アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

25 / 33
第24話 相談

 空気の色も澄みわたり、星の瞬く時間が長くなってきたと感じる12月。

 学校も終業式を向かえ、短い期間の休みを暖かい家の中で過ごすマサトは色あせたペンギンの人形を膝に抱え、ゆっくりと絵本のページを捲くっていた。

 

 カンナの家に居候を始めてから早5年、マサトが1番気に入っている時間の潰し方である。

 ページの端は擦り切れ、表紙の角はボロボロだ。それでも持ち主が大事に扱ってきたことが一目でわかる絵本。表紙には森の奥に住む竜と、その竜を見上げるお姫様が描かれていた。

 

 マサトは最後のページまで捲り終わった絵本の背表紙を静かに撫でる。

 時刻は午後6時、そろそろカンナのお父さんも帰宅し、パーティーが始まる頃だろう。……パーティー。今日は12月24日。世間が賑わうクリスマスイブである。

 

 マサトは毎年この日をカンナの家で過ごす。この日だけではない。大晦日も正月も、春にはお花見も、夏には海水浴、秋のお月見だってそうだ。カンナの両親はことある事にイベントを催し、マサトも共に楽しんだ。

 この家に来たばかりの頃は自分の存在が邪魔じゃないかと気後ればかりして木戸家を困らせていたが、年月を経ていくうちにその隔たりもなくなり、自分も家族の一員として四季を満喫していた。

 

 ただ、ふとしたときに感じるものがある。

 隣に自分の両親がいればどんな言葉を交わしただろうか、と。

 

 マサトが両親と過ごした時間はあまりにも少ない。

 新年にはエアメールが2通届くし、VR空間を使った通信で顔を見ながらの電話だってする事もある。それでも……時折、無性に会いたくなるのは確かであった。

 

 ……やめよう。内から湧き出る感情に蓋をして、マサトは頭を振った。

 もう自分も中学生、それも数ヵ月後には最高学年へと上がる。いつまでも両親の背中を追いかける事は恥ずかしいことだ。

 それにこの家だって後1年でお別れするつもり。そのための準備だってしているし、その時の心構えを今のうちから鍛えておくのも悪くない。マサトは膝の上のペンギンを脇に避け、絵本を持って立ち上がる。

 

 そして、私物が多くなった自室の本棚に本を差し込んだところで階下(かいか)からカンナの声が聞こえてきた。

 

「マサトーっ! 夕ご飯にしましょう!」

「わかった! 今行くよ!」 

 

 マサトはカンナの呼び声に答え、自室からリビングへと移動していく。途中にある玄関に一足、この家では見たこと無い女性物のヒールがあることに気がつかないまま……。

 

 そしてリビングに訪れたマサトはクラッカーの歓声と共に最高のクリスマスプレゼントを目にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁぁーー……」

 

 長い、長いため息が目の前の景色を白く染める。

 先が見通せなくなった視界に、まるで自分が抱えている悩みのようだとハルユキはそう思った。

 

 先月、《用心棒》を雇い《ブレイン・バースト》喪失の危機を乗り越えた後、もう単純なミスを起こさないと心に決め、繊細の注意を払いつつ順調に加速世界になじんできたハルユキだったが今再び壁にぶち当たってしまっていたのだ。

 

 それは先週の終業式の後、未だギスギスしている関係の幼馴染とクリスマスを過ごせなかったことや、憧れの黒雪姫先輩をデートに誘えなかったことではない。

 いや、それも大いに残念だったことにはかわり無いのだが、自分に自信の無いハルユキにとって黒雪姫の隣に立つことは今でも緊張するし、体もガチガチとなり言葉も噛むことが多い。

 

 そんな状態でさらにデートだなんて意識してみろ、思考はホワイトに塗りつぶされ、ラグの酷いゲームのように動きもカクカクで先輩につまらない時間を過ごさせてしまうかもしれないんだぞ。

 それだけならまだしも失望された目で、「ハルユキ君、キミはデートでエスコートの1つも出来ないのか?」なんて言われた暁にはもう一生部屋から出てこれなくなる自信がある!

