんでヴォイドとネガビュが手を組んでるんだ!?」

 

 聞き覚えの無い二つ名を聞き、マサトは首を傾げる。

 話からして《スカイ・レイカー》のことを言っているのはわかるのだが……。

 

「《鉄腕》って?」

「それは……ほら、わたし、ルルさんのような遠距離攻撃持ちと組まないと噴射跳躍(ブーストジャンプ)しかできないじゃないですか。

 ですから青色の特性を生かして格闘戦の腕を磨いていたらいつの間にか……。

 しかし緑のレギオンでそう呼ばれているのは知っていましたが、こんな南の方までその名前が広まっていたなんて」

 

 なるほど、格闘センスはレベル1の時から折り紙つきだったレイカーの事だ、ベテランともいえるレベル6になった今ならその強さが話題に上がること必然だろう。

 

 しかしレイカーの戦いは足技主体の攻撃方法だと聞いていたのだが。そういえば……「鉄腕」といえば遥か昔、足からのジェット噴射で空を自由に飛ぶアニメのキャラが…………。いや、今は関係の無いことだ。それになぜだか隣から妙に冷たい風が吹き込んでくる、これ以上考えるのはやめておこう。

 とにかく、急造のタッグだが頼りになるパートナーを得られたことに喜ぶドラゴニュートだった。

 

 

「《竜王》が何ぼのもんじゃい! 《鉄腕》の何を恐れる!

 ウチらも緑のレギオンにこの2人ありと恐れられた《鉄壁》の2人じゃぞい!」

「オレ、初めて聞いたよそんなの……」

「もちろん! 今始めて言ったのだからな!」

 

 ガハハと笑う青銀色の巨体アバターと乾いた笑いの黄緑色の長身アバター。

 《ギャラリー》のみんなもはやし立てている。この地区では人気のあるタッグチームなのだろう。《ギャラリー》の多さと声援がそれを表していた。

 

「それじゃあ本当にそう言われるように頑張りますか」

「オウとも! さあバトル開始じゃあ!」

 

 まず青銀色のアバターが快活な雄たけびと共にドラゴニュートに向かって突進してくる。

 相手もドラゴニュートも共に重量級のアバター、まずは力比べか……。

 ここで逃げてはBBプレイヤーの名が(すた)る。両腕を前に出し、来るべく衝撃に身を構えた。

 

「ふんっ!」

「ぐぅっ!」

 

 突進の勢いで数メートル押し負けはしたが、ガッシリ組み合って腰を落とし、力を拮抗させる。

 どちらも譲らぬその攻防に横からレイカーが助けに入ろうとした……が。

 

「ドラゴさん!」

「させないよ!」

 

 しかし相手も黙って見ている訳じゃない、黄緑色のアバターが間に入り邪魔をする。

 構わず攻撃を放つレイカーだったが、近接攻撃に強いレイカーの攻撃を黄緑色のアバターは難なく受け止めてしまった。

 

「俺の名前は《フォレスト・トランク》! この特殊な多重構造のシールドで青系の近接攻撃でも受けきって見せるぜ!」

 

 黄緑色のアバター ――トランクは盾を使った防衛術を心得ているのだろう、レイカーの攻撃を正面から受け止めるだけでなく、受け流し、回避、そして時には反撃に移るなど洗練された守りを繰り広げてきた。

 

 

「ふははーーぁ! トランクの防御を打ち破るのは、まさに巨木の幹をへし折るのと同様に不可能な事柄よぉ! そしてトランクが守りを固めている間にこの《ゼニス・タロン》のパワーで敵を粉砕するのだ!」

 

 ドラゴニュートと組み合うアバター《ゼニス・タロン》は体を捻りドラゴニュートの体勢を崩すと、間に出来た距離を使って再び突進してくる。

 もちろんドラゴニュートも立て直し、再びタロンとかち合うが、今度はタロンの前進を止められることが出来なかった。

 

 先ほどとは違い、今度はタロン――つまりカギ爪が足の先端より飛び出し、地面にしっかりと喰い付いている。

 これによりタロンは前進するのが容易くなり、逆に後ろに押されるのを防いでいるのだ。

 グリップ力の違いが僅かな差を生み出し、ドラゴニュートの体が地面を滑りだしてしまう。

 

