木戸 カンナの母親はカンナが物心つく前からずっと入院生活を送っていた。
それはなぜか? カンナが生まれてきたからである。
カンナを産んだ時その傷口から感染症を貰ってしまい、その治療のために病院生活を余儀なくされてしまったのだ。
カンナの父親も自分の娘をひとりで育てていくために仕事を変えたり、周りから白い目で見られつつも休みを取ったりと様々な努力をしたが決してカンナがひとりとなってしまう時間を無くす事はできなかった。
カンナが家でひとりぼっちになってしまう。その間両親の変わりに使われたのがニューロリンカーだった。
ニューロリンカーは現実とヴァーチャルを繋ぐ機能だけでなく、視覚や聴覚の補助、つまりメガネを使わずに遠くのものを見れるようになったり、普段なら聞き取れないような小さな声も機械が拾って聞くことができたりと様々な現実拡張(AR)機能も備えている。
そんなAR機能のなかに『育児補助プログラム』と言うものがあった。
ニューロリンカーをとおして子供のバイタルを常に監視したり、子供の動きを映像で確認できたり、さらには睡眠誘起映像により子供の睡眠をコントロールすることができるプログラムである。
そのプログラムに子育てをおおいに助けられながら育てられたカンナにとってニューロリンカーは最早自分の一部、考えようによっては『もうひとりの親』と感じてしまってもおかしくなかった。
そして、そんな彼女だからこそマサトからコピーされた『もうひとつの世界』へと行くことができるゲーム――《ブレイン・バースト》をインストールすることができたのである。
しかし、マサトからコピーされたゲームをインストールした日のカンナは今まで想像もしていなかった(したくなかった)くらい酷い夢を見せられることとなるのだが……。
◇
暗い、暗い洞窟の中。
カンナはその中を当ても無く彷徨っていた。
道は細く、狭い。
体を小さくしなければ先に進めないほどで、カンナは動かしづらくなった体をゆっくりと動かし一歩一歩前へと進んでいく。
なぜか、この先へ進んでいかなければならない。その脅迫概念にもにた感情に押されながらもカンナは苦しく険しい道を進んでいくのだった。
すると道の先から差し込まれる一筋の光ををカンナは見つけた。
……出口だ。
ようやく暗い洞窟から外へ飛び出すカンナ。
今まで窮屈な姿勢から開放されたことで彼女は体をノビノビと伸ばすことが出来た。
辺りを見渡すとそこは森であった。そう、“だった”のだ。
木々は燃え、灰となり、もう無事な木は目に映る範囲では一本も無い。遠くの方ではいまだ燃え盛る木々が轟々と黒煙を吐き出していた。炎の魔の手はまだまだこの森を焼き尽くすつもりらしい。
――しかし熱い、燃える森の中にいるのだから当然なのだろうか?
反射的に顔を拭おうと自分の手を見たカンナは驚愕の事実をその目に写すことになる。
燃えていたのは周りの森だけではなかったのだ。
カンナ自身も全身が炎に包まれ、その身を焼かれていたのだった。
いや、カンナの姿をよく見てみると彼女自身が炎の化身となっていることに解ってしまう。
手も、足も、体も顔も、全て炎で出来ていた。もちろんその中身も……
――ヒトの形をしていても、これじゃまるで……
「……嗚呼、アアァァああ!」
火に囲まれた森の中で響き渡る獣の唸り声のような悲鳴。
しかし、それはカンナの口から出たものではなかった。
悲鳴の発生源へとカンナが顔を向けるとそこに居たのはグッタリとした女性を抱え上げ、泣き叫ぶカンナの父の姿が見える。
そして父が抱える女性、それはカンナが大好きな母親その人だった。
「……ああぅ、ァア! ガアアッ!」
カンナの母は死んでいた。そしてその死を嘆いて父は泣き叫んでいたのだ。
そんなバカな……お母さんはまだ生きてるはず! カンナは目の前の光景から目を逸らしたくて、足を一歩後ろへと下げた。そのとき――
ガサリと、足の踏み鳴らした音が思った以上に周りへ響き渡ってしまう。その音量は今まで泣き叫んでいたカンナの父が、自分に……いや愛しい人を殺した化物に気が付かせるのに十分なものであった。
「オマエガ……」
カンナの父が幽鬼のように立ち上がり、のそりと一歩カンナへ向けて足を踏み出してくる。
その手にはいつの間にか一本の槍が握られていて……
「オマエガ……コロシタ……」
今まで見たこともない父の姿に恐怖で腰を抜かしその場にへたり込んでしまうカンナ。
彼女の体に触れた小さな草木が一瞬で燃え尽きるが、そんなこと気にしている場合ではなかった。
壊れたようにお前が母を殺したと繰り返す父。
カンナは首を必死に振ることで抵抗することしか出来ない。
そしてついに父はへたり込むカンナの目の前へとたどり着いてしまった。
父の形相は酷く歪み、目は血走り、歯をむき出しにして怒り狂っているではないか。
「オマエガ、オマエガ、オマエガァァーー!!」
父が手に持っていた槍を大きく振り上げる!
