アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

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 恥を忍んで再び戻ってきました。
 愛想を尽かしてしまった人は申し訳ない。
 待っててくれた人は多大な感謝を。


第28話 いざ……!

 

 世田谷区の一角にある一軒家。その一室で少年が1人、ご機嫌な鼻歌を奏でていた。

 少年――花沢 マサトは仮想ウインドウに映る旅行のしおりを確認しながら自身の服を普段使わない大き目のバッグへと詰めていた。

 

 軟らかい衣類を上に、硬いものを下に。ネットで調べた荷造りの仕方に従って全ての荷物を入れ終える。

 マサトは再びしおりを見直し、もって行くべきもの欄に並んだチェックマークへ印を入れ始めた。

 

 ――抜かりなし!

 

 上から下まで全てのチェックマークに印が入っていることを確認したマサトは満足気な顔でバッグのチャックをしめる。

 スッキリとした心持ちでニューロリンカーから今日の課題データを呼び出すと、悠々と問題を解いていくのだった。

 

 

 しかし、そんな時間もつかの間にマサトの体がソワソワと揺れ始める。

 目の前の課題に集中できないマサトがちらちらと視線をそらすその先は先程まで念入りに準備を重ねたはずの大きなバッグ。

 

 マサトは考える。

 もしかしたら入れ忘れた荷物があったかもしれない。

 チェック項目を1つ飛ばしてしまったかもしれない。

 もしくはバッグに入れて無い荷物にチェックを入れて準備した気になってしまったかも、と。

 

 1つ気になり始めたのなら、もうマサトは気が気ではなかった。

 目の前に浮かぶ仮想ウインドウを乱暴に手で払い消去させると、再び旅行のしおりを出現させ、せっかくバッグに詰めた中の荷物を全部取り出してしまうのだった。

 

 

「マサト、ご飯……。ってまだやってたの? それ」

 

 これはある。これもある。と丁寧に自分の周りに広げられた荷物をチェックしていたマサトの部屋に入ってきたのはこの家の家主の娘、木戸 カンナであった。

 カンナは学校から帰ってくるなり旅行の準備を始めていたはずのマサトが夕飯の時間になっても現れないので心配で見に来たのだが、まだ用意が終わってないマサトの姿を見て呆れたように腰に手を当てた。

 

「旅行の準備なんて日数分のシャツとパジャマ。万が一のための洗面用具さえ持っていけばそれでいいんだから30分もかからないはずでしょ」

 

 これが一昔前ならば旅行のしおりは紙媒体であったし、旅行先の地図やガイドブック、財布や携帯電話、時計やコンパス、ゲーム類等々、入れようと思えばバッグがパンパンになるまで詰め込んでもまだ足りなかった。

 だが今ではそのほとんどが首に装着している小さな端末“ニューロリンカー”で補うことで事足りる。

 

 なので今時の旅行というのはカンナの言ったとおり、衣類と洗面用具を持っていけば十分なのだ。しかも、昨今のホテル内アメニティは充実しており、学校が選んだ宿泊先であってもシャンプーやリンスはもちろん、タオルや歯ブラシなどもほとんど当たり前のように用意されているのでむしろ洋服だけで良いという旅行者もいる。

 

 何らかのこだわり(女子ならばシャンプー等銘柄にうるさい)、または特殊な用品(泡の立ちやすいスポンジや風呂に浮かべるアヒル等)を望まなければ衣類だけで十分事足りるのだった。

 

 しかしマサトは衣類のほかに必要以上の荷物を床一面に並べていた。

 マサトはなにかこだわりの銘柄がある訳ではない。

 しおりの方に『万が一の場合、ホテルでアメニティを切らしている場合があります』と書かれていたのでその万が一に備えての準備をしているのである。はたから見ると余計な心配のように映るのだが本人は真剣だ。

 

