それから程なくして自衛隊のようなみなさんや、黒服サングラスをかけたお兄さんたちがこの場にやってきて、ノイズの残骸や、かつて人だった炭素の山の片付けを始めた。
私はといえば、邪魔にならないように隅っこからそれを眺めているのだが、ひとつ気になることがある。
「……いつまでこれを着てればいいんだろう」
そう、私は未だにシンフォギアを纏った姿なのだ。
戦い方は覚えているくせに、解除の方法を覚えていないとは都合のいい記憶喪失ですね。
自分でやったことなんですけどね、自業自得なんですけどね。
「あの……」
そんな奇抜な格好の私に声をかけてくれる人がいた。
ショートカットの制服のようなものを着たお姉さんが、ほんのり湯気の立つカップを持って、目の前に立っている。
「あったかいものどうぞ」
「ああ、これはご丁寧に……あったかいものをどうも」
ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて、差し出されたカップを受け取ると、カカオの香りと甘さが鼻腔をくすぐった。
どうやらココアらしい。
一口飲むとホッと一息、落ち着いた。
——キーン……。
「ん?」
どこからか何かの電源が落ちるような音が響き、次の瞬間には弾けるような音ともに、変身する前のリディアンの制服を着た姿に戻っていた。
「……戻った」
なぜ戻ったんだろう。
落ち着いたことと何か関係があるんだろうか。
そうだ、今のお姉さんに聞けばいいじゃないか。
「あの……!」
顔を上げてココアのお姉さんに質問しようとして、私は目を見開いた。
ココアのお姉さんはいつのまにかどこかへ行ってしまい、代わりに風鳴翼と名乗りを上げていた少女が目の前に立ち、苦い顔で私を見つめていた。
「あ、あれ?ココアのお姉さんは……」
「彼女には席を外してもらいました」
「はあ。それはつまり、私に何が御用ってことですか?」
「その前に自己紹介を。私立リディアン音楽院二年、風鳴翼です。貴方の名前は?」
「あ、えと。新入生の鳴神小詠……って名前らしいです」
「では鳴神さん。私たちは貴方をこのまま学院に向かわせるわけにはいかなくなりました」
「は?それはどういう……」
「特異災害対策機動部二課まで同行してもらいます」
ガチャンガチャン!
「……え?」
気がつくと、私の両手はとても頑丈そうな拘束具でガッチリホールドされていた。
手錠とか手枷とかそういうレベルじゃない。
新手の拷問器具なんじゃないかとさえ思うほど仰々しい。
「すみませんね。貴方の身柄を拘束させていただきます」
いつのまにか私の傍に立った黒服を着た茶髪の優男が『僕らも心苦しいんですよ』みたいな顔で手錠をロックをしていた。
「え、ちょっ、あの……」
「質問は後で受け付けます。今は黙ってついて来てください」
翼さんが黒服の優男に指示を出すと、私はあれよあれよと言う間に車に詰め込まれ、拉致られることとなった。ヒトサライー。
* * *
そうして現在に至るのだが……。
「ダメだ、訳がわからない」
朝起きたら記憶喪失だし、シンフォギアの使い方も戦い方も知ってるし、入学式には参加できないしで、もう散々だ。
もう何かやるなら一思いにやってほしい。
そんな時だった。
パンッ!パンッ!
乾いた音が空間に響いた。
ああ、まさか本当に一思いに撃たれるとは思わなかった。
モルモット通り越して銃殺ですか。
何か秘密の組織っぽいですし?機密を知った君は生かしておけない的な?
「う、撃たれた……」
「……何を言っているの?」
「ほえ?」
後ろの翼さんに呆れられた。なぜ?
というか私生きている?なぜ?
反射的に撃たれた胸を押さえている手をどかしてみるが、怪我のひとつも、血が滲んでいる様子もない。
何事かと顔を上げると、その理由はすぐにわかった。
「ようこそ特異災害対策機動部二課へ!」
パンッ!パンッ!
