アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

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UA1万達成! 皆さんありがとうございます!

あと、感想にてご指摘をいただいたのでプラチナ・ドラゴニュートの名前を《プラチナム・ドラゴニュート》に変更いたしました。ご了承ください。


第19話 転換期

 

 

 西暦2042年、東太平洋に宇宙エレベーター《ヘルメス・コード》が建設される。

 

 理論上あと20年は開発されないだろうと言われていた宇宙エレベーターはしかし、より新しい理論によってその隔壁を飛び越えた。

 その技術の進歩は人類科学にとって大きな1歩であり、世界はこの宇宙進出により、また新しい転換期を迎えたといってもいいだろう。

 

 人間とは常に変化を求める生き物で、自分たちの暮らしを豊かにしようと様々な技術の成長を続けてきた。

 過去を見るに、10年前ならニューロリンカーはまだまだ普及していなく、情報通信端末は手に持つ形が主に使われていたし、50年も遡れば携帯することですら珍しいものだった。

 車はガソリンで走るものだったし、テレビはブラウン管だ。今では考えられないものだが技術が発展するたびにそれらは物を変え、形を変えて(転換して)成長していった。

 

 それに技術だけではない。人もまた成長する。

 

 すこし前まで小学1年生だった少年、少女らも時が経てば背丈も伸びるし、それによって目に映る世界を広げていくこともあるだろう。見えなかったものが見え始め、見たくなかったものも目に映してしまう。ある人はそれを成長と呼び、ある人はそれを大人になることだと言うのだ。

 

 彼らはまだ大人にはなっていない。しかし、大人が考える以上に感じることや考えることは大人び始めている。

 

 大人ではないが、子供でもない。

 

 そんな彼らには彼ら独自の世界というものが存在する。

 大人には入り込めない彼らだけの『小さな世界』。

 その世界は世界の住人(子供たち)によって大きく姿を変えていくだろう。

 

 日本の東京にある、一部の子供たちしか知らない『もうひとつの世界』もまた子供たちの成長によって大きな転換期が訪れようとしているのだった…………。

 

 

 

 

 

 

 街は穢れ無き白いタイルで覆われ、建物も神殿や西洋のお城のような様式で全て建てられている。まるで聖域の様な(たたず)まい……しかしそれも表面上だけの話であった。

 

 格子模様のタイルとタイルの間からはこの世の不浄を煮詰めたかのような赤い液体が吐き出され続け、空は今にも大粒の血雨が降り出しそうな赤黒い曇天で蓋をされていた。

 自らの罪を覆い隠す卑しいこのステージの名は《大罪》、神聖系フィールドの《霊域》と対を成す暗黒系ステージの1つだ。

 

 

 現実とは異なる電子(仮想)の世界、そこでは1匹の怪物と10人の戦士が雌雄を決しようとしているところだった。

 怪物はオオカミのような四足の獣の風貌を有し、その体格は大きい。隣に立つ高層ビルと足の長さが同じと言われればこの怪物がいかに巨体なのかがよく解る。

 敵対者の近接を拒む灰色の毛は尾まで反り立ち、その気勢を表していた。

 

 怪物を囲む10人がそれぞれの獲物を用いて攻撃を加えていく。硬く分厚い皮膚を切り刻み、柔硬な筋肉に衝撃を与えるたび、怪物は苦悶の声を上げていった。

 10人は怪物と比べると小人のように小さい。しかし、その力は怪物を相手取るに十分な強さを持つ者達であった。

 

 

 小人――BBプレイヤーたちは遮二無二に暴れる《巨獣(ビースト)級エネミー》と距離を取り、その場にいるリーダーの下に集まった。

 

「ドラゴ団長、この調子ならあと20分ほどで倒せそうですね」

「ああ、けど情報によるとアイツはHPが残り1ゲージになると攻撃パターンが変化するらしいぞ。油断するな……」

 

 ドラゴニュートがチラリと視線の端にあるエネミーの残りHPを見上げると、3本あった長いゲージはすでに2本無くなっていた。

 