「いやでも、1人で旅行に出かけるなんて初めてだし、もし万が一があったらって考えると不安で」

「1人で旅行って、ウチの中で1人って意味で、本当にあなた1人で旅行に行くわけじゃないでしょ。学校の行事なんだから。万が一があったなら同じ部屋の友達に貸してもらいなさい」

 

 これはいらない、それも必要ない、と広がるマサトの荷物を勝手に分別していくカンナにマサトは慌ててストップをかける。このままでは中身が空のバックを持っていくことになりかねない。

 

「ままま、まってよ! その歯ブラシはいるよ!? いくらクラスメイトでも歯ブラシは借りたくないし!」

 

 マサトの言葉にそれはそうねとカンナは「じゃあこれは良し」と手に持っていた1本の歯ブラシと小さなチューブ歯磨き粉をズイッと突き出し、マサトに受け取らせる。

 

 一生懸命用意した荷物の大部分を無駄のひと言で切り捨てられたマサトはため息をつきながら荷物を再度詰めていく。どうやら元の量の半分は切り捨てられてしまったようだ。

 詰めながら、去年同じ学校行事で同じ旅行先に行ったはずのカンナに向こうの様子はどうなのか尋ねてみた。

 

「そうね、昼間は暑いけれどまだ春だし、朝晩は冷え込むこともあるわ。長袖のTシャツを何枚か持って行くと便利ね。ちゃんと入れておいたから安心しなさい。あと、突然雨に襲われることもあるから折り畳み傘を……そっちのバッグじゃなくて手荷物の方に入れておきなさい。こればっかりはニューロリンカーでも防げないからね。

 それと、はいこれ、酔い止めのクスリ。バスや飛行機で長時間移動するのマサトは初めてでしょう? だから乗り物に乗る前にこれを飲んできなさい」

 

 他にも何点か注意を受けながら荷物を入れ終わると、タイミングよく階下から母ツバキの声がかけられる。

 

「いっけない! 夕飯だからマサトを呼びに来たことすっかり忘れてた。マサトはそのクスリを入れたらすぐに降りてきなさいよ」

 

 慌てるように部屋を出て行くカンナを見送り、マサトは手に持たされた酔い止めのクスリの箱をまじまじと見つめた。

 カンナが言ったとおりカンナがマサトの部屋に入ってきたのは夕飯が出来たから呼びに来ただけだ。だというのにさり気なく渡されたこの新品のクスリは一体いつ用意したのか。

 マサトが旅行の準備を始めたのを見てわざわざ買ってきてくれたのだろうか。

 

 用心のし過ぎで余分な荷物を持っていこうとしたら無駄のひと言で切り捨てたくせに、本当に必要になりそうなものはさり気なく手渡してくる。その優しさにマサトは微笑み、すぐに取り出せる場所へそのクスリをしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 家族そろっての夕飯を食べた後、自室に戻ろうとするカンナの後を追い、2階へと上がる階段の途中でマサトは少し小声で話しかけた。

 

「今からちょっと《上》に上がる。切断じゃなくてポータルで脱出するから」

 

 他の誰かに聞かれないように、もし聞かれても意味のわかる人にしか伝わらないようにマサトは手短にカンナへと報告を行なった。

 カンナも返事はせず、ただ頷くだけ。

 

「私も行こうか?」

 

 そして同じように自分の意思を伝えてきた。

 マサトが《上》に行き、そのまま拠点のポータルから大人しく脱出するわけが無い。少なくとも《上》に行くために消費する分のポイントを取り戻すためにひと暴れするはずである。そのための助けは要るか、カンナはそう言ったのだ。

 

「あーー……いい……1人で大丈夫」

 

 しかし、《上》に他の用事があったマサトは視線を泳がせながら遠慮する。

 あからさまに怪しい態度を取るマサトを(いぶか)しめに見ながらなぜそんな態度を取るのだろうかとカンナは考え。思い至る。

 

「そう、ならいいわ。“よろしく言っておいて”」

 

 結局カンナは追及することなくマサトに背を向けてさっさと自室に戻ってしまうのだった。

 残されたマサトは頭の後ろをかきながら複雑な表情をするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――あれは絶対にバレていたよなぁ……