慟哭の叫び声とともに振り下ろされた槍は一直線にカンナの胸へと突き刺さってしまうのであった。
◇
「いやぁぁーー!!」
カンナはベッドから跳ね起きた。荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見回すとそこは普段と変わらない自分の部屋だった。
思い出せないけど、なにかがあった。それは理解した。
その証拠に寝汗を信じられないくらい、パジャマが湿る程度にはかいている。
そういえば昨日マサトがこのゲームをインストールすると変なことが起きるかもしれない、とインストールしたそのあとに自分に伝えてきたことを思い出した。
「サイアク…………」
とりあえずカンナは肌にくっ付いて気持ち悪いパジャマを脱ぎながら、――今日病院へ行ったらとりあえずマサト一回殴ろう――そう考えるのであった。
◇
カンナが酷い夢を見るその前日。
マサトがカンナに《ブレイン・バースト》の世界へと引き込んだその日。
新しいゲームをインストールしない? とマサトはカンナに聞いていた。
「ゲーム? マサト好きだもんね、でもわたしあんまりお小遣いないから新しいのは買えないわよ……?」
「大丈夫、このゲームはタダなんだから!」
「ふーん、基本使用量無料ってっこと? わかった。いいよ、インストールしてあげる。そうすればわたしが帰っても家でまた遊べるもんね?」
カンナの返事を聞いたマサトは大喜びで《ブレイン・バースト》をコピーする準備を進め始めた。
――アップデートが始まる前、同じレベル2のBBプレイヤーに聞いた話だと“アレ”が必要だって……
お目当ての品物を見つけたマサトは、普段は滅多に使わないそれを頭上たかくまで引っ張り上げた。
「じゃあ、これをつけて!」
「な、それを!?」
マサトが取り出したのは一本のケーブル。
両端に付いている接続部はニューロリンカーにつけるもので、このケーブルは2つのニューロリンカー間の有線通信を行なうためのものである。
《有線直結通信》
それは大抵のデータのやり取りが無線通信で行なえるニューロリンカーにおいて“特別”を意味していた。
いわゆる“直結”と呼ばれるその行為を行なった場合、データ通信のほかに相手のニューロリンカー内のデータを覗き込むことが出来るのだ。
データの秘匿やロックはおおよそ役に立たず、その中身を相手に丸裸にされてしまう恐れもある。他にもニューロリンカーのファイヤーウォールを無視してウィルスを仕掛けるような真似も可能だ。
この直結を行なうのにはお互いの信頼関係が深く関わり、これを行うということは相手に絶対の信頼を抱いていると言うことにほかならない。
つまり、直結とは家族、またはそれに近しい――恋人たちの間で行なわれるのが一般的なのである。
以上の訳で、直結をしませんか? というお誘いは、恋人になりませんか? という誘いの暗喩にも等しいと言って過言ではないと考えられている。
ちなみに、ケーブルの短さによって両者の顔が近づいていくので、その長さはお互いの心理的距離の長さを表しているとも言われていることを明記しておく。
しかし、そんなこと全く知らないマサトが取り出したのはニューロリンカーを買った時についていた初期の付属品、長さが僅か30センチしかないケーブルをカンナに差し出したのだった。
「ば、バカーーーーー!!!」
「あぶっ!?」
いくら親しくなったと言ってもそれはまだ友達としての範疇。それなのにいきなりそんな短い長さで直結しましょうと持ちかけたマサトが顔を真っ赤に染めたカンナにビンタされ、同じくらい顔に真っ赤なもみじ模様を作ってしまうのは仕方の無いことだと言える。
「ぜっったい! 絶対余計なものに触らないでよね!? 変なことしたのわかったらもう一回殴るんだから、今度はグーよ! グー!」