 ドラゴニュートの言葉を聞いて、その場にいたメンバーの視線は一斉にエネミーの頭部にへと集中する。いま戦っているエネミーの最大の特徴はその巨体でも、鉄線のような毛皮でもなく、オオカミの額にいる女性の半身だろう。

 胸の前で腕を交差させている裸身の女。その美しさはまるで封印された聖女のようで、深い眠りについているかのようにその瞳は閉じられていた。

 

 近くの建物を壊しつくしたオオカミは、辺りに羽虫の如き小人が居ないと知ると視線を巡らし、ドラゴニュートたちの姿を再びその目に映しだす。

 そして、獲物を見つけたオオカミは曇天に向かって雄たけびを上げると、頭をゆっくりと下げ始める。ちょうど女の体が彼らの正面に来るようにと……。

 

 今までの行動パターンにはない動作にドラゴニュートは声を張り上げた。

 

「来た! “マスカー”頼むぞ!」

「ハイ! 皆さん後ろに下がって!」

 

 ドラゴニュートの号令と共に1人躍り出るメタルカラー。銀と白の2色をあわせ持つ、今回のエネミー討伐において一番重要な役割を担っている人物だ。

 

 頭を下げ、体を固定したエネミー。

 すると、今まで眠りについていた聖女の瞳がゆっくりと開かれた――。

 

 カッッ! と聖女の口から太陽のような閃光が吐き出され、両者にある建築物を一切合財なぎ倒しながらドラゴニュートたちに迫ってくる。

 高出力の極太レーザー、今までこの攻撃をまともに浴びて生き残れたのは数えるほどしかいなかったという。しかし今、たった1人の人物がその偉業に挑戦しようとしていたのだった。

 

 その場にいる全プレイヤーを守るため、先頭にいるメタルカラーは、グッと足場を固めながら両手を前で交差させ、不動の体勢を取る。

 光の速さ、とまではいかないが一筋の閃光がすでに目前まで迫っており、最早回避することは叶わない。

 だが、彼は絶対の自信と共に対レーザー特化のアビリティを使用するのだった。

 

 

「《理論鏡面(セオレティカル・ミラー)》!」

 

 

 強力なレーザービームは鏡面のように磨かれた装甲に当たると一瞬の拮抗の後、拡散、消滅してしまう。

 10秒以上もの長い間放たれた熱線が消え去るなか、そこにはダメージ1つ負っていない10人のプレイヤーが悠然と立っているのだった。

 

 

 

 

 

 

「いやー終わった終わった。やっぱり《ミラー・マスカー》が居ると光線使う相手は楽になるな!」

 

 バシバシと仲間に肩を叩かれているのは今日の立役者《ミラー・マスカー》。

 マスカーは相手の切り札ともいえるレーザーを完璧に凌ぎきり、エネミー討伐に大きく貢献したことでその功績を称えられ、みんなに手荒い感謝を受けているのだった。

 

「それじゃあ拠点に帰ろうか、用事がある奴はこのままポータルに向かっていいぞ。今回はドロップアイテムもないし、分け前はポイントだけだ。ただ、マスカー ……お前がよければ拠点で美味い飯を奢ろう。MVP賞だ」

「団長……いいんですか?」

 

 どこか遠慮するマスカーにドラゴニュートはいいの、いいのとマスカーを引っ張っていく。他の団員も文句は言わない、それどころか各人の秘蔵の食料をそれぞれ持ち寄ろうなんて話になっていた。

 

「それに、マスカー君には他にも重要なミッションを任せてるからね」

 

 そうだろう? とドラゴニュートのわざとらしい話し方に周りがざわめき立つ。ドラゴニュートは皆を手をかざし落ち着かせ、未だ動きのぎこちないマスカーの肩を抱いて顔を近づけた。

 

「それで、“メイデンちゃん引きこみ計画”は上手くいってるのかな?」

 

 その作戦名を口にしたとき、我慢のできない団員の浮かれた声が次々に飛び出してきた。

 