 

 自室から《無制限中立フィールド》にダイブしたマサトは自身の体がプラチナム・ドラゴニュートに変化していることを確認しながら、拠点のレギオンメンバーが会議する場所である円卓に座って、先程のカンナとのやり取りを反芻(はんすう)していた。

 

 あのとき、カンナの誘いを断わってからカンナの表情が一変するのにそう時間はかからなかった。

 そっけない態度とあの半眼(ジト目)。あれは少し機嫌が悪くなった時の態度である。

 つまりはこれからマサトが行なう行為をわかっているということだ。

 

 しかし、マサトを止めなかったということは少し進展しているのだろうか。“彼女”への心情は。

 3年半もかけて未だ動かぬ現状にドラゴニュートは背中を丸めてもう一度重いため息を付くのであった。

 

 

 

 

 突然だがこの加速世界で長い年月遊んでいると約束した時間に関して厳しくなるかルーズになるかの2極になる。

 あるものは一秒の遅れですら烈火のように怒りだし、あるものは平気で1、2時間遅れて来ることもある。

 “彼女”が前者であることを思い出したドラゴニュートはどうやってカンナの機嫌を取ろうか(この世界で長いこと過ごしても現実では精々数分程度である。カンナの機嫌が直っていることはまずありえない)という悩みを頭の片隅に置きつつ、慌てて拠点の外に飛び出した。

 

 するとまず出迎えてくれたのは羽田空港名物《小さな山》。ではなく拠点の守護神である神獣(レジェンド)級エネミー《ティアマト》であった。

 ティアマトはドラゴニュートの姿を目に捉えると超巨大ビルのように長く太い首を持ち上げてドラゴニュートの出現を歓迎した。

 

『久しいな我が盟友よ。ああ、しかし! 如何なる時が我が身を襲おうと、貴様と我の絆は永遠である。さあ座れ、遠慮は要らぬ。今宵は貴様と我の武勇を競い、共に飲み明かそうではないか』

 

 毎日のように加速世界へとログインしているドラゴニュートだが、現実と加速世界の時間の流れには大きな隔たりがある。

 マサトが夜眠る時間、平均が8時間だとしても加速世界ではおよそ1年。夕方まで学校に拘束されることを考えるとさらに倍。1日訪れないだけで加速世界ではどれほどの月日が流れているのかわからなくなるほどである。

 だからこそティアマトの歓待もわかるのだが、今回はドラゴニュートに先約があった。

 

「ティアマト。すまないが今日は他に用事があってだな……先を急ぐんだ」

 

 今にも自分の子供たち――翼竜を集めるために一吼えしそうなティアマトに向かってドラゴニュートは申し訳なさそうに断わりを入れる。

 

『そうか……、それならば仕方ない。先も言ったが貴様と我の絆は永遠。悠久のときが流れるこの世界だ、いつかは貴様と我が飲み明かす、そんな星のめぐり合いも訪れるだろう……』

 

 目を細め空を眺め始めるティアマト。心なしか声が沈んでいるように聞こえてしまうのは気のせいか。その態度に大変心痛んだドラゴニュートはどうにかしてティアマトと交流を図れないかと画策する。

 

「ティアマト。これから俺が行くところは少し高いところにあるんだ。もしよければお前の背中に乗り、そこまで連れて行ってもらえないか」

 

 始めはゲイレルルがテイムしているレッドドラゴンの背中に乗っけてもらおうとしていたのだが、ドラゴニュートは上手くいったら儲けもの程度の考えでティアマトに提案した。

 

『ほう、我の背中に貴様を……』

 

 空に向けていた瞳を再びドラゴニュートへと向けると、ティアマトは平坦な声でドラゴニュートの願いを繰り返す。

 

 ――これはダメか。

 