 長々と考えた後ろ向きな考えだけは自信満々に、ハルユキは失敗の続く脳内シミュレーションをすべてを肯定。

 ……そして、再び目の前を白く染めるのだった。

 

 

 

 

 失望。

 

 それはハルユキがいま最も恐れていることだ。

 《ブレイン・バースト》をインストールしてから黒雪姫の手となり、足となり働いて、並み居る強敵を追い払い、聳え立つ7人の王達への道をこじ開ける。それこそハルユキの命題であったし、目標だった。だと思っていた。

 しかし、今月の半ばにレベル4へと上がってからハルユキの対戦成績は下降の一途をたどってしまっている。

 

 デビューしてからこれまで初の飛行アビリティ持ちとして、上空からの強襲や、不利な状況になったときの退避、空中戦の一方的な支配権で同レベル帯の戦いでは勝ちをもぎ取ってきたハルユキだったが、情報の探索、戦闘方法の試行錯誤、勝ち残るための闘争心、それらを長い時間かけて研磨し続けてきたバーストリンカーの前では《シルバー・クロウ》の対処方法を見つけられてしまうのは時間の問題だったのだ。

 

 初速の速い、視界に捕らえることすら難しいほどの弾速による遠距離射撃。

 ハルユキの脳が体に命令を与える前に被弾する攻撃の前では《シルバー・クロウ》など、飛んで火に入る夏の虫も同然だった。

 1対1で行なわれる通常対戦ではまだ勝ち越してはいるものの、多対多で行なわれる領土戦では必ずといっていいほどクロウ対策の遠距離攻撃もちが姿を現し始めている。

 

 

 《ブラック・ロータス》率いるレギオン《ネガ・ネビュラス》は他の大レギオンと《領土不可侵条約》を結んでいない。そのため毎週土曜日は必ず隣接している他のレギオンから《領土戦》を挑まれてしまう。

 領土戦は防衛側の人数によって相手側の数も変わるが、ネガビュに今は団長の《ブラック・ロータス》、ハルユキの親友タク、もとい《シアン・パイル》、そしてハルユキのたった3人しかメンバーがいないのだ。だというのに、自分が足を引っ張っている状態では他の2人へ負担を大きく強いることになってしまっている。

 そのため、せっかく黒雪姫先輩が退院したというのに、新生《ネガ・ネビュラス》は領土拡大どころか領土防衛すら怪しくなってしまっているのが現状だった。

 

 そのことを気にしていないと言ってくれる2人の優しさには心が痛むし、それなのに何も出来ない自分がふがいなくて泣きたくなるくらい情け無かった。

 それに怖い。彼ら……特に彼女の心の内に溜まっているだろう自分への失望がいつ表にあふれ出てくるのか考えると体の芯まで凍ってしまったかのように震えが止まらなくなる。

 

 

 このままではダメだ。ハルユキは何度も繰り返した言葉をもう一度心に刻み込む。

 自分は変わった。……変わろうとしている。ダメな自分から目を背けるのでなく、正面から見つめなおし、今できることをやる。そんな自分になろうとしているんだ。……自分のはるか頭上で優雅に舞う黒アゲハ、彼女の横に立つために!

 

 ハルユキは胸いっぱいに新鮮な空気を取り込むと、力強く目標へ1歩 足を踏み出すのであった。

 

 

 ――強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

「ようカラスの兄ちゃん、うちらの“シマ”に何の用よ?」

 

「なにぃ!? ヴォイドの副団長に会いたい、だぁ?」

 

「どこにいるか心当たりは無いのかってぇ?」

 

 

「だったら」「それは」「タダじゃあ教えられねぇ……」

 

 

『勝負に勝ったら教えてやるよ!』

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……酷い目にあった」

 

 どんな手を使ってでも強くなりたい。そう思い、ハルユキは1人で《スーパー・ヴォイド》が支配する世田谷区へと足を運んだのだが、来るわ来るわの乱入者の嵐。それも同レベルだというのにやけに錬度の高い人たちばかりで午後になる頃には精神的疲労でフラフラになってしまうハルユキだった。

 

 ただ、人の居場所を尋ねたいだけだったのに……。ハルユキはどうしてこうなってしまったのか、これ以上乱入されないようにグローバルネットを切断し、公園の片隅にあるベンチで休憩しながら考える。

 