「早く! 早くウチの団に癒しの風を!」

「妹にしたいプレイヤーナンバー1《アーダー・メイデン》ちゃん!」

「ヴォイドに居る女子は逞しいのが多いからな……」

「もうゴリラ系女子はいやじゃ~」

 

 《スーパー・ヴォイド》に所属する女性が聞けば《無限プレイヤーKILL》が始まりそうな台詞だが、幸い該当する者はこの場に居なかった……だから遠慮なく話せるともいえるのだが。

 

 《ブレイン・バースト》をインストールしている男女の割合はそれほど偏ってはいない。現実ならば体格や筋力のせいで女性は格闘技に向いてはいないが、仮想世界である《ブレイン・バースト》では関係ない。誰もが等しく戦える(アバター)を持ち、必要なのはアバターを動かす闘志のみ。

 だが、そのせいか長時間《ブレイン・バースト》をプレイしていると、性格が段々と逞しくなってしまうという傾向がある……、男女関係無く、だ。

 

 最初は攻撃されるたびにか弱い声をあげていた初心者(ニュービー)たちが、レベル4にもなると勇ましく裂帛の気合を上げるのだから凄まじい。

 よって、高レベルの女性プレイヤーたちの殆んどは勝気で、ガンガン攻めて来る豪胆な性格の持ち主ばかりとなってしまうのだった。

 

 だが、強力な遠距離攻撃法を持ち、心身ともに礼儀を重んじる“和弓”という武器を使う《アーダー・メイデン》。彼女は《無制限中立フィールド》に来れるようになっても、未だ幼さ残るあどけなさを備えており、荒んでしまった男性プレイヤーの心を癒す希望の星となっているのだ。

 

 そのメイデンを引き抜けるかもしれないと周りの期待が高まっていく。しかし、マスカーはますます体を硬くし、恐縮しているようだった。メイデンを求める声が上がるたびにビクリビクリと肩を振るわせる。

 その様子を怪しく思ったドラゴニュートはまさかと、マスカーを問い詰めてみる事にした……。

 

「確認するけど……メイデンちゃんはマスカー ……お前の《子》なんだよな?」

「そうです……」

「しかもリアルでも結構親しい間柄だから自分の所属するレギオン(ヴォイド)に勧誘することは容易い。そう言ったよな?」

「……ええ」

 

 《大罪》ステージのように怪しい雲行きになる両者の会話に周りのみんなも固唾を呑んで見守り始める。

 まるでこの場は弁護士の居ない裁判所のようだった。被告人はもちろんマスカーで、裁判官はその他全員である。

 

「アレからひと月は経ち、メイデンちゃんを狙っているレギオンは増える一方だ。

 ……それでマスカー。状況の進展は如何ほどになっている?」

 

 空気が重い。

 マスカーはこんな事になるなら、先程のエネミーを1人で相手取った方がよっぽど気楽だった、と思っているだろう。なぜならここに居る9人はそのエネミーを倒せる実力を持つ者たちなのだから……。

 

 しかし、このまま黙っていることもまた許されない事である。真実はいずれ暴かれてしまう。罪に対する裁きが後で来るか、それとも今来るかの違いでしかない。マスカーは観念して事情を話すことにした。

 

「実は……メイデンの奴、もう他のレギオンに入っちゃてました……」

「…………」

「…………」

「《ネガ・ネビュラス》らしいです……よ?」

 

 ――死んだ……。マスカーはこの場に居る全員の殺気を浴びてそう思った。

 張り詰めた空気が破裂し、あとはいかに罪人を処刑しようと皆がそれぞれの方法を思い浮かべた時、それを止めた人物がいた。

 

「ドラゴ団長! どうして!?」

「やっちまいましょうこんな裏切り者!」

「とりあえず《四神お百度参り》を行ないましょう!」

 

 (あら)ぶる(オトコ)たちを片手で制し、静かな面持ちで周りを見渡すドラゴニュート。その凍るような威圧感により段々と批判の声も小さくなっていった。

 マスカーは、何だかんだ言ってもこの騒ぎを抑えてくれる団長に一生付いて行こうと思いはじめた。

 