 タロンが前進するたびに近づいてくるドラゴニュートの背後の壁、それは先ほどまでマサトたちが楽しんでいた水族館の壁だった。

 刻一刻と迫る壁に対してドラゴニュートはいっそう踏ん張るが、グリップの効いた相手の踏み込みに()(すべ)がない。

 

「だぁらっしゃぁーー!」

 

 タロンの進撃は止まることなくついに水族館の壁を破壊した。瓦礫の塊が両者の体を打ち付ける。しかし、タロンの攻撃ターンはまだ終わっていない。足を止めることなんかせず、今度は水槽のガラスを次々と破りながらドラゴニュートを奥へ奥へと押し進めて行く。

 ガラスが割れるたびに流れ出す多量の水と、現実では見ることの出来ない水生生物たち。壁に押し潰されるたびにガラスの破片と水の圧力によってドラゴニュートのHPは削れていき、残り半分を切ってしまうのだった。

 

 

 『加速世界』の水族館内は特殊なフィールドなのか、外のフィールドの属性と建物内ではガラッと変化しており、粉雪舞い散る《氷河》ステージの属性をとっていた。

 

 腕を解かれ、しゃがみ込むドラゴニュートの下に見えるのは薄い氷の向こうに映る巨大エネミーの影。

 どうやらここは水族館の一番奥、イルカやアシカがショーを行なう巨大な水槽が合った場所らしい。この水槽は幅が広いだけではなく、深さも地下1階まで吹き抜けとなっている。 現実なら地下に設置されているガラス窓からイルカの泳ぎを観察ができるようにするためにだ。

 

 

「どんなモンじゃい! ここでヴォイドのリーダーに泥を塗り、加速世界で一躍有名になってやるわ!」

 

 ここで決着を付けるつもりらしいタロンが腕をガシャンガシャンと打ち鳴らす。

 パワーそのもので劣っているつもりは無いが、この氷の上でドラゴニュートは踏ん張ることが出来ない。カギ爪のあるタロンとの安定性において差がもう一段階広まってしまった。

 

「休んでる暇はねぇぞい!」

 

 今度は肩を突き出し、攻撃力のある突進を仕掛けてくるタロン。

 一瞬かち合うが、やはりカギ爪が氷に食い込み、押し返すことは出来なかった。ドラゴニュートは受けきる事はせず、すぐさま右方向へ体を転がし、攻撃を避ける。

 

「ガハハ! まだまだぁ!」

 

 再びのショルダータックル。やはりドラゴニュートはその勢いに耐えられないのかタロンを横にいなすだけで地面を転がっていく。

 

「オラオラ、どんどん行くぞ!」

 

 無様に転がっていくドラゴニュートを追い詰めるために次々に攻撃を繰り出していく《ゼニス・タロン》。ここでドラゴニュートを負かし、《スカイ・レイカー》を2人がかりで討ち取ればレギオンリーダーである《グリーン・グランデ》の目に止まり、幹部待遇に伸し上がれるかもしれない……そう思ったとき。突如(とつじょ)、されるがままだったドラゴニュートが反撃の手を打ってくる。

 

「ぐぉおお! 何をいまさら!?」

 

 そのキックは高レベルプレイヤーの名に恥じない重くて威力のある蹴りだった。だが、この氷の上のような足場が不安定なところで打てても単発で終り、続く攻撃は放てない。

 現にカギ爪で踏ん張ったタロンと違い、ドラゴニュートはその倍以上の距離を離されてしまっていた。

 

「それで終わりかぁ!」

「終わりだよ……」

 

 最後の最後に減らず口を……。タロンが足を1歩踏み出した時だった。

 ピキッ、と聴こえる不吉な音……タロンは驚いて足元を見る。

 

「キミのその鋭い爪は通常の地面なら多少食い込む程度で終わってしまうのだろう。しかし、ここのような薄い氷の上で何度も何度もその爪を突き立てたらどうなってしまうか……」

 

