翌日。
朝の目覚めは最高でした。
目覚ましに起こされることもなく、瞼が重たく二度寝をするということもない。
ああ、なんて最高の朝だろう。
こんなに清々しい気分なのはいつ以来でしょうか。
「…………」
惜しむらくは、それが土曜や日曜といった休日ではなく、平日に起こってしまったということです。
「遅刻だ……」
時計に目をやれば既に針は十時を指している。
一限目が終わり二限目が始まるくらいの時間でしょうか。
携帯を見れば、クラスメイトからの着信やメールが鬼のように来ているではないですか。
それでも目が覚めないとは、相当深い眠りについていたらしい。
いやはや、睡眠欲とは恐ろしい。
もそもそとベットから這い出し、着替えようと制服のブラウスに袖を通そうとして、やめた。
「気分が乗らないし、今日は休もう」
ブラウスを脱ぎ、ハンガーにかけ直す。
代わりに私服のシャツに袖を通し、手近にあった赤いパーカーを羽織った。
「ま、誰かが上手いこと誤魔化してくれるでしょ」
これだけ連絡が来ても返事がなければ、今日は休みだと誰かが先生に報告してくれるはずです。
そんな一抹の望みをかけながら着替えを続ける。
勘違いしている人もいるだろうから説明するけど、これはサボりではありません。
もう一度言言います。
サボりではありません。
あくまで自主休校です。
決して面倒くさいとか、天気がいいから遊びに行きたいとか、そんな理由では断じてない。
「どこに行こうかなー」
着替えを終えた私は動きやすいスニーカーを履いて、家を出た。
空から照りつける陽光は燦々と降り注いでいて、透き通った空はどこまでも広がり、沸き立つ雲がその青いキャンバスに落書きをしていた。
そんな詩文的な感慨を余所に、私は街へ繰り出す。
こんな日は何かいいことがありそうな、そんな予感がした。
* * *
「なんもねーよ」
——夕方。
特に何かが起こるということもなく、時間だけが過ぎてしまった。
誰だいい事ありそうとか言ったやつ。
あ、私か。許さん六時間くらい前の私。
茜色に染まった空の下、公園のベンチに腰掛けて街並みを見渡す。
いつもとなんら変わりない平穏無事な人々の営みが広がっていた。
事あるごとにノイズの襲撃が起こって日刊人類の危機に晒されていると思えないくらいには平和だ。
人間の慣れとはかくも恐ろしいものである。
そんな時だった。
ポケットの中に入れていた携帯が震えた。
「はい鳴神です」
「小詠くんか!?緊急事態だ、ノイズが現れた!」
「ッ!!場所はどこですか!?」
「すぐ近くの地下鉄だ。座標を送信する、響くんにも連絡をつけてすぐに向かわせる!」
「いえ、響ちゃんには私から連絡します!司令は翼さんに連絡を!」
「わかった、頼んだぞ!」
司令からの通信を切り、再び電話。
数コールで響ちゃんは出た。
「はい……」
「響ちゃん?私だけど、いまどこ?」
「えっと……リディアンです」
「ノイズが現れたの。座標を送るから来てくれる?」
「あ………………はい」
……すごい間を感じた。
どうしたんでしょう。
心なしか声色に元気がない。
体調不良って感じでもなさそうだけど……。
いつもならば——
『わかりましたッ!すぐ行きますね!!』
——なんて言って元気百倍なんとかマンみたいに現場に向かうというのに。
「……どうかしたの?」
「いえ……なんでも」
「なんでもってことはないでしょ。声に覇気がないし、妙に引っかかる言い方してるし」
「…………」
「別に怒ったりしないから、話してみなよ」
「……実は、未来と——あ、えっと友達と今日流れ星を見る約束をしてて」
ははあ、なるほどそういうことですか。
友達と約束したのに、それが果たせそうもないことを気にしているということだ。
流れ星ってことは、こと座流星群かな?さっき昼食中にSNSで見かけたけど、おそらくそれのことを言ってるんでしょう。
「——そっか。……だったら、こっちは私に任せて」
