6
タースト教の大聖堂前の広場に大きな祭壇が用意され、その周辺を大勢の近衛兵と八機の儀仗兵仕様の〈ロダン〉が固め、祭壇に何者も近づけないように警備していた。
その更に周りを千数百もの大観衆がひしめいている。
広場だけではない。建物の窓や、屋根の上にも人が群がっており、これから行われる教王の演説を心待ちにしていた。
『ワルター・ギーゼン二十四世様がこれより演壇に上がられる。皆の者、静まられよ』
先に祭壇にいた近衛隊員がマイク越しに民衆に呼びかけると、ざわざわとしていた空気が一瞬で静まり、全員の眼が祭壇に集中した。
その静寂の中、祭壇脇の階段からゆっくり登ってくる老人がいた。
タースト教現教主、ワルター・ギーゼン二十四世教王その人だ。
ワルターが祭壇中央のマイクに近づくと、近衛隊員は一礼してワルターに場所を譲った。
『親愛なる民よ。絶対神カイラス・ギリに選ばれし神の子達よ。今日はよく集まってくれた』
マイクを前にして、数秒の沈黙を挟んだワルターが静かに口を開く。
集まった民衆が一斉に歓声を上げ、広場全体の空気を震わせる。
ワルターは微笑み、民衆を制するように右手をスッと挙げた。
すると民衆が静まり返り、続くワルターの言葉を心待ちにする顔を祭壇に向けた。ワルターは再び十秒程時間を空けて語りだす。
『明日、サルベイションのサイクロプス討伐隊が出発する。今年は神聖歴二千十八年。人類がこの街だけに残された時代になって今回が四百三回目の戦いである・・・・・・』
その様子は儀仗兵仕様機から映像として中継され、シティ各所に配置された〈ロダン〉の操縦席にあるモニターにも届けられる。そのため敬虔な信者でもある操縦士達は、遠く離れた配置箇所においても教王の演説を観る事ができた。
それはイーストブロックに配置されたカインの機体も同様で、ついに始まった演説を現地にいる民衆と同じ気持ちで聴き入っていた。
広場に行けない市民達も、今はラジオや街頭スピーカーを通してこの演説を聴いている。〈ロダン〉の足元に群がる民衆も静かになり、教王の言葉に耳を傾けているようだった。
映像付きで観られるのは、モニターがある『巨神』に乗れる操縦士の役得だったが、今のカインには、教王の元に街全体が一体となっているという恍惚感の方が優っていた。
『イーストブロックにて異端者発見。現在審問会の警察部隊が確保の為現場に急行中。審問会側から救援要請はきていないが、念のため付近の〈ロダン〉は警戒を怠るな』
教王の演説に混じり、サルベイション本部からの無線が流れる。せっかくの演説を台無しにするタイミングに舌打ちをしたカインは、転送されてきた位置情報をモニター上に展開しどきりとした。
こちらの位置から建物を隔てた通りにある酒場だったからだ。
他の〈ロダン〉も近くにおらず、下手をしたら一人での任務遂行もあり得る。
民衆に被害を出さずに確保出来るのか?
脳内で異端者捕獲をシミュレートしていると、初任務という言葉が実感を持ち始め、先程までの恍惚感は霧散して緊張感がカインを襲った。
無論『巨神』に乗っていて生身の人間に勝てない道理は無いが、周辺への被害は極力抑えねばならない。
人が密集するこの場所で捕獲を命じられれば、異端者側にその気が無くとも何の罪もない民衆を盾にとられたようなものだ。任務に失敗すればサルベイション自体への不信感にも繋がりかねない。
最悪の事態まで想定し、極限に達した緊張感により吐き気を催す。込み上げる胃の不快感をなんとか堪え、機体の頭部にあるメインカメラを酒場に向けた瞬間だった。
黒髪の男が店から飛び出してきて、人垣が割れた。周囲の人々が驚いた顔で男に注目しているのをモニター越しに見ていると、男の鋭い視線がこちらに向けられて、カインはその顔を真正面に見てしまった。
異端者がこんなに真っ直ぐな瞳をしているのか?