 改めて地面の様子を伺うと、そこらかしこに穴が開いているのが見える。

 それもなぜか円形(・・)に……。

 

「まさか!」

「そう、キミは缶切りのように氷に穴を開けてしまったのさ。そしてご丁寧に最後は切込みまで入れてね!」

 

 右へ右へ、一定方向のみ逃げ続けていたドラゴニュートの軌道。一瞬かち合う度に地面に食い込むカギ爪。最後に放たれた重い蹴り。一直線にタロンへと伸びる氷の削り跡――そしてそこは円の中心でもある。

 ドラゴニュートに視線を戻すとそこはプールの縁の近く。一連の動きは全て計算しつくされたものだった。

 

「後は少しの振動で……っ!」

 

 氷面に強く尻尾を叩きつけ、その反動でプールの外側へと跳んでいくドラゴニュート。

 その衝撃に耐え切れなかった氷の膜は徐々にヒビの数を増やしていき。一番重いタロンを中心に粉々に割れてしまうのだった。

 

 

「あとは、底に居る巨大な魚に相手してもらってよ……」

 

 ドラゴニュートの目には巨大な魚に丸呑みにされてしまった《ゼニス・タロン》と一気にゼロまで削り取られるHPバーが映し出される。魚影は一瞬ドラゴニュートの方に顔を向けるが……ぐるんっ、と急旋回して再び仄暗い水槽の底へと戻って行ってしまう。

 

 それを最後まで確認してからドラゴニュートはレイカーの元へ赴いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「確かに年月を重ねた木の幹をこの手で貫くことは不可能かもしれません……」

「そうだろう! 防御力の高さならこのレギオンでリーダーのグランデに次ぐ強さだと自負している!」

 

 ドラゴニュートがレイカーの元に駆けつけると未だトランクの防御術に梃子摺(てこず)っているようだった。時にまとまり、時に広がる変幻自在の特殊多重構造の盾に一対一で突破するのは至難の業だ。

 思わず加勢に飛び出そうとするドラゴニュートだったが。

 

「しかし……」

「……ん? うおっ!?」

 

 レイカーは一瞬の隙を付き、トランクの腰元へとタックルを敢行する。

 

「貫けないと分ったら今度は押し倒そうって言うのか? しかしタロンじゃないがオレだって早々倒れたりはしないぞ!」

 

 この手の攻撃にも慣れているのだろう、トランクは自分の盾を縦長に変化させ、支えとして地面に突き刺した。

 レイカーに押し倒されぬよう手に力を込める。その力強さはしっかり地面に根付く大木の如し。レイカーの突進に対してビクともしなかった。

 

 

「違います! わたしの力じゃ貫くことも押し倒すことも出来ないでしょう。……でもっ!」

 

 レイカーが叫ぶ呼称と共に背中のブースターが轟音を立てて火柱を立ち上げる。

 その出力は止まる事を知らず、レイカーはトランクごと空へと飛んでいってしまった。

 

「それなら木を根元から引っこ抜くまでです!」

「そんなバカなぁ!?」

 

 

 2人の高度がぐんぐん上げって行く。小さくなっていく姿を見上げながらドラゴニュートはブースターの飛距離が以前より段違いに伸びていることに気がついた。

 

 

「さあ、この高さから落ちれば大抵のプレイヤーはその命を散らしてしまいますよ。防御力が自慢のあなたは耐えられますか?」

「オ、オレのアバターはこの盾が硬いだけで自分自身の硬さは他のプレイヤーと変わらないんだ! だ、だから待ってくれ……」

「待ちません!」

 

 えいっ、とまるで花吹雪を散らすかのような手軽さでレイカーはトランクの体を突き放す。

 ドップラー効果の影響で地面が近づくにつれ音程が高くなっていくトランクの悲鳴は、見る者全てが最後を確信させてしまうほど儚いものだったという。

 

 

 

 

 

 

 善戦しつつもあえなく敗北してしまったタロン、トランク コンビに賞賛を送りつつ《ギャラリー》が次々とバーストアウトしていくなか、ドラゴニュートも合流したレイカーに(ねぎら)いの言葉をかける。

 

