魔法少女まどか☆マギカ [別編]~再臨の物語~(第3部)   作:マンボウ次郎

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魔法少女まどか☆マギカ 別編~再臨の物語~(最終話)

「なんてこった。こんな終わり方ってありかよ」

 

杏子が見上げる時空の裂け目は、いよいよ威力を増し、何もかもを吸い込もうとしている。

此岸の魔女という絶対の存在を前に、誰も何もできない。

片手にまどかを掴んだまま、平然と、悠然と君臨している姿に、抗うことはできない。

 

「ほむらちゃん……これがあなたの望んだ結末なの? これがあなたの願いなの?」

 

まどかは、此岸の魔女を見つめて言った。

もしこのまま此岸の魔女が手を離せば、まどかはたちまち時空の裂け目に吸い込まれてしまうだろう。

 

いや、まどかだけではない。

杏子もさやかも、他の魔法少女たちも、いずれ力尽きてあの暗闇に堕ちていく。

それは火を見るよりも明らかだった。

 

此岸の魔女は帽子を目深にかぶっているので、顔が見えない。

何を見ているのか、何を考えているのか、何をしようとしているのか、それはまどかにも分からなかった。

 

「もう、戻れないの?」

 

一度魔女になってしまえば、もう戻る術はない。

分かっていても、口にせずにはいられなかった。

 

「もう、一緒に過ごすことはできないの?」

 

魔女には、言葉など届かない。

世界を、宇宙を滅ぼしえる存在となってしまったほむらには、まどかの言葉は届かない。

 

「お願い、ほむらちゃん……戻ってきて。もう一度、あなたに逢いたい。もう一度、あなたとの時間をやり直したい。もう一度……ほむらちゃんの顔が見たい!」

 

まどかの目には涙が溢れていた。

悲しみが心の痛みのように走り抜け、それでもどうすることもできない自分に憤りを覚えながら、声を枯らして叫んだ。

 

「ねえ、キュゥべえ! 私、魔法少女になる! だから願いを叶えてよ!! ほむらちゃんを元に戻して! ほむらちゃんを助けて! ほむらちゃんに逢わせてよ!」

 

「バ、バカなことを言ってんじゃねえ! それじゃ何も変わらないじゃないか!」

 

「杏子の言うとおりだ。君が、君自身の魂をソウルジェムに変えたとしたら、また同じことの繰り返しだよ」

 

「でも、それじゃほむらちゃんが……みんなが……」

 

その時まどかの目に、いや、まどかの脳裏に、ほむらの笑顔が見えた……ような気がした。

それは此岸の魔女などという禍々しいものではなく、確かに暁美ほむらの、暖かい笑顔が見えた気がした。

まぼろしか、記憶の欠片か、ほんの一瞬だけの出来事。

 

「ほむら……ちゃん……?」

 

此岸の魔女はまどかを掴んだ左手をゆっくりと下ろし、まどかの足が地に付くところに止めた。

見上げるまどかと、魔女の顔が向き合う。

目深にかぶった三角帽子の中に、魔女の目が垣間見えた。

 

その目は、まるで暁美ほむらの目そのもの。

まぼろしではないほむらの目が、優しい眼差しを向けていた。

 

「おい、まさか……そんなところにまどかを降ろすつもりか!?」

 

突き刺した槍にしがみつきながら耐えている杏子のすぐ先で、此岸の魔女は手を離そうとしている。

あんなところに放り出されては、すぐに時空の裂け目に吸い込まれてしまう。

 

杏子は咄嗟に魔力を開放し、赤い菱形の文様をいくつも繋げた魔法の結界を生み出し、それを長くつなげて一本の鎖のように伸ばした。

そして結界の鎖をまどかの腕に絡ませると、そのタイミングを計っていたかのように此岸の魔女は手を離す。

 

「ほむらちゃん……何を?」

 

次の瞬間

 

此岸の魔女はフワっと浮き上がったかと思うと、巨大な身体が舞うように時空の裂け目に吸い寄せられた。

裂け目は、真っ暗な口を開けて此岸の魔女をその中へといざなう。

人も、星も、光も、何もかもを飲み込んでしまいそうな闇の入り口に、暁美ほむらは小さく消えていった。

 

まどかは叫びながら手を伸ばし、その姿を追いかけようとするが、反対側の腕は結界の鎖でつながれている。

 