巷で言われる邪悪な印象など微塵も感じさせない、まるで己を縛るもの全てを断ち切りそうなほど鋭い瞳。
一言で表すなら--高潔。
カインは、数分前の吐き気や緊張感を押しのけて、内奥から湧き上がってきたその言葉に戸惑ってしまった。
モニター越しに視線を合わせ、吸い込まれる様な黒い瞳に射抜かれ固まっているこちらをよそに、男は即座に眼を逸らし、大通りとは反対の方向に走り出した。
『異端者が逃走。武器の類は所持していないとの情報があるので各所の審問会警察部隊が対応する模様。〈ロダン〉各機は現状の場所で待機を続行』との無線が入り、カインは民衆を巻き込みかねないこの場で戦闘行為を行わなくて良くなった事に安堵した。
が、人混みを掻き分けて走り行く男の背中に、何かが起きつつある予感が湧き上がり、先程の鋭い瞳の印象を思い出したカインは、結局その姿が人混みに紛れて見えなくなるまで眼を離す事が出来なかった。
7
肌着の内ポケットに入れて極秘に持ち込んだ通信機でアヤと連絡を取り、走り続けること十数分。
その間にアヤには審問会に行ってもらい、異端者の疑いを晴らしてもらうつもりだったが、上手くいったものか?
今後の予定が狂ってしまう可能性も考慮しつつ、人気の少ない路地に転がり込んだホライズンは、兎にも角にも乱れた息を整えながら、民家の壁に背中を預けた。
アルコールでの失敗はこれまでも数多く経験したが、今回の件は最悪の部類に入る。
「こりゃ本格的に禁酒だな」
任務に支障を来すかもしれない失態だったが、起きた事は仕方ない。放っておけば悪い方に傾いていく思考に歯止めをかけるために、わざわざ口に出して呟いてみた。
銃弾が掠った左腕の傷は痛みを発していたが、幸いな事に出血も少なく大した事はないようだった。
暴れていた心臓も落ち着きを取り戻した頃、通信機が短くチャイムを鳴らし、メッセージが届いた事を伝えた。
『合言葉は伝えたよ。とりあえずお咎め無しだってさ。追伸 お酒のトラブルはいい加減にしなさい』
端末の液晶パネルに、母親の様な追伸で締め括られたアヤからのメッセージが表示され、安堵したホライズンが、とりあえず中央市街に戻ろうと思い、壁から背を離した瞬間だった。
「まったく、そんな物を街に持ち込まれては困るのですがね」
路地の入り口に近衛兵の制服を着た男がいた。
せっかく追っ手から逃れたのに、一難去ってまた一難ってか?つくづくこの任務ではツイてないらしい。
「貴方のお仲間が余りにも素早く対応されたものでしたので、まさかと思い本部に要請して逆探知をさせていただきました」
片手に持った無線機のマイクを示して近衛兵が言った。
「個人用の携帯通信機器なんて街には無いのに、それ専用の逆探知機があるとは恐れ入ったぜ。この街の外には人も居なけりゃ文明も無いんじゃなかったか?」
精一杯の強がりでホライズンは返す。
「何事にも対応できる準備はしてありますよ、市民の安全の為にも、ね。それにご安心ください。私は貴方の殺害命令など受けておりません」
マイクをサスペンダーのフックに引っかけ、両手を上げながら近衛兵が言う。
「安全、ね。殺しに来たんじゃなきゃ、何しに来たんだい?」
ホライズンはその挙動に意表を突かれた顔になり、直ぐに片方の口角だけ上げた笑みを浮かべるながら問いただす。
「聖堂までご案内致します。教王様が予定を前倒ししてお会いしたいとの事でございます。お仲間の方にも迎えを行かせています」
これこそ意外だった。本来の予定より四時間は早い。
「パレードの見物はどうするんだ?」
街を挙げての一大イベントに教王その人がいないでは格好がつかないはず。不思議に思い聞いてみると、「そちらは影武者にお任せするそうです」と近衛兵はなんでもない事の様に答えた。
なるほどね。パレードや取引より大事な要件があるって事か。
「わかった、行こうじゃないか」
どんな要件があるにせよ、さっさと話を終わらせて、こんな胸糞悪い街からはとっととズラかるに限る。
頷いて歩き出した近衛兵に従って、ホライズンもまた路地から離れる足を踏み出した。
8
大聖堂の中の応接間に通され、二十分と少し。
腕の傷には包帯が巻かれ、貫頭衣は新しい物を貰えたのでそちらに着替えていた。
アヤとミラはこちらが着く前に到着していたらしく、用意された客間ですっかり寛いでおり、こちらが教王と謁見する間もその客間で待つとのことだった。
応接間の扉がノックされたのは、テーブルに置かれた紅茶もすっかり飲み干し、いい加減待ちくたびれたホライズンが、部屋の外にいるだろう近衛兵に一声かけようと立ち上がった時だった。
「お待たせしましたな。遠路はるばるニューポートロイヤルから御苦労でございました。私がこの街の代表、ワルター・ギーゼンです」