 しかし――

 

「ここじゃマズイだろ。プレイヤーキル集団と間違われるから。やるならアジトに行こうじゃないか……」

 

 そう言いながら、ゆっくりとマスカーを睨みつけるドラゴニュート。その気配は仁王のそれだった。

 またしても期待の新人をネガビュに取られてしまったドラゴニュートの怒りは怒髪、天を突いてしまったのだ。《アーダー・メイデン》1人を取られたことで切れてしまったわけではない。レイカー含めて2人取られたからであって、メイデンを引き入れることが出来たら団長自らレベリングを手取り足取り手伝ってあげよう……などという考えは決して持ってはいなかった。

 

 若干行き過ぎな団長の怒りに引きながら団員たちはマスカーを抱え上げ、ドラゴニュートの後を追い、自分らの拠点へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

『どうした、獲物を逃がしてしまったか? 殺気がその身から溢れているぞ』

 

 《スーパー・ヴォイド》一行が訪れたのは、かつて“竜の巣”と呼ばれていた羽田空港である。

 空港中央に建つP1駐車場からP4駐車場……を模した建物の中心に威風堂々と寝そべっているのは神獣(レジェンド)級エネミー《ティアマト》。この羽田空港の守護獣でもある。

 

 ティアマトはその威厳を遺憾なく発揮しながらも、近づいてきたドラゴニュートへ仲睦まじげに話しかけてきた。

 もちろんドラゴニュートも同じように言葉を返す。

 

「いや、これから獲物を調理するところさ。すまないが“その先に通してくれないか”?」

『この先はすでに貴様の御殿(ごてん)、我に断わらずとも好きにすればよかろうに……』

 

 ティアマトが巨体をずらすと、その背後には大きな石造りの神殿が見える。

 それが今の《スーパー・ヴォイド》のアジトでもあり、ここ数年でヴォイドの団員を総動員して勝ち取ったものである。また、ドラゴニュートが所有している住処でもあった。

 

 

 レベル8にもなり心意技にも磨きをかけたドラゴニュートは単騎でティアマトに挑戦。壮絶な戦いを繰り広げ、3日という長い時間の後、ようやくティアマトを討ち取ることが出来たのだった。

 今まで神獣(レジェンド)級エネミーを単独で撃破したという報告は《ブレイン・バースト》において最強の強化外装《七星外装》の1つ《ジ・インパルス》を装備した《ブルー・ナイト》のみだったが、ドラゴニュートはティアマトを倒したことによって2人目の《神獣殺し(レジェンドスレイヤー)》となった。

 

 七星外装である《ジ・インパルス》は一振りでビル丸ごとなぎ倒せるような強化外装であり、その攻撃力は神獣(レジェンド)級エネミーの防御力を容易く貫く。しかし、そのような強化外装を持ってはいないドラゴニュートは、その変わりに《ブレイン・バースト》の反則技ともいえる《心意システム》を使っての攻撃でティアマトを攻略したのだ。

 

 しかし、今ではもう心意の秘匿は絶対遵守とされているため、大々的にこの偉業を喧伝するわけにもいかない。なので2人目の《神獣殺し(レジェンドスレイヤー)》は知る人ぞ知る、といったものになってしまったのだが……。

 

 

 心意の一撃によってHPを削りきることに成功したドラゴニュートであったが、HPが無くなってもその身を消さないティアマトはドラゴニュートに次の試練を言い渡した。

 

 それは羽田空港に眠る巨大ダンジョンの攻略。

 翼竜が支配する地上とは違い、地下へと続くそのダンジョンの内部は羽の無い巨大なトカゲ、地竜と呼ぶべきドラゴンが支配する空間だった。

 