 対遠距離攻撃のコツを掴むのなら実際に戦いの中で掴むしかない。それも生半可な実力の持ち主ではなく、もっと圧倒的な射撃能力者のもとで……。そこまで考えて思い浮かんだのはとある大レギオンの副団長《フレイム・ゲイレルル》だった。

 

 先日、《用心棒》と協力して彼女と戦った事があるが、彼女ほど正確で、こちらの動きを先読みしてきた遠距離攻撃持ちは後にも先にも会った事がなかった。

 弾速そのものが遅かったためギリギリ回避することが出来ていた(その部分も本気じゃないと後でわかった)が、それでも戦闘中、自分の動きは彼女の手のひらの上で転がされているのではないか、と何度も考えたものだ。

 そんな彼女に恥を忍んで対遠距離攻撃の極意を得るために協力を打診しに来たのだが……。

 

 彼女の行方をヴォイドの団員に聞いても返ってくるのは「勝負!」のひと言。勝てば教えてくれると言ったのに答えは「知らない」「わからない」「見つからない」のオンパレード。

 それが自分と戦いたいがための方便でしか無い、ということにハルユキが気がついたときにはすでに対戦回数が片手の指を埋め、もう片方の指が半分以上折れてしまったところだった。

 

 しかし、多くのリンカーと戦ったかいはあり、ゲイレルルの拠点が《世田谷第三エリア》だという情報を掴むことは出来た。その境界線は今いる公園から目と鼻の先にある。

 

 ハルユキは本当ならゲイレルルに挑戦するのはもっと先のことだと考えていた。

 レベルが上がり、自分に自信が出来てから、と。

 そしてそれまで培った経験と力を持って両者の鎬を削りあい、ギリギリの戦いの中で勝利を収める……。そう約束したはずなのに(約束の相手はどうしてか思い出せないが)。

 

 今、ゲイレルルと戦ってもいい結果にはならないだろう。

 それでもハルユキを動かしたのは蛮勇と焦りだった。

 始めてゲイレルルと戦ったときに教えてもらった彼女の弱点。そしてレベルが上がり、飛行アビリティの強化を行なった今だったなら……もしかして前回とはまた違う展開になるのではないか。そんな甘い考えがハルユキの脳内に浮かんでくる。

 

 ――それに……。

   何か、何か行動をしていないと不安に押し潰れそうになってしまうんだ!

 

 制限時間(リミット)のわからない爆弾を抱えているような不安がハルユキを無謀に走らせる。

 

 ハルユキが眉間にしわを寄せ、拳を白くしているときだった。

 砂利の擦れる音と共に小さな靴のつま先が視界に入ってきた。

 

 顔を上げると背の小さな子供たちがハルユキを見ていた。誰も彼も胸におそろいのバッチをつけている。この近くにある児童福祉施設の園児だろうか? そのなかの1人が心配そうにハルユキへ話しかけてきた。

 

「オジサン、どうしたの? ぽんぽん痛いの?」

「オジ……ッ!?」

 

 どうやら子供たちから見たらお腹が痛いのを我慢しているように見えたようだ。

 しかし、いくら年齢が倍は離れているとはいえ、その呼び方はどうなのか。ショックを受けるナウでヤングなハルユキを余所に子供たちはどんどんと事態を進めてしまう。

 

「きゅーきゅー車呼ぶ?」「きゅーきゅー車って何番?」

「ぼく知ってる! ひゃくとうばんだよ!」

「そうなの?」「わかんない……」「先生呼ぶ?」

「そうしよう!」「せんせーい!」

「カンナせんせーい!」

 

 ちょっと! 僕は大丈夫だから。そうハルユキが言う前に一部の活発な園児が件の先生をすでに連れてきてしまっていた。

 子供たちに連れられ、駆け足でハルユキの元にやって来たのは園児がつけているバッチと同じ、オレンジ色のエプロンを着たハルユキよりも年上の女性だった。

 

「はいはい、どうしたの?」

「このオジサンがおなか痛いって! 治してっ!」

 

 子供たちに(うな)がされ、こちらへ振り向いた女性にハルユキは目を奪われる。

 目に付くは赤。腰まで届く長い髪はうなじ近くで1つにまとめられ、振り向くと同時に毛先の跳ねるクセっ毛は本人の活発さを表していた。

 女性特有の柔らかさを保ちつつ長く伸びる手足はまるでテレビに出てくる女優のように細い。背も高く、160cm台前半のハルユキでは隣に並べば彼女を見上げることになるだろう。

