耳に残る目覚ましのメロディが聞こえて僕は目が覚め、ゆっくりと体を起こした。
「……今日も学校か」
目をこすりながら、今ではもう当たり前と化したことを特に意味もなく呟いた。
僕が羽丘学園に編入してから2週間が経った。授業の内容は簡単だし、これといって大変なことはない。あえて言うとするなら、隣の席の「彼」の相手をするのが少し疲れることくらい。あとは特に不自由なこともなく、僕が恐れていた事態は今のところ起きてはいない。このまま平穏な毎日が続けばいいのに。ただただそう願うばかりだ。
制服に着替えて1階へ降りると、母がちょうど弁当の盛り付けをしていたところだった。父は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。高校に行くようになってからこの光景はよく見るようになった。不登校だった時は朝の10時に起きていて、朝食を食べていなかった為、リビングに行くことがまず無かった。毎朝にリビングに行くようになり、中学校の頃のように戻った感覚だった。学生本来の日常戻ったことはいいことだと思うのだが、ほんの少しだけ寂しくもあった。
「あら、おはよう光瑠。朝ご飯、できてるわよ」
「おはよう。うん。ありがとう」
僕は食卓の椅子に座ると、母が笑みを浮かべながらこちらに近付いてきた。
「……なに? 」
「いやー、光瑠、ちょっと明るくなったかなーって」
「……別に。変わってないと思うけど」
「そんなことないわよ。高校に行ってなかった時と比べて、間違いなくいい顔になってる。せっかくこんなに可愛い顔してるんだから、マスクで顔隠さなくたっていいのにー」
「いつまでも子供扱いしないでよ。マスクが無いと学校行けないし」
いい顔になった、と言われても自分ではそんな実感はない。しかも可愛い顔してるだなんて。そういうのは本来女の子や小さな子供に言うものだと思うのだが。僕の日常は変わったが、母は相変わらずブレない。軽口や冗談が本当に好きなんだなと、つくづくそう思わされる。マスクを着けないで学校に行くことはもう無いだろう。自分の素顔を見られるのはあまりいい気分ではないし。もし隣の彼に素顔を見せたら、絶対に何か言われる気がする。
「いつまでもマスクしてると女の子からの印象もよくないぞー?私は絶対、素顔のままの光瑠がいいと思う! 」
「女の子からどう思われようが構わないよ。どうせ関わらないし」
「そのネガティブな思考は、誰に似たのかしら?」
「さあね」
母とそんなやり取りをしながら僕は朝食を食べ進めた。ふと前を見ると、父が読んでいる新聞の表面にある番組表に目が入った。なんとなく朝に放送されている番組を見てみると、「今大注目!パスパレに密着!」という見出しが書かれていた。そのテレビ番組は、今話題のものを紹介する番組らしい。少し気になった為、父の近くに置いてあるリモコンを借りた。
「お父さん、リモコン借りるよ」
「ん、ああ」
ボタンを押してテレビの電源を付け、その番組が放送されているチャンネルに変えると、ちょうどパスパレが取材を受けている場面だった。
「光瑠がテレビ付けるなんて珍しいわね。どうしたの? 」
「ちょっと興味があってね」
「もしかして、こういうアイドルが好きなの? 」
「別に好きではないけど。隣の席の人から調べろって何回も言われてたからさ、どんなやつなのか見てみるだけ」
「へー、そうなんだ」
最初からアイドルに興味はないが、隣の彼のパスパレへの愛が尋常ではない為、そんなにも人を惹きつけるのかと興味が湧いた為、見ようと思っただけである。気が付くと、密着取材からパスパレのメンバーが宣伝をするという内容に切り替わっていた。元気な女性の声が聞こえてきた。
『それでは、今大注目の若手俳優、Pastel*Palettesの白鷺千聖さんから、宣伝があるそうです!白鷺さん!お願いしまーす! 』
『はい! 今週の土曜日から、私が主人公の恋人役として出演するドラマ、恋の魔法〜Magic Of Love〜が放送開始となります!主演としてこのドラマに出演することができてとても嬉しいです!趣味も性格も正反対な2人から織り成される、ロマンチックなラブストーリーとなっています!お楽しみに!新番組 恋の魔法〜Magic Of Love〜 は、6月6日土曜日、夜22時30分から放送開始です!ぜひ、ご覧ください!』
『はーい!ありがとうございましたー!白鷺さん主演のドラマ、とっても楽しみですね!お見逃しなく!それでは続いてのコーナーでーす! 』
