富士山YMCAグローバルエコヴィレッジ。
富士山を一望できる広大な原っぱは景観よし、バス停の近くで車もオーケーな立地はアクセスよし、温泉もついて一泊二千円以下でコスパもよし。三拍子そろったこのキャンプ場が、野外活動サークルのクリスマスキャンプの活動場所である。
なでしことのキャンプ経験と斎藤からの言葉もあって、ソロキャンの多いリンも今回は参加している。キャンプ場を提案したのも、キャンパーの先達としておすすめの場所を尋ねられたリンだ。
富士山をバックにした広い原っぱで、野クルメンバー三人に加えリン、斎藤、たまたま出くわしたどこかの子供たちとともにフリスビーで遊びまわった。
その後子供たちの保護者さんから遊んでくれたお礼にとお菓子をもらい、五人でキャンプ地へと向かう。西に傾いた太陽が空を朱色に染めていた。
なでしこが何かを思い出したように「あっ」と声をあげたのはそんな時だった。
「思い出した! リンちゃん、さっきの話ってホント!?」
「さっきの、ってなんだっけ?」
「リンちゃんのおじいちゃんはビッグボスって話!」
「ホントだよ~」
「なんで斎藤が答えるんだよ。ホントだけど」
さっき、といっても四時間以上前のことだ。キャンプ場で合流したリンとなでしこは、手作りのスモッグをつまみつつ、いいとこづくめのキャンプ場について話題にした。
『はぁー、いいところだよねー。富士山も見えて、芝生も気持ちいいし。リンちゃんに聞いてよかったよー』
『私じゃないよ。知ってたのは、うちのおじいちゃん』
『キャンプ道具くれたおじいちゃん?』
『うん。昔からいろんなところでサバイバルとか、キャンプとかしてて。富士山の周りにも詳しかったから、聞いたんだ』
『そうだったんだー。……サバイバル? 富士山の周りで?』
『いや、日本各地の無人島で』
『無人島!? へー、元気なおじいちゃんなんだねー。ビッグボスみたい』
『みたいってか、本人だし』
『ふぇっ?』
『それより犬山さん、すごいお肉で夕飯つくるんだよね。何作るか知ってる?』
『……えっ、あ、ううん。でもすごいよねー。私A5ランクのお肉なんて初めて――』
なでしこは唐突な新情報で思考停止、反射的に新しい話題に食いついてうやむやとなったものの、しばらく時間をおいた今になって真偽が気になりだしたようだ。
一方のリンは「そう来たか」と感心半分、呆れ半分の心境である。身内に有名人がいることを明かせばどんな反応をするんだろう、と好奇心で話してみれば案外食い付きが悪かったので、気まずくなる前に話を変えたが、時間差で来るとは。つくづくなでしこは読めない。
「リアクションおせーよ。言ったのほとんど忘れてたぞ」
「えへへ、びっくりしちゃって。でもそっか、だからリンちゃんってたまにワイルドなんだね」
「ワイルド?」
なじみのない単語に困惑するリン。
斎藤は深くうなずいて同意を示す。
「うんうん。隙あらばキャプチャーしようとするし、ダンボール箱持ち出そうとするし」
「ああ、そういえばアプリのアイコンもなぜかダンボール被っとったなぁ。あれもスネークさんの影響なん?」
「いや、ダンボール箱は誰でも被るでしょ。キャプチャーもキャンパーのたしなみだから、おじいちゃんは関係ないよ」
「これは孫やわ」
なでしこ、斎藤、犬山の三人は何かを察したようにうなずき合うが、リンは納得いかない。ダンボール箱は被るのが当然だし、野生動物のキャプチャーはキャンプをしていれば自然と意識するようになるのが普通だ。決して祖父の野性的な部分に影響されてはいない。
「おいおいお前ら、しまりんの冗談を真に受けるなよ」
すると今まで黙っていた大垣千明が口を開く。
「あのビッグボスがしまりんのじいさんって、世の中狭すぎるだろ。それに、あの人の孫って言ったらもっとたくましいはずだぜ。こう、歴戦の兵士みたいな感じの」
「あ?」
血縁を冗談ととられる初めての経験に殺気立つリン。しかし迫力が足りず、大垣は気にする様子もない。