 そしてオレンジのエプロンを押し上げる胸部装甲はハルユキが思わず生唾を飲み込んでしまうほどだった。

 

 これほどの美人に出会ったのは黒雪姫先輩以来である。そのため呆然としていたハルユキは目の前の女性が話しかけていることに一瞬気がつかなかった。

 

「もしもし? 大丈夫かしら?」

「は、ハイィ! ダイジョウブれす!」

 

 大丈夫だからそんなに見つめないで欲しい。目の前にしゃがみ込み、目鼻立ちの整った顔を近づけてくる彼女に緊張して声が裏返ってしまった。

 彼女もハルユキが差し迫った状態では無いと判断すると、集まってきていた子供たちを散らしていく。

 

「はい、このお兄ちゃんは大丈夫だからあなたたちは向こうで遊んできなさい。

 あっちにマサ(にい)が来てたわよ」

「えー! マサ兄ちゃん来てるの!」「ボク今度会ったら空中ブランコしてくれるって約束してんだ!」「おままごとでペットの役してくれるって言ってくれた!」

 

 まるで砂糖を見つけた蟻んこのようにわらわらと遠ざかる子供たちに先生は「無茶させないでよー」と声をかけて見送った。

 そして子供たちがいなくなると再びハルユキに向き直る。

 

「となり、座っていい?」

「え? えっと……ハイ……」

 

 「ありがとっ」彼女はそう言ってハルユキのとなりに腰掛けてきた。

 突然の2人きりに緊張して落ち着かなくなるハルユキを余所に女性は優しい瞳で遠くを見ていた。どうやら遊びまわっている子供たちを見ているようだ。

 話しかけてくる様子も無い彼女にハルユキも無理に話すことは無いのだと感じ取り、彼女を見習ってハルユキも遠くで走り回る子供たちを眺めることにした。

 

 こうしてジッとしていると体が色んな事を感じ取ってくれる。

 さわさわと風に揺れる木の音と、温かい日の光。子供たちの笑い声を遠く聞いているとなんだか時間の流れがとてもゆっくりになっているのではないかと錯覚してきた。

 

 ほんの少し前までは加速した世界で忙しなく足掻いていたというのに……。

 

 そう思うとなんだか気持ちが落ち着いてきた。曲がっていた背筋を伸ばす。息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。そして手のひらの汗をズボンで乱暴に拭い、ハルユキは勇気を持ってとなりの女性に話しかけることにした。

 

「どうして……」

「ん?」

「どうして僕のとなりに座ったんですか?」

 

 ハルユキの質問に彼女は優しい瞳を向けてくる。

 

「だって……。ひとりにしないで、って貴方が言ってたから」

「そんなこと言いました!?」

「んんー……。そうだと思ったけど、違った?」

 

 自分の焦りを包み込んでくれるような微笑に恥ずかしくなったハルユキは再び地面に視線を落としてしまう。

 彼女はそんなハルユキの態度も気にしていないのか、再びハルユキが喋りだすのを待ってくれるようだった。

 

「……どうして、そう思ったんですか?」

「私、お節介なのよ」

 

 まるで答えになっていない返事にハルユキは疑問の視線を彼女に向ける。

 彼女は「これじゃ解んないか」と軽く笑ってからもう一度ハルユキの質問に答えを返す。

 

「私、お節介だから貴方の様な人をいっぱい見てきたの。そして、話を聞いて一緒に悩んできたから」

 

 なるほど、それは確かにお節介だ。

 人によって悩みというのは千差万別、中にはひとりで考えたい悩みや、誰にも話したくないものだってあっただろう。

 それでも彼女は今のように悩んでいる人のとなりに座ってきたに違いない。

 

 彼女は火だ。

 時には暑苦しく、時には温かく、人によって感じ方の違う、しかしすぐ傍に居て欲しい。そんな存在。

 ハルユキにとって彼女はまるで囲炉裏の火のように感じられた。

 近くに居るだけで安心できる人。

 

