時間は少し遡り、4月16日の昼。
黒雪姫が辺野古ビーチで東京にいるハルユキとの会話を終わらせ、ホテルへ帰った頃。
梅郷中学の生徒が宿泊しているホテルに彼らとは違う学生の一団が泊まりにやって来ていた。
「花沢、俺らシンジたちと一緒に外に行くけど、お前も行くか?」
先程ホテルにたどり着いたばかりというのに、荷物整理も程々にマサトと同室のクラスメイトが話しかけてきた。
「ううん、まだバス移動の疲れも残ってるし、少し休んでから行くよ」
「そうか?」
クラスメイトの問いにマサトが頷くと彼はそれ以上無理に誘うことはせずあっさりと部屋から出ていってしまう。
ドアが閉まったことを確認したマサトは軟らかいマットレスに身を投げ出すと、溜まっていた疲れを押し出すようにため息を天井に向かって吐き出した。
疲労の理由は朝から続くバス移動からくるものだけではない。
先程のクラスメイトとマサトは別段仲が良いという訳ではなかった。
普段は先のシンジともう1人、仲が良い男友達の3人で過ごしている彼なのだが、今日宿泊するこのホテルの部屋割りが2人一組だったため、元からあぶれていたマサトと組んで同室となったのである。
ハッキリ言ってクラスに仲の良い友達がいないマサトにも親しげに話しかけてくれる彼にマサトは感謝していたが、同時に重圧も感じていた。
それは彼が悪いわけではなく、マサトが一方的に壁を作り出しているせいだった。
マサトは初めからクラスメイトと仲良くしようとしていなかった。
そもそも彼らの会話についていけないのである。
好きなテレビ番組も、好きなアーティストも、好きなアイドル、好きなクラスメイトの話にも、おおよそ男子中学生が好む話題すべてにマサトは興味を抱いていなかった。
唯一興味のあるジャンルといえばゲームになるのだが、そのゲームの話題についていける人物はクラスメイトはおろか学校中を探しても見つからない。マサトが孤立するのは時間の問題だったのだ。
根が真面目だったため成績もよく、先生受けもよかったためにクラス委員などを務めたこともあるのでイジメの対象にはならなかったが、マサト自身がクラスメイトと一線を引くために親しい友人もいなかった。
クラスメイトからすればマサトは“用事があれば話しかけるが、普段はとっつきにくい奴”となるだろう。
しかしマサトはそれで何の問題もないと感じていた。
なぜならば学校にはいないが親しい友人は何人もいるし、学校なんて“1日たった8時間しか”いないコミュニティに友人を作ってもしょうがないと思っているせいである。
マサトにとって学校とは今後1人で生活する時の、そのとき取れる選択肢を増やすための中継点でしかないと考えられていたのだ。
「そろそろいいかな」
なんと無しに呟いたマサトは心地いいマットレスから身をはがし、脇に置いていたバッグを手に取った。楽しみにしていた沖縄観光にいくためである。
昨日の歴史博物館や戦地跡の見学なども楽しかったが、やはり旅行の楽しみといえばおみやげ物の物色に勝るものは無い。
初めて見る特産品に食べたこと無い食品類、名所を映したVRオブジェクト、見るべきものはたくさんある。マサトは逸る心を抑えながら外に出る準備を整えていった。
UVカットクリームを肌に塗り、スポーツタオル、スポーツドリンクを手提げカバンの中に入れ、ニューロリンカーで今日のバイタルをチェックする。
今では健康な人々と遜色ない生活を送れているマサトだが、人生の半分以上が病院生活だった男だ。体調管理には人一倍気を使わなくてはならず、今日は頼れる人も近くにいない。入念にチェックする必要があった。
特に心拍も血圧も体温にも異常は見当たらない。診断結果は
楽しみにしていた数々の予定は“
◇
「そうして彼女たちに対戦を挑まれ、ここにいるというわけか……」
「ああ、そういうことになる」
両腕を前に組み、ふてぶしい態度で黒雪姫の問いに答えるマサト。
今起きている出来事のせいでやけっぱちになっているようにも見える。
マッチングリストに載る相手の名前を確認をしたマサト達は最初こそ狼狽していたものの、なにが起きているかわからない沖縄のバーストリンカーの少女たちの手によって半ば無理やり《サバニ》の一席に座らされてしまった。
