特別だからって世界を救う義務は存在しない。 作:霧ケ峰リョク
水飛沫が飛び散り、己の長い髪の毛を濡らす。
普段ならば水に濡れた髪の毛が肌に纏わり付く不快感に顔を顰めていた事だろう。
しかし、今の自分にはそのような余裕は無かった。
髪の毛が濡れて水が唇を潤しているのにも関わらず、まるで炎天下の砂漠のど真ん中に居るかのように喉が渇き切っている。
(…………何時からだ)
一体何時からこの感覚の事を忘れていたのだろうか。
自らに振るわれる剣撃の雨を紙一重の所で回避し、それでも回避し切れずに傷を負う中、スペルビ・スクアーロは場違いな事を考えていた。
幼少期の頃から裏社会に浸かり、強くなる為に剣を研鑽し戦い続けた。
何時しかマフィア界最強と名高いボンゴレファミリー、その中でも名実共に最強の暗殺組織である
そして当時のヴァリアーのボスだった剣帝テュールを下した。
ギリギリのところで手に入れた勝利だった。その時の戦いで自分は隻腕だったテュールを理解する為に左手を失い、今のスペルビ・スクアーロという人間を作り上げた。
きっとそれからだろう。戦いの中で敗北するかもしれないという緊張感を忘れたのは。
油断や慢心が無いと言えば嘘になる。
ヴァリアーは成功率90%を下回ると作戦自体を取り下げる事もある。
スクアーロはヴァリアーの幹部であり続ける為に自らの実力を研鑽し続け、任務は常に成功している。が、逆に言えば命の危機を感じる事が無くなったとも言えるだろう。身内からの下克上や上司の無茶振り等、別の意味で命の危機を感じる事はあるが。
故にスクアーロは今、戦いにてその緊張感を思い出していた。
「クソが…………ッ!」
自らに振るわれる一撃を左腕の剣で受け止める。
ギャリィンと金属がぶつかり合い火花が舞い、刀の刃が剣にめり込んだ。
「ゔお゛ぉい!! させるかぁ!!」
鍔迫り合う剣を弾き、距離を取って自らの剣と相手の刀に視線を向ける。
スクアーロが有する剣にはいくつもの切れ込みがあり、相手が持つ刀には傷一つ付いていない。
「…………随分と舐めた真似をしてくれるじゃあねぇか」
不快そうに喉を鳴らしながらも冷静に、それでいてこれ以上も無いほどに警戒を強める。
僅かな戦いの中で理解した。眼前の敵は今まで戦って来た中でも強い剣士であると。
流派はかつて戦い下したもので、いくつかの技が知らないものだった事を除けば間違いなく勝つ事が出来るだろう。だが使い手はあの時に戦った敵とは比べものにならない程の実力がある。
恐らく才能も自身に匹敵、もしくは上回りかねない。
「ハハッ、悪りぃな。流石にあんたが相手だと手加減は出来ないからな」
「手加減が出来ない? してるだろうが。あの死ぬ気の炎を使わないんだからよ」
「これを使ったらアンタを殺しちまうからな。それにアンタには聞きたい事があるし…………何より、使えないあんたに対して使っちまったらフェアじゃないだろ」
舐めている。明らかに舐め切っている。
相手にはそのつもりは無いし、死ぬ気の炎を使わないだけで全力なのは事実だろう。少なくとも、自身の獲物をも斬り裂こうとしているのだから手加減はしていないのは間違いない。
「アンタはツナを、沢田綱吉が何処に居るか知ってるんだろ?」
眼前の敵、山本武の言葉を聞く。
「出来れば教えてほしいんだけど」
「教えると思うか?」
「だよな。んじゃあ…………倒して聞く事にするぜ」
ヘラヘラと浮かべていた笑みが消え、壮絶な表情を浮かべる。
纏う雰囲気も軽薄なものから剣呑なものに変化し、対峙するスクアーロの思考から攻撃以外の選択が消失した。
「
このまま守りをかためていたら間違いなく敗北する。
長年の戦いの経験から感じた直感に、スクアーロは迷う事なくそれに従い、攻勢に打って出た。
「うぉあああああああああああああああああああああああ!!」
周囲の水を抉り、斬って、斬り刻みながらスクアーロは山本武に技の名の通りに特攻する。
まるで鮫に食い荒らされたかのように斬り刻まれた水はスクアーロの身体を覆うように巻き上がる。
そしてスクアーロは眼前の敵を倒す為に巻き上げた水とともに剣を振るった。
「時雨蒼燕流・守式七の型」
対する山本武は迎撃する為に刀を構える。