僕は思わず見入ってしまった。まさかテレビで幼馴染を見ることになるなんて思いもよらなかった。彼が言っていたように、ドラマに出ていたことは本当なのだとわかった。この宣伝を見ていた母が目を輝かせながら僕に話しかけてきた。
「今の子、千聖ちゃんよね!?小っちゃい頃、光瑠とよく遊んでた、あの千聖ちゃんでしょ!? 」
「うん、まあそうだね」
「あの子、こんなに大きくなって……。今じゃ千聖ちゃん、売れっ子の女優みたいじゃない。すごいわね〜。光瑠、千聖ちゃんと幼馴染だったって、みんなに自慢しちゃえばー? 」
「嫌だよ。色々と面倒なことになりそうだし。幼馴染だったからって、今の彼女には到底会えないよ。僕なんかと違って、暇じゃないだろうしね。そもそもあっちが僕の事覚えてるはずないだろうし」
「いやー?案外小さい頃の思い出って覚えてるはずよ?千聖ちゃん、光瑠に会いたいとか思ってたりしてー?ひゅーひゅー! 」
「はいはい。それは絶対ないから。ごちそうさま。歯磨きしてくる」
「はーい。もう。つれないなぁー」
母の軽口を受け流しながら僕は朝食の食器を下げた。洗面所で歯磨きを済ませ、口元にマスクを着けてリュックを背負った。母から弁当を受け取って靴を履き、僕は足早に家を出た。テレビを見ていたので、いつも家を出る時間より10分程遅れてしまった。小走りで学校に向かい、なんとか始業10分前には間に合った。
教室に入った途端、隣の席の「彼」から話しかけられた。相変わらずテンション高いなこの男は。僕は内心そう思いつつ、彼と話すことにした。
「よっ!光瑠!朝のパスパレ特集の番組見たか!?いやー、朝から最高だったよー! 」
「白鷺さんのドラマの宣伝は見たよ」
「おっ!ようやくちょっとは興味を示すようになったか!感心感心!あのドラマめっちゃ面白そうだよな!俺毎週録画するわあれ! 」
「録画してまで見るって……すごいね」
「好きな女優のドラマは録画して当然だろ!俺は千聖ちゃんが大好きだからな!」
「うん。でもそんな大声で愛を語ったら引かれるよ。まあ君がいいならそれでいいんだけど」
「お前相変わらず俺に対して辛辣だよな……」
「普通だよ」
「ひっでぇ……」
朝から彼と他愛のないやり取りをするのが日課になってきた。辛辣って言うけど、君の話し相手になってる僕の気持ちも少しは考えてほしいな。最近異様に女子から冷たい視線を向けられるからね。女子達は僕の事を彼の唯一の友達だと思ってそうだけど、違うからね。単なる話し相手だから友達という訳ではないよ。それをわかってほしい。まぁ、いくら嫌われようが、その人達と関わることはないだろうしいいんだけどさ。
「俺はな!!ただパスパレのことがなぁ……」
「先生来たしSHR始まるよ。早く座って。お隣さん」
「お、おう。ってか俺の事絶対名前で呼ばないのな……」
彼は小さくそう呟いたが、僕はそれに反応しなかった。すごく不服そうな顔をしている彼を見ると、思わずクスッと笑いそうになってしまった。マスクで表情は読み取れないようにしているものの、笑った時の声を出すと勘付かれそうなので我慢した。
4時間目の授業があっという間に終わって昼休みに入り、僕は手を洗う為に廊下に出ていた。蛇口がある場所に行く途中で、ある人物に話しかけられた。
「光瑠」
そう呼ばれたので振り返ると、薫が笑みを浮かべながらこちらに近付いてきた。急に名前を呼ばれた為、僕は後ずさってしまった。
「薫……? 」
「君と話がしたくてね。少し付き合ってくれないか?」
「……何の用? 」
僕が薫にそう聞いた瞬間、薫に対しての黄色い声援が飛んできた。薫はこの学校の人気者……なのだろうか。
「おっと。子猫ちゃん達が来てしまったね。仕方ない。場所を移そうか。光瑠」
「えっ……ちょっと! 」
薫にいきなり手を握られて走らされ、気付いた時には職員玄関付近の階段の踊り場に着いていた。急に走った為、呼吸が荒くなる。マスクをしている為息苦しく、妙に身体が火照った。いきなり手を握られるなんて。たとえ幼馴染だからといって、少し強引ではないだろうか。握られている手を軽くふり解きながら、僕は薫に視線を移した。
「ここまで来ればもう大丈夫だろう。さて、先程の話に戻ろうじゃないか」
「話って何かな……? 」
僕は恐る恐るそう聞いた。彼女が何を言い出すのか、少し怖かったから。だが、薫は僕の予想の斜め上をいく誘いをしてきた。
「君に会ってほしい人達がいるんだ。放課後、私と共に、ある場所に来てもらいたいんだ。いいかな?」
「……へ? 」
会ってほしい人達……?ある場所にきてもらいたい?薫は一体、何が目的でそんなことを……?
