「結界、ですか?」
「はい、強力な力を持つ艦隊司令官クラスの棲姫と呼ばれる海人は、一定範囲にフィールドを作り出します。そのフィールドの内に無防備に入ると電子機器や人体に悪影響を及ぼします、まさに結界です。その棲姫の力の強さによって範囲が変わるわけです」
「対抗手段は?」
「こちらでも結界を作り、敵の結界を中和させて相互不干渉空間を作り出してしまえばよいのです」
「それだとミサイルなどの兵器は」
「ハイ、当然ですが敵も味方も誘導兵器は一切用を為しません、放たれたミサイルには結界が張れませんから明後日の方向に飛んでいくだけで、まず命中しないでしょう。レーダー管制による射撃はまだ何とか有効ですが」
「だから深海軍は古式ゆかしき実弾砲による砲戦と、突撃歩兵による白兵戦や移乗攻撃というスタイルなのですね」
「その通りです、陸人の海戦の歴史ではとうの昔に廃れてしまった戦術ですが、現戦役では有効と言わざるを得ません」
ふむ、誘導兵器の無力無効化に伴う砲撃戦と白兵戦への戦術回帰か。何だか有名な某アニメの設定のような話だな。
「実は歩兵クラスの海人もフィールド展開できるのですがその範囲は狭く、自分一人を守る結界を張れる程度です、彼女たちは戦闘中常にフィールド展開し結界を張っています。逆にフィールド展開できない海人は兵士になることができません」
「え、ということはもしかして?」
「ハイ、察しの通り、結界の効果は敵味方の区別をつけられません。結界の影響を受けない耐性を持つ者は海人でも稀で、それはだいたい強力な力を持つ棲姫クラスだけなのですよ。私としては、結界の影響を受けない陸人、つまり皆さん達にこそ興味惹かれます」
「なるほど、深海軍の戦法や戦術は決して完璧なものではなく、何となく付け入る隙がありそうだな」
国防海軍は開戦早々一敗地に塗れた訳だが、次回、同じ轍を踏むわけにはいかない。しかし対深海軍戦術を編み出すには、まずは深海軍がどのような軍隊で深海人がどのようなものなのか知らなくては話にならない。
そこで急遽俺たちの教導官として着任してきた教官連中なのだが、この女性教官、後ろで束ねてアップにした髪は銀色。リムレスの眼鏡の下にある垂れ目がちな瞳の色は、赤い。彼女は亡命深海人だ。
実は開戦するずっと前から人類とコンタクトをとってきていた深海人の一派があるらしく、深海人も一枚岩ではないということである。そもそも戦争など望んでいない深海人も数多くいるらしいが、まあ、深海側の社会事情については一軍人に過ぎない俺は知らなくてもいいことだ。
ちなみに彼女、今は国防海軍戦術教官カトリを名乗っている。カトリは銀髪と赤い瞳以外は殆ど我々陸の人間と変わりが無いように見える、角も生えてない。
我が国語を流暢に話し、物腰が穏やかで説明も解りやすい。何よりその麗しい見た目から、今では士官たちの憧れの的である。
カトリ以外に技術教官のアカシとも会ったが、やはり見た目麗しい容姿であった。もっとも、しっとりした雰囲気のカトリと違い、アカシの方は溌剌とした元気な技術屋のお嬢さんっていう印象だったが。
陸の女性より確実に美人率が高いように思えるが、やはりそれは彼女たちが製造によって作られた存在という事が大きいのかも知れない。遺伝子情報を元に工廠と呼ばれる培養槽で生み出されるらしいが、醜い外見の遺伝子は淘汰されていったのかもしれない。
その傾向はfleetgirlにもしっかりと受け継がれ、彼女らの容姿も麗しい。俺のバディとなった神通も可憐な美少女という雰囲気だ。
カトリやアカシはすっかり国防海軍に馴染んで受け入れられているようだが、その見た目が相手に与える印象の良さの影響が強いのは否めないだろう。士官候補生は殆どが若い男だ、講義を受け質疑応答する候補生たちの目の色が違う、なんだかキラキラと輝いているような気がする。
「どうしましたか1尉? 私の講義は解り難いですか?」