「ナイスファイト、レイカー」

「ありがとうございますドラゴさん。でもあんな戦い方をしているのを見られていたのは恥ずかしいですね」

 

 硬い防御を打ち破るでもない、削り取るでもない……引っこ抜くという奇抜な戦法を見られた恥ずかしさからレイカーはあまり嬉しそうではなかった。

 

「でもあの戦法はレイカーしかできないよ。やっぱり空を飛べるってことは大きなアドバンテージだよね……」

 

 青空を見上げるドラゴニュートにつられてレイカーも視線を上げる。

 しかし、その目には空を飛べることに対する優越感や喜びの感情は無く、一層の羨望と寂寥感(せきりょうかん)があった。

 

 その視線の意味を理解できなかったドラゴニュートはレイカーに疑問の声を投げかける。

 するとレイカーは視線を空に上げたままその胸の内を打ち明けていく。

 

「わたしは……、わたしは皆さんが仰っているようにこの背中の強化外装《ゲイルスラスター》を使って空へ跳び(・・)上がる事ができます。

 しかし、わたしが目指している飛翔とはその意味が大きく異なるのです……」

 

 届かない場所にある物を掴もうとするように手を空へ掲げるレイカー。

 母を求める幼女のような、神に祈りを捧げる聖女のようなその尊き姿にドラゴニュートは目を奪われる。それと同時に自分の軽率な発言がレイカーの心の傷を抉ったことに申し訳ない気持ちになった。

 

 《ブレイン・バースト》のアバターはそのプレイヤーの深層心理にある劣等感、羨望、妬み、逃避など人それぞれが抱えている傷によって大きく変化する。

 誰一人として同じものは無く、全員がその傷をアバター最大の特徴として具現化せしめているのだ。

 もちろんレイカーの最大の特徴は背中のブースター。そこに込められた思いは他人が軽はずみに触れていいものではない。

 

「わたしは信じていました。このゲイルスラスターはいずれわたしを空へと連れて行ってくれると……。ですからわたしは今までのレベルアップボーナスを全てブースト距離の延長に使ってきました。でも、わかってしまうんです。このままでは《跳躍》は《飛翔》に変わらないと、わたしが望んでいる空に手が届かないということを……」

 

 何かを掴もうとレイカーは空に伸ばしていた手を握り締めるが再び開いた手のひらの上には何も残っていなかった。

 無言で自分の手を見ていたレイカーだったが、何かを決意したようにドラゴニュートへと顔を向ける。

 

「今のままではダメなんです。あと1歩、ただレベルを上げるだけではない、なにか他の方法を使っての進化をしなければ……」

 

 レイカーの瞳の奥に宿る決意の火にドラゴニュートは見覚えがあった。

 かつてたった一人で災禍に挑もうとしていた少年の……他のものに目を向けない暗い瞳の色だ。

 

「ドラゴさん。わたしにその方法を伝授して頂けませんか?」

「…………」

 

 その方法――《心意システム》のことを聞いていると、ドラゴニュートは直感的に解った。レイカーはどこでその情報を調べ上げたのか、どこまで知っているのか、聞きたいことはあったが、迂闊に聞き返すことは藪蛇となる可能性がある。

 殆んど何も知らないままでカマをかけているのかもしれない。

 

 だが、このままレイカーを放って置くこともまたドラゴニュートは危険だと判断する。不安定な精神状態で心意の修行を開始すれば心が負の感情に支配され、人格そのものを壊してしまう可能性もある。それこそディザスターのように。

 ドラゴニュートが正の心意を会得できたのはただの幸運でしかなかったのだ。

 

 レイカーをそんな有様にしてしまうのなら心意の基礎を自らが教えたほうが安全かもしれない。ドラゴニュートはレイカーに《心意システム》を教えることを決意した。

 

「わかった……」

「では!」

「ボクの技術がレイカーの助けになるかはわからないけどね。でも今はもう時間も無いし、いったん現実に戻ってからまた後で……」

「はい! では今晩じっくり教えてもらいますね!?」

 

 ……今晩?

 ドラゴニュートがその言葉の意味を理解するのはもう少し先のことである。

 

 

 

 


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