 始めて会ったばかりだというのに……。いや、全然知らない人だからだろうか、ハルユキは彼女に自分の悩みを打ち明けてみようと思っていた。もちろん《ブレイン・バースト》のことは話さないが。しかし、今はただ無性に自分の悩みを聞いてもらいたい気分だった。

 

「じゃ、じゃあ、僕の悩みも聞いてもらってもいいですか?」

「ええ、いいわよ。ただ、貴方の望む答えは返すことが出来ないかもしれないけど……」

「それでもいいです。ただ、聞いてくれれば、それだけで……」

 

 ハルユキは話した。

 少し前、自分を助けてくれた人に恩義を感じていること。

 その恩義を返したいと思っていること。

 しかし、最近恩を返すどころかその人の足を引っ張っていることに悩んでいること。

 力が欲しいということ。

 

 そして――

 

「何より、あの人に見捨てられるのが怖いんです!」

 

 浅ましい自分の本心を。

 

 僕は欲張りだ。一度救われただけでも返しきれないせほどの恩義だというのに、自分はより多くのものを求めてしまっている。ハルユキはその感情をダメなものだと閉じ込めていた。それなのにこのドス黒い感情が自分の心から溢れそうになるのを止められない。

 

 広がっていく黒い染みを押さえつけるためにハルユキは自分の胸を押さえつけた。握り締められた洋服がシワを作り出す。今すぐ手を離さなければ洋服のヨレは治らなくなってしまうだろう。

 

「大切な人に見捨てられたくない、か。……解るなぁその気持ち」

 

 それを止めたのは隣の彼女の呟きだった。

 ハルユキは手に力を込めることを忘れ、唖然と彼女を仰ぎ見る。

 

 こんなに美人で性格がいい人でも自分と同じ感情を持つのか。

 それがハルユキの驚きだった。

 完全に色眼鏡だったが、彼女が人間関係で心配事を抱くなんてことは無いだろうと勝手に考えていた。なぜなら彼女が人から見捨てられるという出来事なんて起こりえないと思えたから……。しかし、彼女は憂いを帯びた微笑で自分の気持ちを吐露していく。

 

「私もそういう人がいるから。少し前まで私の方が先に進んでその人を見守っていたはずなのに、いつの間にか追い越されちゃってた人が……」

 

 どこか遠くを見る彼女。それは追い越していった人の背中を見ているのか、それともその道の先を見ているのか、ハルユキにはわからない。

 

「しかも、そいつったら何を焦ってるのか……あっちこっちキョロキョロしながら進むもんだから変な道に入り込みそうなんだよね」

 

 だから早く私が追いついてもっと楽な道に誘導してあげないと。

 彼女はそう言ってまた笑う。今度は夏の太陽のようにカラッとした笑顔だった。目に焼きつく、眩しい笑顔。

 

「あ、ゴメンね。私の話なんかして。興味ないよね」

「いえ! そんなことありません! ためになるお話でした」

「なら良かったんだけど。じゃあ、今度こそ貴方の話をしましょうか。

 強くなりたいって言ってたけど、何か格闘技とかやりたいの? 今日はランニング?」

「い、いえ……。そういうのはやってなくて、VRでちょっと……」

「VR? VR通信空手講座?」

「……なんですかそれ?」

 

 VRを使った空手講座なんて聞いたことが無い。

 雑多に仕舞われた知識の山を掘り起こしてみると、そういえばひと昔まえに新しいダイエット方法として雑誌の報告欄とかにそんなのが載っていた気がする、と思い出す。「健全な肉体は健全な精神によって培われる! キミも武道を学んで精神と肉体をシェイプアップしよう!」……みたいな。

 ハルユキの疑問に女性は誤魔化すように「友達がちょっとね」と言葉を濁した。

 ハルユキだって空気は読める、それどころか人一倍敏感だ。女性は色々大変なんだろうな、と考えただけで彼女の話に深く突っ込むことはしなかった。

 

 

「根本的なことに戻るけど、貴方を助けてくれた人は貴方が恩を返せないからって簡単に貴方を見捨てるような人なの?」

「それは違います! 先輩はそんな人じゃない!」

 

 彼女の質問にハルユキは一瞬の間も置かずに反論した。

 それだけは絶対に認めることが出来ない。

 

