戦争は終わった。
世界は平和になった。
……たぶん。
深海の底から現れた彼女たちは『真人類』を名乗り、俺たち人類、もっと言うと世界中の人類国家に宣戦布告して戦いを挑んできた。
彼女らは海から出現し、海を跋扈し、海を荒らし、海から地上を襲撃する。
巨大な怪物を駆り、近代兵器で武装した各国軍を圧倒する勢いを見せた。
誰が最初に言い出したのか、群れを為して一定の統制を持って戦いを仕掛けてくる彼女たちの事を『深海軍』。
彼女たちが駆る生体兵器みたいな艦艇を『深海棲艦』。
彼女らの事を『深海人』と、畏れを込めて呼び始めた。
開戦当初、人類は各国間の連携が取れず、さらに未知の敵の力を原始的と侮り、作戦の不備から大苦戦したが、後に何とか盛り返し、一進一退を繰り返し膠着状態で10年間。お互いの疲弊が限界に達して継戦困難に陥り、ついに条約を交わして休戦に至ったのが1年前。
非戦闘地域を設けて不可侵条約を結んだ。
うん、戦争は終わったんだ。
バタバタした1年があっという間に過ぎて、いろいろと面倒な手続きが済んで、俺は昨日国防軍を退役した。
人類と深海人はまだちゃんと和解した訳じゃ無いし、復興もようやく軌道に乗ってきたばかりだけど、一つの区切りはついたんだと思う。
国は深海軍との条約に則り軍縮。俺の部隊も解散して俺自身は予備役になった。
22歳の時に開戦し、その後10年間ずっと最前線で戦い続けてきたんだが、尊敬に値する上官も、頼りになる先輩も、同じ釜のメシを食った同期も、後から着任してきた才気溢れる後輩も、順番に戦場の露と散っていき……。
「司令官!」
ハッとして、窓の外の景色に向いていた顔と意識を正面にやる。
「おい、司令官じゃなくて司令だからな。それも、元な」
対面で目の前のシートに座る彼女に向かって微笑みを浮かべ、なるべく優しく間違いを諭す。
コトンコトンと規則正しく音を立てる鋼鉄のレール。移動速度に対して流れ行く景色の動きはゆっくりだ。
彼女の瞳はキラキラと輝き、好奇心が眼から溢れて零れ落ちてきそうになっている。
「国防軍の基準はややこしくて難しくて解りにくい。そんなことはどうでもいいんだ。それより司令官、電車というのはスゴイな、早いな! 車窓から見える景色も新鮮だ!」
「元司令な、トンネルばかりでつまらなく無かったか?」
「そんな事はない、地中を高速で走る乗物とかスゴイと思った!」
少し興奮気味に捲したてる彼女を落ちつかせる意味も込めて、頭を撫でた。
「お前たちが守ってくれたんだ、ありがとう」
「む、ふぅ、そ、それは、司令官も、一緒じゃ、ない、か……」
「元司令な、俺たちだけじゃ無理だった。きっとこの新幹線も深海軍に破壊され、走ってなかった」
「んん、そ、そういう、ものか……?」
会話しながら俺は彼女の頭をナデリナデリ、彼女は気持ち良さそうに目を細めて撫でられ続けている。まるで猫、撫でられて心地良さ気に無防備に腹を見せて転がる猫。愛いやつだ、まさに愛玩動物だな。
そんな彼女の見た目だが、濃灰色のセーラー服を着た少女。推測年齢は高く見積もっても10代前半の中学生くらい。まあセーラー服は学生服ではなく、海軍に属していた俺の部隊の制服なんだが。
そして恐ろしく整った顔立ちはまだ幼さが抜けきってはいないが、将来は確実に美人になると約束された美少女。
それだけならごく普通の少女なのだが……。
白に近い銀髪と、ルビーの様な深い真紅の瞳という、普通の人間にはあまり見られない異質な特徴。
彼女はただの人間ではなく、そのルーツは『深海人』。
人類の敵、真人類を名乗り、ほんの1年前までは海洋を血と炎で赤く染め上げ、種を滅ぼさんと戦い繰り広げた深海人。
その同族……。
「司令官、海だ」
「元司令な、日本海だな」
彼女は暫く水平線をじっと眺めていたが、さしたる興味も無さそうにこちらに向き直った。まあそうだろうな、と俺は苦笑するが次の瞬間に彼女は別の何かに興味惹かれて赤い瞳を輝かせた。
「なんだあれ! スゴイ、何かスゴイナ!」