 ティアマトが自分の体を誇りに思っていることをドラゴニュートは知っていた。心無いものは彼らの体はただのデータの集合体でしかないというだろうが、鱗ひとつひとつに傷が付いて無いか長い時間かけて見回したり、日が照らすステージの時には大きな羽を広げて虫干ししていることもあった。

 そんな自分の美観を第一に考えるティアマトだが、それ以上に戦うものとして気高く誇り高い者でもある。

 

 どれほど気を抜いているように見えても近づいてくる気配を敏感に察知し、いつでも戦える姿勢をとっているし、正面から堂々と戦うことを是として背後からの奇襲を特に嫌う。

 まるで理想の武人のような竜であるティアマトの背に乗ったことがあるのは後にも先にもティアマトの7本ある自慢の角の一本を折ったことがあるドラゴニュートだけで、彼もそれ以降ティアマトの背に乗っかることはなかった。

 

『思い出すのも懐かしい。初めて小さきものを我の背に乗せたのは貴様が我が角を折ったことに始まった。あの時はようやく我の体に一太刀入れることが出来る小さきものが現れたのかと酷く気分が高揚したものよ。

 ドラゴニュート。我が盟友よ。今も貴様に久しく会えて気分がいい。さあ、行こうではないか。貴様とならば地の果て、空の果てまでの道のりも苦ではないのだから』

 

 持ち上げていた首をゆっくりと下ろし、ドラゴニュートに差し出すとティアマトは乗るんだと促してきた。

 ドラゴニュートは感謝の言葉を伝えつつ、一足飛びでティアマトの首元へと跨った。

 

『では行こう!』

 

 暴風ステージでも比べ物にならないくらいの旋風を巻き起こしながらティアマトは優雅に体を地面から持ち上げて羽田空港を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 空を飛ぶということはなんと気持のいいことであろうか。

 以前とは違い、余裕のある心持ちでティアマトの背に跨るドラゴニュートはそんなことを思った。

 この身に受ける風の力強さ、見渡す限り果ての無い地平線。全ての事象が大地と共に収縮していき、何事にも縛られない“自由”という言葉の一端を垣間見る。

 地上とはどこか違う世界のような。大地とはまた違う、全てを包み込んでくれる寛大さにドラゴニュートは静かに心打たれていた。

 

 ――もっともっと飛んでいたい。

 

 あの地平線の先に広がる世界を見てみたい。雲より先に更なる高みに上ってみたい。

 次々に湧き上がる欲望を自身の身に感じながらドラゴニュートは他者の力を使って飛んでいるということに対し、突然の窮屈さを感じてしまった。

 もどかしい、といってもいい。

 

 ――どうして自分の背中に羽が生えていないのだろうか。

  自身の力で飛べたならもっと気持ちがいいだろうに。

 

 人はなんとも欲深い。

 先程までドラゴニュートは地に足をつけ、ただ空を眺めるだけに留まっていた。

 次にティアマトの背に乗り、空を飛ぶことに感動したばかりである。だというのにもう次を望んでいる。

 

 人によっては浅ましいと罵るだろうか。

 人には決められた領分があると。

 怖いのだ。人の領分を越えた人を見た時、自分は彼を同胞(同じ人間)と受け入れられることが出来るのか。それがわからないから未知なる恐怖が本能的にストップをかける。

 

 だが、大丈夫。人類は受け入れることが出来る。

 ドラゴニュートは希望を見た。始めは神保町で。次にサンシャインビルの屋上で。

 あれほど綺麗に飛ぶ彼を誰が咎めることが出来ようか。

 今の停滞したこの世界であの自由な姿は羨望すら抱いてしまう。

 

 人はなんとも欲深い。

 加速世界の頂点に立ち、世界を変えることの出来る力を持っているドラゴニュートでさえ期待してしまう。

 彼ならばこの世界が抱える全ての問題を根本からひっくり返してハッピーエンドの大円団に持っていってしまうのではないかと考えてしまうのだから。

 

 

――どうせならウチの問題もついでに解決して欲しいけど……

 