「え、でも……!」
「なあに、小詠さんに任せなさいって。これでも一年だけとはいえ先輩だからね。ひとりでもなんとかなるなる」
狭い地下鉄構内だから派手には動けないだろうけど、まあなんとかなるでしょ。
「私的には約束をスッポかすほうが問題だから」
「小詠さん……」
「それじゃあね」
電話を切ると同時に、目的の地下鉄入り口に辿り着く。
見下ろす階段の先にはすでに何体かのノイズが出迎えにきていた。
……まったく、何がいいことがありそうだですか。
悪いことしか起こっていないじゃない。
私って実は呪われているのかもしれませんね。
「相変わらず時間も場所も選ばずにウジャウジャと……」
シンフォギアを纏うと同時に、共振した装甲から【剛鎚・武御雷槌(命名自分)】のイントロが流れ出す。
歌いながら助走をつけて階段に飛び込み、重力に身を任せて手近なノイズにドロップキックを叩き込んだ。
蹴ったノイズを踏み台にしてその場でバック宙。
後ろのノイズへ振り向きざまにハイキックをお見舞いし、一息。
しかし、そんな暇は与えないとばかりに数体のノイズが迫ってくる。
「鬱陶しいッ!!」
天井に両腕のアンカーを射出、振り子のように前へ飛び出す。
迫るノイズを無視してさらに階下の敵に飛び膝蹴りで吹っ飛ばし、さらに、後ろに置いてきたノイズを、両腕のアンカーで引き寄せる。
「どっせいッ!」
近づいてきたところにエルボーを叩き込む。
くの字に折れ曲がった人型ノイズはそのまま炭になって消えた。
『群れの中に一際強い反応がある、気をつけろ!翼と響くんが到着するまで何とか時間を稼ぐんだ!』
「稼ぐだけでいいんですか?——別に、私が全部消し炭にしてもいいんですよね?司令」
響ちゃんのためにも、ここで私がなんとかする——してみせる。
「——構わないが、無茶だけはするなよ、小詠くん」
「わかってます。記憶を取り戻すまで死ぬつもりはありませんから」
階段を駆け下りると、改札機前にたどり着いた。
ゲートの向こうには今日も楽しそうにゆらゆら揺れるノイズの大群が、私を見つめている。
その群れの中に、一際存在感が強い存在がいることに気づいた。
「なにあれ……」
それは、端的な言えばブドウだった。
多分、アレが司令の言っていた強い反応の正体でしょうね。
人型ノイズをベースとしながらも、背中にブドウのようなピンク色の球体をたくさん背負っている。
さしずめブドウノイズってところでしょうか。
何にせよ、アイツの存在だけがこの場において異質。
ならば、やることはひとつです。
「攻めの枕を抑えるッ!!」
改札機を乗り越えて、人型ノイズを蹴り飛ばして、着地。
群がるノイズの向こうに控えるブドウノイズを睨みつけた。
「プレイボール!」
手近なカエル型ノイズを蹴散らせばボーリングよろしく転がって、ゆらゆら揺れるノイズをなぎ倒しては炭素へと変わる。
そんなことをしながら、群れの中心にいるブドウノイズへと驀進する私を前にして、ヤツはついに行動を起こした。
「——————!!」
変な奇声を上げて、背中のブドウを切り離したノイズは、それをこちらに向かって飛ばしてくる。
(切り離した後が完全にブドウの房じゃん……)
そんなことを思っていたら突然、ブドウが目の前で爆発した。
油断していただけに回避できるはずもなく、爆炎と爆煙に飲み込まれ、爆発の衝撃で崩れた天井に押しつぶされる。
「……やってくれるじゃないですか」
当然だが、この程度でシンフォギアを纏った装者がやられるはずもない。
まったく、地下で爆発物を使うなんて何を考えているんですか。
危うく生き埋めになるところでしたよ。
ま、シンフォギアを纏っていれば脱出できるので無意味ですが。
瓦礫を吹き飛ばして立ち上がるが、すでにブドウノイズの姿はない。
「逃がさないッ!」
が、辛うじて逃げる背中を捉えた私は、ブドウノイズを追って飛び出した。