「会って何になるの? 」
「大丈夫。皆いい人達だよ。心配は無用さ」
「そうじゃなくて。僕は見ず知らずの人達とは会いたくないし、君が何を企んでいるかわからないから、正直行きたくない」
「企んでいるとは人聞きの悪い。光瑠も千聖に似てきたね。だが、そんな君も……あぁ……儚い……」
「……君、今でも千聖に会ってるの……? 」
「ああ。勿論さ。彼女とはよく会っているね。近いうちに、光瑠も彼女に会えると思うよ。楽しみにするといい」
千聖と薫が今でも会っているなんて。僕達は千聖とは住む世界が完全に違う人間だと思ったけど。そんなことないのか……?いや、でも千聖が僕に会いに来る筈がない。僕も自ら会いに行くつもりは無いけど。でも今はとりあえず薫を優先しよう。なんとかして断る方法を見出さないと。
「……もし断ったらどうするつもり? 」
「来てくれるまで誘うだけさ。私はそう簡単にへこたれないよ」
「何が目的なの……? 」
「彼女達に会わせて、光瑠の笑顔を取り戻す為さ……」
「……は? 」
一瞬何を言っているのか理解できなかったのだが、そう言った薫の眼はとても真剣だった。思わず彼女から目を背けたくなるほどに。
「彼女達って事は女の子でしょ。尚更嫌だよ」
「いい人達だと言った筈だよ」
「だけど……」
「では逆に聞くが、光瑠はどうしてそこまで人と会うことを嫌がるんだい? 」
「そ、それは……」
薫にそう聞かれ、僕は何も言えなかった。明確に拒否できる根拠を持っていなかったからだ。薫に見つめられたまま、僕は無言で立ち尽くすことしかできなかった。
「人の良さや悪さなんて、実際に会ってみなければわからないものだよ。そんなに怖がらなくても大丈夫さ。きっと光瑠の事を理解してくれる筈だ」
「……笑顔を取り戻すって、意味がわからないよ。どうしてそこまでして僕に関わろうとするの……?……どうしてっ!? 」
僕は声を荒げてしまった。薫の話し方とかそういうものは今はどうだっていい。今はただ、何故僕にこんなことをするのか知りたかった。僕が声を荒げても、薫は怖がる素振りを一切見せず、真剣な眼で僕を見ながら口を開いた。
「……親友だからさ」
「え……? 」
「君は私が変わったと言った。たしかにそれは否定しない。この前も言ったように、たとえ変わったとしても、私達が幼馴染であることは変わらない。しばらく見ない間に君も変わってしまった。もっと明るくて、人と関わることが好きだった光瑠は私にとってまるで太陽のようだった……」
「な、何を……言って……」
「だが今の君は昔とは違う。太陽ではなく、月のように雲に覆われているように見えるんだ。私はそんな光瑠を変えたいんだ。前のように優しく、それでいて笑顔の君でいてほしいんだ。幼馴染と関わりたいと思う事が、そんなにおかしいことなのかい!?」
薫はまるで演劇をしているかのように手を大きく動かし、握った手を胸に当てた。今にも泣きそうな顔をしながら、僕の方へ近付いてきた。
「頼む……!私は……光瑠を……! 」
……そんな表情で言われたら、断ることなんてできない。ここで断ったら僕はどうしようもない屑に成り下がってしまう気がした。だから僕は、薫の言う事を信じてみることにした。
「……わかった。……行くよ」
「えっ……。来て、くれるのかい……? 」
「正直、今の薫の言う事はよくわからないし、何をしたいのかもよくわからない。……でも、薫がもし本当にそう思ってるなら、僕は……君を信じるよ」
僕に対して言ったあの言葉は嘘ではないと信じたい。本当にそう思うなら、態度で表してほしい。そう思った。
「ありがとう。光瑠。安心した。それでは、放課後にまた会おうか」
薫はそう言って踵を返し、階段を登っていった。あの言葉を言った時の薫は、幼い頃の薫を見ているようで、懐かしく感じた。昔の薫は、いつも目に涙を溜めていたことを思い出した。
「幼馴染と関わりたいと思う事が、そんなにおかしいことなのかい!?」