 他の《王》が七星外装を手に入れることができた加速世界4大ダンジョンのように広大で奥深い羽田地下ダンジョンにドラゴニュート1人では太刀打ちすることが出来ず、《スーパー・ヴォイド》のメンバーをフル参戦させることで攻略にかかる事になってしまう(ちなみにこのダンジョンを独り占めしていたことに対しレギオンメンバーから袋叩きに合ってしまうのだが)。

 

 そしてついに羽田地下ダンジョンを支配する“竜の祖”《グラウルング》を見事に討ち取り、ドラゴニュートはダンジョンの新しい主となったのである。

 竜の祖と成り代わる形でダンジョン上層部の神殿を手に入れたドラゴニュートだったがその時、ティアマトからその武勇を認められ友好関係を結ぶことが出来た。

 

 特定のアイテムを使用し、主の命令に絶対服従させる調教(テイム)とは違い、命令権も強制もできない同盟関係に近いものではあるがティアマトにはヴォイドの拠点となった神殿の守護をお願いしている。

 

 天下の神獣(レジェンド)級に番犬のような役回りを頼むのは大変心苦しく思ったドラゴニュートだったが、ティアマトは思った以上に広い心の持ち主でありドラゴニュートのお願いを快く受け持ってくれた。

 その代わり羽田空港にいる翼竜エネミーを無闇に狩る輩が現れた場合、そのプレイヤーの排除をしなければいけなくなったが……ヴォイドのアジトとなった羽田空港に攻め立ててくるプレイヤーなんていないので今までその対価を支払ったことは一度も無い。

 

 しかし、神獣級エネミーを従える(周りからはそう見える)ことは加速世界が始まってからの有事であり、珍事だ。

 

 これによってドラゴニュートは、《純枠色(ピュア・カラーズ)》たち大レギオンのリーダーが《純色の王》と呼ばれることにもじって、竜の頂点に立つ者《白金の竜王》と呼ばれるようになったのである。

 

 

 

 

『して、後ろの“小さき者ども”は我らが聖域に浅ましくも入り込もうとする盗人か? その浅慮に深く猛省し踵を返すなら命だけは許してやろう……。しかし、愚かにも歩みを進めるならば覚悟せよ……! その身、悉く我が爪で切り裂き、塵も残さず焼き尽くしてやろうぞ!』

 

 ドラゴニュートと話していたときとは打って変わり、ティアマトはその身に殺気を宿らせた。神獣(レジェンド)級エネミーの発する重圧は、その場にいるプレイヤーたちの体を芯まで凍りつかせ羽田空港にいる全翼竜を興奮させてしまう。

 羽を休ませていた翼竜たちが一斉に飛び立ってしまうものだから、仄暗い《大罪》ステージの雲よりも深い影がドラゴニュートたちを覆いつくす。

 もしこれ以上ティアマトを刺激するようだったら空に渦巻く彼らは一斉にドラゴニュートたちを襲い始めてしまうだろう。

 

「ちょ、ちょっと待ってって、ボクと一緒にいる人と、“証”を持つ人はボクの仲間だって言ったじゃないか!?」

 

 慌ててティアマトの眼前に躍り出たドラゴニュートは矛を収めるようにお願いする。ティアマトはしばし宙に視線を流した後、ようやく物理干渉能力でもあるんじゃないかと疑ってしまいそうな気配を収めてくれた。

 

『そうであった。なに、瑣末なことよ、気にするではない』

「十分重要なことだよ……」

 

 何度も言い聞かせていた事だったのだが、ティアマトが覚えているのは精々契約主のドラゴニュートと、よく出入りする《フレイム・ゲイレルル》の姿程度だった。ほかのヴォイドのメンバーは油断していると暴れるティアマトのせいで2、3回死んでしまうらしい。

 神殿はレギオンメンバー全員を収納してもなお余りある大きさだが、たどり着くには並み居る翼竜を掻い潜り、ティアマトの暴走を受け流せるような高レベルプレイヤーであることが必要で、レギオンの幹部連中しか近づくことすらしない有様である。

 

 攻め込まれることは無いが、人影寂しいレギオンアジト。他のレギオンはどうなっているのか、いつの日か参考のために見学に行こうかと真面目に考えてしまうドラゴニュートであった。