 ふとドラゴニュートが考えた時、すでにそこは目的地周辺に近づいていたことに気が付いた。

 充実した時間は瞬く間に流れてしまうもの。こうして人生2度目の遊覧飛行はあっという間に終わってしまうのだった。

 

 

 ここまでいいとティアマトの背を叩きながら礼をいうとドラゴニュートはそのまま空中へと身を投げ出した。

 グングンと近づいてくる大地を肌で感じながらドラゴニュートは来る衝撃を自身の頑丈さに任せて着地する。想像以上の衝撃と着地音。綺麗に揃えられていた芝生の一面が深く抉れてしまった。これはあとで怒られる。

 痺れる両足を庇いつつ立ち上がって振りかえり、上空を優雅に旋回しているティアマトに手を振るとティアマトは翼を1つはためかせて羽田の方へと去っていった。

 

 

「随分と派手な移動方法ですね。大レギオンの方々に見られていたらまた文句を言われますよ」

「……明日から彼らからの連絡は全て無視することにするよ」

 

 後ろから声をかけられたドラゴニュートは振り向きもせずに答えた。

 今降り立った小さなフィールド――旧東京タワー頂上の主は1人しかいない。やれやれと、呆れた声を聞きながら振り返ればそこにはドラゴニュートが想像した通りの彼女の姿があった。

 

 白いワンピースと大きなつば(・・)の付いた純白の帽子。

 やわらかい風に飛ばされそうな帽子を、ゆったりとした動作で彼女が押さえると、夕闇の色を色濃く映したような茜色の瞳がドラゴニュートの姿を映す。

 彼女の体で色が違うのはその瞳くらいで他は全てブルー。それも夏の晴れた空のように鮮やかなスカイブルーである。

 

 《スカイ・レイカー》

 

 彼女こそがこのネコの額のような敷地に家を建て、加速時間の殆んどをそこで過ごしている住人。

 今日はデュエルアバターをポータルで脱出させるほかに、彼女と話すためにドラゴニュートは《無制限中立フィールド》へと降り立ったのだった。

 

 

 

 

「それでルルは突然現れたディザスターにケンカ売ってさ、ロータスと共に大立ち回りさ」

「ふふふ、相変わらず皆さん無茶をしますね」

「まったく。見ているこっちもハラハラするからやめてほしいよ」

「ドラゴさん、あなたもですよ。もしイエロー・レディオが撤退したと見せかけて、近くのポータルに罠を張り、漁夫の利を狙っていたらどうするのですか。そんな場所にあなたは単機、もし見つかってしまったらこれ幸いと多勢に無勢でやられてしまったかもしれないんですよ。

 もしそうなったらわたしは悲しいです」

 

 レイカーの言葉が胸に突き刺さり、謝るドラゴニュートだったが、気を取り直して今年始めに起こった出来事をレイカーに伝えていた。

 

 7王が条約を締結させる少し前。ルルとレイカーの仲に亀裂が出来てしまった時からドラゴニュートはこうして週に1回。少ない時でも月1でドラゴニュートとルルに起こった出来事をレイカーに報告していた。

 報告、というと堅苦しいが、ただ単に友達の家に週一で遊びに行っているというほうが近い。

 加速世界の、どのフィールドでも円柱状に再現されている旧東京タワーの頂上、その東西南北の四隅に配置された、背もたれの無い簡素なベンチに腰掛けながらドラゴニュートとレイカーは会話を弾ませる。

 

 その途中、ドラゴニュートは最大限のさり気なさを装ってもう何度目になるかもわからない話題をレイカーに持ち出した。

 

「あー……そういえば来週はちょっと用事があってこっち(・・・)にこれないんだ」

「そうですか」

「そうなんです。修学旅行でちょっと遠くにね。だからリアルの方でも東京にいないんだよ」

「まあ、それは楽しんできてくださいね」

「ありがとう。……あー、レイカーは一週間俺と会えなくて寂しくない?」

 

「…………それはもちろん寂しいに決まっています」

 

