世界各地に人魚の伝承が残っている。
一般的に認知されている人魚とは上半身が女性で下半身が魚の形をしている水棲動物である。西欧に伝わるセイレーンやシレーヌ、ローレライなども人魚に含まれるが、こちらは半魚形態ではなくセイレーンやシレーヌは半鳥、ローレライに至っては不明。
共通しているのは殆どの人魚が女性であること、男人魚も無いわけでもないが世界的に見て例は少ない。
人間に対してあまり友好的ではなく、不吉の象徴とされることが多い。人を襲い船を沈めるものもいる。
江戸期から明治、日本の見世物小屋に端を発した精巧な人魚の剥製。これは猿や鯉などを元に作られた偽物であった。
人魚は伝説や伝承の域を出るものではなく、その存在は曖昧なものだとされているが……、一つの記録がある、俺の故郷の富山の昔話なんだが。
文化ニ年(1805年)越中国の放生津淵(射水市新湊の沿岸部)から四方淵(富山市四方の沿岸部)にかけて、体長11メートルという巨大魚が出現。
漁船を直接襲って沈めたり、高波を発生させて沿岸部の漁村に被害をもたらした。その巨大魚は長い髪の女の顔だが、三つ目であり、頭部には角が生えているという怪物であった。
加賀藩が鉄砲450丁で武装した軍勢を派遣して巨大魚を迎え撃ち、なんとか追い払った。(捕獲たとも殺したとも言ってない)
古代より怪物を退治する英雄の昔話というものは数多あるが、この話には英雄などどこにも出てこない。怪物が現れて、被害が出たから軍勢が出撃し、これを追い払ったという事情が淡々と書かれているだけであるが、それが逆に生々しくリアルに感じてしまうのは俺だけだろうか?
俺は、この話の中にある人魚が、あるものにソックリに思えてならない。
確かに大きさは違うのだが、これはまるで深海軍の、深海棲艦に……?
……………
後世に深海戦争元年と呼ばれた年、世界各地の人類国家が、史上初めて多種族勢力と武力衝突。情報が錯綜し混乱状態の中で、我が国防海軍も未知の敵勢力と海上で会戦したのだ。
まず会戦直後から電子機器の不調が相次ぎ、OPY-1もその性能を発揮できていなかった。
敵戦力の集中を確認し、先制攻撃を仕掛けるべく出撃していった空軍機のF-15JやF-4EJ、そして改装空母いずもから発艦したF-35Bが全機消息不明になってしまう。
我が国が誇るAWSが、その機能を殆ど発揮できず、しかも捉えていた筈の敵影を見失い、現代戦の要である電子戦でいきなり先手を打たれた格好になり艦隊は目と耳を塞がれた状態になった。
SH-60が必死の哨戒飛行を行い、接近する多数のアンノウンを発見。相変わらずOPY-1は不調だったが、護衛艦隊はすぐさまESSMを発射してアンノウンを全て撃墜、敵の第一波攻撃を退けて歓声が上がった。
この時は、まだ勝つと思っていた。
最新鋭武装の我国の兵器の性能と、我軍の兵の練度と、80余年間更新し続けて練磨されてきた戦術を、信じていた。
深海軍の物量と、戦術と、その戦闘力を知らなかったのだ。
再びアンノウンを探知、敵の第二波だった。艦隊は初回と同じく防空体制を整え、ESSMを放つ準備をする。
その時、その現象は起こった。
殆どの人間が、不快な耳鳴りを覚えて咄嗟に耳を塞ぐ。
全ての電子機器が一斉に狂奔、暴走して国防海軍のC4Iシステムは崩壊、艦隊行動が殆どとれなくなってしまった。
放たれたESSMは目標を見失い明後日の方向へ飛ぶだけ。
隊員は激しい頭痛に苛まれて呻きを上げて倒れていき、衝撃が走り船体がグラリと揺れた。アンノウンによる一斉攻撃が始まったのだ。
殆どの隊員たちが原因不明の頭痛で動けずにいる中、何人かの隊員は状況を確認しようと動き回っている。俺は、無事な人間の一人だった。
最初こそ耳鳴りがしたが、その後の頭痛はない。それよりも、一定の音程が頭の中に響いてくる。音程、つまり、リズム。強いて言うならば、歌? 機械を狂わせ人に害をもたらすこれは、伝承にある人を惑わし船を沈めるという、人魚の呪歌だったのかもしれない。
