アクセル・ワールド ――もうひとつの世界――   作:のみぞー

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第31話 竜兎相対す

 

 

 乾いた風が大地を撫でつけ、砂埃が岩に当たる。

 容赦ない日光がジリジリと地面を熱し、遠くに見えるは蜃気楼。

 

――いくらなんでも遠すぎる……もう少し早く加速しておけばよかった……

 

 なにも見るものがない《風化》ステージを1人寂しくさまようは、遮光効果のあるボロを羽織ったドラゴニュート。

 沖縄南部から中央部まで徒歩で移動しなければならないドラゴニュートは移動開始早々に毒づいた。今日泊まるホテルに着いた後ではなく、バスで移動中に加速しておけばこの退屈な時間を少しでも短縮できただろうに、と。

 こんな荒野を進むのはどこぞアニメのOP(オープニング)のように数秒だけでいい。

 しかしどんなに歩んでも終わりが見えない。助けの手を差し伸べる人物もここにはいない。やれることといえば精々 ボロをしっかり身に纏って太陽の反射光をエネミーに悟られないようにすることくらいだった。

 

 こんな場所で小獣(レッサー)級ならまだしも野獣(ワイルド)級の群れなんかに出くわしたなら、逃げるにしても立ち向かうにしても時間がかかることは確実。隠れる場所も無いこの場所で体力の続く限りの持久走か、ただ正面から殴りあうだけの泥仕合はどちらも御免蒙(ごめんこうむ)りたかった。

 

 せめてもっと見応えのあるステージだったなら。

 《月光》ステージに浮かぶ月を見ながらの行進は真夜中の散歩みたいできっと楽しかっただろう。

 《樹海》ステージなら移動には手間取るが、大自然に囲まれ心を癒せたはずだ。

 草木一本も生えていない赤茶けた大地を目に映しながらドラゴニュートは重い足を引きずるように前へ出すのであった。

 

 

 

 

 どれほど歩き続けただろうか。時間にして見れば3時間は経っていない筈である。気分的には一年以上歩き続けていた気がするが。

 いくつかの荒廃した町並みを通り過ぎてもいまだ延々と続く荒廃した大地。そこでドラゴニュートは幻を見た。

 

 あまりにも退屈すぎたため暇つぶしで始めた“対レベル9戦――ver.《樹海》ステージ”のイメージトレーニングのせいで見間違えたのだと考えた。あまりにもリアルに妄想しすぎて無意識に心意を発動してしまったのかと思ったくらいだ。

 しかし、“それ”に向かって歩いても、進行方向を変えてみても、周りをグルグル回ってみても“それ”は変わらず大地に建っていた。

 

 何の変哲もないコテージである。

 

 丸太を組み合わせたシッカリとした造りの高床式の家。入り口まで続く階段も、家の屋根も全部木造で建てられたオーソドックスなコテージがそこにあった。

 ここが他のステージだったのならドラゴニュートもここまで不思議に思わない。現実世界の建物が加速世界に反映され、形を変えて存在しているのだと考えることが出来る。

 しかし、ここは《風化》ステージであって、建物という建物は全てボロボロになっているのが通例どおり。現に先程、鉄骨ばかりになってしまった町並みをドラゴニュートは通り過ぎたばかりである。だが、こんなにシッカリと形が残っている建物は1つも見なかった。

 

――誰かのプレイヤーホームなのか?

 

 ドラゴニュートはひとつの可能性に思い至る。

 そのきっかけは旧東京タワーにあるレイカーの《楓風庵》だ。

 あの家はステージ属性がなんであろうと変わらない様子で旧東京タワーの上に鎮座していた。

 

 ならばこの目の前にあるコテージの姿もそこまでおかしくはないのかもしれない。プレイヤーホーム自体あまり目にすることがなかったが、周りに建物がないだけでこんなにも浮いて(・・・)しまうのかとドラゴニュートはしみじみ思った。

 