「わ、わかったよ。そんなに怒るとは思わなくて……」
あのあと必死の説得によって、渋々《ブレイン・バースト》をインストールすることに了承したカンナ。
しかし、なぜか直結を恥ずかしがり、自分と顔をピッタリとくっ付けたまま余計なことをするなと怒鳴り声を上げているカンナにマサトはどこか釈然としない気持ちを抱えていた。
こっちは《ブレイン・バースト》のことは説明したのに、直結行為がなんで恥ずかしいのかは教えてくれないんだもんなぁ。マサトは今だひりひりした頬を優しく擦りながら《ブレイン・バースト》インストーラー《BB2039.exe》をカンナに転送するのだった。
「ふーん、これがそのゲーム? どんなゲームなの?」
「対戦格闘ゲームだよ。格闘ゲームってしってる?」
「うーん、前にお父さんの部屋で見たわ。でもそれは野蛮なゲームだからってやらせてもらえなかった」
「まあ、相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲームだからね……子供はやっちゃいけないんだって」
「何それ、おもしろそう!」
「カンナなら言うと思ったよ」
「なんですって…………あっ!」
《ブレイン・バースト》のインストールが完了したようだ。カンナは目の前を踊る炎の渦を見て目を丸くしているみたいだった。
「ようこそ……加速、世界へ……」
マサトは自分が読めなかった英文をカンナはたどたどしくだが読んでいく姿を見て、カンナとの学力の差が大きく開いていることをまざまざと見せ付けられた気分になる。
「えっ、これだけ? ゲームの説明は? チュートリアルは?」
驚くカンナを横目に、自分も一回通った道だと懐かしく感じるマサト。思わず微笑ましくカンナを見てしまう。
しかし、その態度にカンナはイラッと感じたらしく「教えなさいよ~」とマサトに襲い掛かってくるのだった。
「ふーん、だいたいわかったわ。とりあえず明日までニューロリンカーを外さなければゲームをすることが出来るって訳ね。
それにしても変なゲーム。製作者は一体何のためにこんなゲームを作ったのかしら?」
「さあ、それはまだ誰にもわからない。でもこのままゲームを進めていけば何らかの答えがわかるんじゃないかな?」
「ふん、なによ偉そうに。いい、マサト。このゲームじゃあなたが先に始めたかもしれないけど、私のほうがお姉さんなんですからね! そこんとこ間違えないように!」
カンナの腰に手を当ててふんぞり返るいつものポーズを笑いながら受け流し、マサトは伝え忘れていたことを思い出した。
「そうそう、みんなの話だとゲームをインストールした日はなんか変なことが起きるらしいよ。気をつけて?」
「えーっ! なにそれ、そんなことはもっと早く教えなさい、よ!」
「うぐー」
ギブアップ! マサトは心の中でそう唱えるが、もちろんカンナに聞こえるはずも無く、彼女の機嫌が直るまで怒りのネックホールド(ただの首絞め)を決められてしまうのだった。
その後カンナが病室を出たあと、マサトはこれからのことを考えた。
カンナと協力して《ブレイン・バースト》の世界を楽しむことが出来るなんてこれから面白いことになりそうだ、と。
しかし、マサトはまだ知る由もなかった。次の日カンナは覚えていない悪夢を見た腹いせをマサトで解消しようと一発かますことを決意したことを……今度はグーで殴ろうとしていることを……。
◇
時間は戻り、朝。
カンナの機嫌はサイアクだった。
いつも通りひとりで朝食を食べる。
これは父が朝早く会社に出社し、夜帰宅する時間があまり遅くならないようにしているためだと我慢できた。
学校。
朝から騒がしい男子が教卓の上に飾ってあった花瓶を割ってしまいその後始末。