白いゆったりとした衣装を纏い、笑顔を浮かべた老人が、部屋に入って来るなり握手を求めながら近づいてきた。
「あー、いや、任務なんでね。それより街で騒動を起こした事を謝罪する」
数万からの民を騙し、明日の取引の為にニューポートロイヤルから使者を招いた人物。どんな腐った野郎が出てくるのかと気構えていたが、今目の前にいる男の穏やかな物腰と笑顔に拍子抜けしてしまった。
人を騙すような腐れ外道とは必要以上に話したくない、ここは鉄面皮でやり過ごす。
ホライズンは当初そう決めていたが、のほほんとした口調と差し出された手にペースを乱され、思わずその手を握り返してしまっていた。
「いやいや。貴方ほどの年齢なら、多少血の気が多いのは仕方のない事。むしろ連邦の新時代を担う若者はそうでなくては。さ、お座りください」
好々爺然とした態度でワルターがソファに座る。思っていたのと百八十度違う展開に面食らいながら、こちらも先程座っていたソファに戻り、ワルターと対面した。
「予定より早いようだが、明日の話を?」
「その話の前に軽く食事をしましょう。私も今日は忙しく、何も口にしていないのですよ」
ワルターが手を叩くと、扉が開き、カートを押した給仕が入ってきた。
カートにはサンドイッチの皿が二人分とクロッシュ、そしてワインが載っていた。
給仕がテキパキとサンドイッチの皿をテーブルに置き、カートの上のクロッシュを開ける。中にはコーンポタージュのカップが二つ用意されており、濃厚なスープの芳香が部屋を満たした。
ワインとグラスを置き、料理を出し終えた給仕が静かに退室するのを待って、ワルターがサンドイッチに手を伸ばす。
「意外と質素な物を食ってんだな」
ホライズンも、ハムとチーズとレタスを挟んだだけのサンドイッチを一口食べて言った。
「正式な晩餐はサルベイション司令長官と審問会局長を招いて二十一時から行う予定です。明日は大事な"商品“の出荷ですからね。私も関係各所とのやりとりで忙しい身でございます故、少し粗末な食事をするのも致し方ありますまい」
手ずからワインを注ぎ、こちらに渡しながらワルターはさらりと言う。が、何気ない話に混じり込んだ"商品"という言葉をホライズンは聴き逃さなかった。
「"商品"ね。あんたにとっては敬虔な信者も物と同然ってワケか」
ワインを受け取り一口含み転がす。芳醇な香りが口腔を満たし喉を通り過ぎて行ったようだが、もはや味を感じてはいなかった。
「これは奇異な事を仰る。ご存知かと思いますが、かつてニューヨークと呼ばれたこの街は五百年前の旧連邦時代に、政治犯や反体制派の人間を収容していた場所だったのです。今この街に住む者達はその末裔。それが今や最低限の衣食住、そして教育まで与えられているのですよ?外の人々のお役に立てるのならば、物として扱われるだけでも光栄というものでありましょう?」
ホライズンは"奴"から聞かされた話を反芻した。
五百年前、地球に多大な損害をもたらした戦争が終結した。何が起きたのか詳細は不明だが、当時地球を統治していた地球連邦政府はその戦乱の最中崩壊し、戦乱で荒廃した土地と自治を行う都市が数十か所残された。
かつて収容所とされていたこの島もまたそんな都市の一つだったが、ある薬物が島の病院跡地から発見された事が契機になった。
サリンジャーと名付けられたその薬物は、一回の投与で人体の神経系に影響を与え、ロボトミー化する事が出来る物だった。
誰が何の為にこんな危険物を開発したのかは謎だったが、とにかくその薬物を発見した当時の街の当主だった男--ルオー・ターストは狂喜した。
薬物の成分を分析、苦心の末量産に成功したルオーは、住民全てにこの薬物を投与し、サイクロプスと戦い続けるありもしない架空の宗教をでっち上げたのだった。
薬物を与えられた人間から生まれた次の世代からは徹底した洗脳教育を施せばなんとでもなる。
かねてより存在していた収容者脱走防止用の門さえも、サイクロプスの脅威から人類を守る為に神が作ったものとして教義に取り込み、街の中に住民を閉じ込める事に成功したルオーに、水面下で連邦の再興を目論んでいた組織が接触して来たのだった。
初めは精々私兵集団を作って満足するつもりだったルオーは、薬物の情報開示と連邦再興への協力を求めてきた組織との契約に難色を示した。が、当時まだ各地に攻撃を加えていた、かつての連邦の敵対勢力からの都市の防衛、そして連邦再興の暁には一族の者を末代まで政府高官として取り立てるとの条件がトドメになった。
これから五百年続く後ろ暗い契約が成立した瞬間だった。
以降、この街からは五年に一度、連邦の労働力として奴隷--サリンジャーによって自由意志を奪われたサルベイション隊員達が地球各地へ販売されるようになったのだった。
