「やーい、リンのおじいさんはビッグボスー」
「小学生みたいなノリやめい」
十一月下旬。閑散とした図書室のカウンターにヒジをつきながら、斎藤が唐突にそういった。ストーブの暖気でぼーっとしていたリンは、あくびをかみ殺して斎藤に目を向ける。
「ていうかビッグボスってなんだよ。缶コーヒーのブランドかよ」
「私はボスよりゆーしーしーが好きかな」
「適当言ってるだろ」
「うん。私コーヒーそんなに飲まないし」
言いながらスマホを取出し操作する斎藤。しばらくしてリンに画面を向けると、そこには『上司になってほしい有名人ランキング』と題したネットニュースが載っている。
誰が誰にアンケートをとっているのかリンにはさっぱりだが、芸能関係の報道に触れているとたいして興味がなくても一度は目にしたことがありそうな、ありがちなニュースだ。これが「ビッグボス」の名前とどう関係があるのか。
「……!?」
斎藤に問いただそうとしたリンは、とても見覚えのあるシブい顔がランキングトップに載っているのを見つけ、思わず二度見した。斎藤はニコニコといたずらっぽく笑っている。
昔より伸びたヒゲ、野性味あふれるみだれ髪、歴戦の兵士のごとき風格が漂う鋭い目つき。どう見てもその老人はリンの大好きなおじいちゃん、世間でいうところのスネークその人だった。
「すごいよね。有名なお笑い芸人とかタレントとか、アイドルとかを下して一位だもん」
「……うん」
「あ、めちゃくちゃうれしそう」
「うるさいな」
平静を装うリンだったが、斎藤の指摘通り内心では小躍りして喜んでいた。状況次第では本当に踊っていたかもしれない。大好きなおじいちゃんが何かのトップに輝くということは純粋に誇らしく、うれしかった。
たしかに祖父は昔から多くの人に慕われている。昔の知り合い、友人、顔見知り、腐れ縁、宿敵とかいっていろいろな人を家に招きお酒を飲むことがよくあった。祖父にかまってほしいリンはそのたびに拗ねて周囲を困らせていたからよく覚えている。みんな祖父のことを心から尊敬し、中には畏れている人もいた。人の上に立つ人とは祖父のような人のことを言うんだ、とリンは学んだ。
「ファンの人たちの一人がさすがはビッグボス、って呟いて。それがあっという間に広まって定着したんだって」
「ふーん。ビッグボス……」
上司になってほしい人第一位の称号、ビッグボス。シンプルだが試しに口に出してみると妙にしっくりくる。まるで祖父のために用意されたような作為さえ感じられる。
「そのページどこ?」
「ビッグボスで検索したらトップで出てくるよ」
ほほえましいものを見るような斎藤の視線も、今だけは気にならない。リンは自分のスマホですぐさまニュースのページに飛び、記事全文をコピペ、画像をスクショする。今でこそファンの多い祖父だが、もっとも熱心なファンは今も昔もこの孫娘である。ニュースの公開が授業時間中でなければ斎藤よりも早く気付いただろう。
年金と退職金、ネットを使った広告収入で悠々自適な放浪生活をする祖父だが、ちょうど今週末に帰ってくるらしい。そのときビッグボスと呼んだら、どんな反応をするだろう。最近初めて同級生とキャンプをしたことも話したい。
祖父の姿を思い浮かべ静かにテンションを上げるリンを、斎藤は笑って見守っていた。
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野外活動サークル部長、大垣千明は自分の目を疑っていた。
サークルの次の活動場所を下見しにキャンプ地を訪れた千明。この世のものとは思えない光景に遭遇したのは、丘の上からの絶景や赤黄緑の入り混じる木立を楽しみながら歩いていたときだった。
木立が途切れ広場のようになっている場所で、一人の老人がスキレットで肉を焼いている。年季の入ったワンポールテント、使い込んだ木製ローチェア、老人の身にまとうシブい雰囲気はまさに老練のキャンパーだ。
「スネークさん!?」
しかし千明が思わず口にした通り、その老人はサバイバル技術の達人スネークである。
雑誌やテレビでたびたび目にするような有名人が目の前にいる。それだけでも千明が動揺するには十分だったが、何より千明を困惑させているのはそこではない。
「スネークさんが肉を焼いている……」
スネークが調理している。たいていのモノを生でかっ食らい「結構イケる」「ウマすぎる」「バッテリーが回復する味」などと独自のコメントをするスネークがスキレットで肉を焼いているのだ。
メガネをぬぐい目をこすってもう一度見返してみる。
ばっちり目があった。
硬直する千明。
一方、スネークは千明を見、肉を見、もう一度千明を見る。そして軽く手招き。
緊張してぎくしゃくと近づいていく千明に向け、スネークは口を開いた。
「肉、食うかい」
「……何の肉、ですか」
「何だと思う?」
ニヤリ、と意地の悪い笑みを浮かべるスネーク。千明はごくりとノドを鳴らした。蛇やカエル、キノコを見境なしに食べているイメージのスネークが一体何を焼き、自分にすすめているのか――。