「じゃあ、この事をその人に相談した?」

「そんな事できるわけ無いじゃないですか……」

 

 興奮した感情が一気に急降下していく。

 言える訳が無い。僕を見捨てないでください。なんて情け無いこと。

 

 しかし、彼女はハルユキの悩みを正直に打ち明けた方が良いと言ってくれた。

 

「きっと貴方がその先輩さんに見捨てられたくないって思うのと同じで、先輩さんも貴方に何も相談されないのは寂しいと思っていると、私は思うなぁ」

「どうしてですか?」

「じゃあ、聞くけど。もし先輩さんが悩んでて、それを貴方に相談せずひとりで解決しようとしてたらどう思う?」

「それは……頼って欲しいと思います。こんな僕でも何かしら役に立ちたいですから」

 

 彼女の言いたいことはわかった。それでも先輩にこれ以上負担を増やすなんてそんなことは出来ない、とハルユキは躊躇(ためら)ってしまう。

 そんなハルユキの心情を見破ったのか、隣の彼女は折衷案を出してくれた。

 

「じゃあ、頑張って、頑張って、それでも無理だと思ったら最後の最後でちゃんと先輩さんに相談しなさい。決して後戻り出来ない場所までひとりで行っちゃだめよ?」

「後戻り出来ない場所?」

「そう、もし貴方がそこまで進んでしまったらきっと、恩を返すどころか仇で返すことになっちゃうでしょうね」

「ど、どうしてですか?」

「後悔するから」

 

 どっちが? ハルユキは聞くまでもなく解ってしまう。

 きっと“どちらも”だろう。

 その後悔を彼女は語ってくれた。

 

「どうして相談してくれなかったんだろう、って。どうして手を引っ張ってあげなかったんだろうって」

「貴女も……」

 

 痛々しく笑い、手のひらを見つめる彼女にハルユキは思わず尋ねてしまう。

 

「貴女も後悔してるんですか?」

 

 仮定の話なのにまるで自分のことのように語るから、彼女にも同じようなことが起きたのだと考えてしまったのだ。

 ハルユキの問いに彼女は一瞬目を見開くも、また後悔と諦めを含んだ笑みを浮かべて肯定した。

 

「そうね、当時は信頼を裏切られてた。なんて怒ってたけど、本当は私に勇気がなかっただけだからね。今でも引きずってるのはその証拠」

 

 だからね、そう言って立ち上がり、彼女の顔が見えなくなる。

 泣いているのか笑っているのか、ハルユキはその顔を覗き込もうとはしなかった。

 

「だから貴方にはそんな思いはして欲しくないかな」

 

 振り向く彼女の顔は逆光で見えなかったが、それでも笑っているのは感じ取れた。

 

 その時、遠くから彼女を呼ぶ男性の声が聞こえてくる。どうやら子供の数が多すぎて相手をしきれないらしい。

 今行きまーす! と返事をした彼女は今一度ハルユキに振り返ってエプロンから取り出した飴玉を手渡してきた。

 

「はい、甘いよ」

 

 同時にアドホック通信による転送物がハルユキの目の前に飛び込んでくる。

 そこにはシンプルな色の台紙に彼女の名前とプライベート用だと思われるアドレス。そしてデフォルメされた戦乙女(ヴァルキリー)のイラストが書かれていた。

 

「今日は時間切れみたいだけど、また話したいことがあればここに連絡してきて。私が相手でいいならいつでも聞くから」

 

 じゃあね、と遠ざかる彼女の背中を見送ってハルユキは彼女の名前を呟いた。

 

「木戸 カンナさん、か……」

 

 男性に手を合わせて謝るカンナさんを見ながらハルユキは手渡された飴玉を口に入れる。

 どうやら男性はカンナさんと同じ先生という訳ではなさそうだ。エプロンをしていないし、自分と同年代のように見える。おそらくはカンナさんの個人的なお手伝いだったのだろう、それなのに仕事をサボっていた彼女に怒り、カンナさんはそれに謝っている。そんなところだと思う。

 

 相手も本気で怒っていた訳では無いだろう責めた男性を(たしな)める園児にしどろもどろで言い訳を始めていた。

 もしかして、カンナさんが言っていた大切な人というのは彼の事じゃないだろうか。園児たちと一緒に攻め立てるカンナさんの笑顔をみてハルユキはそう思う。

 