「俺達のチームはニューポートロイヤルに雇われた使いぱしりだ。だから依頼された仕事はきっちりこなす。だが、俺個人の感情で言わせてもらうなら、人の自由を奪ってまで得た地位や名誉なんざ、クソ喰らえってことさ。先祖が罪人だろうが、子孫にゃ関係ない話だから尚更な」
長々としたターストシティの歴史の話を終えた"奴"の顔は、こちらの心情を見透かしたかのようにそれが社会だ、大人になれと嗤っていた。そんなことまで徒然に思い出してしまったホライズンは、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「貴方達のチーム名、ガンボーイフリーダム。自由の為になら銃を手にする少年達、ですか。しかし、自由というのは他者の自由を奪うことでしか成り立たないのではないでしょうか?銃で誰かを殺すことも相手の自由を奪う行為。貴方も本心ではそれが世の摂理と分かっているからこそ、今回の任務を受けられた。違いますか?」
そう返したワルターの顔は、好々爺の皮が破れ、薄汚い笑みを浮かべた口元が大人になれと嘯いていた。その表情に嗤った"奴"の顔が重なり、反論する気力も削がれ心底うんざりした。
「では、本題に入りましょうか」
ワルターはサンドイッチを食べ終え、ナプキンで口元を拭きながら切り出した。
「私の先祖である初代ワルター・ギーゼンは、約二百年前にルオーの名を継いでいた当時の教主とその一族を暗殺し、この街の当主の座に収まりました。連邦と繋がり甘い汁を吸っていたルオーに成り代わり、自らの一族が繁栄する事を目論んだのでしょう。それは子孫である私もです。しかし、私は今のまま奴隷生産などという下働きなどする気は毛頭無いのです」
ワインを一口飲み、ワルターは続ける。ホライズンは黙ってコーンポタージュのカップを口に運んだ。
「単刀直入に申し上げましょう。私は組織に入りたいのです。その為に彼等と繋がりがあるニューポートロイヤルに連れて行って頂きたい。これは貴方方ガンボーイフリーダムにしか頼めない事なのです」
予想の斜め上だった。口に含んだばかりのコーンポタージュを噴き出しそうになった。
この男は他人の自由を奪うに飽き足らず、更なる権力を求めているらしい。それを、権力と不自由を最も嫌う自分に依頼してくるなど御門違いも甚だしかった。
「買いかぶり過ぎだ。悪いが、俺も使いぱしりだってのはさっきも言ったし、あんたも知っての通りだ。そんな御大層な所に口利きなんてしてやれないよ」
ワルターの依頼は丁重にお断りして、後はさっさと取引の話を済ませて退散だ。これ以上この街にいたら頭が狂いそうだ、晩餐会はアヤとミラに行かせて自分はホワイトホエールに戻ろう。
そう思った時だった。
「聞けば、ニューポートロイヤルに妹さんがいらっしゃるとか?」
ぼそりとワルターが呟き、ホライズンは硬直した。
「我々にも多少の情報網はあります。今回の取引に貴方方が来ると通達があったので、少し調べさせていただきました」
絶句するこちらに、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべたワルターが続ける。
「見返りに私が組織に入れば、私は貴方方を重用致します。約束しましょう。そうすれば貴方の妹さんも貴方を操る為の人質にされる事もない。自由を手にすることができるのです。悪い話ではないでしょう?」
それが切り札か。弱味を知られた悔しさと唇を噛み締めた。だが、ワルターが言うことも事実。俺は"彼女"の為に"奴"に屈服し、ここまでやってきたのだった。
「何が俺達にしか頼めないだ。要は人の弱味につけこんでてめぇが成り上がろうって話じゃないか。汚いぜ」
臆面も無く相手の弱味を駆け引きに使うワルターに、湧き上がる怒りを堪えて言った。
「言ったでしょう?自由とは誰かの自由を奪う事でしか手に入れられないと。例えどんな手段を使おうとね。そしてプロセスはどうあれ結果が全てを語る。それもまた大人の世界なのですよ」
怒りに沸騰した頭に冷や水を浴びせられた気分だった。
結果が全て?そうなのだろうか?いや、そうなのだろう。
自分たちが今いる世界こそその最たるもの。
事情は知らないがかつての人類はでかい戦争を起こした。そして何も無い世界が残された。
自分たちは、結果の世界を生きている。
"彼女"を人質のような立場に追い込んでいるのも、やはり過去の事象が呼び込んだ結果。
例え本人に咎は無くとも、世界という巨大な舞台の中で"彼女"を欲する者がいる限り、その結果から逃げおおせる事は出来ない。
この辛く厳しい世界を生きるには、"彼女"を守り抜く為には、どんな手段を使っても他人を出し抜き、恥も外聞もかなぐり捨てて自由の為に何者も利用する、『大人』になるしかない・・・・・・のか?