そして状況整理のため、お互いが“どうしてこうなった”のかを説明しているうちに諦めという名の精神状態まで落ち着きを取り戻すのであった。
しかし宿敵相手と仲良く隣同士座るのは精神衛生上ありえない。
身体の物理的距離になんら関係ないことはわかっていても相手の一挙一動を見逃すわけにはいかない2人はマサトの隣にショートカットの少女、黒雪姫の隣には大きなリボンをつけている少女を座らせて対峙していた。
「では、お互い現状を把握できたところで自己紹介といこうか」
「は、はい! ワンは
「お、同じく久辺中学校、
睨み合う2人の放つプレッシャーに耐え切れない、といった様子で立ち上がり、大声で自己紹介する少女2人。
ショートカットの方がルカで、リボンをつけていた方がマナだ。
「うん、元気がよくていいことだ。しかし、いきなりリアルネームを名乗るのはいただけないな、特にバーストリンカー同士では命にもかかわる。だろう?」
「……さあね」
黒雪姫の微笑みをうけ、言葉も出せずガクガクと壊れた機械のように首を動かすルカとマナ。
非の打ち所が無い、綺麗な表情だというのに何故か逆らってはいけない気がしたのだ。
「しかし、2人がリアルネームを名乗っているのにこちらが名乗らない、というのも狭義に反するな。では私もアバターネームではない名前を名乗ろう。
私の名前は、黒雪姫だ。以後よろしく頼む」
「…………へぇ」
舌の根も乾かぬうちにあからさまな偽名を名乗る黒雪姫の自己紹介に口端を引きつらせるマサト。彼の額には若干血管が浮き出ている。
「それで? ここまで来てキサマだけアバターネームを名乗るのではなかろうな。
教えてくれないか、キサマの名前を……」
ニヤニヤと挑発的な笑みを受けべた黒雪姫は肘をテーブルにつけ、組んだ手の上に自分の細い顎を乗せる。
傍から見れば絵画のように美しい光景も当事者としては薄ら寒くなる何かがあった。
その態度にマサトは変わらず憮然とした態度で大きく足を組み――
「どーも、
黒雪姫にそう名乗った。
「…………ほう。珍しい名前だな。仲良くしよう“金太郎”」
「“竜太郎”です。黒雪姫“さま”」
外の喧騒も逃げ出してしまうほどのプレッシャーを放ちながら睨み合う2人にルカとマナはテーブルから離れて「はわわ……」「あわわ……」とお互いの体を抱きしめあうことしか出来ないのだった。
「
「うん……うん!」
◇
「それで、結局君たちは私たちになにをして欲しいのだ」
2人の睨み合いは商売根性逞しい従業員が空気を読まずに頼んだドリンクを持ってきたことで一旦終了した。
黒雪姫は生パイナップルジュースを、マサトはシークワーサージュースを席に着いたときに頼んでいたのだ。
マサトとしてはシークワーサージュースを一口飲んで、思わず「すっぱ!」と言ってしまったとき黒雪姫が浮かべた意図のわからない得意げな顔が酷く気になったが、スルーした。
「はい! さっきも言いましたがお2人には師匠に会ってほしいんです!」
無駄に背筋を伸ばして答えるマナに黒雪姫は「それだ」と指摘した。
今回の事件、そもそもその師匠とやらに問題がある。
「君たちの師匠とやらはブレインバーストをインストールするにあたってなにか言ってなかったのか? その、注意事項のようなものを……」
「おい、それは聞かないほうが……」
黒雪姫と合流する直前にその話を聞いていたマサトは止めようとするが、それよりも早くマナとルカが軍人のように機敏に立ち上がって、その“教え”とやらを唱和した。
「「ひとーつ! 《加速》を使って悪いことをしない!」」
「「ふたーつ! 《加速》のことをみだりに喋らない!」」
「以上です!」と再び席に着く2人をマジマジと見た後に黒雪姫は確認のためにマサトの方へ顔を向ける。マサトは諦めたかのような顔で頷くだけ。
その表情に黒雪姫は、初めて見かけたとき諦めの表情をしていたのはコレを聞いていたからか、と妙なことに納得してしまうのだった。
突然リアルで会おうと言い出したり、初対面の男女にリアルネームを名乗ったりとバーストリンカーとしての常識が足りて無い少女2人を見た東京組の心情は完全に一致していた。
――“師匠”とやらにひと言いってやらないと気がすまん!