花瓶の破片を片付けている最中に先生がやって来て、花瓶を割ってしまったのが自分だと最初勘違いしたためカチンと来る。
2時間目のあとの長い休み時間。
外で遊んでいたら男子が投げたボールが頭に直撃。ワザとじゃないとわかったのでやり返すことも出来ずイライラ。
お昼ごはん。
給食に嫌いなにんじんのグラッセが出てくる……
放課後。
この鬱憤をマサトに……、と考えながら急いで帰宅しているとバスの定期券を学校に忘れてしまったことを気付く。しかたなく来た道を戻る。
そして……。
まるで耳鳴りが数十倍酷くなったような高周波の音がカンナの耳を突きぬけ、世界が一変していく。
――《加速世界》
カンナは今までニューロリンカーのグローバル接続を切っていなかったが、対戦を挑まれ無かったので《ブレイン・バースト》のことをスッカリ忘れていた。
しかし、世界が変化すると同時、自分の姿さえ変わった時。昨日マサトから聞いたことを思い出した。
『相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲームだからね』
相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲーム
相手を直接殴って……。
カンナの堪忍袋はもうすでにパンパン。そこに差し出された合法的に殴れる相手。
そこまで思い立った途端、ニヤリと実に綺麗な笑顔を浮かべるカンナだった…………。
◇
「マサト!」
「あ、カンナちゃん。いらっしゃい」
「このゲーム結構面白いわね、なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」
「ええー! もう戦っちゃったの? 昨日言ったよね、ネットにグローバル接続してたら他のBBプレイヤーから襲われるって」
「聞いたわ、でも……そんなことしたらお母さんとお父さんが心配するじゃない……」
「あ……」
マサトはカンナが『育児補助プログラム』によって常に両親に位置情報を送っているということを聞いたのを思い出した。それは普段は会えないけれど確かにつながっているという絆の証明なのだ。
「……ゴメン、カンナちゃん」
「別にいいわ、お蔭でスッキリしたし。……それに、マサトの方が寂しい思いしてるの知ってるしね。
……それより、ゲームの話よ! わたし、初戦闘で勝利してきたわ! しかも私のアバターって結構珍しいみたい!」
「へぇー」
カンナはいつものように身振り手振りで相手を千切っては投げ、千切っては投げと解説していたが、カンナの興奮とは裏腹にマサトとしてはそこまで驚くことではなかった。
初戦闘初勝利、レアアバターはマサト自身もそうであったから。
しかし、そのマサトの態度は気分のいいカンナに水をさすものだったとは気がつかなかった。
そしてカンナは思い出す。朝、目覚めが悪かった時に決めたことを。
初戦闘の興奮で忘れていたのに、マサトのせいで思い出してしまったのである。
「なによ、気の抜けた返事して! いいわ、対戦でわたしの強さをわからせてあげる!」
「ええ!? 対戦するの?」
「なに当たり前のこと言ってんの、わたしは朝マサトに一発かますって決めてたんだから! さあ、いくわよ!
《バースト・リンク》!」
レベル3のマサトと昨日《ブレイン・バースト》をインストールしたばかりのカンナ、果たして勝負になるのだろうか……。
マサトの甘い考えはすぐさま打ち砕かれることとなる。カンナのいう“レアアバター”の力によって――
作者設定
・カンナの夢
これはとある神話を真似して作りました。カンナが子供のころ絵本『古事記』を呼んで無意識に自分と重ねてしまった。という設定。