ぎゅっと閉じた瞼の裏に、幽鬼の如くゆらめく"奴"の顔が見えた気がした。
「あんたみたいな小悪党、組織は相手にしてくれねぇよ」
ホライズンは半ば納得しかけている自分を感じながらも、最後の抵抗を試みた。
「小悪党!結構じゃありませんか!手段はどうあれ何を手にしたかが重要、人は理想という霞を食べて生きてはいけないのです!それに、こちらには相手にせざるを得ない隠し球もございますしね」
最早醜悪な笑みを隠しもせず、清々しいほど開き直ったワルターの叫びが決定打になった。
隠し球とは何なのか、気にならないではなかったが、聞き出す気力もつもりも無くしたホライズンは、虚脱した表情を浮かべ言った。
「分かったよ。あんた個人との商談、成立だ」
9
パレードが終わり『巨神』を整備場に運ぶと、整備士が司令長官からの伝言を伝えてきた。
任務が終了次第執務室に来るように。
イーストブロック方面で展開していた『巨神』部隊の小隊長に報告を済ませ、司令本部に着いたのは二十時を少し過ぎた頃だった。
「カイン・ウィンストン、出頭しました」
父に任務の報告などするのは初めてなので、カインは緊張しながら二階にある執務室の扉をノックした。
「入れ」
直ぐに返事があり、カインが扉を開き中に入ると、マホガニー製の机に収まった父--ジョージ・ウィンストン司令長官がこちらに顔を向けていた。
「初任務ご苦労、どうだった?」
父は微笑みながら言った。
「はい、少しトラブルがありましたが無事に終了致しました」
カインは机の前で直立不動の姿勢で答えた。
「まぁ、そう固くならなくてもよい。とにかく座って水でも飲みなさい。異端者の件は聞いている。」
勧められるまま応接セットのソファに座ったカインは、事前にテーブルに用意されていた水を飲み干した。
「父さん、いえ、長官のところにも話が行ってましたか」
一息つけた安心感から、ついいつもの呼び方をしてしまったカインは慌てて言い直した。
「ははは、お前はまだ正式に入隊はしていないからいつも通りで構わぬよ」
父はそんな息子の様子がおかしいらしく、笑ってくれた。
その笑い声にカインも緊張感が少し解れた。隊員には厳しいと有名な司令長官だったが、息子には優しかった。
「審問会からの報告で彼は異端者でない事が判明した」
カインはあの鋭い視線の印象を思い出した。
異端者ではなかったのか。だが、あの瞳はターストの信者とも違う何かを放っていた気がする。彼は一体何者なのだろうか。
「ところで、お前には将来司令長官を継ぐ者として、この後の晩餐会にも一緒に出席してもらいたい。が、その前に、話しておかねばならない事があるのだ」
漫然と考えていると、父が真剣な表情で目の前のソファに移動して来た。
「この街は・・・・・・」
父が口にした瞬間だった。
扉がノックされ、父は言いかけた言葉を引っ込めた。
「何だ」
「長官に来客でございます。ノースブロックのサルベイション支部から遣いの者だそうです」
扉の向こうから隊員が返事を寄越す。
「通せ」
父が言うと、扉が開き一人の男が入ってきた。
ガッチリした体はサルベイションの制服で固められており、唇の上に立派な髭を生やしたその男は、見たところ父と同年代か?
