魔法少女まどか☆マギカ [別編]~再臨の物語~(第3部) 作:マンボウ次郎
「まどか……あなたが終局の願いを告げて、この世を去ったのはどれくらい前だったかしらね」
ほむらの憶えている時間で、半年前?
「だいたい、半年ってところかしら」
自分で、そう答えた。
「どうしたんだよ、ほむら。早くやりなよ」
後ろで杏子が急かしている。
ほむらがやろうとしているのは、グリーフシードの転生を応用したまどかの再臨。
持ち主の消えたソウルジェムは、空っぽの魂の器。
そこにまどかの魂を宿し、再び魔法少女としてこの世に戻す……というのが、元々のほむらの狙いだった。
ヒビ割れた螺良あかねのソウルジェムは、まだグリーフシードに成っていない。
魂の器という意味では同じなので、それはどちらでも構わないのだが、
「いいえ、何でもないわ。さあ、そのソウルジェムを私に」
と言って、まどかから白いソウルジェムを受け取った。
ジェムはヒビ割れ、その中からは漆黒が覗いて見える。
ほむらはそれを受け取ると
「ありがとう」
と小さく呟いた。
そして
「これで私が辿ってきた永遠の物語は、終わりを迎えるわ」
と言うと、白いジェムを指輪の形に変え、自分の右手中指にはめた。
「え?」
あの時、杏子も見ていたグリーフシードの転生とは、何かが違う。
グリーフシードに時間遡行の魔法をあて、時を遡り、魂を移し替えるのでは
「そうじゃないのか? ほむら……お前、一体何を?」
「杏子、あなたはいつも強いわね。どんな逆境も諦めず、道を切り開く。あなたはやっぱり、誰よりも魔法少女に相応しい」
ほむらは何かを思うような目で、杏子を見ていた。
今までにないほど穏やな眼差しで、優しく言葉をかけた。
「どうしたんだよ、らしくないじゃん」
杏子は少しはにかんだように表情を緩めて答えた。
「美樹さやか」
ほむらは振り返って、今度はさやかを見た。
「あなたの言葉がまどかに届いた。思い込みが激しくて不器用だけれど、行動力と勇気があるあなたは、彼女にとって必要な人」
「な、なによ転校生。そんなお別れみたいな言葉……」
確かにほむらの言葉は、まるで別れの挨拶のような、最後の言葉のような、そんなふうに聞こえた。
「まどか」
そしてほむらは再びまどかに向いた。
一歩、また一歩、足を進ませて近づき、そのまま両手を広げて、まどかに抱きついた。
その手に、力いっぱい抱きしめた。
「ほむらちゃん?」
もう、涙はなかった。
記憶が映すまどかのまぼろしを抱きながら、その温もりを身体で感じながら、ほむらは魔力を開放した。
八咫の盾に魔法の力が伝わり、内部の歯車が回転する。
キーンという小さな音を立てて、歯車の回転が速度を上げる。
空間がゆがみ、時空に歪(ひずみ)が起こった。
「大丈夫よ、まどか。あなたが心配することは何もない」
ほむらの時間遡行魔法の発動。
ある一点に集中して時を遡る、天生目ゆう子を魔法少女にしたグリーフシードの転生と同じ要領。
「あなたの受け止めた呪いは、もうどこへも行かない」
しかし、いま時空を超えているのはグリーフシードでもない、ソウルジェムでもない。
ほむらの魔力は、まどかを包んでいた。
「すべての呪いは、私ひとりで引き受ける」
ほむらは両手でまどか手を握った。
ふたりの間で、胸と胸の前で、優しく指を絡ませた。
「ほむらちゃん、何を……?」
ほむらの左手の甲にあるソウルジェムが、みるみる黒ずんでいった。
これは、時の魔法を使うことによって穢れが増しているのではない。
ほむらの心が絶望で澱んでいるのではない。
「はっ! もしかして‥‥‥!?」
ほむらは、まどかが抱えるすべての呪いを受け取っていた。
自らのソウルジェムに移し替えることで、まどかのソウルジェムを浄化していた。
まるで、グリーフシードで穢れを吸い出すように。
「やっと……やっとあなたの力になれた。あなたに守られる私じゃなくて、あなたを守る私になれた」
「ダメ、ほむらちゃん!」
眩しい光が風のように舞い、ふたりを包む。
ほむらの魔法で遡った時間は、ちょうど半年。
それはまどかが終局の願いを告げる直前。
かつてワルプルギスの夜を前に、ほむらが力尽きようとしたその時まで、まどかの時が遡った。
その姿は、絶望の魔女でもない、女神の姿でもない、ひとりの人間の少女。
まぼろしでもない、概念でもない、魔法少女でもない、元の鹿目まどかの姿。
出会った頃の、まどかの姿。
その姿を再び目にしたほむらは、これまでにない笑顔がこぼれていた。
「これでもう、あなたは魔法少女にも、魔女にもなることはない。もうひとつの約束も果たせた」