「いえ、そのようなことはありません、解り易いと思います」
「それは結構です」
カトリが目を細めてじっと見つめてくる、俺の様子を探っているのか。
ふん、教場の候補生の中にあってただ一人、一歩引いて(物理的ではなく)受講していた俺のことに気が付いたのかもしれない。
この世はなかなか世知辛くて、生まれながら得をして楽に生きていける人間と、そうでない損な役回りを請け負う人間がいるものだ。俗にいうリア充と非リア充というやつだな。
俺ははっきり言って女が苦手だ。殆どの女は男を外見で判断する。女にとって俺は道端の雑草か路傍の石ころ程度の存在でしかない、実際扱いはそんなもんだった。
人を見た目で判断するのは女だけじゃない、学生時代も軍に入隊してからも活躍を大きく取り上げられて前面に出てくるのは、外見が良い派手な者だった。
外見が地味、あるいは劣るものは功績や実績をあまり認められず過小評価になりがちになるばかりか、その功績さえ奪われ、他に譲らされることだってあった。その方が組織の宣伝、メディアへの報道的に有効なのも認めないではないが。
それはともかく、俺はカトリのような美貌の女は……特に苦手なのだ。彼女に他意がなく、悪意も無かったとしても、苦手なものは苦手なのだ。
だから彼女の綺麗な赤い瞳にじっと見つめられ続けるのは……、辛い。
「カトリ教官、その赤い瞳であまり私を見ないで頂けますか? 殺したくなってしまうので」
「エッ!」
俺の言葉で教場が一瞬にして凍り付き、カトリの顔面から血の気が引いて青くなった。
カトリを気に入っている候補生の一部が殺気立つのを感じたが、知ったことではない。
「私の家族は深海軍に皆殺しにされました、私自身も深海人に追い回され殺されかけました。貴女がやったことではなく無関係なのも理解はしていますが、やはり好きにはなれません、殺したくなるほど嫌いです」
「あ、あの、ごめんなさい……」
「いえ、私のことは気にしないでどうか講義を続けてください」
言葉を失い、瞳に涙をためて棒立ちになっているカトリに、ほんの少しだけ罪悪感を感じた。
……………
朝、というには早い時刻に目を覚まし、身体を寝床から起こそうとしたが、腕が引っかかり起きられなかった。
「む、菊月……」
またしても俺の布団に潜り込んでいる菊月。しかも、しっかりと腕を抱きながらスヤスヤと寝息を立てているんだが……無防備過ぎる奴だ、毎回こんな有様で困る。
腕に絡みつく菊月の手をやんわりと外し、俺はそっと布団から出て洗面所へ向かう。電動シェイバーで顔をなでるとシャリシャリと刃が音をたてた。
「やれやれ、相変わらず濃い髭だ。朝剃っても夜には、な」
麗しさの『う』の字も無いものが鏡に映っていた。
深く剃っても青く顔に残る髭、味付き海苔を貼っているのかと疑われたことすらあるぶっとい眉、明太子のように厚い唇に、鰓が張って角ばった頬、今は寝間着の下で見えていないが、全体的に身体の体毛は濃く、無駄にでかい図体はどうやっても細身にはならなかった。
こんななりで山ばっかり登っていたから、学生時代は『熊男』なんて呼ばれていた。まあ面と向かって言ってくる奴こそいなかったが、女どもがクスクスと嘲笑ってバカにしていたのには気が付いていた。
今更どうでもよいことではあるが……。
「司令官……」
「元司令だ、菊月」
眠そうに眼を擦りながら俺の後ろに立つ菊月。
「朝日も上っていないし、起きるにはまだ早い。もう少し寝ていてもいいぞ」
振り返ってそう声をかけると、俯いたまま寄ってきた菊月が、俺の寝間着の袖をつまんでクイクイと引いてくる。
「私を置いて黙って布団を抜け出すなんて、酷いじゃないか……」
「む、そ、それは」
「寝ろというなら、一緒に布団に戻ってほしい」
「い、いや、だが」
「司令官が一緒だとよく眠れるのだ。否、むしろ一緒じゃないと、あまり眠れない」
「エエェ……」
菊月の邪気のない赤い瞳が懇願している、目で訴えてくる!