「御時間をいただきありがとうございます、司令」
敬礼をした男が低い声で言う。
電話で済ませればいいものを、わざわざ司令本部にパレード警備の報告に来たのだろう。
「カイン、すぐに済むから一階の食堂で待ちなさい」
その男の顔を見た父の表情が一瞬で強張り、カインに退室を促した。
「はい、父さん」
職務上息子の前で話せない事もあるのだろうと考えたカインは、素直に部屋を出た。
そう言えばさっき何か話そうとしていたな。
ぼんやり考えながら階段を降りきった時だった。
地下室に通じる階段の横のソファに座る一人の男が眼に飛び込んできた。
短い黒髪と宙を睨む眼には見覚えがあった。パレードの最中酒場から飛び出してきた男。
異端者ではなかったらしいが、何故サルベイションの司令本部に?
再び目の前に現れた男を前に、頭には疑問符がいくつも浮かび、カインは立ち尽くしてしまった。
「何だ?なんか用か?」
つっ立っていたカインに気がついた男が、こちらを向いて聴いてきた。
「あ、いや。その、異端者の疑いをかけられて大変でしたね」
急に話しかけられ、ドギマギしながらカインは答えた。
「お前、俺を知ってるのか?」
男が少し驚いた表情を浮かべる。
「ええ。パレードの時、酒場を出た直後〈ロダン〉を見上げたでしょ?あれ、俺が乗っていたんです」
男は安堵した様にため息をつき、「そうか、あの時の」と呟いた。
「はい、今ちょうど貴方の話も父さん、いや、司令長官から聞いてきたもので。疑い、晴れて良かったですね」
「お前、ジョージ・ウィンストン長官の息子か?」
再び男が驚いた表情になり、ソファから少し腰を浮かせて聞いてきた。
「はい、カイン・ウィンストンって言います」
この不思議な男も、流石に自分が長官の息子である事に驚いたらしい。
偉大な父の息子であることを誇りに思いながら答えると、「そうか、ならお前が将来サルベイションの長官になるんだな」と、男は俯き、低い笑いに肩を震わせながら呟いた。
「ところでここに何か用ですか?」
何がおかしいのか分からないが、とりあえず悪人ではなさそうだと判断したカインは、男に一歩近づき聞いてみた。
「長官の息子ならこの後晩餐会が行われるのは知ってるだろ?俺も招待されてたが、そっちは仲間に任せてきた。俺は胸糞悪いからセカンドターストに戻ろうと思ってな」
今度はこちらが驚く番だった。この謎ばかりの男が晩餐会に招待されているのも理解出来ないが、セカンドターストという初めて聞く単語が引っかかったからだ。
「セカンド・・・・・・、タースト?」
「お前、長官の息子のクセに知らないのか?」
急に胸ぐらを掴まれ、数センチ先まで近づいた男の瞳が、怒気を孕んで真っ直ぐにカインを射る。
「待って、落ち着いて!俺には何の事だか・・・・・・」
カインは男の怒りが理解出来ず、とにかく宥めようとしたが、今にも殴りかからんばかりの勢いの男は聞く耳を持たない。
「いいか、良く聞け!セカンドターストってのはな、この街の外にある中継地だ!俺はそこに自分の艦を預けてここにやって来た!何をしにって?明日この街から出発する遠征隊を、奴隷として買い取る為さ!それだけでも反吐が出るってのに、ついでにワルターってジジイも連れて行かなきゃならなくなったんだぞ!」
怒涛の勢いでまくし立てる男に圧倒されたが、それ以上に言葉の内容が理解できず、カインの頭は混乱した。
街の外?遠征隊を奴隷にする?教王様を連れて行く?