手は届かなかった。

 

声も届かなかった。

 

此岸の魔女が、すべてを飲み込む闇の中へと消えていくのを、ただ目で追いかけるだけだった。

 

やがて時空の切れ目は、静かにその口を閉ざしていく。

吹き荒れる嵐は止み、風も時間も言葉も消えたような静寂が涅槃の空間を支配した。

 

「ほむらちゃん、どうして……どうして……」

 

まどかも杏子も、さやかも他の魔法少女たちも、みな無事だった。

誰一人として、此岸の魔女に傷付けられることもなく、時空の裂け目に飲み込まれることなく、今は静かに空を見上げていた。

 

「アイツは、自分の意思で決着をつけたんだな」

 

「杏子ちゃん?」

 

「まどかを呼び戻すことも、すべての呪いを断ち切ることも、そして最後に自分の行く末も、見越していたのかもしれない」

 

杏子は突き刺さった槍を引っこ抜くと、それを肩に背負ってから辺りを見回した。

 

「みんな、助かった。誰も犠牲にならなかった。アイツのおかげでな」

 

「でも、こんなのおかしいよ。ほむらちゃんが、ほむらちゃんだけが消えてしまうなんて……」

 

まどかは顔を伏せ、掌で口を覆いながら、嗚咽を漏らした。

ポタポタと涙が垂れ落ち、足元を濡らす。

かつてほむらの部屋だった白い床に、悲しみの雫が広がった。

 

「そうだな。アイツだけが犠牲になるなんて、あたしだって納得いかないさ。本当は、誰もが幸せなハッピーエンドじゃなきゃいけなかった。正直……悔しいよ」

 

そう言って杏子は目を閉じた。

これまでずっとほむらと行動を共にしてきたからこそ、杏子もハッピーエンドを目指していたはずだった。

 

「でもアイツは選んだ。まどかを生かし、その因果を自分で背負うこと選んだ。まどかの幸せが自分の幸せだと確信したからこそ、この結末を選べたんだ」

 

「もう、逢えないんだね……」

 

「はは、そんなことはないさ。見なよ」

 

振り返った杏子たちの後ろには、美樹さやか、天生目ゆう子、涼子、そして他の魔法少女たちがふたりを見ていた。

 

「あんたもあたしも、ここにいるみんなが、ほむらが生きていた証さ。みんなの中に、ほむらは生きている。みんながほむらを想って、これから生きていく。そうじゃないかい?」

 

「……うん」

 

「これから大人になって、泣いて、笑って、恋をして、ずっと生きていく中で、ほむらも一緒に生きていく。誰もあいつを忘れたりしない。あたしたちは、いつもどこかで心が繋がってるんだ」

 

だから……

 

「また逢えるんじゃないかな。……そうだろう? キュゥべえ」

 

思いがけず言葉を振られたキュゥべえは、白い耳をヒョコっと動かせた。

 

「君たち人間の感情というものには、いつも驚かされる。人の死に感情を動かし、人の生に想いを馳せる。心の中に人が生きるなんて、僕たちの思考にはないからね」

 

「ちぇっ、相変わらず面白くないやつだなぁ」

 

「でも……そういう思考を持てることは、少し羨ましいのかもしれないな。ところで、まどか」

 

赤い目をパチリとしてから、キュゥべえ歩き出した。

小さな四肢を繰り出しながら、ヒョコヒョコとまどかのところに来ると

 

「僕の役目はここまでにしておくよ。特に君は、僕たちの制御できる範疇を超えていた。危うく、この宇宙そのものを消滅させてしまうところだった」

 

それは、暁美ほむらによる時間の連鎖が原因ではあったけれど……と、キュゥべえは付け加えて

 

「君にしても、暁美ほむらにしても、これ以上人間の感情に関わり過ぎるのは危険だと分かった。だから、お別れを言うよ」

 

惜別の言葉とは思えないほど、あっさりと、淡々と言った。

 

「どこかに行っちゃうの?」

 

ようやく落ち着きを取り戻したまどかは、少し驚いたように答えた。

 

「もう君たちに関わるのは止めておくよ。僕たちの本来の目的も大事だけど、それ以上にリスクが大きすぎた。それに……ひとつ、やらなければならないこともある」

 

「やらなければならないこと?」

 

