日常部へ、ようこそっ!   作:雨宮照

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橋にて。

ただひたすら、俺はあの橋へと向けて全身を動かす。

部室に鞄を置いてきたことも幸いし、身体はすこぶる軽快だった。

ただ、頭だけが追いつかない。

二人から茨木の過去を聞いているあいだは、なんだか別世界で起こっていることを聞かされているような気がして。

……今、こうして人の死というものに直接触れてみて、考えてみて、頭が追いついていかないのだ。

なんだか、走っているうちに気分が急激に沈んで来た。

……なんだか、絶対に有り得ないはずなのに、茨木よりも俺の方が死にたくなってきたような気がする。

今までの生き方が分からなくなったというか、今までの人生を全て投げ出して、この世に別れを告げたいというか。

……クソ、我ながら自分の感情が理解出来ない事だらけで、理性がショートしそうだ。

次第に、辺りに靄が掛かってきた。

早朝という訳でもなく、夜が更けた時間帯でもない。

こんな雰囲気は本来気持ち悪いものであるが、俺が気に留めることはなかった。

あと二分も走れば、例の橋に辿り着く。

ああ、死にたい。

この感情は何なんだ。どうして俺が生きることを阻むんだ。

辺りの靄が思考にも影響を与えたのだろうか、どんどんと苦しくなって行く。

そんな正体不明の暗闇で藻掻き続けているうち、俺は橋に辿り着いた。

ふと携帯を見ると、ほたるからメッセージが届いていた。

『兄さん。中学生のとき、私の事助けてくれたの覚えてる? ……そのときみたいに、優しく、優しくねっ』

 

……大輔は中学時代、頭が良すぎて虐められていたほたるを助けたことがあった。

なんだか、このメッセージを見てその事を思い出して、自分の生き方にも有意義な部分があったんだと、精神を少し落ち着かせることが出来た。

 

気持ちを改めて前方を見やると、橋の中心では我らが部長がぽつんと一人、座り込んでいる。

「……おい」

俺は、茨木に声を掛ける。

「…………」

茨木は、黙ったまま答えない。

「…………どうして、死のうとした?」

問い掛けると、彼女はゆっくりと顔だけをこちらに向けて。

「……どこまで知ってるん」

「……だいたい糸ちゃんから聞いた。それと、思い出した」

「……そう」

そう言うと、彼女は訥々と語り始めた。

 

彼女がクラスで大輔を見つけて話し掛けたとき、小学生時代に趣味が似通っていたことを懐かしく思い、やっているアプリを聞いて始めてみたこと。

大輔が自分の弟についての噂を知らないという事態に戸惑ったものの、それによって大輔の人への無関心さが変わっていないことに気付き、懐かしさを覚えたこと。

そして、大輔が自分の境遇について知る前に資金を集めて、一刻も早く児童養護施設から自立したかったこと。

しかし無理だと分かって絶望したこと。

保育実習のとき、親の愛情も子供との遊び方もわからず、その上虐待の傷が痛んでドッヂボールの最中にうずくまってしまったとき、自分の存在について一晩中悩んだこと。

そして、自立するための資金だったバイト代を全てつぎ込んで、最後のパーティーを開いたこと。

 

「……で、最後になるんだけど……私がずっと死にたかった理由」

……俯いて、長い髪で顔を隠した茨木はどんな表情をしているのか分からない。

長い髪の間から紡がれたものは、氷で出来た針のような、今にも凍てつきそうな言葉だった。

「……あたし……、あの女の娘なんよ」

……ああ、そうか。

「……あたし、明を殺した女の血を引いてるんよ」

……彼女を苦しめていたのは、母親との切り離せない繋がりなんだ。

「あたしは、あいつの血を引いてる。弟を殺した女の血が流れてる。それに、私が小学生のとき死んでいれば弟は死ななかったかも知れない。苦しい思いをすることはなかったかも知れない……っ! それに!」

嗚咽交じりの悲痛な咆哮。

「あたしは、生きたいんよっ……」

 

「さっきも、ここから何度も飛び降りようとした。死のうとした。……でも、出来なかった……。だって、楽しかったから! みんなを悲しませたくないから! ……こんなこと思っちゃいけない立場なのに、そんなこと思っちゃいけない身分なのに! なんで……今、こんなにも生きたいと思っちゃうん……っ?」

茨木は、慟哭交じりに吼え続けた。

……へたり込んでいたのはそういうわけか。

 

俺は、泣いている薫に近付く。

近寄りながら、手を差し伸べる。

「……なに甘えたこと言ってるんだよ。俺が助けた命だぞ! それに、弟の分まで生きろよ! なに……甘えたこと言ってんだよ!」

……優しく、優しく。

ほたるはそう言っていたけれど、今の俺は何故だか不思議と怒りが収まらなくなっている。

「……もっと仲間を信用しろよ、信じてくれよ! お前が闇の中に囚われている限り、俺は何度だってお前の手を引いてやるんだ。お前がいない世界なんて……俺たちにとっては無いのと同じなんだよっ!」

……俺は茨木の手を引いて立たせながら、なおも叱り続け。

「今お前がやってることは……こういう事だっ!」

茨木の手を離すと、橋の奥から思いっ切り助走をつけて、橋の上から盛大に飛び降りた。

 

続く。

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