 

 

 

 

 そんな騒ぎがありながらも一同は神殿の入り口をくぐっていく。神殿はローマのコロッセオのように円形に建てられていて、入り口と思われる扉が無数にある。

 カギを所有しているか、許可されている人物のみしか中に入ることが出来ず、それ以外の者がどの扉をくぐってもランダムに別の扉から出されてしまうようになっていた。ティアマトも含め2重の防犯ということだ。……まず1つ目の守りを突破した者すら現れていないのだが。

 

 神殿の中に入るとまずエントランスに出る。赤い絨毯が敷かれ、曲線を描いた2本の階段が鎮座しており、絵に描いたような豪邸を模していた。

 階段に挟まれた中央の扉をくぐり、広く長い廊下を抜けるとそこには円形のホールがある。

 

 通常、レギオンメンバーの集まる場所はここだ。そこには巨大な木製の円卓があることから《円卓の間》と呼ばれ、集まったメンバー同士で日夜くだらない話を延々と喋り続けている……そんな所であった。今日もこの場で時間の許す限り騒ぎ明かそうというのだ。主にマスカーの所業について……。

 

 

 しかし、円卓の間には先客がいた。

 椅子に座り、俯いている《フレイム・ゲイレルル》と、その前の床に屈みこんでルルを慰めている《ウイスタリア・ソーサー》の女性2名だった。

 両名の漂わせる空気は重く、たった今入いってきたドラゴニュートたちでも何か“事”があったのだと悟ってしまう。

 

 ドラゴニュートが部屋に入ってきたことに気が付いたソーサーはルルに心配そうな視線を送りながらもドラゴニュートに近づいてきた。

 そして他の連中と距離を取り、小さな声でルルに何があったかを耳打ちする。

 

「ドラゴ団長、ルルさんの《子》の事知ってます?」

 

 ルルの《子》といえば《スカイ・レイカー》ただ1人。ソーサーのそのひと言でドラゴニュートはおおよその事情を察してしまった。再びルルに視線を向けるが、ルルは先ほどと変わらず俯いたまま身動きしていない。

 

 ドラゴニュートはルルと2人で話がしたいと、ソーサーを始め、残りの9人に退室を願う。普段は騒がしい連中だが、場の空気を読める気のいいメンバーだった。反対するのもは誰もおらず、彼らは静かにエントランスへと戻っていく。

 

 その途中、ドラゴニュートは1人の人物を呼び止めた。

 

「マスカー」

「団長……? …………とッ!? これは?」

 

 マスカーに投げつけられた1本のビン、その中身には純度の高い琥珀色の液体が入れられており、ビンの形状を見るに中身はお酒だとわかる。銘柄は特にないが、なんだか値段の高そうな雰囲気を醸しだし出していた。

 

「大体1000年物のウイスキーだ。お酒の良し悪しはわからないが結構高かったからいいものだと思う……。それ今日の褒章だから、遠慮せず飲んでくれよ」

「でも団長……、俺はメイデンを……」

「あんなのは来てくれたらいいなー、程度にしか期待して無いよ。気に病むことはない」

 

 他の連中が待ってるぞ、と手を振るドラゴニュートにマスカーは頭を下げて踵を返す。その先でそれぞれの手に高級そうな食材を手に持ちながらマスカーを待つ者たち。……普段は騒がしい連中だが、本来は気のいいメンバーなのだ。彼らは笑いながらドアをくぐり、消えていくのだった。

 

 

 

 

 ホールに人の気配がなくなるとドラゴニュートはホールのドアを完全に閉め、ルルの目の前まで歩いていく。近くにある椅子を一脚取り出すとルルと膝を付き合わせるように席に着いた。

 

「レイカーの事で落ち込んでるの?」

 

 その問いにルルは何も答えなかったが、その重たいまでの沈黙が何よりも雄弁に答えを語っている。

 