「そ、そう! だよね、やっぱ1人は寂しいよね! きっとカンナも……」

 

 

「ドラゴさん」

 

 

 きっとカンナも暇していると思うから家に遊びに来ては? と続けようとしたドラゴニュートの言葉をレイカーは笑顔で遮った。

 西日が庭を照らし、天気も悪くないと言うのに、何故かドラゴニュートに向かって身の竦む思いのする冷風が吹き込んできている気がする。

 

 おかしい。先程までこのような風は吹いてなかったはずだ。山の天気は変わりやすいというが東京タワーの天辺も同じことをいえるのだろうか。もしくは秋の空か。

 ドラゴニュートは引きつった笑みでレイカーに返事するしかなかった。

 

「久しぶりに体を動かしたくなりました。下に降りませんか?」

「あ、ああ。エネミーでも狩りに行くの? そうだね、このあと1人で行くつもりだったけどレイカーもポイント稼がなくちゃいけないもんね」

 

 よーしやるぞぉ、と場の空気を必死にかえようとドラゴニュートはベンチから立ち上がり、腕を振り回して準備体操の真似事を始めた。

 そして、ふと疑問に思い、首を傾げる。

 一体ここからどうやって降りるのであろうか、と。いつもならレイカーの住んでいる洒落た小さな家《楓風庵》の隣にある青い光の放つ《離脱ポイント(ポータル)》から抜け出るのだが、直接ここから降りたことはない。

 円形に切り取られた縁ギリギリまで近づいて下をのぞき見る。

 

 股がヒュン とした。

 

「レイカー、ここってどうやって下に降りるの? あ、そうか。1回ポータルから出て……もう一回――」

「いえ、その必要はありません」

 

 レイカーに伺いたてようと後ろを振り向いたドラゴニュートはしかし、レイカーの声が想像以上に近くから聞こえたために思わず視線を下にずらすことになった。

 

「下で待っていてください(・・・・・・・・)

「え?」

 

 まるで肩を叩くような気軽さでレイカーの手がドラゴニュートの腰を押しだす。

 思わずたたらを踏むドラゴニュートだったが、1歩後ろに足場は無い。

 グングンと視界に収まる地上と空の比率か逆転していく。

 そして最後に見えたのは穏やかに手を振ってドラゴニュートを見送るレイカーの姿であった。

 

 ――そして俺は死んだ。

 

「って! 死んでたまるかぁ!」

 

 レベル9になってからやけに死を意識するようになったドラゴニュートは呆然としていた意識を取り戻すと、縦に回転していた体を無理やり押さえ込み、体を上に、足を下に戻す。

 続いて鋭い爪を持つ両の手を目の前の柱――旧東京タワーへと突き立てた。

 

「あっつつつついい!!」

 

 ガリガリと柱の壁が削れていくが、重い体が邪魔をして落ちる速度に変わりはない。そして柱との摩擦のせいで指にどんどん熱が溜まっていく。そして目の前の壁同様にドラゴニュートのHPもすごい勢いで削れていくのだった。

 

「ああ、これは無理」

 

 近づいてくる地面の遠さと、まるでミキサーにかけられたかのように削れていくHPの速さを見てドラゴニュートは悟りを開いた。簡単に言えば諦めた。いかに死にたくないといっても無理なものは無理なのである。

 だったらこんな苦しい思いはしなくていいやと指から力を抜くと後は自由落下に身を任せるのであった。

 

 そしてドラゴニュートは死んだ。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしましたドラゴさん」

 

 キコキコと優雅に車輪を漕ぎながらレイカーが現れると同時にドラゴニュートの死亡状態は解除された。死亡状態を表すカーソルが消え、代わりにドラゴニュートの実態が現れる。

 しかし、ドラゴニュートは胡坐をかいてレイカーに背を向けたまま動かずいた。

 

「どうかしましたか?」

 

 どうしてドラゴニュートがそんな態度を取るのか、レイカーは困ったように手のひらを自分の頬にあてた。

 

「「どうかしましたか?」 じゃないでしょ!」

 