と。
「と、とりあえず、今日のところは解散しないか? なんというか酷く疲れてしまった。こんな状態じゃ冷静に話せないし、何より時間が……」
そこまでいったところで黒雪姫は突然席を立つ。
なにか(おそらく時間)を確認したのだろう、酷く焦った様子で――
「また明日同じ時間に自由行動になるからそのときに!」
と一方的に言い放ちホテルの方へ走っていってしまうのだった。
「あいつ、言いたいことを言うだけいって帰っちまった。
俺は明日の昼にはもうここにいないぞ」
マサト達の旅行のスケジュールだと明日の今頃は沖縄南部へ向けてバスで移動しているか、次のホテルへついている頃だ。
そもそもマサトの修学旅行予定4泊5日のなかで、生徒が自由に歩きまわれるのも今日くらいしかないのである。
どうしようか迷っているとマサトの呟きを聞いていた少女2人が不安げに話しかける。
「
「師匠に会ってくれないんですかぁ?」
身長差のせいで見上げてくるように懇願してくる少女たち。
「い、いや。大丈夫、ダイブするとき連絡してくれたら《上》経由でそっちにいくから。おそらくアイツも師匠とやらにリアルで会おうとは思って無いだろうし」
そんな少女にNOとは言えないマサトであった。
「よかったぁ。ネェネェだけだったら師匠、話聞いてくれないかもしれないし」
「うんうん!」
もしも師匠とやらが元東京のバーストリンカーならばそんなことはありえないだろう、と内心マサトは思いながら、自分にもそれほど時間が残っていないことに気が付いた。
「もう4時か、参ったな5時までに部屋に戻らないといけないのにお土産まだ1つも買ってないぞ」
部屋を出て、そのまま《サバニ》へとやってきたマサトはルカ、マナ達から色々事情を聞いていたためにまだ一軒も店を覗いていなかった。
これでは店になにがあるか見て回るだけでタイムリミットが来てしまうかもしれない。
「ニイニイ
「なら私たちが案内してあげますぅ」
「え、いいの?」
いかに手早く店を回るかを考えているマサトに少女2人はありがたい提案をしてきてくれた。
それはありがたいとお願いするマサト。そしてルカとマナはマサトの手を引っ張って賑わう商店街へと連れて行ってくれるのだった。
彼女たちはいかにも他の地でもお土産として売られているようなスポンジケーキやゼリーなどが美味しいかどうかは知らなかったが、メインの場所から少し離れたところにある美味しい珍味を安く売っている店や、綺麗な工芸品を売っている場所を案内してくれて、マサトも満足いく買い物をすることが出来た。
「ありがとう、お蔭で助かったよ」
「いいってことサー」
「私たちもお願いを聞いてもらってますし」
商店街からホテルの前へと戻り、少女たちにお礼を言うマサト。
照れて笑う彼女たちにマサトは自分のアドレスを渡していた。
「明日、《上》に行く時ここに連絡して欲しい。そしたら俺もダイブしてこのホテルの前へ向かうから」
「ありがとうございますぅ!」
「それと……」
「はい」
「もし東京に来ることになったら連絡して。俺は……東京に詳しく無いから案内できないけど、詳しい人を紹介するから。今日のお礼」
東京にいる幼馴染のようなパートナーのような彼女のことを思い描きながらマサトはいう。
その表情を敏感に察知した乙女2人は一瞬目を合わせ、そして好奇心に満ちた瞳でマサトに尋ねる。
「それって……」
「彼女ですか!?」
「いや、彼女は――――」
マサトの答えに満足した2人はマサトに手を振りながら自宅へと帰っていく。
その言葉は彼女たちが東京へ訪れた時に明かされる。のかもしれない。
◇
「コマンド、ビデオコール、キド カンナ」
【キド カンナさんに映像通話を発信します。よろしいですか?】
ホテルの部屋に戻ったマサトはルームメイトがまだ戻っていないことを確認すると東京にいるカンナに連絡を取った。
時刻は午後5時、この時間なら特別な用事が無い限り家に戻っているはずだ。
発信中と表示されていた仮想ウインドウにカンナの顔が映るのにそう時間はかからなかった。
『もしもし、マサト? どうしたの』
「ちょっと不味いことが起きて……今大丈夫?」
マサトの真剣な声にカンナの目つきが鋭くなる。
ここまでマサトが真剣になるのはブレインバーストのことしかない。カンナは秘匿性から
「いや、まだルームメイトも帰ってきてないし、大丈夫だと思う」
『そう、それで一体なにがあったの?』
「それなんだけど……実は今日、リアル割れしちゃったんだ」
『……え?』
言い辛そうに告白したマサトの言葉にカンナの理解が追いつかない。
『……え、え!? それって沖縄にいるバーストリンカーにってこと? というか沖縄にもバーストリンカーがいたの!?』