 コロリと飴玉を転がす。

 

「あまい」

 

 ハルユキは口の中の幸せを感じながら、この日はそのまま帰ることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「よかったの? 彼、帰しちゃって」

 

 スッキリとした表情で公園を離れる少年を見送りながらマサトは聞くまでも無いことをカンナに問いかけた。

 

「うーん、今のところはね? それに男の子って自分が出した答えしか納得しないんじゃないの?」

 

 そんなことは無い、と反論しようと思ったが、心当たりが多すぎるマサトはその言葉を飲み込んだ。説得力がなさ過ぎる。

 中途半端な、情けない顔を浮かべたマサトの肩をカンナはバシバシ叩く。

 

「いいじゃない。そうやってカッコよくなっていくんでしょ? 頑張れ男の子!」

「がんばれー!」「マサ兄ちゃん、カッコイイ?」「しーーー!」

 

 カンナの真似をして太ももを叩いてくる女の子たちに思わず苦笑いを浮かべてしまう。女の子はこうやってマセていくのか……。未だボールを追い掛け回す男の子たちと見比べながらこの世のあり方を垣間見るマサトであった。

 

「そろそろ時間ね。はーい! みんな帰るからお片付けしてこっちに来てー!」

 

 帰る時間となっても騒ぎ立てる子供たちをひとりひとり大人しくさせ、ひとつの場所に集めさせるカンナの様子を見てアルバイトなのによくやるなと思う。

 カンナが保育士になりたいと言ったのはいつだったか。そのときは世話好きのカンナにピッタリだと応援した。

 

 昨今、少子化による影響で各種資格の取得可能年齢引き下げや、満16歳以上からフルタイムで働く正社員になれるというようになってはいるものの、さすがに子供を預ける児童福祉施設ではその限りではない。

 

 保育士になるには高校卒業程度の学力か、専門の学校で2年学ばねば資格取得の試験を受けれないということになっている。

 カンナもこの春から普通科の高等学校ではなく、専門学校に通うことが決定していた。

 このアルバイトは先を見据えた予行練習、といったところだろうか。

 

 しかし、実際子供たちの相手をしていると度々思う。あの小さな体のどこにパワーを蓄えているのか、と。手が空いている時に手伝う程度のマサトでも数時間相手にしただけでヘトヘトだ。これを毎日繰り返すのだから施設の先生方には頭が下がる思いである。

 

 

「カンナちゃん、そっちの組は大丈夫?」

「はい! みんな居ます」

 

 もうひと組の園児を集めたカンナの先輩(こちらは正規の資格を持った妙齢の女性だ)と合流し、帰る準備は整った。

 ただの手伝いであるマサトはここでお別れとなる。

 

「じゃあ、カンナ。オレは帰るけど、あとも頑張れよ」

「ご苦労様、マサト」

「マサトくんいっつも手伝わせちゃって悪いわね。みんな、マサトくんにバイバイは?」

「マサ兄ちゃんバイバイ!」「今度はサッカーしよー!」「ダメー! 次はあたしたちと遊ぶんだから!」

 

 あれだけ遊んでもまだまだ騒ぎ立てる子供たちを見送りながらマサトはレギオン団員のカンパによって構築されたプライベートネットによる団員専用の掲示板を覗いてみた。

 

 そこにはなんと《シルバー・クロウ》がヴォイド副団長である《フレイム・ゲイレルル》を狙っているとの情報が書き込まれているではないか。

 驚いて遠くなったカンナの姿を再び目に映すがカンナに変わった様子は無い。

 この間のリターンマッチか? それにしても書き込みが行なわれてから時間が経っているというのに戦いを挑まれた様子がないのはどういうことだろう。

 

 カンナにメールしてもクロウの姿は見ていないと返ってきた。

 マッチングリストを見てみても名前は出てこないし、掲示板にて情報を集めてみたものの昼を過ぎてから目撃情報は一切無し。

 一体全体どういうことなのか。ネガビュによるかく乱作戦? 今回はただルルの所在を確かめるために来ただけ?

 

 クロウの考えが読めない行動にマサトはこの日1日ずっと首をかしげるハメになるのだった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。