丸一日費やされたが役所で転居他諸々の手続きを完了し、晴れて俺は本籍地の富山県射水市へ戻ってきた。
18歳で親元を離れて自衛隊学生と成り、当時何となく世情のキナ臭さを感じつつも訓練に勤しんでいたが、憲法改正によって自衛隊は国防軍と名称を変更。学生だった俺たちにはまさに晴天の霹靂。今思えば開戦前夜の政治的な下準備の一つだったというところか?
まあ深海軍についてまだ情報が未公開だったせいもあって世論の紛糾ぶりは凄かった記憶があるな。
内容に大した違いは無いのだが自衛隊員から国防軍兵士となった俺たちへの、一般民衆やらソレを煽るマスコミからの風当たりは激しかったような気がする。気がする、という含みのある言い方だが、国内から受けるバッシングなんてギャン泣きする赤ん坊と同じで、煩いながらも大して害もない可愛いものだろう、だからそんなに記憶していない。
深海軍の攻撃は、激しく、苛烈で、理不尽で、無慈悲で容赦の無いものだったから。俺の家族はもう誰も生き残っていない。祖母、両親、妹、纏めて深海軍の地上攻撃で殺されてしまい、俺は天涯孤独の身なのだ。
「司令官!」
ああ、そうか。今は孤独というわけでは無いのか。
「菊月、司令官でなく元司令だと言ってるだろ」
「すまん、でも司令という呼称はどうにもしっくりこないのだ」
すまんとか言って、言い直す気など無さそうな菊月に呆れながらサラサラと優しく髪を撫でてやると、彼女は気持ち良さそうに目を細めていた。
「親父名義のままだった土地や家屋も正式に俺の名義に変更、戦時特約の相続税免除も適応され、正式に俺が相続することになった」
「陸人の親とかいう繋がりか。親が死んだから子の司令官が親の持ち物だったものを占有するのを国が許可する、ということか。全く陸人はいちいち面倒くさい取り決めをするものだな」
『陸人』というのは深海人が人類を指していう呼称である。そして深海人には『姉妹』はいちおうあるが『親』の概念が存在しない。
腕を組んでふんぞり返っている菊月に苦笑しつつ、やんわりと諭す。
「お前はこれから陸人の俺と一緒に陸で暮らすんだから、いろいろ学んで陸人の習慣にも慣れていかなくちゃならないぞ」
「わかった、善処する」
菊月たちfleetgirlは、深海人たちから受け入れを拒否されてしまい、戦後社会で行き場を失ってしまった者が多かった。そこで国は彼女らを縁の深い退役軍人たちの保護下に置き、戸籍を特設して人間社会の中で暮らしていくよう方針を定めた『社会適応プログラム』なる計画を発動させている。
彼女たちfleetgirlは『提督』『司令官』『司令』といった自らが認めた上位者にはだいたい服従する性質を持つのだが、要は危険分子の監視と抑制という側面があるのは否めない。
そんな裏の事情はともかく、
「そう言えば司令官と私は、この国の戸籍上では何になったんだ?」
「ああ、それは」
「配偶者か?」
液体を口に含んでいたなら盛大にぶちまけていただろう。それぐらい彼女の言葉は不意打ちで、予想外で、俺を動揺させた。
「言い直そう、この菊月、戸籍上で司令官の妻になったのか?」
「バカ、おまえのは特設戸籍だから単純に俺の被保護者だ!」
「そうなのか?」
「配偶者とか、妻とか、どうしてそんな言葉を知っているんだ」
「社会適応プログラムとか言って、軍を去る者残る者を問わず国防軍所属の全てのfleetgirlは講習を受けた」
「そ、そんなこと……、まさか意味も?」
「説明は受けた。配偶者、妻、嫁、女房、つがいの雌個体のこと。私たちfleetgirlには陸人のいう雌しか存在しないということも聞いた。つがいになった雄と雌が交配して新たな個体を製造する。私たちは遺伝子的には陸人とそれ程違いがなく、前例はまだ無いがおそらく交配可能なのだと。司令官は雄個体なんだろう? だから私はてっきり……」
パチン、と音が立つくらい強く自分の額を手のひらで打って、そのまま顔を覆う。盛大な溜息が俺の口から漏れていくのを止められない。
あ〜クソ、そういうことかよ、この国のトップはマジで何を考えているんだ!
社会適応プログラムとは、fleetgirlたちの監視、抑制に加えて、そういう目的もあるということか。わざわざ特設戸籍なぞ設けて、養子縁組で義兄妹になるわけでも義親子になるわけでもないのは、つまりそういうことを見越しているんだな。
だが、どれだけの説明を受けてきたか知らないが、fleetgirlたちが結婚と夫婦と子作りという人間の制度についてちゃんと理解しているのか怪しいものだ。
それよりも、彼女たちの社会適応の問題はもっと目先にあるというのに。
「どうした司令官?」
キョトンとした顔で首を傾げる菊月。気付いてない、のか? ……うん、気付いてなさそうだ。
彼女の瞳の中には俺しか写ってないのか、他は眼中にないのだろうか?