その技をスクアーロは知っている。攻守合わせて八つの型を有する時雨蒼燕流の七番目の技、繁吹き雨。最も目の前の敵が使う時雨蒼燕流は八番目の型が全く違う技で、九番目の型も使っているが。
しかし、スクアーロが知っている繁吹き雨のそれとはまた少し違った。
持ち方がバットを構えているかのように、それでいて限界まで身体を捻っている。
瞬間、スクアーロは自身の敗北を察する。
だが時既に遅く、スクアーロは振るった剣を止める事が出来なかった。
「繁吹き雨・斬」
限界まで引き絞って放たれた繁吹き雨は最早守る為の技ではなく攻撃の技。
カウンターとして放たれた繁吹き雨はスクアーロの剣を両断する。
――――敗北。
剣士として命そのものである剣を斬られた。
破壊ではなく斬り落とされた。それが示す事実は剣士として完膚なきまでの敗北だった。
ふと、スクアーロは周囲に視線を向ける。
視線の先には同じヴァリアーの幹部である者達が地に伏して倒れていた。
「負けた、か…………」
どう足掻いても、誰が見ても、そして自分自身でさえも納得してしまう。
自分達は敗北したのだと。
「んじゃ、教えて貰おうか。ツナが何処に居るのかを」
敗者に権利は無い。全ては勝者だけが決める権利を持つ。
殺すのも、生かすのも。そして恐らく、というかほぼ間違いなく彼等は自分達を生かすだろう。
それに異議を唱える権利は敗残者である自分達には存在しなかった。
+++
「スクアーロから聞いた話だと、今ツナはイタリアに居るみてぇだな」
スクアーロとの戦いに勝利した武は船に戻り、仲間達にその情報を伝えた。
「おぉ!! それは真かぁッ!!」
「多分嘘じゃないと思うっすよ笹川先輩。まぁ、最後にその姿を見たのが一週間くらい前だから、もしかしたらもう離れてるかもしれないっすけどね」
武の言葉を聞いて了平は歓喜の声を上げ、山本は更に言葉を付け足す。
「取り敢えず雲雀や凪とも情報を共有するぜ。って、そういや獄寺は何処に行ったんすか?」
「ああ、あいつは今沢田の仕事をこなしているぞ。沢田の右腕を自称していたからな。なら席が空いている副会長の座を押し付けたと雲雀が言っていた」
「あちゃー。それで獄寺の奴、この前真っ白になって力尽きてたのか」
了平の言葉を聞きながら武は懐からある物を取り出す。
それは風紀委員会が開発した最新型の通信装置を操作する。
「確か、こうやって文字を打てば良いんだよな。電話に出れない時とかもあるだろうし、後で読めるし」
「ほう、その装置はそうやって使うのか」
「そうっすよ。そういえば先輩はコレどうしたんすか?」
「いつの間にか壊れてた」
等と会話をしながら二人は武の通信端末に視線を落とし、そして帰って来た返信を見る。
そこにはすぐにイタリアに向かうとだけ、簡潔に書かれていた。
「凪はすぐにイタリアに行くらしいっすね」
「成る程、現地集合か」
「いや、多分そのまま別れて探す感じになると思うっすね」
隣で「何故だー!」と大声で叫ぶ了平を尻目に武は空を見上げる。
単身中国に赴き消息を発った雲雀恭弥。「ボスー! 何処に居るのー!」と泣きながら笹川京子と三浦ハルと共に逃げ出した綱吉を探しに勝手に居なくなった沢田凪。
そして現在、船の中で綱吉の仕事を一人で熟している獄寺隼人。
いつの間にか船から消えていた赤ん坊達を含め、一人を除いて本当に自由気ままである。
「と、俺は一度並中に戻って野球大会に出なきゃいけないしな」
山本は懐から取り出した手紙に目を通す。
手紙にはまだ戻らないという事と、野球大会で優勝してほしいと書かれている。
「ったく、ツナの奴…………こんな手紙じゃなく、直接目で試合を見れば良いのにな」
家出をした親友を脳裏に浮かべながら山本は一人寂しそうに呟く。
一体何を考えて家出をしたのかは分からない。だけど、何となく自分達の為なのだろう。
本当に昔から変わらない、見ていて愉快な親友だ。
「それにしてもツナは今、何処に身を隠してるんだ?」
最後に姿を確認したのが一週間前で、父親の居るイタリアに居るのだからそう簡単に逃げられないだろう。
と、なると誰かが匿っているのかもしれない。
「口説いた女の子の家にでも泊まってたりすんのかな?」
そして山本の考えもあながち間違ってはいなかった。
次回、ようやく労働生活が始まります。