 おそらくは昨日出会った少女たちか、その師匠のホームなのだろう。沖縄のバーストリンカーは自分たちしかいないと聞いている。少女たちのレベルでは高額なホームは買えないだろいうから十中八九師匠のものと考えていい。

 疑問を解決させてスッキリしたドラゴニュートはそのまま踵を返し、ブラック・ロータスが待つであろう辺野古のホテルへと足を進めることにした。再びなにもないステージの姿を目に映し、苦笑いと共に息をつく。

 

 しかし、2歩、3歩と足を進めた後、ピタリと硬直してその場で静止、まるで地面に縫い付けられたかのように動けなくなってしまった。1つ気になることが出来たせいだ。

 プレイヤーホームに関する情報を思い返す。後ろに鎮座しているコテージが本当にプレイヤーホームだったら、どうしても腑に落ちないことがある。

 それは――

 

――どうして俺の目にもプレイヤーホームが見えているんだ?

 

 本来プレイヤーホームは《無制限中立フィールド》にあるショップで高額なポイントを支払ってホームの鍵を入手し、ホームの所有権を得る。

 その時、購入されたホームには《破壊不可能属性》ともう1つ、鍵を持って居る者か、ホーム所持者に許可を得ている者にしかプレイヤーホーム自体が目に見えない、という属性も付与されるのだ。

 

 例外として鍵の所有者がホームの近くにいるときだけは周りの人たちにも見えるようになるというものもあるので、今現在このコテージの中には人がいるという可能性も考えることができるが……これも違和感がある。

 

 ドラゴニュートは沖縄南部から随分長い時間歩いたが、まだまだ辺野古まで距離がある。

 昨日の彼女たちはリアルで学校の制服を着ていたことから生活範囲もあの辺りだと予想することができ、その師匠も同じ範囲で生活していると考えるのが妥当だ。

 

 しかしまさか、観光客が多いから辺野古で網を張っていただけで、本当はこの辺りが拠点なのだろうか。辺野古で集合してまたここまで戻ってくる予定なのか。

 そもそも彼女たちはバーストポイント枯渇の憂いがあるからこそ自分たちに助けを求めたのではなかったか。プレイヤーホームを買う余裕がいつあったのか。

 

 ドラゴニュートがあれこれ考えていると背後から金属同士が擦れる鈍い音が聞こえてくる。

 後ろを向くと、コテージの入り口が軽く開いているではないか。自然に開いたものではない。中の住人が入って来いと誘っているようだ。

 ドラゴニュートは今の状況に自分の表情がニヤけていくことを自覚した。

 

――確かにあれこれ考えるよりも、直接中に入っていったほうが早いか……

 

 ドラゴニュートはブラック・ロータスがダイブする予定の時間より5分ほど早く、《無制限中立フィールド(こちらの世界)》では3日、4日ほどの猶予が作れる時間にこちらへダイブした。少しくらい道草を取ったところで辺野古までは十分間に合うだろう。

 無駄足になっても構わない。と、ドラゴニュートは意を決してコテージの中へと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 あるいは沖縄大迷宮の入り口であるだとか、足を踏み入れた瞬間に閉じ込められ、家が倒壊するトラップであるだとか、そんなことも考えていたドラゴニュートだったが実際に中に入ってみるとまったく別の意味で足を止めてしまった。

 

 面の端から端まで端麗な刺繍が施されている大きな壁掛け、棚に綺麗に並べられた編みぐるみ、(とう)で出来たバスケット、などなど温かみのある品々が部屋の中を綺麗に着飾っているのだ。もしくは一層のファンタジー世界へとさ迷い込んでしまったのではないかとドラゴニュートは心配してしまった。

 

――ショップ、だったのか……

 

 自身のホームを華やかにするための小物を販売しているショップ。

 それなら《風化》ステージだろうとこのコテージの形姿が残っていることに納得が出来る。……ただ外観が綺麗過ぎたことの謎が残ってはいるが。

 近くにあったぬいぐるみを手にとって見る。手に取った感触はとても柔らかく、毛糸で編まれている様も実にリアルだ。

 