「いや、沖縄にもバーストリンカーがいたことは確かなんだけど、もっとマズイのは俺と同じように修学旅行にきていた東京のバーストリンカーもバレちゃった事なんだ」
『はぁ!? なにやってんのよ……』
ウインドウ越しにカンナが額を押さえているのが見える。
呆れてものも言えないようだ。
『それで、その相手の名前は? 学校名は?』
「それが聞きたかったんだ。カンナ、今の時期 沖縄に修学旅行でやってくる中学校、絞り込めないかな。杉並区の学校だけでいい」
『ええ? ……杉並だけで考えると思い当たるのは、梅郷中の3年生が今沖縄に行ってるってこの前聞いたけど。どうして杉並だけ……って、まさか』
今現在、杉並区に領土を持っているレギオンに所属しているバーストリンカーはたったの3人しかいない。
半年前青のレギオンから移籍した《シアン・パイル》
絶賛加速世界で話題の中心となっている《シルバー・クロウ》
そしてその2人をまとめる加速世界のお尋ね者。
「《ブラック・ロータス》なかなか起伏が激しい人だったよ」
『…………サイアク……』
カンナにして見ればよりにもよって、といったところだろう。
しかし、今マサトがブレインバーストの話をしていることを思い出し、ひとつの可能性に思い至った。
『まさか……
レベル9同士でぶつかり合ったのならばどちらかが全損したはずだ。
全損したバーストリンカーがどうなるのかをカンナは知っている。
「いいや、リアルで会ったのは偶然でね。まだその時期じゃないから見送りになったさ」
『そう……』
マサトの返事に喜べばいいのか残念に思えばいいのかわからないカンナ。
そもそも、相手を全損させたのならばわざわざ相手の学校名を尋ねる必要は無い。少し慌てすぎたと反省した。
今はブラック・ロータスのリアル情報を1つでも収集するのが先だ。そのヒントが無いかとカンナはマサトに質問する。
『それで、相手の外見は? クラスはわかる? まさかとは思うけど相手はリアルネームを名乗った?』
「それなんだけど……あいつは黒雪姫だって」
『……え?』
本日2度目の気の抜けた返答である。
『中学生にもなって姫ってあんた……。そんなに美人だったわけ?』
「ち、違うって! アイツがそう名乗ったんだ! 俺が名付けたわけじゃない!」
まるで灰になった生ゴミでも見るような目つきのカンナに必死に弁護するマサト。
カンナはまるで信じていないかのように生返事を返すと今度はどうしてそういう状況になったのか経緯を聞いてきた。
そしてマサトが説明していくたびにカンナの目は鋭くなっていく。
『へー、日焼け跡がまぶしい天真爛漫な女の子と、ショートポニーのお淑やかで可愛い女の子のお願いをマサトは聞くことになったのね』
「そ、そう……デス」
『そこにあと1人助っ人がいると聞いて、やって来たのは黒髪の美しいお姫様だったわけね』
「ま、まあそれがロータスだったわけで……」
おかしい。
マサトは正しく事実のみを話しているはずなのに、デジタル信号に変換された音声データが1600kmほど移動しているうちにまったく違うデータになっているのではないのかと錯覚した。
黒雪姫と名乗る少女のリアルを調べるために詳しいデータが必要だと彼女の容姿をこと細かく要求され、その矛先が沖縄の少女たちにまで及んだ時に疑問を持つべきだったのだ。
「そ、それでそのあとお土産を買ったんだけど、なかなか良さげなオブジェクトセットを見つけてね。いやー、これでうちのVRスペースも華やかになるよきっと!」
『マサト……』
「は、ハイ!」
『私、お土産はイリオモテヤマネコでいいわ』
「……え?」
『あー、ネコ飼いたーい。急に飼いたくなってきたぁ』
「い、いや……イリオモテヤマネコは今もレッドリストに載る絶滅危惧種でね?」
『持ってこなかったらもう家の敷居は跨がせないから。それじゃ』
カンナが背を向けると同時にウインドウが真っ暗となり、切断中の文字が虚しく浮かび上がる。
マサトは今日何度目かになるどうしてこうなったと頭を抱えることになるのだった。
マサトがお土産を購入している頃
「お、おい! アレ見てみろよ……!」
「なんだよ、引っ張るなよシンジ…………ってアレ……」
「アイツ、花沢じゃね?」
「だよな。つーか隣にいるカワイイ女の子はだれだ!? 俺らの学校の奴じゃないよな?」
「ナンパ?」
「成功してる……しかも2人も」
「活発な日焼け少女とお淑やかなお嬢様系の正反対の2人だと……!」
「「「花沢、パネェ!!」」」
その後マサトの評価はとっつきにくい性格は仮の姿で、実は裏の世界でハーレムを築こうとしているすげぇ奴となった。
嘘話