「ちょ、ちょっと待って!貴方は一体・・・・・・!」
男を見つけた時より更に増えた疑問符が頭を占領し、咄嗟に言いかけた瞬間だった。
「貴様ら、そこをどけ!長官が危ない!」
怒鳴り声が響き、ライフルを携えた隊員が六人、二階へと続く階段を駆け上がって行った。
弾かれた様に、胸ぐらを離した男も続いて階段を上って行き、カインは一人取り残される格好になった。
先程の男の話といい、自分の与り知らぬところで何か良からぬ事態が起きているらしい。長官が危ないと叫んだ隊員の声を思い出したカインは、兎にも角にも父の安全が一番だと己を律し、ふらつく頭を抱えながら自分も階段を上る一歩を踏み出した。
10
ジョージ・ウィンストンがその顔を見るのは三十年振りだった。
ノースブロックの支部から遣いとしてやって来た男は、サルベイションの制服こそ着ているものの、三十年前行方不明になったかつての親友グライス・ノートンに間違いなかったからだ。
お互い歳を重ね老けてしまったが、昔の面影を残すその顔を前に、ジョージは言葉を失った。
「部下には怒鳴るなよ?そもそも街の外から人が侵入してくるなんて想定していないんだからな。隊員に成りすませば簡単に入れてくれたよ」
グライスは固まるジョージを気にする風でもなく、ソファに腰掛けた。
「ID認証なんて技術、この街には存在しないからな。制服を着れば顔を知らなくとも隊員だって信じてくれる」
その口振りが、三十年間何処にいたのかを暗に物語っていた。
「お前、生きていたのか」
困惑と不審、懐かしさと嬉しさ。様々な思いが頭の中で交錯し、なんとか平静を取り繕ったジョージは、やっとの事でその一言を絞り出した。
「あぁ、何とかな。それより、さっきいた隊員は息子か?昔のお前にそっくりだったからそう思ったんだが」
グライスはこちらの思いを意に介した風もなく、昔のように語りかけてくる。
「あ、あぁ。まだ学生だ。パレードの為に仮任命されて今日は警備に出ていたんだ」
ペースに呑まれ思わず息子の事を話してしまった。
「やっぱりそうか。母親はジェーンか?髪の色が同じだったよな?」
グライスは微笑みながら続ける。
「それより今までどこにいたんだ。そもそも街から出るにはこの司令本部の地下からしか道は無いはず」
グライスの世間話でもするかのようなペースを断ち切るべく、ジョージは質問には答えずに言った。
自分達が知る外への道は、五百年前から伝わる司令本部地下の通路しかなく、そこを通らず街の外へ出るのは不可能な筈だった。
今後の街の保安の為にも、グライスがどうやって外に出たのか問い質す必要があった。
「お前達が使っているルートとは別の道を偶然見つけたのさ。三十年前のあの日、俺は遠征隊への憧れから、街の外に飛び出した。復活する前のサイクロプスを見つけて根絶やしにしてやろうと息巻いてたのさ。だが、広がる荒野で迷い、行き倒れていたところを他所の街の奴らに助けられた」
かつてサブウェイと呼ばれたトランスポーターの通り道が無数に存在していた事は知っていたが、五百年前の調査では、その九割が過去の戦争の影響で崩落して埋まってしまったとされていた。
グライスは偶然にも未だ発見されていなかったルートを見つけてしまったのだろう。
だが、それより重要なのはグライスが外の世界に触れてしまった事だった。
「助けられ、連れて行かれた街で知ったのか。この街の真実を」
無言でこちらを見つめる眼が答えだった。グライスは知ったのだ。この街が存在しない神を称え、信者を奴隷として出荷している場所なのだと。
始末すべきか?机の引き出しに入った拳銃を取り出そうか逡巡していると、「つもる話もあるがな、今日はお前に頼みがあって来た」と、グライスが口を開いた。
「・・・・・・何だ?」
引き出しの取っ手に伸ばしかけた手を止め、ジョージは聞いた。
「俺は明日の取り引き、いや、この街の奴隷販売を辞めさせる為に戻って来た。それにはサルベイション長官であるお前の力が必要だ。親友として頼む。お前だって本当は忸怩たる思いに苛まれていたはずだ。昔みたいに二人で組めば、きっと街を解放することだって出来る」
この顔と対面した時から半分想定していた話だった。昔から正義感が強いグライスが、真実を知ってそのままに出来ない性格なのはよく知っている。
そして、自分もまた曲がった事が嫌いだったから、彼とは親友になれたのだった。
だが、今は違う。今の自分は彼とは背負わされたものの重さが違うのだ。
昔のように自信に満ちた微笑みを浮かべたグライスが期待を込めてジョージを見つめていた。
「そんなこと出来るわけない!私に街を裏切れと言うのか!」
今の自分には、大人としてこの街の真実を背負った上で、嘘をつき通さなければならない責任がある。
「住民を騙し、部下を騙し、家族も騙して。その行為自体がお前を信じている人達への裏切りではないのか?」