 

『いつまでもそこで案山子(かかし)の様にボーっと突っ立てないで、こちらへいらっしゃったらどう?』

 

 ドラゴニュートが手近に飾られていた商品を手に取り眺めていると突然第三者から声をかけられた。

 人の気配は無かったはずである。ビックリしたドラゴニュートが声のした方、部屋の中ほどに顔を向けると、そこにはこのコテージの雰囲気に合った小さな丸い木のテーブルと、その上に飾られたウサギの編みぐるみ。そしてその(かたわ)らに立つ、これまた変哲もない木製のマネキンがあった。

 

 デッサン人形のような丸みを帯び、ツルっとしている表面。表情のないのっぺらぼうのような顔。むき出しの球体間接。指導の行き渡ったウェイターのように手を前に組み、微動だにしないその姿は無機質で、胸部の凹凸が辛うじて女性型だと教えてくれる。

 まさか先程の声はこのマネキンが出したものだろうか。視線を部屋の奥へとずらしてみるが奥へいけるような扉やドアの類いは見当たらない。喫茶店のようなカウンターと椅子、棚に飾られているビン詰めされた茶葉があるだけだ。

 

 マネキンはここに入った瞬間にも目にはしたが、勝手にショップのNPC店員だと勘違いしていた。

 通常、ショップの店員は人の形を取っているものの、言葉は喋れず、喋りかけても返ってくる返事は言語にも満たない機械音声というのが常だった。

 しかし、例外的に意思を持っているかのように流暢な言葉で答えてくれるものもいる。ドラゴニュートは経験から気を引き締めた。

 

『わたくしが話しかけてあげたというのにずっと棒立ち……。どうやらわたくしとしたことが本当に案山子へ喋りかけてしまったようね。そこの、気分直しに新しい紅茶を入れてくれないかしら』

『t#dEt&j#lEj#dEq#』

 

 ペコリ、お辞儀ひとつしてマネキンはカウンターの向こう側へトコトコと歩いていった。

 マネキンから発せられた声は明らかに解読不能な電子音の塊だった。

 ならもう1つの声は一体どこから。ドラゴニュートはすでにその人物(・・)へと目を移していた。

 

『あら、あなたの仕事はカラスを追い返すことであって、わたくしを見つめることではありませんわよ。さあ自分の畑へお戻りなさいな』

 

 声の正体はテーブルの上にちょこんと座っているウサギの編みぐるみだ。

 毒が多いが品のある喋り方に相応しく、清楚な白のドレスで着飾っている。耳は顔の横から垂れ下がっており、ロップイヤー種を模して作られているようだ。

 

 そんな彼女を見てドラゴニュートは沖縄大迷宮も、スリル溢れるトラップもないこの場所で大変胸高まる思いだった。

 これ以上だんまりで彼女との会話を終わらせてはいけない。ドラゴニュートは彼女に合わせて言葉を返すことにした。

 

「こんな場所で畑を守っていてもカラス一匹来やしなかったさ。それよりウサギさん、立ってて疲れたからここで少し休ませてくれないか」

 

 窓の外、枯れた大地と岩しかない《風化》ステージへ目を移すドラゴニュート。

 

『まあまあ、やっぱり案山子はおバカさんみたい。座りたければ勝手に座ればいいし、わたくしの名前はウサギなんかではなくってよ』

「じゃあキミの名前はなんていうんだい?」

『くすくす、案山子なんかにわたくしの名前を教えてあげるわけがないじゃない。でも、そうね……サンダル、ガブリ…………アリ、アリエール。そうね、わたくしのことはアリエールと、そういいなさい。ウサギなんかよりよっぽどいい名前だわ』

 

 アリエールと名乗ったウサギは紅茶を入れていたマネキンに追加でもう一杯を頼み、『ついでに、“アレ”持ってきて』といった。

 マネキンの短い返事を聞きながら、気になったドラゴニュートは“アレ”とは何かとアリエールに尋ねてみる。

 