「そうさ。物語の終幕は、まだ済んでいないからね」

 

そう言ってキュゥべえは、涅槃の空を見上げた。

輝く星たちはすべて地上へと落ち、今はただ暗闇でしかない空を見上げていた。

 

「またいつもの、詳しい事は内緒です、ってやつか」

 

キュゥべえの相変わらずな物言いに杏子は辟易とするも、それは慣れたものだった。

 

「君たちは、君たちの世界に帰るといい。天生目ゆう子の能力があれば、みんな元の世界に戻れるはずだよ。ここにいる少女たちは皆、君たちと同じ世界の住人だ」

 

流星となって落ちた少女たちも、それぞれ自分の世界に戻っているはずだ、とも言った。

 

魔法少女たちは、これからも戦わなければならない。

やがて魔女となり、絶望をまき散らす者が産まれてしまうかもしれない。

希望と等価値の絶望が待ち受ける将来を、戦い抜かなければならない。

 

「でも、それが君たちの選んだ道だ」

 

キュゥべえの声は、テレパシーとしてすべての魔法少女に聞こえていた。

みんな、不安はある。

恐れもある。

 

しかし、これからの未来は誰にもわからない。

 

「そうだろう? 杏子」

 

「ああ、そうだな」

 

そして魔法の使者であるインキュベーターは、最後にこう言い残した。

 

「この結末は、誰のものだったんだろうね」

 

と。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

ここは暗闇。

 

光も音も、時間でさえも遮られた世界。

 

誰にも見えない、誰にも触れられない、誰にも干渉されない世界。

 

そこでただひとり、彼岸に拠る少女の前にインキュベーターは現れた。

 

「まさか自らの意思で決着をつけるとはね。驚いたよ」

 

「……」

 

「まどかの受け止めた呪いを、そんなふうに処理するなんて。よくも考え付いたものだ」

 

「……」

 

「人間の感情が成せる、究極の所業とでもいうのかな。僕たちには決して理解できないことだ」

 

「……」

 

「君の描いた物語は、おおむね筋書きどおりだった。そういうことだろう?」

 

「……ええ」

 

「天生目ゆう子の祈りは、想定外だったけどね」

 

「……」

 

「ところで……君は自分がどういう存在なのか、理解しているのかい?」

 

「……」

 

「君はすでに、神をも超えている。君の抱える力は、あまりに強すぎる。これがどういう意味かわかるかい?」

 

「……ええ」

 

「これだけ膨大な因果、強すぎる感情エネルギーは、この世の理を、宇宙の法則を乱すだけじゃない。この宇宙のすべての生命体を滅ぼしかねない。そんな存在が彼岸から見下ろしているなんて、僕たちのテクノロジーをも根底から覆すほどだよ」

 

「……その根底、壊してみせましょうか」

 

「それは……君が望むなら、ね」

 

「……いいえ、嘘よ」

 

「そうか。なら、君と取引をしたいんだ」

 

「……」

 

「これまでの君のすべてを無為にしてもう一度、自分の世界に戻るつもりはないかい?」

 

「……どういう、意味かしら」

 

「物語の終幕は、まだ済んでいない。君の描いたエピローグに、僕たちが少しだけ干渉したいってことさ」

 

「……」

 

「このままエンドロールを迎えるよりは、君にとっても望むべきことだと思うけど」

 

「……」

 

「お互い、有益な話じゃないかい?」

 

「……そうね。で、どうすればいいのかしら」

 

「最後のソウルジェムを使うといい。君にしかできない、グリーフシードの転生を当てるんだ」

 

「……」

 

「君は最後まで、螺良あかねのソウルジェムを使わなかった。今も右指に付けたままなんだろう?」

 

「……ええ」

 

「まったく、不思議な因果だね。そのジェムは僕たちを滅ぼそうと企み、また今でも僕たちを滅ぼしえる」

 

「……」

 

「そのソウルジェムに、君の魂を宿すんだ。君の力なら、造作もないことだろう?」

 

「……そうね」

 

「そうして、君の世界に再臨するといい。君の還りを待っている子たちのもとに」

 

「……どうして、そんなことをさせるの?」

 

「言っただろう? 今の君の存在は、僕たちにとって脅威でしかない。いや、僕たちだけじゃない。この宇宙のすべての生命を脅かす存在だ」

 

「……」

 