この謎の現象と俺の体質が、その後の国防軍の再建に大きく関わり、俺自身の人生にも影響を与えることになるのだが。
再び衝撃が走り、今度は爆発を伴って火の手が上がった。戦況の確認よりこちらを優先、まだ無事だった他の隊員と共に消火活動を開始する。FCSはまだ何とか機能しているのか、CIWSのグオーっと激しく連なった銃撃音が聞こえてきた。この艦はまだ大丈夫、な筈。
何とか消火して、小窓から外の様子を伺ってみると艦内以上の地獄絵図が海上に広がっていた。
「ああっ、いずもが……!」
激しく燃え盛る炎に包まれ海面を禍々しいオレンジ色に染めている、歪んで変形した巨大な船体はだいぶもう傾いている。
「国防海軍が誇る改装航空母艦が……!」
会敵して、ものの数分で国防海軍艦隊は甚大な被害を出した。通信は壊滅し艦同士の連携もままならない。
電子機器によるシステム戦術に頼りきっている最新鋭艦はこうなってしまうとあまりにも脆弱だった。軍艦というには紙同然の装甲しか持たない、海に浮かぶ的に過ぎなかったのだ。
「な、なんだ? フリゲート? いや……」
新たに海上から接近してくる多数のアンノウンの姿を視認した。
それは、艦というには余りにも異質で、確かに遠目に見てサイズはフリゲート級なんだが……。
一つ目が赤く輝きを放ち、凶暴そうな大きな口には歯があった。うんねりながら海上を泳いでくる、艦のように巨大なそれは、どう見ても生きている、生物的な艦のようなもの。
深海軍の戦闘艦、深海棲艦であった。
「アイツら突っ込んでくる!」
敵艦の意図を感じとった味方の艦艇はそれぞれ回頭し退避行動をとり、その間にも5インチ砲が砲撃を繰り返した。砲弾が命中した敵艦は、やはりというか悲鳴を上げて血を流している。巨大だが、やっぱりアレは生物だった。
ただ突っ込んでくると思われた敵艦隊が、また違った動きを見せた。知性など無さそうな怪物に見えたアレが、一定の規則性を持って移動している。
「アイツら一列に? あ、単縦陣?」
敵艦が一斉にこちらに向かって左舷を晒した時に、悪寒が走った。
「もしかして、丁字戦法! ヤバイっ!」
遠隔からのミサイルの撃ち合いになっていた現代海戦では、とっくに廃れてしまっていた古典的戦術ではあったが、この状況では充分過ぎるほどの威力を発揮したのは、言うまでもない。
………………
「痛くないか?」
「大丈夫、ぴったりだ司令官!」
「ならこれにするか?」
「うん!」
菊月の足に履かせていた靴を一旦元箱の中へしまい、そのままレジへと持っていく。
「持つか?」
「いや、自分で持っていく」
キラキラと瞳を輝かせる菊月、トレッキングシューズの入った元箱を抱えてウキウキと足取りは軽やかだ。
今日は高岡市のスポーツ用品店で山道具を買いに来た。山道具とは何ぞ、と一つ一つ上げたらキリがないのだが、まずは三種の神器と呼ばれる基本道具を揃えてなくてはいけない。
曰く、登山靴、ザック、レインウェアであるが、特に重要なのは靴だと断言する。
ぶっちゃけザックとレインウェアは、登山用のものでなくてはならない、ということもないからな。登山用のものに越したことはないが、普通のデイバッグでも、作業用の合羽でもそれほど問題がない。しかし、登山靴は違う。スニーカーと登山靴では登山道を歩く効率が違うし、滑って転倒する確率も変わってくる。
怪我から身を守ることになるし、登山靴を履いていたから命が助かった、なんてことすらあり得るのだから。だから、登山するならまず靴から!
俺の持論である。
「司令官、どうかな?」
ちょっと恥ずかしげな様子で、頬を赤らめた菊月が真新しいトレッキングシューズを履いた足を見せてくる。
うおお、かわい……いかん、いかん、俺は何をっ!