『案山子って案外せっかちなのね初めて知ったわ。でも教えてあげない。紅茶が出来るまでの間なんだから少しは待ちなさい』

 

 アリエールの返事はそっけない。

 それっきりアリエールは黙ってしまったのでドラゴニュートも大人しく付き合うことに。

 マネキンが紅茶の用意する音を聞きながらドラゴニュートは“物語”が上手く進んでいることを確信する。

 

 おそらくこれは《クエスト》だ。

 池袋地下迷宮の最初の広間にいるダンジョンを司るAI(人工知能)《アテネ》を始め、一定の単語を含んで質問した場合のみ返事をくれるショップの店員など、彼らだけは他のNPCと異なり流暢な日本語を使い、話しかけたら意思があるかのごとく返事をしてくれる。

 目の前のアリエールも同様の存在だとドラゴニュートは思っていた。この店に入ったことをキー()として何らかのクエストがドラゴニュートに課せられるのだ。

 

 今考えれば《ティアマト》も自分を倒したバーストリンカーを《羽田地下ダンジョン》へと導くためのキーパーソンの1人だったのではないかとドラゴニュートは考えている。羽田空港に住まう竜たちの母としての役割を負いながら、竜の祖を倒す戦士を探している。今はもうその役割を果たし、ドラゴニュートのために《スーパー・ヴォイド》のアジトを守ってくれている仲間のひとりになってはいるが……。

 

 

 ドラゴニュートは目の前に置かれたティーカップを見るまでマネキン店員がすぐ傍まで寄ってきていることに気がつかなかった。

 カチャリと、陶器の擦れる音が静かに鳴り、柔らかい芳香がドラゴニュートの鼻の辺りを包み込む。

 紅茶には詳しくないドラゴニュートだったが、リアルでこのお茶を飲むのにはグラムで1k(1000円)単位のお金を支払わなければ無理のではないかと思い、一口味わって、そのくらい払っても後悔はしないだろうと確信した。

 

「それで? さっき言った“アレ”はいつ見せてくれるんだ?」

『はぁぁー。どうやら案山子は耳だけじゃなく目も悪いみたい。それとも頭の脳みそが足らないだけ? さっきから目の前にあるじゃない』

 

 口があるなら盛大なため息を吐いただろう(実際言葉にはした)アリエールの呆れた声にドラゴニュートは眉間にシワを寄せる。

 もちろん、目の前のものは見えていた。見えてはいたのだが。

 

――まさかコレだとは思わないだろう。

 

 ドラゴニュートはクエストを進める道具といえば、それはもうシャレオツな飾りのついた宝剣だとか、いかにもなオーラの放つオーブだとか、お使い系のクエストなら手紙や、古そうな羊皮紙などを想像していたのだ。それらは昔経験したクエストで貰った物でもあった。

 それが白くて小さなお皿に乗せられた“飴2つ”だとは考えもしなかった。お茶請けだと思ったくらいだ。

 

「……これは?」

 

 ジロジロと、色んな方向から見てみても赤い飴と青い飴にしか見えない。ドラゴニュートはいったいコレがなんなのかわからず、素直に口の悪いぬいぐるみに聞いてみることにした。

 ぬいぐるみはドラゴニュートを鼻で笑い(「ハッ!」っと口に出した)、「見てわかりませんの」とドラゴニュートを嘲った。

 

 

「飴ですわ」

 

 

 ドラゴニュートの限界は近かった。

 ただ話が進まなそうだったのでギリギリのところで我慢して、この飴がなんなのかを尋ねる。

 今度は頭を働かせ、この飴をどうするのかではなく(どうせ「舐めるんですわ」とかいうに決まっている)、この飴を使ったらどうなるのかを聞いてみた。

 するとドラゴニュートは思いもよらなかった言葉を聞くことになる。

 

 

「これは過去を変えることが出来る飴と、未来を変えることが出来る飴ですわ」

 

 

 

 


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