鹿目まどかの再臨で、円環の理が消える。
世界を構築していた理(ことわり)が消滅する。
「あ、空が……!」
杏子が夜空を見上げると、無数に輝いていた星たちが一斉に降り注いでいった。
鹿目まどかの願いのもと、安息の導きを受けていた星たちは、その概念を失い、流星群となってこの世に戻っていくのだった。
「綺麗……」
さやかの目に、ゆう子の目に、涼子の目に、涅槃の空間に立つすべての魔法少女の目に、美しい星の雨が映った。
星たちは涅槃の足元を越え、元の時代、元の場所、元の時空へと戻っていく。
呪いを浄化され、希望という輝きを放つ星々は、またどこかで祈り続ける。
もう二度と魔女にならぬよう、絶望の連鎖を繰り返さぬよう、少しづつ大人になっていくのかもしれない。
円環の理の終焉を見届けたほむらは、絡まる指をスルリと離した。
まどかの細い指と指の間から、ほむらの指がゆっくりとすり抜けていく。
「さあ、まどか。みんなのところへ」
そう言うほむらの左手は、小刻みに痙攣しているようだった。
星の雨は止み、あたりは薄暗い空間に包まれている。
ほむらは一歩、足を後ろに引いた。
「ほむらちゃん……もしかして、初めからそのつもりで……?」
まどかは一歩、足を前に出した。
「ええ、そうよ。円環の理が消えれば、魔女が産まれないというルールも消える。そうでしょ?」
ほむらはまた一歩、足を後ろに引いた。
それは確かな足取りとはいえない、よろめくように、引きずるように。
ほむらの左手が、ビクンと大きく震えた。
「あなたはもう魔法少女ではない。私の魔法で、キュゥべえと契約する直前まで戻っている。だからあなたは生身の人間」
まどかが身に付けているのは、見滝原中学の制服。
契約の直前、ワルプルギスの夜の襲来で避難していた時のまま、あの時のまま。
ほむらはさらに一歩、後ろにさがった。
それに釣られてまどかも足を踏み出そうとすると
「まどか!」
少し強い口調でほむらが静止する。
「物語はまだ終わっていないの。最後にあなたを傷付けたくない、だから……お願い」
「ダメ……待って、ほむらちゃん」
ゾワゾワっと、強風を受けているようにほむらの長い髪だけが大きくなびいた。
左手の痙攣が徐々に激しくなり、そこから黒い波紋が広がっていく。
杏子とさやかがその異変に気付いたのは、ほむらの左手が高く掲げられている時だった。
見えない何かに引っ張られるように左手が持ち上げられ、手の甲にあるソウルジェムが黒く輝く。
杏子もさやかも、思わず金縛りにあったようにおののいた。
邪悪な気配というか、今まで感じたこともないくらいの魔力の波動が、他の魔法少女たちをも襲う。
「ひっ!」
「うわっ!」
力の弱い魔法少女は、その魔力の波動を感じただけで身体を硬直させ、頭を抱え、悪寒に震え、身動きも取れないほどに伏せってしまった。
「なんだ、この魔力は……?」
ビリビリと伝わる魔なる気に、杏子も身体が震える。
「ちょっと転校生? これは何の冗談だってのよ」
さやかもそこに立っているのがやっと、といった感じで苦しい笑みを浮かべる。
生温かい風が足元に吹き始め、それはほむらの方に向かって流れていった。
透明な風はやがて色濃く、黒いつむじ風を形成し、ほむらの服をなびかせる。
ほむらの左手に揺れる魔力の波紋は、次第に強く、大きく、激しく、身体の全体を覆い始めた。
「まどか、あなたに出会えて私、幸せだった。病弱で気弱な私が変われたのは、あなたのおかげだから」
「ほむらちゃん!」
まどかが手を伸ばし、ほむらに近づこうとすると、杏子が後ろから肩を掴んだ。
並みの魔法少女では動けなくなるほどの魔力の波動を浴びながら、まどかを止めた。
「まどか、近づいちゃダメだ」
「でも、ほむらちゃんが……ほむらちゃんが!」
目にいっぱいの涙を浮かべ、それでもほむらに手を伸ばそうとするまどかを、今度は横からさやかが止めた。
「お願い、杏子ちゃん、さやかちゃん! ほむらちゃんを止めて! ほむらちゃんのソウルジェムは……」
「ああ。穢れが……溢れる」
ほむらのソウルジェムに、ピシピシと亀裂が走った。
細かい破片がこぼれ落ち、黒い揺らめきが舞う。
まどかの抱えていたすべての呪いを引き受けた魂の宝珠が、その穢れを開放する。
「まどか」
ほむらは左手のジェムから視線を移して、まどかを見た。
「ありがとう。そして……」
ほむらの目はとても安らかに、愛おしくまどかを見つめていた。
そして最後に、とても嬉しそうに微笑みながら言った。
――さよなら
続く