ど、どうしたら……いやいや、俺は菊月の家族であり保護者だった。被保護下にあるこの子にこのように頼まれて、拒む選択肢は有り得ないのだった。
「解った菊月、共に行こう」
「むう、司令官、それは私のセリフだぞ」
「あはは、元司令だ」
寝室に戻って敷布団の上に横になり、掛布団をかけると、そこに当然のように菊月が潜り込んできて、さすがに心の臓が跳ね上がりそうになった。その動揺を何とか抑え込み、努めて冷静に言葉を吐いた。
「おい、何故自分の布団に入らない?」
「ん、私が自分の布団を抜け出してから数時間経っている。すっかり冷えてしまって寒いのだ」
「だからってな……」
「それに落ち着くのだ、本当に良く眠れる。ファ、オヤスミ司令官……」
「おやすみ菊月(俺は眠れそうにないがっ!)」
こちらの気も知らないでさっさと寝息をたて始める困った美少女。
だからな、俺はもともと女が苦手で、女性経験が全く無くて、しかし別に性に興味がないわけではなくて、
つまりな……
ムラムラするんだよっ!
確かに菊月の外見は幼く、成熟した女性のそれとはかけ離れてて未成熟ではあるのだが、別に俺は特別に幼女が好きってわけでもないが、さすがにこれだけ遠慮なく接近されるとクラクラするんだよ。
しかし、ここは正念場だ、無心になれ、呼吸を整えて心を落ち着かせるのだ。寝なくてもいい、雑念を除いて瞑想するように横になっていれば……。
その時、すでに寝に入ったと思っていた菊月の目がパチッと開いてかなりの至近距離で視線が合った。
「しれい、かん……」
しっかりと覚醒しているわけではないのか若干虚ろな目をしたまま、その顔が近づいてきて……。
「チュッ」
「!」
唇が触れた。軽くだが、菊月の唇が、俺の唇に!
この見苦しいタラコのような不細工な唇に!
そのまま俺の胸に顔をうずめてスリスリとほおずりする!
よ、よせ! そこはシャツ一枚めくれば、わしゃわしゃと剛毛が奔放に生えまくる醜い胸板だ!
あああ、やばい、菊月、さすがに我慢が、これ以上は……!!
「むふぅ、すきだぁ、わたしをよめにぃ……」
「む……」
心の温度が急速に下がっていく。
菊月の本心を聞いてしまい、返って冷静になった。
当然嬉しさはある、この娘は、本当に俺なんかを好きになってくれたんだ。
きっと俺が十歳も若かったなら、この告白を即受け入れて明日には結婚届を役所に提出しに行ってたかもしれない。国家の策略ではあるが、何の問題があらんや、甘んじて策に乗ってみせよう。
しかし、今はそう考えない。ここで劣情に流されず一旦冷静になってしまえるのは、それなりに歳をとっているからなんだろう。
「何でこんな地味で不細工な男を好きになるんだか」
さわさわと菊月の頭を撫でて、
「俺も好きだ菊月、だが君はまだ世間を知らなすぎる、人を知らなすぎる。そして、国防海軍司令ではない普通の人間としての俺を殆ど知らない」
俺の胸ですやすやと眠る菊月をそっと抱き寄せつつ、しばらくぼんやり天井を眺めながら思う。
「もう少しだけ、時間をくれ……」