「ちょっと、兄さん!」
「大輔くん……急にどうしたの……?」
部室に鍵をかけると、予想通り連れてきた二人は事態を飲み込めなかった。
そんな二人に、先ほど聞いた話を説明する。
「えっと……それは、どういうこと?」
「……俺が推測するに、歓迎会の費用については、茨木が一人で用意したものだ」
「えっと……なんでそんなことをあの子が?」
「……わからない。だけど、前に偶然茨木が働いてる温泉で鉢合わせたことがあって、そのときにあいつ、進路を親に認めさせたいって言ってたんだ……」
「……っ!」
「だからバイトをしてるって言ってたんだけど……なにか、あったのかと思って。……二人とも、茨木について何か知らないか!」
……胸騒ぎがする。
なんだか、手掛かりだけは周りじゅうに転がっているのに、それがなかなか結びつかない。
……と、俺が妙な焦りを覚えていたときだった。
「……あのさ、兄さん」
ほたるが、神妙な顔で口を開いた。
「……小学生のときのこと、覚えてる?」
……急に、何を言い出すんだ?
一瞬そう思ったが、彼女の真剣な顔を見ると、どうもふざけているわけではないらしい。
「ええと……何についてだ」
「……私たち、小学生のときはまったく口を聞かないような関係だったじゃん……」
「……っ、あ……ああ」
……そうなのだ。
俺とほたるは、小学生のときは仲が悪かった。
きっかけは、双子の妹がいることに対しての恥ずかしさから俺がほたるを拒絶したことだったが、彼女もその態度に反発して距離をとってきた。
……それから、ある事件までは同じ家にいるにも関わらず疎遠だったのだが……。
今、なんでその話を……?
「兄さん、私と一緒にいないとき、誰とよく遊んでたかおぼえてる?」
「えっ……確かに誰かと遊んでいた気はするけど、誰だったか……」
そう、誰かと遊んではいた。
よくそいつに話しかけて、仲良くなって……あれ?
でも、俺はそのあと、友達なんて一人も……?
「……兄さん、ここで一つ、私と糸からも話があるの」
「……ぇ」
「……その、兄さんがよく遊んでた小学校の同級生の名前はーー立花薫」
「…………っ……ぁ」
……思い出した。
確か、あいつって……。
……その頃、茨木薫は山へ向かって歩いていた。
下水処理場を下り、川沿いをゆっくりと歩く。
……しかしその顔に生気はなく、憔悴し切っていて、まるで死霊のようであった。
ーー彼女は、英雄について考える。
彼女は過去に一度、その英雄に助けられたことがあったのだ。
小学校四年生の夏、立花薫は蛍原兄妹の通う小学校へと転校してきた。
……先生は引っ越しとしか伝えなかったが、原因は母親によるもの。
両親が別居中だった薫は母親と二人で暮らしていたが、母親が彼女やその弟の世話をやくことなど一度もなく、いつも五百円玉を机に置いては夜な夜な男遊びに耽っていた。
そんな日々が続いたある日のことだった。
薫の母親は、自分の新しい彼氏に縁を切られてしまった。
相手が既婚者であることは彼女も承知のうえであったが、こうも明確に拒絶されてしまうとは。
……自分だって既婚者で、彼に身も心も捧げて来た。
いずれ今の妻とは別れるという彼の言葉を信じて、今まで彼に抱かれ続けてきた。
……それが、こうもあっさり。
自分の意思なんて、通じなかった、聞いてくれなかった。
私は……なんのために……?
彼女は、溺れるように酒を飲んだ。
彼からの手切れ金は受け取らずに叩きつけて来たため、所持金は少ない。
彼女は、安い酒を水のように喉に通し、自身の感覚を麻痺させていった……。
翌朝彼女が目覚めると、目の前に広がるのは凄惨な情景であった。
泥棒でも入ったのかというほど荒れ果てた自室、そして血みどろの娘、息子。
……二日酔いと、血のむせ返るような臭いで頭痛がした。
(こ、これは一体……?)
彼女は、恐怖した。
これは自分がやったと、確信できる要素があったから。
……娘、薫のボロ雑巾のように破けた服の隙間から、火傷の跡が見える。
そして、床に転がっているのは彼女が愛飲していた、あまり人気のない煙草の吸殻。
そんな光景を見てーー彼女は、再びワンカップの焼酎を開栓し、一気に煽った。
……彼女は、獣のように雄叫びを上げた。
こんなはずじゃなかった。
こんなにもあの人に捧げて来たのに……。
……それでも尚、考えるのは元彼の事ばかり。
子供たちになど、意識は向いてなかった。
……その日から、彼女の子供たちに対する虐待の日々が始まった。
生活のために身体を売り、ストレスで子供たちに拳を振るう。
自分の子供たちが、悪の根源であるかのように、毎日……毎日。ひたすらに暴力を振るった。
そんなある日、彼女に、新しい彼氏が出来た。
碌でもない走り屋の男だったが、そのワイルドさと風貌を彼女は気に入り、アプローチをかけた。
彼女は既に離婚をしていたため、結婚も視野に入れて交際を始めた。
当初、薫は期待と、一縷の不安を抱えていた。
期待は、母親が前のように暴力を振るわなくなるかもしれないという期待。
不安は、その彼氏まで一緒になって自分や弟に暴力を振るうかもしれないという不安だった。
……しかし、薫の考えはどちらも間違っていた。
薫の母親は、恋人に依存するタイプだった。
……なんでかんで理由をつけ、暴力の対象としての必要がなくなった子供たちを、自分の親のところへ預けたのだ。
……と、こういった経緯があって、立花薫は大輔の通う小学校へと転校してきたのだった。
薫は、虐待を受けている間、小学校には通えなかった。
……もしもこの子達を誰かに見られたら、自分の立場はどうなる?
そう考えた母親は、娘たちは別居している旦那に預けてあることにして、薫たちを学校へは通わせなかった。
そのため、薫は同級生というものを怖がっていた。
……自分は、愛されていない。
他の子供たちと違って、愛されて、いない。
……そのことが自分の中に強くあり、そのことを何故か「他人と違う自分」ととらえ、他人と自分を一緒にして欲しくないという気持ちが強くなった。
そして、他人との交流を極度に避けるようになる。
……転校してから初めての休み時間、彼女の席は同級生たちに取り囲まれていた。
「ねえねえ、かおるちゃん、かおのけがはどうしたのー?」
「かおるちゃんって、どんなたべものがすきー?」
「まえのがっこうはどんなだったのー?」
……悪気なく掛けられる言葉全てが、彼女を蝕む刃のようであった。
怪我は、虐待による傷。
食べ物なんてコンビニのおにぎりを適当に与えられるか、食べられなかった。
それに、前の学校についてなんてほとんど覚えていない。
「……」
質問を一気に受けた彼女は、涙目で囲いの人混みを掻き分け、廊下へと駆けた。
そしてより一層塞ぎ込んだ彼女は、空気を読めない付き合いづらい奴であると周囲に印象付け、どんどん蟻地獄のように孤独になっていった。
続く