「僕たちの存在意義と、君の存在理由、どちらにも折り合いがつくと思わないかい?」

 

「……そうね」

 

「ただし、代価は必要だ」

 

「……」

 

「すべてを忘れるそのソウルジェムで、過去の記憶も、まどかへの想いも、すべてを忘れて再臨するといい。それが君が受け入れるべき条件だ」

 

「……つり合いが取れてないわね」

 

「これでもかなり譲歩しているつもりだけどね。君がその力で世界を滅ぼそうというのなら、止めはしないよ」

 

「……いいえ、飲むわ」

 

「そうか。やっぱり君は話の分かる魔法少女だね」

 

「……魔法少女、ね」

 

「それから、もうひとつ。すべての記憶を忘却の彼方に消し去ることになっても、命の記憶だけは残されるはずだよ」

 

「……あら、あなたらしくない発言ね。論理的でも合理的でもない」

 

「そうかもしれないね。まあ、いずれ分かるよ」

 

「……そう。それじゃ、私からもひとつお願いがあるのだけれど」

 

「それは聞くことはできないよ。なぜなら、君の願いはすでに叶っているからね」

 

「……そうだったわね。じゃあ、これは私のひとり言」

 

 

――二度とまどかの前に現れないで頂戴。次にあなたを見かけたら……

 

 

――殺すわよ

 

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「おっはよう~」

 

「まどか、おそーい!」

 

息せき切って走ってくるまどかを見つけて、さやかはイジワルに言った。

髪留めのリボンを揺らし、さやかの前まで来たまどかは

 

「遅れてごめ~ん。ママがなかなか起きなくて……」

 

いつもの日常会話を、色づき始めた木々の下で交わした。

制服に身を包み、新しい朝日を浴びながら、テヘヘと苦笑する。

 

「まどかさんは偉いですわね。毎日お母様を起こして差し上げてますの?」

 

「ひとみ~、ダメだよまどかをかばっちゃ。あたしたちはずっと待ってたんだから」

 

「あら、でもほんの数分ですわ」

 

さやかは、アハハ、そうだったっけ~? と嬉しそうに頭を掻いた。

この場でまどかを待っていたのは、ほんの数分。

短いようで長い時間。

 

「お、今日もかわいいリボン! やっぱりモテを気にする女子は、身だしなみから違いますな~」

 

「さやかちゃん、やめてよ~。それ、前にも聞いた気がするよ~」

 

「あれ、そうだっけ?」

 

3人の笑い声が、柔らかな風に乗っていった。

何事もない日常。

ごく普通の、ありふれた朝。

学校に向かう少女が3人。

 

「あら、杏子さんじゃありませんの? おはようございます」

 

並んで歩く3人を追いかけて、杏子が走ってきた。

みんなと同じ見滝原中学の制服を着て、カバンを肩にかけ、タカタカと走ってきた。

 

「あっぶねー、遅刻することろだったよ」

 

「杏子ちゃん、おはよう」

 

「な~にやってんのよ杏子。ほら、リボンが曲がってるじゃない」

 

胸元の赤いリボンは、見滝原中学生徒とひと目でわかる大きな特徴だった。

雑な結び目で適当に留められたリボンを、さやかが渋々と直す。

 

「いや~、悪い悪い。今日くらいは遅刻しちゃマズいかなぁと思ってさ、慌てちゃったよ」

 

「今日くらいって、毎日ちゃんと行きなさいよね」

 

まどかとさやかがこの世に戻り、今日は初めての登校。

いつぶりの登校だろうと、まどかは思った。

いや、そんなことはあまり気にしない。

奇跡でも魔法でもない普通の瞬間がここにある、と感じていた。

 

「急ぎましょう。早くしないと、本当に遅刻してしまいますわ」

 

じゃれ合うさやかと杏子を見て、ひとみが優しく諭した。

 

校門を抜けて校舎へ向かう途中で上級生の女生徒とすれ違うと、ひとみは軽く会釈をした。

釣られてまどかたちも頭を下げる。

 

「あら。みんな、おはよう」

 

「おはようございます」

 

すれ違いざまに目と目を合わせると、女生徒はニコっと笑い、まどかとさやかもニコっと笑った。

言葉は交わさなかった。

ただ、杏子だけはその場で立ち止まると

 

「よっ!」

 