ワァー、パチパチパチ。
ドンドンパフパフ。
赤毛の大男が豪快な笑顔で両手を広げると、それに合わせて後ろに控えるお兄さんやお姉さんたちがクラッカーや鳴り物を鳴らしたり拍手をしている。
どうやらさっきの乾いた音はクラッカーの音だったようだ。
よく見れば、彼らの後方には横断幕まで下げられており、ご丁寧に『熱烈歓迎、鳴神小詠様!』なんて書かれている。
正直、状況が二転三転しすぎてもうついていけない。
「えーと……」
そんな困惑する私の元に、先ほどの優男が訪れて、手錠のロックを外してくれた。
もしかしてだけど、実はこの人いい人なのでは?
「それじゃあ自己紹介だ。俺は風鳴弦十郎。ここの責任者をやっている」
「そして、私が出来る女と巷で評判の櫻井了子です。よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いします……って、そうだ!なんで私の名前知ってるんですか!?」
弦十郎さんと了子さんの後ろにこれでもかと存在感を放つように下げられた横断幕を指して叫ぶ。
もしかして記憶をなくす前はここに身を置いていたとかそういう感じなんですか!
「ん?ああ。我々二課の前身は大戦時に設立された日本政府の特務機関なのでね、調査なんてお手の物なのさ」
そう言って、弦十郎さんはヒラヒラと紙を見せびらかす。
それは、リディアンの生徒名簿のようだった。
……個人情報保護法はどこに行ったんだろう。
国の前では比べるべくもないとかそういう感じですかそうですか。
「はあ、なるほど」
一気にテンションが落ちた私は返事まで適当に返す。
「そして、君を呼んだ理由は他にある。君自身の力についてだ」
「……シンフォギアのってことですか?」
「——!どこでその名前を?」
弦十郎さんが視線だけで翼さんと優男さんを見るが、二人とも首を振るばかりだ。
「よくわかりません……私、記憶喪失ってやつみたいで……」
「記憶喪失?」
「はい。昨日から前の自分に関する記憶だけがすっぽり抜け落ちてて……シンフォギアのことだって、よくわからないけど知っていただけですし……」
「ふむ……了子くん、どう思う?」
「んー、嘘をつくようには見えないわねぇ。まあシンフォギアのことをどこで知ったかは気になるところだけど」
「……そうだな。まあ思い出せないのは仕方ないか」
「ともかく、まずは私が手取り足取り教えてあげましょう!」
了子さんは妖艶な笑みでこちらに近寄ると、グイッと腰に手を回して顔を近づけてきた。
いや、近い近い近い。
「いや、近い近い近い」
「あら、色々知りたくないの?」
色々って何をする気だこの人。
「そりゃ知りたいですけど……私に何をする気ですか?」
「何もしないわよ。でも、知りたいって言うなら……そうね、服を脱いでもらおうかしら?」
あっ、なんか今貞操の危機を感じた。
逃げなきゃ私の純潔が奪われる気がする。
そう思った時にはすでに遅し、腰に回した手だけでなく、足まで絡められたりして逃げられなくなった。
「ちょっ!私そっちの気はないんで!」
「あら、そっちの気ってどっちの気のこと?」
いたずらっぽく笑みを浮かべているところから察するにこの人わかってて言ってるな!
畜生!弄ばれてるじゃないか私!
「さあこれから楽しくなるわよーッ!」
「ああああ!人さらいぃぃぃッ!!」
ズルズルと引きずられながら、私は櫻井女史にメディカルルームへと連行された。
そんな様子を見ていた弦十郎さんが顎に手を当てて——
「鳴神……いや、まさかな」
——何かをブツブツ呟いているようだったが、よく聞こえなかった。
* * *
これが、全ての始まりの日のお話。
今思えば、あの日から、私の物語は始まっていたんだと思う。
名前も、記憶も、何もかもを無くした、ゼロからのスタート。
でも、ひとつだけ持っていたものがある。
シンフォギアを、適格者の力を。
ノイズを倒し、人を救い、今を変える力を。
だから、私は———————————!