ビッグボスは今や世界規模で知れ渡る著名人の一人だ。その高名をよく知るファンの一人、大垣がリンの言葉を冗談として受け取るのも無理はなかった。リンの外見が野性的なビッグボスとはかけ離れた小動物的なものだからなおさら信ぴょう性は低い。
リンの中で「やっぱりこいつ苦手」という感情が再燃しだしたとき、斎藤が割って入る。
「こう見えてうちのリンにもたくましいところがあるんだよ」
「おい、うちのって何だ」
「大垣さん、ちょっと耳貸して」
斎藤に耳打ちされた大垣は、カサコソとあやしい動きでリンの背後に移動。
そして突如リンにつかみかかった。
「うっひょーいしまりーん! ぐえっ」
「なんだいきなり」
リンの動きは素早かった。さっと反転して大垣の腕をつかみ、関節を固めながら背中に移動。空いた手を大垣の首元に回してガッチリ拘束する。この体勢なら投げ飛ばす、絞め落とす、尋問するとやりたい放題である。
「リンちゃんすっごーい!」
「ね? たくましいでしょ?」
「感心してないで助けろー! すっごい微妙に絞まってるって! イヌ子!」
「志摩さん、煮るなり焼くなり好きにしてええでー」
「了解。ホラ、吐け」
「何をだよ!? 疑ったのは悪かったから助けてくれー!」
祖父から変な虫が寄り付かないようにと教わった護身術、マイルドCQC。元はかなり物騒な技術だったとリンは聞いているが、本来の目的でこれを使う日は、当分来そうにない。
腹いせも兼ねて恥ずかしい経験を吐かせようとするリンを、斎藤が止めにかかる。最後にはリンと斎藤、ビッグボスのスリーショットが表示されたスマホを見せつけ、大垣が降参した。
「イヌ子てめー! あっさり見捨てやがって!」
「演技や演技。犯人の動揺を誘ったんやー」
のらりくらりと逃げる犬山を追いかけ回す大垣。
「リンちゃんすごいねー映画みたい! 私にも教えて!」
「あ、ありがとう。基本だけしか教えられないけど、それでいいなら」
なでしこに純真な瞳を向けられ、頬を紅潮させるリン。そんな二人をニコニコと見守る斎藤。斎藤に抱かれて眠っているチクワ。
原っぱではしゃぐ彼女たちの姿を、赤富士が静かに見守っていた。
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同時刻、四尾連湖湖畔キャンプ場。
リンたちのいるキャンプ場とは少し距離のあるスポットで、オフシーズンのため利用者は少ない。閑散とした中にキャンプを設営しているのはスネーク一人だけだった。
使い古したワンポールテントの横で、ローチェアに深く座った彼は、風に揺れる湖の水面に視線を落としている。
先日のツチノコの件ではゼロに負い目を感じていた。名前を貸していただけとはいえ、会長がUMAをキャプチャーして食べたのはさすがにまずい。
そこでゼロへの謝罪の意味も込めて、孫娘が見たという新しいUMA、牛鬼を求めてやってきたものの見つからない。キャンプ場の管理人に聞いても目撃例はないという。
どうしたものか。
途方に暮れたスネークは懐に手を入れ、葉巻を探る。喫煙者に厳しい昨今、娘や孫の前で煙を味わうのは無理だ。こうして人気のないキャンプ場でくらい――
「喫煙のルールは確認したか?」
「……お前か」
背後から声がかかる。
水を差されたスネークは葉巻をしまい、立って声の方向に向き直った。
「最後に会ってからもう五年になる。早いもんだな、サンダーボルト」
声の主、サンダーボルトと呼ばれた男は不気味に口元をゆがめる。二メートル近い身長、丸太のように太い腕、掘りの深い顔立ちも相まって、獲物を前にした猛獣のような印象を受ける。
元ヘビー級ボクシングチャンピオン、サンダーボルト。落雷のようなヘビーブローにちなみサンダーボルトの異名をつけられた彼は、スネークにとって因縁深い相手だ。会社関係の宴席で出くわしたとき、サンダーボルトは初対面でスネークの股間をつかみこう言った。