 《スカイ・レイカー》が盟友でもあり、所属レギオンの団長でもあった《ブラック・ロータス》にその両足を切断された、という話をドラゴニュートが聞いたのはごく最近の話だ。おそらくそれがルルの耳にも入ったのだろう。だからこうも意気消沈している。

 

 ドラゴニュートがレイカーに心意の初歩を手解きした後、彼女はより強い空への執着を持ってしまった。心意では足りないからレベルを上げ、レベルでは足りないから心意を高めた。……そして、それでも満ち足りない飛行距離にレイカーは、最終手段として自分の体を“軽くした”。

 心意攻撃による部位破損。通常、バトルフィールドを出た後、もう一度加速世界に入ったならば再生されているはずのそれは、事象の上書きによって妨げられ、永遠に再生されないものとなってしまった。

 

 そして何よりもルルの心を穿ったのは、“その一連の出来事に対して楓子はカンナにひと言も相談しなかった”ということだろう。

 本来、お節介焼きであるカンナは年下であるマサトの問題によく首を突っ込んでくる。レギオンの問題しかり、現実の問題しかり、だ。

 それと同じく学校では困っている級友や下級生の面倒ごとにも手を出しているらしい。

 去年までいた小学校では先生たちの信頼も厚く、中学1年生となった今でもそれは変わらない。

 

 だが、《子》である楓子に対してカンナはなんの干渉もしなかった。手を貸していたのは楓子が低レベルだった時だけで、レイカーが《ネガ・ネビュラス》に入った後は何もしていない。

 それはカンナが楓子を“対等”だと認めていたからか、はたまた“親友”として最後の最後には自分に相談してくれると思っていたからか……。カンナ自身どう思っていたか解らないがしかし、今回それは完全に裏目に出てしまうのだった。

 

 ひたすら空を目指し始めたレイカーの姿はレギオン内外で多くの奇異の目に晒されており、レイカー自身も自分の行いに対する理解者は数少ないと解っていた。……いや、そう思い込んでいたのだ。

 実際は1つの目標に対してひたむきに努力するレイカーを応援していた者は多くいたし、憧れていたものも少なくなかった。

 

 しかし、焦りのためか視野が狭くなっていたレイカーはその視線の意味をマイナス方向に捉えてしまい、さらにはなんの連絡もしてこない《(ルル)》に対して自分は見捨てられたと考えてしまった。

 ほんの僅かなすれ違いにより決して戻れない道を進んでしまった2人。

 

 もっと親身になっていれば何か違う方向へ行けたのではないか……。

 ルルはもう答えの出ない問題に苛まれているのだった。

 

 

 ドラゴニュートも中華街の修行から何度かレイカーへ心意の手解きを行なっていたが、基本的な心意を会得させると後はレイカー自身が心の傷と向き合うだけだと判断し、手放してしまった。

 レイカーならば大丈夫だと、根拠の無い信頼によってそうしてしまったのである。本当なら心意の師匠として最後まで付き合わなければいけなかったというのに……。

 

 そのことで負い目があるドラゴニュートはルルにかける言葉を見つけられない。

 

 ともかく話をしなければと、ドラゴニュートは無理やり近日にあるだろう“とある小さなイベント”の話を始めた。

 

「あ、あ~……。そういえば、ボクたちレベル9になったから《王》の連中で一度集まろうって話があったんだ。ようやく全員がレベル9になったからって。

 ……ロータスの奴も来るだろう? その時レイカーの話を聞いてくるよ。きっと向こうにだって色んな考えがあるんだからさ」

「…………」

 

 レベル9になったとき、運営から通達された特殊ルールの事を少し話しておきたかったマサトだが、この様子じゃ無理だろう。手慰みに自分の角を撫でながらルルの反応を見てみるが……反応は、無し。

 それどころか、心なしかルルの炎が黒く濁ってきている気がする。まるで燃料がなくなってきたストーブのようだ。つまり燃え尽きようとしている。……ドラゴニュートは浮かんできた考えを慌てて否定して慌てて次の話題をひねり出した。

 

「そ、それともさ! 直接レイカーに話を付けに行ったら!? 現実(リアル)で連絡とってさ!」

「………………メールも通話も着信拒否されてる……」

 

 …………どうやら地雷を盛大に踏んでしまったようだ。ついにルルの体から黒い煙かプスプスと漏れ始めた。これはマズイ!