……そうだった、fleetgirlたちはそもそもそういうものだった。
役所の職員が、菊月の特設戸籍の手続きを申請する俺を白い目で見ていたこと。
子供が菊月を指差して、母親に焦って咎められていたこと。
これだけ混雑しているのに、俺と菊月が並んで歩くと人波が別れて道ができること。
彼女にとってそれはどうでもよいこと、fleetgirlは自分たちの指揮者以外の人間には、殆ど興味を示さないのだ。これからそんなfleetgirlたちと周りの人間との間で様々な軋轢が発生するだろう。そんな時俺は彼女の楯とならなくてはいけないということか。国が俺たちに期待している一つの側面なんだろう。
彼女たちの人類社会への適応がどうなされていくのか、まだまだ不透明だ。
「おお、司令官、立山連峰は今日も綺麗だな!」
「元司令だからな」
二人で市役所を出ると、南東方向にそびえ立つ立山連峰がよく見えた。春から夏にかけては、空気の澱みでなかなかお目にかかれる日もないのだが、今日はなかなか良い眺望だな。
「うん、良い、堂々としている。やはり立山は一際目立つな」
「菊月、おまえ……」
ウンウンと何度も頷く菊月の様子にふと疑問を感じる。
「どれが立山なのか解るのか?」
「勿論だ、3015メートル、あの山脈の中で最も標高が高い主峰だろう。言われずとも見れば解る、この菊月の目に狂いはない、アレだ!」
満面のドヤ顔で胸を張って指を差し、自信満々で答える菊月。
その指先が示していたのは、
「ふははは!」
「なっ、な、なんなのさ! なぜ笑うんだ司令官っ!」
そのドヤ顔が余りにも可愛いくて思わず噴き出した。真っ赤な顔で焦って怒る菊月も可愛いらしくて腹を抱えて笑ってしまった。
「菊月、あれは立山ではない」
「ふぇっ」
「立山に次ぐ名峰には違いないが、あれは剱岳だ」
「な、何と!」
立山連峰は富山県の殆どの場所から見ることができるが、その連峰の中でも一際目を引く鋭く尖った峰が特徴的な美しい単独峰が剱岳なのだ。
「標高2999メートル、氷河により削られて形成された氷食尖峰の山岳。『岩と雪の殿堂』と呼ばれる険峻な威容は登山者を圧倒し感動を与える、立山連峰屈指の名峰だ」
「むぅ」
「そして、地上から眺めるとちょうど立山連峰の真ん中のあたりにあの美しい峰がやってきて、その立派な山容から剱岳を立山と勘違いする者も多い」
「うぐぐっ」
「ちなみに、剱岳の右に見えるなだらかな台形の山が立山の主峰だ」
「うあああああっ!」
両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまう菊月。別にそんなに動揺しなくてもいいのだが。慰めのつもりでポンポンと肩を優しく叩いてやる。
「ふっ、この菊月、この程度では沈まぬっ!」
(お、中破だったか)
「司令官何故だ! 何故あの立派な山が立山でないのだ、もうアレが立山で良いではないか!」
「そうだな、実は古代の人も菊月と同じだった」
「え?」
『朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ』
「今から1300年くらい昔の詩人が歌った立山の詩の一片だ」
「む、む〜、難しいな」
「口語訳すると、朝日が背後から射して神々しい。その名の通り白雲を幾重にも押し分け天に向かってそびえ立つ、これぞ立山。冬も夏も絶えまなく真白な雪が積もり、いにしえの昔からそのままの姿で変わる事のない岩陵は、神々しい姿のまま幾代を経てきたことだろうか、って感じだ」
「ほう、これは賛歌だな」
「うん、この詩を歌った大伴家持という人は、とにかく美しい立山の姿に感動したんだろう。そして注目するべきは、立山をタチヤマと読んでいるところだ」
「タチヤマ? 立の字をタチと読んでいたのか」
「タチは太刀、つまり立山は太刀山に通じる」
「太刀は剣、太刀山とはつまり剱岳のことか!」
「御明察、付け加えて大伴家持は越中国(古代富山県)の国司(中央から派遣された県知事)。国司拠点、国府は射水郡にあった。だから今菊月が見ている立山連峰とほぼ同じ立山連峰を大伴家持も見ていたということだ」
「おおおっ、そうか! 剱岳、確かに雲を切り天を突く鋭い尖峰だ。うん、実に素晴らしい。もう剱岳が立山で良い!」
「あははバカ、だからそれは古代人の解釈だ。今は国土地理院にもしっかり定められ、点の記に名称が記載されている。剱岳は三等三角点、剱岳。立山は一等三角点、雄山と」
「むむ、立山は雄山?」
「ん、立山の説明はまた今度な」
「むー……」
「さあ、スーパーに寄って家に帰ろう」
「ん、司令官に従う」
「元司令な」
二人並んで歩くと、菊月の小さな手が俺の手をそっと握ってくる。そうするのが当たり前のような、自然な動き、自然な流れで。
見た目10代前半の彼女と33歳の俺は余りにも不釣り合い。とうてい夫婦や恋人には見えないだろう。しかし天涯孤独の身となった俺には、菊月の存在が救いであることは間違いないのだ。
例え、制度の裏に下衆な意図が隠されていたとしても、それでも、救いは救いなんだ……。
※元司令は33歳独身恋愛経験無し、もちろん童貞。菊月は人類側に付いた深海人たちの技術提供を受けて設立した工廠にて建造された、実年齢5歳。
※深海戦争で軍民にかなりの犠牲者が出た為、身元さえはっきりしていれば遺産相続の手続きを簡略化でき、税金がかからない特約がある。もちろん悪用する相続詐欺師が横行するという側面もある。
※ほとんどのfleetgirlたちは提督、司令官などに服従するが、中には反抗的な性質の者もいる。「クソ提督!」とか「このクズ!」という暴言を吐いた者や「撃ってもいいですか?」と銃口を向けてきた者もいるとか。