『気に入らんやつだ』
若き日のスネークはこれに対し『それがソ連式のケンカの売り方か』と語気を荒げ、売り言葉に買い言葉で関係悪化。顔を合わせるたびにらみ合い、時に暴力沙汰になり、お互いにビジネスを通して間接的な戦争さえ行った。
隠居後はさらに関係が悪くなり、放浪するスネークの居場所が判明するなりサンダーボルトが直接的なケンカを仕掛けて来るようになる。いつもは冷静なスネークもこれに真っ向から対立し、血なまぐさいケンカに発展する。
なぜヤツを前にすると熱くなるのか。なぜここまで憎いのか。第一印象が最悪だったからといって、それだけで憎悪の感情が湧くものだろうか。
その疑問が氷解したのはおよそ十年前のことだった。
『お前さえいなければ……!』
サンダーボルトは前世で元凶となったある男にうり二つだったのだ。スネークやゼロのことも考えると本人である可能性も否めない。最愛の彼女が抹殺される原因を作ったそもそもの元凶。ビッグボス誕生の遠因。彼女に汚名をなすりつけた凶人。スネークにとっては親の仇よりもなお憎い相手だ。
それは相手にとっても同じで、彼は脳死体となっても憎悪と報復の念によって蘇り、執拗にファントムを追いかけ回した。まさに前世から続く因縁深い宿敵である。
「もうやめにしないか」
「……何だと?」
因縁の始まりを知ったスネークは、憎悪を失った。
ゆっくりとローチェアに座り直し、サンダーボルトに背を向ける。
「俺たちにはいつも戦うべき相手がいた。だが今の時代は、俺たちに戦いを求めてはいない。俺たちの意志ですらも。時代が――いや、世界が変わったんだ」
「何を言っている!?」
スネークが遠い目を向ける先では、過去の自分とサンダーボルトが殴り合っている光景が広がっていた。サンダーボルトの関節を砕き、当て身で急所を突き、容赦なく投げ飛ばす。憎い相手を傷つけるたびに感じたのは虚しさだけだった。暴力を振るうたびに、家族の悲しげな顔が頭をかすめてしまう。
その原因を思い出したあの日にスネークは決意した。次にサンダーボルトと会ったとき、自分の心に向き合おうと。
向き合った結果は、宿敵に背を向けて座っているスネークの姿が如実に示している。すべてを知った上で宿敵を前にしても、身を焦がすような憎悪はみじんも感じられない。むしろ感じるのは、サンダーボルトへの憐れみだった。
「俺が何を言っているのか、お前も分かっているだろう」
「知ったことを! 私は貴様を――!」
「俺が今まで生きていることがその証拠だ」
サンダーボルトは返答に窮した。
前世を思い出す前のスネークの体は一般人の域にとどまる。元ヘビー級ボクサーとケンカをして壊れないはずがない。サンダーボルトが本気でスネークを憎んでいれば、スネークは何一つ思い出すこともなく死んでいただろうし、スネークの家族の前で気を遣って大人しくしておくこともなかったはずだ。
「もういないんだ。お前が憎む相手も、俺が憎む相手も」
「違う……私は、お前を……」
どすん、と地面が揺れる。サンダーボルトがスネークの背後で膝をついたのだ。老体を支えていた張りぼての憎しみは、空虚な音を立てて崩れ落ちた。残ったのは大きな体の老人一人。
「俺もお前も随分老いた。老いは誰にも避けられない――だが悪いことばかりじゃない。なあ、サンダーボルト」
「……かもしれんな」
恵体を生かしてボクシングに打ち込み、サンダーボルトと呼ばれるまで駆け抜けた男の人生は、家族に恵まれたスネークから見ても華やかで幸福だ。長く生きるうちに得られたもの、残したものだって多いだろう。その中には空虚な憎しみよりもずっといいものがあるはずだ。
サンダーボルトは緩慢に立ち上がり、スネークの横へ。そうしてどすんと腰を下ろした。
「ウォッカはあるか?」
「もちろんだ」
湖畔に瓶と瓶を打ち鳴らす澄んだ音が響き渡る。
その音色をもって、長い長い一つの宿縁が終わりを迎えるのだった。
まんぞく
かんけつ
ありがとうございました