俺と菊月は釣り合わない、絶対に釣り合わないのだ、変な気を起こすな。
「うん、よく似合っている」
「そうか、ありがとう司令官。ところで」
「何だ?」
「今日こそ、登りに行きたいのだが……」
遠慮がちに、上目遣いで俺に懇願してくる菊月の頭に手のひらを乗せて、サラサラと撫でる。
「いいぞ。山デビューするか」
わあっと俺の胸に飛び込んできた菊月の小柄な身体をよいしょと抱きとめた。
「司令官じゃなくて、元司令な」
菊月を放して、スポーツ用品店を後にする。菊月の手はしっかりと俺の肘に絡まり、腕を組んで歩いている状態だ。なんだか最近、距離が近い気がするなぁ、まあ別にいいんだが。
スポーツ用品店の駐車場からも見える、その山を指差した。
「菊月、今日はあの山へ登ろう」
「ほう、なんていう山だ?」
「二上山、新品の靴は硬いから歩き慣らさないとよくない。二上山は登山道も整備されていて歩きやすく、靴慣らしには丁度いい」
「うん!」
二上山は高岡市の最高峰だが標高は274メートルと低山である。越中三大山城の一つ守山城があったのは二上山塊の中の城山。全体的に公園化されており、頂上直下まで二上万葉ロードと呼ばれる舗装路があるが、登山道(という遊歩道)も整備されていてトレッキングを楽しめる。
「二上山の東麓は高岡市伏木地区だ。伏木古府にはかつて越中国府が置かれ、国司館跡もあるぞ」
「越中国の国司、覚えているぞ、大伴家持だな」
「その通り、今日はその伏木ではなく、南麓の守山地区にある射水神社から登る」
「ふむ、射水神社、それは二上権現なのか?」
「あー、ちょっと違うかな。その昔、二上山には養老寺という寺院がり、そこが二上大権現として威勢を張っていたらしいが大火で焼失してしまい、以来二上権現は再建されていない」
「むぅ、それは残念だ」
二人で並んで話をしながら射水神社の表参道を歩き、お詣りをしてから本宮の裏にある登山口までやってきた。登山道に入る前に、軽く屈伸したり伸脚したりして身体をほぐす。菊月も俺を真似て二人でストレッチをやっておく。
「司令官、行こう!」
「よし、行くか」
若干杉の折枝が落ちてはいるが、崩壊部もない整備された階段を登っていく。
「あまり慌てるな、転ぶぞ」
「む、解った司令官に従う」
「元司令な」
階段を登りきると遊歩道と合流する。遊歩道は二上学び交流館というところが始点になっていて、そこから登り始めるものも多い。砂利が敷かれて幅もある、歩きやすい緩やかな尾根道だ。
振り返ると眼下に小矢部川が流れ、高岡市から射水市までを一望できる。
「菊月、大丈夫か?」
「大丈夫だが、少し暑いな」
「急いで行く必要はない、水分を補給しよう」
「解った」
送電線の鉄塔の下にベンチがあり、そこで少し休んでお茶を飲んだ。この場所は少し開けていて風がよく通る。
「うーん、爽やかだ」
「行くか」
「菊月、出る!」
今日も天気が良く、登山道はハイカーで賑わう。すれ違う度に、こんにちはと挨拶をした。
「人が多い、人気の山なんだな」
「危険箇所もなく緩やかだからな、散歩がてら歩けるし、小さな子供でも登れる」
「司令官は、私を幼子扱いしているのか?」
「確かおまえは、俺がFG運用艦に配属されて初めての部隊に新規配属されてるから……」
「製造から5年だ」
「5歳なら、小学校にも上がらない小さな子供だ」
「む〜っ!」
「ふはは、冗談だ」
不機嫌に頬を膨らませる菊月の頭を撫でてやる。
fleetgirlの5歳と人間の5歳は違うからな、いろいろと。
しばらく歩くと、中腹の社に辿り着く。
「悪王子社? 何かの神を祀る祠?」
「違う、ここに祀られているのは神ではなく、魔性だ」
「ええっ!」
「その昔、二上山に巣食っていた悪王子という恐ろしい魔力を秘めた妖魔だ。麓の村に若い女子の人身御供を要求し、もし拒否したら天災をもたらしたと言われている」
「そんな……」
「それを都からやってきた一人の侍が退治したんだ」
「サムライとはいえ、ただの人間が恐ろしい妖魔を倒せるのか?」
「これが並の人間ではなかったのだ。伝承では俵藤太だと言われている」
「タワラノトウタとは誰だ?」
「本名は藤原秀郷。近江国を脅やかした妖魔大百足を退治したり、叛乱の兵を挙げ関東を席捲していた平将門の追討をやってのけた人物で、本朝でもかなり名の知れた英傑の一人だな」
「ほーう」
「俵藤太に討ち取られた悪王子が復活しないよう祠を建てて祀っている(封印しているとも言う)のがこの悪王子社さ」
「な、なるほど……」
菊月が寄ってきて俺の手を握ってきた。顔が少し青くなってきた気がするし、冷や汗もかいてるな。もしかして、怖いのか?