と言いながら、女生徒に何かを手渡す。

 

「ありがとう」

 

と言って女生徒はそれを受け取ると、そのまま別の校舎の方へ歩いていった。

 

「どうしたの? 杏子ちゃん」

 

まどかは、すぐに追いついてきた杏子に何をしたのか尋ねる。

 

「いや、別に。預かり物を返しただけだよ」

 

杏子はそう答えてから、後ろを振り返った。

少し離れた所で立ち止まった女生徒は、杏子から受け取ったもので右側の髪の毛を留め直すと、またすぐに歩き出した。

 

 

朝のホームルームは、いつも早乙女先生の他愛もない話から始まる。

やれ目玉焼きは固焼きか半熟かとか、やれ結婚はどうだとか、まあとにかく授業や学校とは関係のない話を喜怒哀楽たっぷりに熱弁するのだが

 

「みなさん、今朝は先生のお話はお休みして……」

 

どうやら、今日はそれは無いようだった。

代わりに廊下のほうをチラっと見てから

 

「今日はみなさんに大事なお話があります」

 

と、なぜか嬉しそうに、ちょっとだけ誇らしげに、クラスの中を見渡した。

先生のお話はお休みだけど、大事なお話?

皆が首を傾げてしまうのを見届けてから、早乙女先生は続けた。

 

「実は……転校生を紹介したいと思います!」

 

左手を廊下の方へ差し出し、それではどうぞ! と言いたげに皆の視線を集めた。

転校生? 今時? 誰か入ってくるのか?

そんな空気を作り出した先生は

 

「うふ、新しい生徒が来るなんて、こっちまで緊張しちゃうわね」

 

ひとり言を口走りながら、まるで自分が転校生にでもなったかのように、モジモジし始めた。

しかし、教室の扉は開かない。

しかも、先生は見ていない。

 

「そういえば、私のクラスに転校生って多い気がするわねぇ」

 

まだ、扉は開かない。

が、くもりガラスの向こうには人影が映っていた。

 

「少し前に佐倉さん、その前にも誰か転校生を迎えたような……いやいや、そんなわけないわよね。気のせい気のせい……って、あら?」

 

結局、扉は開かなかった。

やっとそれに気付いた先生は、教壇からそ~っと扉のほうへ行くと

 

「もう入ってもいいのよ~」

 

と言ってゆっくりと扉を開いた。

そこには、両手でカバンを持ち、顔を伏せている少女がひとり。

 

「じゃ、こちらへいらっしゃい」

 

早乙女先生に手を引かれて教壇の横に歩いてきたのは、長い黒髪のおさげで、赤縁のメガネをかけた大人しそうな少女だった。

いかにも気弱そうな少女が、先生と並んで教壇に立つ。

まどかもさやかも杏子も、じっとその姿を見つめていた。

 

「え……?」

 

じっと見つめてから、口を開けて固まっていた。

 

「はい、それじゃあ自己紹介いってみよう」

 

先生は意気揚々と自己紹介を促し、ニコニコしながら少女の肩をポンと叩いた。

クラスの皆に注目され、少女は顔を真っ赤にして目を泳がせ

 

「あ、あの……」

 

蚊の鳴くような、かすかで弱々しい言葉を口にした少女は、それでも精一杯の声を張り上げて

 

「暁美……ほむら、です」

 

と名乗った。

その瞬間、ガタガタっと席を立って教壇に駆け寄る生徒がひとり。

 

「あらあら!? 鹿目さん? 一体どうしちゃった……」

 

赤いリボンが揺れて、その横を小さな涙の雫が舞う。

そうして教壇の机から上半身を乗り出し、暁美ほむらに力いっぱい抱きついた。

嬉しくて、涙がポロポロと溢れて、それでもやっぱり嬉しくて、笑顔が止まらなかった。

 

暁美ほむらは、何が起こっているのかわからないといった感じで困惑していた。

どこか懐かしくて温かい感触が、思い出せそうで思い出せない。

でも、何か憶えているような、夢の中で逢ったような、それは命の記憶にあるような、そんな気がした。

 

まどかは、涙でぐちゃぐちゃに濡れた頬をよせて、ようやく言葉を見つけた。

 

「おかえり、ほむらちゃん」

 

ほむらの右指にはまる指輪からは、純白の光がこぼれていた。

 

 

 


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