「ん、あー、アレか……」
彼女の興味は海とは逆の方向へ向くものなのであろう。
それは削られた岩盤が剥き出しになった山肌、自然にそうなったものではなく、明らかに人工的に大きく削られた巨大な山塊であった。
高さにして1000メートルを超える巨大な山が、半ばまで削り取られて岩盤を剥き出しにしたその光景は、只事ではない、さぞかし異様な光景に思うだろう。
「青海黒姫山、標高1221メートル、一等三角点の山だ」
「しかし、何故あの様な?」
「山全体が石灰岩でできていて、露天掘りの採掘場なんだ。石灰はセメントやカルシウムカーバイドの原料になるからな。採掘が始まり、貧しい漁山村でしかなかった糸魚川に繁栄をもたらし、発展させた鉱山だ」
「おお、物知りだな」
「昔登ったからな。性分で登る山の事は調べる」
「む、登る? 山に登るのか? 何のために?」
その瞳には強い好奇心が宿っていた。何かは解らないが、期待で胸を思いっきり膨らませて俺の答えを待っている。
彼女は海で生まれ、海で戦い、生きてきた。その生き方しか知らない。だから、山に登るという行為が珍しく、興味惹かれるものなのかも知れない。
「好奇心を満たす行為には特別な理由なんて無いものだ、俺は黒姫山を見て、登りたいと思ったから登ってみた、それだけだ」
「登りたかったから……」
「強いて言うなら、登って、見てみたかったんだな」
「うん?」
「あの山の頂から見える世界を、な」
「おお、一体何が見えたんだ!」
シートから身を乗り出して俺の腕を掴んで問い質してくる彼女。掴まれた腕がちょっと痛い、興奮しすぎだなぁ。
やんわり、ゆっくりと彼女の手を腕から外し、俺は話を続けた。
「抽象的で言葉で表すに値しない。辿り着く行程と、辿り着いた先に見えるもの、経験と体験をひっくるめて感じることが登山なのだと思う。だから説明しても無駄だ」
「むぅ、何を言ってるのかよく解らん」
「まあそうだろうな」
「何かズルいな、司令官は」
「元司令だ」
不満そうに唇を尖らせてドッカとシートに乱暴に座り込む彼女。その後、暫くの間沈黙が続く。
新幹線は長いトンネルに入り、景色は車窓から完全に喪失。トンネルは糸魚川トンネル、親不知トンネル、朝日トンネルと続き、暫くは土竜になって地中をひた走っていく。
しかし新幹線は早い、あっという間に長いトンネル区間を抜けて、いよいよ富山平野が目の前に広がっていく。
「関東平野とは雰囲気が違うが、随分と開いたところにやってきたな」
「ああ、俺の故郷だ」
「司令官……」
「も、と、司令だ」
俺は帰ってきた。
過酷な戦争を生き残り、故郷へ帰ってきた。
「おお、おおおお……!」
彼女が赤い瞳をめいっぱい見開いて、感動と驚嘆が混じった声を漏らしながら窓に張り付いてその光景を見つめている。そんな彼女の肩にそっと手を置いて、興奮冷めやらぬ彼女に問う。
「山が好きになったか?」
「うむ、そうだな、嫌いでは無い。さっきの黒姫山よりスゴイな、迫力がある、大迫力だ!」
「ああ、3000メートル級の名峰が屏風みたいに贅沢にズラリと並び立つ、北アルプス立山連峰だ」
「司令官!」
「ん?」
「あの山には登れるのか?」
「もちろんだ」
「私も見てみたくなったぞ、あの頂きから見える世界を!」
「よーし、落ちついたらな。ま、そんなに先の話ではない」
「ああ、この菊月と共に行こう、司令官」
「……元司令、な」
開戦当初、人類連合軍を武力で圧倒した深海軍だったが、その深海軍の中から人類側へ寝返った者たちがいた。彼女ら深海人の中にも、人類を同じ世界に生きる隣人として、共存を願う者たちがいたということだろう。
とにかく、彼女らの協力のお陰で人類はミリタリーバランスを五分に持ち込む事が出来、そして休戦協定へもっていくことができたのだ。
人は彼女たちの事を、尊敬と畏怖を込めて呼んだ。
※国防海軍組織
司令長官=提督=艦隊指揮官=海将
司令官=戦隊指揮官=海将補
司令=部隊指揮官=艦長=一佐