 レイカーの態度に怒ったドラゴニュートは体を反転させながら立ち上がり、レイカーに詰め寄った。

 

「どうして僕を上から突き落としたりしたの! しかも自分はポータルから脱出してここまで来るし、ほんとありえないよ!」

 

 ドラゴニュートを上から突き落としたのはまだわかる。ことあるごとにカンナとの仲を取り持とうとするドラゴニュートにレイカーはほんの少しいじわる(・・・・)をしたくなったのだろう。

 親から早く宿題をしろとせっつかれるとイラッとしてしまう子供の心境である。

 

 レイカー自身もカンナとまた以前のように笑いあいたいとは思っている。

 それが出来たらどんなにいいことだろうかと考えてはいるが、負い目のある自分に仲直りする資格は無いとも考えていた。

 やりたくても出来ない。だというのにそれに構わずしつこく迫ってくるドラゴニュートにレイカーが辟易としてしまうのは仕方の無い話である。

 

 しかしもう1つの行動、一度ポータルから脱出し、再びこの場に戻ってくるレイカーの行動にはドラゴニュートもツッコミをいれずにはおけなかった。

 

 レイカーこと倉崎 楓子のリアルホームは杉並の南の端にある。

 ポータルから脱出し、現実に戻ってきたと認識してから再び《無制限中立フィールド》に戻るため、コマンドを唱えるとどうしても1、2秒はかかってしまうだろう。

 現実の1秒は加速世界の30分である。

 

 デュエルアバターが死亡してから再び復活するには1時間かかるので、レイカーは実質30分以下で杉並から港区の旧東京タワーへとやってきたのだ。

 現実なら車を使っても間に合うかどうかというところである。

 いくらデュエルアバターといっても人の身には違いなく、さらにレイカーは車椅子での移動である。十中八九無茶な行動を行なったに違いない。

 

「くすくす、ドラゴさん。わたしは自由奔放でお節介な《親》と普段は常識人ぶっているのにいざという時には人の心配も無視して1人で突っ走っていく、マイペースの塊のような《祖父》に囲まれて育ったのですよ。このくらい普通(・・)です」

 

 自信満々に人指差しを立て、ウインクを決めてくるレイカーにドラゴニュートは何も言い返すことが出来なくなった。

 とりあえず、この3年ひと言も持ち出さなかった《親》という言葉を喋ってくれただけでこの場はよしとしよう。そう無理やりにでも思わないとやってられない。

 進展しているのかしてないのか、ゆっくりと変わりつつある2人の幼馴染の関係にドラゴニュートは再び重たいため息をつくのであった。

 

 

「さ、予定通りエネミーを探しにいきましょうか」

「俺を倒してバーストポイントをたんまりもらったレイカーさんにエネミー狩りは必要ないんじゃないですかねぇ」

 

 何事もなかったように車椅子の車輪を回し、ドラゴニュートに背を向けるレイカーの後を追いながら、ドラゴニュートは少し拗ねたように嫌味を言った。

 

「でもそれは今日2回《上》に来たことで帳消しになってしまいましたから。今から次の分を稼ぎに行くんですよ」

「そうですか」

「はい」

 

 しかしサラリと流される。

 一体いつになったら女性に口で勝てるようになるのか、ドラゴニュートは身近にいる女性陣の顔を思い描き……、そしてもっと楽しいことを考えようと思いなおした。

 

「そういえばお聞きになっていませんでした。ドラゴさん、修学旅行はどちらに行かれるのですか?」

 

 そうだ、自分には楽しみにしていることがあったではないか。レイカーの言葉にドラゴニュートは思い出す。

 日本の南西にある小さな島。青い海。照付ける太陽。アロハシャツと花の首飾り。サーターアンダギーとヤマピカリャー。

 なにか色々と混ざっているがドラゴニュートは振り向き尋ねてくるレイカーに親指を立てて言い放つ。

 

 

「目的地は沖縄です!」

 

 

 

 


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