「実は先ほど活きのいいアオダイショウを見つけてな」
「つつしんでご遠慮させていただきます!」
「ハハ、冗談だ。わざわざキャンプ場で動物をキャプチャーなんてしないさ」
警戒して距離を取る千明をスネークは笑い飛ばした。
「ただの牛肉だ。麓のスーパーで買ってきた。少しつまんで行くか?」
「スネークさんが言うと冗談に聞こえないですって……。ういっす、いただきます! ――!」
レアの肉を一切れ頬ばり、千明は声にならない悲鳴をあげた。めっちゃうまい。口に入れたとたんとろけるような肉ではない、噛めば噛むほど肉汁と旨みが出て来る男らしい肉だ。
スネークは幸せそうに肉を味わう娘を見ながら孫娘を思い出す。昔からよくなついているかわいい孫だ。常人には受け入れがたいダンボール箱の哲学にも理解を示してくれるのはいいが、サバイバル技術やCQCにも興味を持ってしまった。娘には「これ以上変なこと教えたら許しません」と脅され、どうにか興味の対象をキャンプと護身術に逸らした。
近いうちに会いに行く予定だが、元気にやっているだろうか――。
「ごちそうさまです!」
「ああ。道中、気をつけてな」
「はい! 失礼します!」
遠くを見ているうちに千明は肉を食べ終えていた。
そうして言葉少なにあいさつを交わし、別れる。千明はサークルの仲間に話す絶好の土産話ができたと喜び、スネークは肉に視線を落としつつ一人、孫娘に思いをはせるのだった。
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志摩家の玄関先が緊張感に満ちている。肌がひりつくようなピリピリした空気は、まるでそこだけが戦場になったようだった。
「答えてくれ、リン」
その空気を作った張本人、スネークは鋭い声で孫娘に問いかける。
「どこでその名を――『ビッグボス』の名を知った」
「どこ、って……」
対峙するリンは、怒っているとも悲しんでいるともとれる祖父の謎の迫力に困惑するほかなかった。どんなことを言われても笑って受け流すか鋭いジョークで切り返すかする、泰然自若の化身のような祖父が明らかにうろたえているのだから。
待ちに待った週末。帰ってきた祖父を迎えるため俊敏な動きで玄関に向かったリンは例の称号をもって祖父の帰りを歓迎した。
『おかえりなさい、ビッグボス』
その途端、どんな状況でも落ち着いた姿勢を崩さなかった祖父は目を見開き、冷や汗を流して動きを止め、リンに聞いたのだ。どこでその名を知ったのか、と。
「え、っと」
「……怖い声を出してすまなかった、リン」
どうにか答えようとするリンを前に、スネークは頭を下げた。
「だが、二度とその名で呼ぶな。それは俺にとって、特別な意味がある」
『彼女』を殺した証であり、決別の意思でもあり、最強の英雄と同時に最悪の反逆者を意味するビッグボスの名は、スネークの前世を十二分に象徴するものだ。家族を愛する一人の老人として生きる今となってはもう二度と呼ばれることはないと思っていた。
その名前がかわいい孫娘の口から出たというのだから、動揺するのは当然だった。
「二度と……」
「そう、二度とだ。金輪際口にするな」
「二度どころか数万回は口にされてるみたいだけど」
「何!?」
「ほらこれ」
しれっとスマホを取りだすリン。リンの母のSNSが表示されており、匿名のコメントたちが「ビッグボス」の名を連呼している。中には「VIC BOSS」ともじっているものさえいる。
これは一体、と戸惑うスネークにリンはいきさつを説明した。よく分からんランキング。ネット上の誰かが言い出したビッグボスの称号について。
すべてを知ったビッグボス当人は――
「はははは! いい時代になったものだ!」
腹を抱えて笑いだした。
「あの称号がまさかこうなるとはな!」
「おじいちゃんは、この名前に嫌な思い出でもあるの?」
「んん、まあそうだな。昔のあだ名だ。この名前でよくからかわれた」
「ふーん……めっちゃシブいあだ名だね」
リンは釈然としない。その程度の理由なら苦い顔をして話をそらすのが祖父だ。きっと何か別の事情があるのだろう。
ただ、今の祖父はとても幸せそうに笑っている。過去にあった嫌な思い出をみんな呑み込んだかのように。
それなら深くは聞かない。過去に何があろうと、飄々と笑って悠々と旅をして幸せに生きている祖父が、リンは一番好きだから。
「ああ。だがほめ言葉としてならいくらでも呼ぶといい。今日から俺は、ビッグボスだ!」
「うん。ビッグボス」
許しが出たので早速口にしてみると、やはりしっくりくる。
ビッグボス。
おじいちゃんはビッグボス。
「二人とも、玄関でいつまで話してるの」
「お母さん」
「おお久しぶりだな! 元気にしてたか?」
「お父さんほどじゃないけどね。そこじゃ寒いでしょ。早く中に入れば?」
「そうさせてもらおう」
居間の扉からリンの母が顔を出し、リンとスネークに中へと促す。
いつもより上機嫌になった祖父の背中に、リンはとことことついていった。
おしまい