期待していた返事と真逆の言葉を受けたグライスの顔から微笑みが消え、少し焦ったように問い質してきた。
「黙れ!この街は古来よりその様にして歴史を紡いできたのだ!今更真実を白日の下に晒して人々を絶望の地獄に叩き落とすより、嘘で塗り固めた今の平穏を守る道を、私は選ぶ!」
図星を突かれ、反射的に叫んでいた。分かっているそんな事は。しかし私はお前が居なくなってから三十年この街で生きてきたのだ。今更お前が現れて真実を暴けと言ったところで、罪を重ねた事実は変わらない。守るしかないじゃないか、今の平穏を。私には家族だって出来たのだから。内心に叫んでから心の底に自己嫌悪の波が湧き上がりかけたが、先代の司令長官だった父から座を受け継いで以来、鍛え上げ続けられてきた自制心で無理矢理その波を抑えつけた。
「そう言い聞かせて自分さえも騙しているのか。かつてのお前なら、そんなこと言わなかったよ」
こちらの心中を見透かしたように、グライスは俯いて心底残念そうに言った。
「・・・・・・すまない」
きっと失望させただろうな。心の片隅にそんな思いが浮かび上がり、我知らず呟いていた。
「だが、俺は真実を知った以上街をこのままにはしておけない。悪いが明日の取り引きは妨害させていただく」
硬くなった声でグライスは言うと、鋭くなった瞳と共に懐から出した拳銃の銃口をこちらに向けた。
「私を殺すか?」
親友から銃を向けられた悲しさが心に影を落としたが、我々は袂を分かったのだと思い直したジョージは、言いながら机の引き出しの裏に設置されたエマージェンシーボタンを躊躇いなく押した。
一階の詰所に設置されたアラームがなり、すぐに当直の隊員が駆けつける筈だ。
「必要ならば、な」
覚悟のこもった言葉だった。照準をずらさずグライスが言う間に、複数人の足音が聞こえてきた。
「長官!ご無事ですか!」
「賊を包囲せよ!」
怒号と共に扉が乱暴に開け放たれると、六人の隊員がライフルを構えてグライスを囲んだ。
「俺を殺すか?」
引き出しの銃を取り出し、グライスに向ける。全員が銃を構え、いつ引き金が引かれるか分からない緊張が部屋に充満し、静まり返った空気の中でグライスの言葉が響く。
「必要ならば、な」
こちらも覚悟を決め、さっきグライスが返したのと同じ言葉を返した。我々はもう二度と分かり合えないだろうと、冷えた心の隅でジョージは思った。
「嘘をついて人を騙して、騙している自分の心にさえも、仕方ないそれが世の中だなんて嘯いてごまかしてる。そんな生き方が大人だっていうのか?俺は、老けちまって見た目はおっさんかも知れないがな、それが大人だって言うんなら、やっぱ大人になんかなりたくねぇや」
ぼそりと独白し、悲壮な決意を瞳に込めたグライスが、引き金を引く気配を見せる。
「う--」
瞼を閉じ、隊員に射撃を命じようとした瞬間だった。
「髭のおっさん!いい事言うな!」
ぎょっとして眼を開けると、開け放たれた扉の向こうから何かが投げ込まれた。それは隊員の一人の頭に当たって昏倒させると、床に落下した。
ごろりとカーペットの床を転がった物体は、よく見ると、廊下のソファの横に設置されていたガラス製の灰皿だった。一体誰が。いきなりの闖入者に、全員の視線が扉の方に集中する。
「カイン!?」
貫頭衣を着た黒髪の男が室内の隊員達に警戒の眼を向ける後ろに、事態を飲み込めない顔をした息子の姿があり、ジョージは息を呑んだ。
状況から察するに、灰皿を投げたのは黒髪の男の様だが、何故そんな男と息子が一緒にいるのか理解できず、ジョージの頭は一瞬固まってしまった。
それは隊員達も同じだったらしく、ライフルを構えるのも忘れ、先程階段下にいた貫頭衣の男と隊員の制服を着た少年を戸惑った眼で見ていた。
「今だ!髭のおっさん!逃げるぞ!」
男の叫びが響き、弾かれたようにグライスが戸口に向かって走り出す。
「待て!撃つな!」
慌てた隊員達は、その背中にライフルを構え直すも、ジョージは隊員達を制止した。
狙いなど碌につけられていない銃弾は、ひとつ間違えれば息子の命をも奪いかねない。
「長官!俺達を追えば息子の命はない、いいな?」
こちらの戸惑いを読み取ったか、黒髪の男が後ろにいたカインの首に腕を廻し、ジョージを牽制する。
呆気に取られた表情の息子を強引に引き摺り、男とグライスは走り去って行った。
「中央ブロック司令本部より、巡回中の全隊員へ。長官の命を狙った異端者と見られる男ニ名が、人質を取って逃走。尚、人質は長官の御子息だ。必ず救助する事」
嵐が去った後の静寂が訪れたのも一瞬、隊員達が無線機で各所に連絡を取り始めたようだったが、行方不明だった親友に己の不実を突きつけられ、あまつさえ一人息子を攫われ茫然自失になった今のジョージには遠い世界の出来事のように感じられた。