「ちなみに悪王子の伝承には別ヴァージョンがあって、俵藤太でなく行基上人が法力で悪王子を降参させたという話もある」
「なんだそれは?」
「悪王子の正体も大蜘蛛だったり大蛇だったり、まちまちだ」
「随分と胡散クサイナー」
「ま、伝承とはそういうものさ」
そう、伝承とか伝説なんてものは曖昧で胡散臭いものだ。リアルな怪物だった深海棲鑑とは違う……。
悪王子社から更に先へ進むと一旦舗装されたアスファルトの道に出る。道を横切る前に一旦停止すると、城山側から降りてきた自転車が猛スピードで走り抜けていく。
巻き起す風圧が菊月の前髪を持ち上げ、リアホイールのラチェット音を耳に残して走り去っていった。
「颯爽と走っていったな」
「ロードバイクだな。万葉ロードは城山まで舗装されてるから、ローディたちのヒルクライムの練習場にもなってるんだ」
「ふーん」
菊月、ロードバイクは琴線に触れなかったのか大して興味がなさそうだった。
「それより司令官、道路の向こうに誰かいる」
「ああ、大伴家持の像だ」
「おおっ、立山の詩歌を読んだ風流人か!」
「よく覚えているな、家持像の脇に登山道が続いているぞ」
てててっと走っていき、少し石段を登って家持像の隣に並び、後ろを振り返って景色を眺める。
「朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ」
「すごいな、記憶してたのか」
「司令官が教えてくれた詩歌だからな。それより、ここから見える立山は、まるで海面に浮いているようだ」
「ああ、富山湾は湾曲しているからな。二上山は海岸に近く、この位置からだと立山連峰は海越しに眺めることになるんだ」
「素晴らしい」
家持像は二上山の頂上直下、あとはこの石段を登りきればいよいよ。
「着いた、二上山山頂!」
山頂の標識に、社、それとベンチがあるのだが……。
「な、何も見えない。鬱蒼としている!」
「あはは、こういう山もあるってことだ」
「む〜……」
二上山山頂は木々に覆われ、景観が全く臨めない。
いろいろ期待していたらしい菊月、ものすごく不機嫌そうにむくれてしまった。
「菊月、ベンチで補給食を摂ろう」
「なんだかガッカリダ……」
「この頂上の社は日吉社で、先の悪王子社と対になって……」
「司令官、今日はもういい、それより補給食をくれ」
「ああ、解ったよ」
むくれて補給食のオニギリをほうばる菊月も可愛い……。
思わず手が伸びてサラサラした銀髪を撫でると、ちょっと動きを止めて軽く睨んでくる。それからフンと外方を向いてしまった。
「菊月、一旦万葉ロードへ降りてから海側の峰の大師ヶ岳まで行くと眺めが良いぞ」
ばっと勢いよく振り返る、大きく開かれた赤い瞳が、期待を込めて俺に注目していた。
「疲れたか?」
「私はまだまだ大丈夫、行こう!」
幸い富山には登る山がたくさんある。登山道は長い、ゆっくり行こう、二人でゆっくりと歩いていこう。
今日は、その最初の一歩になるんだから。
お疲れ様でした。
前段がシリアスな深海戦争、後段がほのぼの登山話。二段方式でいろいろ書いていたらボリュームが多めになりました。