薫のあの表情と共に、その言葉をずっと頭の中で反芻した。まさか薫の口からあんな言葉が出るとは思わなかったからだ。あの言葉によって、自分と薫は幼馴染だったのだと、改めて再認識することになった。薫が言っていた会ってほしい人達は、一体どんな人達なのだろうと不安な気持ちはある。だが僕も薫に信じると伝えた以上は、その人達を信じてみることにした。
教室に戻って昼食を食べ終わり、5、6時間目の授業があっという間に終わり、放課となった。僕が教室から出ようとすると薫が既に廊下で待っていた。
「さぁ、行こうか光瑠」
「……うん」
階段を降りて靴を履き変えて学校を出ると、薫のファンらしき女子生徒が多数集まってきた。薫から待っているように言われた為、僕は校門前で薫が来るまで待っていることにした。
数分後、女子生徒から解放されたらしく、若干息を切らしながら歩いてきた。
「子猫ちゃん達は帰ったようだ。では、行くとしようか」
「わ、わかった……」
薫を先頭にし、僕は薫の後を着いていく感じで歩き始めた。先程から気になっていることがあるので、僕は思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、薫」
「なんだい? 」
「随分他の生徒から人気があるみたいだけど、何かしてるの?」
「なに、大したことはしていないさ。あれは皆、私の演技に魅了された者達ばかりさ。私の素晴らしい演技によって誰かの心を動かすのは本当に気持ちがいい。あぁ……儚い……」
「そ、そう……というか、その儚いって単語の意味は知ってる、よね?口癖になってるみたいだけど」
「え、ええと、それは……まぁつまり……そういうことさ」
「どういうこと……」
薫のあの反応からして、恐らく薫は意味を理解しないで使っているのだろう。わからない単語は日常生活で使わなければいいのに。そう思ったが、本人がそれで満足しているようなので、口出しはしないことにした。
「念のため聞くけど、その人達が今日、僕が来ること知ってるの?」
「ああ。知っているよ。事前に伝えていたからね。こころはとても楽しみにしていたよ」
「へ、へー……」
「こころ」って名前の人がいるんだ。随分変わった名前だなぁ。これが俗に言うキラキラネームというものなのだろうか。
歩き続けること数分、ものすごく大きい城のような場所の前で薫は立ち止まった。
「さ、着いたよ。ここが来てほしい場所だよ」
「大きい……」
周りには花が咲いており、真ん中には大きな噴水がある。とにかく家の面積が大きく、いかにもお金持ちが住んでいそうな豪邸という印象だった。下手すると学校よりも大きいんじゃないだろうか。このレベルの家に住んでいる人間と、薫はどうやって知り合ったんだろう。
僕はそっとその家の敷地内に入ると、いきなり黒い服の女性がどこからともなく現れた。
「お待ちしておりました。中へ案内します」
「は、はい……」
「緊張しているのかい?光瑠」
「そりゃ緊張するでしょ……。こんな家、今まで見たことないよ……」
「ハハッ。たしかにそうだね」
「よく笑ってられるよね……すごいよ君……」
「光瑠。褒めても何も出ないよ」
「別に褒めてないんだけど……」
「……儚い……」
「それさっきも聞いた……」
薫とそんなやり取りをしながら、僕達は早歩きで黒服の女性の後をついていった。
「広っ……」
辺りを見回しながら屋敷内の広さに驚いていると、黒服の女性が足を止めた。
「こちらです。どうぞ」
偉い人が会議で使っていそうな広々とした部屋に案内され、僕と薫はその部屋に入った。部屋には、金髪の女の子が目をキラキラさせながらこちらに近付いてきた。
「あなたが薫が言ってた男の子でしょ!?待ってたわよ!あなたの名前、教えてっ!私と一緒に、笑顔になりましょ! 」
「……へっ? 」
これが僕とあの子との初めての出会いだった。
ここから、僕の心の平穏が徐々に崩れ去っていくのだった。
お気に入り登録50件、UA4000回突破ありがとうございます。
それではまた次回のお話でお会いしましょう!