 どうしたものかとドラゴニュートが頭を抱え悩んでいると俯いた視線の先、ルルが立ち上がったのが見えた。

 すでにルルの体の色は黒い赤から真っ青に変化している。もしかして悲しみによって体の色が変わってしまったのか……。21世紀のロボットを思い浮かべながらドラゴニュートが視線を上げると――

 

「んもぉぉおおーーーー!! 許さないッ!!」

 

 ルルは渾身の力を込めて円卓に両手の拳を叩き付けた。青くなった炎は輝きを増し、眩しくて見えなくなってしまう。目を閉じても視線を焼き尽くすような光に目を逸らしながらドラゴニュートは今何が起きているのかを考えた。

 

 部屋の中の温度が急上昇していくのがわかる。ルルを中心に温められた空気は周りの空気との差によって歪んで見えるし、破壊不能オブジェクトだったはずの木製の円卓もメラメラと燃え始めてしまった。

 

「あの子! 次に会ったら覚悟しておきなさい! こう、やって! けちょん、けちょんにしてやるんだから!」

 

 何度も拳を突き立てられ破壊されていく円卓。そこでようやくドラゴニュートは気がついた。これは《フレイム・ゲイレルル》の心意技である。

 

 《光冠(コロナ)》と名付けられたその技は攻防一体の心意。

 炎の色は温度によって見え方が変わっていくことを知っているだろうか。炎のイメージとして思い浮かべる赤や、オレンジなどの色は本来炎の中では温度が低く、逆に氷や水といった温度の低いもののイメージを持つ青という色が炎の中では一番温度が高い時に見える色なのだ。

 白く輝く太陽の光がおおよそ6000度で青く輝く炎はその倍必要だといえば今この部屋の温度がどうなるか想像に容易い。

 

 実際、1万2千度なんて馬鹿げた温度は再現出来るわけ無いが、ここまで来るとルルの近くにいて無事な物体は存在しない。融点の高いプラチナで出来たドラゴニュートですら抗えることはできなかった。心意は心意でしか防げないのだ。

 

 なんの心構えも無くルルの間近にいたドラゴニュートはそれから1時間ほどルルの怒りが収まるまで草葉の陰から見守ることになるのであった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……すこしスッキリした」

「この惨状を見てよくそんなことが言えるね」

「決めた! レイカーが謝りに来るまで私、許さないんだから!」

 

 ルルは自分に宣言するかのようにそう声を張り上げたが、ドラゴニュートの目からそれが自棄になった結果のように映った。

 この意地を何時まで続けることが出来るだろうか、それともずっと続いてしまうのだろうか。ドラゴニュートは早急にロータスと、できればレイカー本人と話し合いの場を持たないといけないな、と感じるのだった。

 

 

 それにしてもと、復活したドラゴニュートが周りを見れば、円卓は消し炭、カーペットは姿形も無く石造りの柱さえ溶けかかっている。それでも被害がこの部屋だけだったのは《心意(インカーネイト)システム》で広範囲の事象の上書きを行なうのは難しいことからなのか、ルルがこれでも手加減してくれたお蔭だからだろうか。

 

 どちらにせよこのままではこの部屋は使い物にならない。次の変遷で柱などは戻るだろうが円卓も建物の一部として復活してくれるだろうか? でなければどこぞのショップで買いなおさなければならない。レベルアップしたばかりでポイントにそれほど余裕の無いドラゴニュートは未だ熱気漂う部屋の中でため息を1つ溢すのだった……。

 

 

 

 




作者設定
・ミラー・マスカーがヴォイドの団員になった。

・羽田空港にダンジョンを設置。
 さらにそこをヴォイドのアジトにしてしまう。

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