日曜日を挟んで、月曜日は朝から雨になった。
多分、このままでは雨は、雪にかわると思うぐらいに風が冷たい。
実力模試は、いよいよ明日から2日間である。
桜ヶ丘高校の2年2組では、朝から平沢唯が、琴吹紬のノートをひたすら書き写している。
昨日までの家での勉強は、一年生の範囲しか復習しかできない。
なんといっても、妹の憂は一年生なのである。
それ以上の先生はできないのだ。
学校に登校すると、すぐに校舎の1Fにある2年1組の教室へ、平沢唯はむかった。
平沢唯は、幼馴染で学年トップの成績を誇る、真鍋和に『試験勉強のやり方』を聞きにいったのだ。
最初は「試験日前日になって、こんなことを聞いてくるなんて」と呆れた顔の真鍋和だったが「どうしてそうなったか」の訳を聞くと、喜んで協力してくれた。
真鍋和の話によれば、ノートをコピーして覚えても、絶対覚えられないそうだ。
とにかく、自分の手で書いて、ノートをコピーすること。
「自分の手で一回も文字にできないものを暗記することはできない」と言っていた。
校舎の2Fにある自分の教室に戻ると、自分の次に登校してきた琴吹紬から平沢唯は、ノートを借りたのだ。
平沢唯は、この真鍋和のアドバイスに忠実に従っている。
それこそ『一心不乱に』である。
1時間目が終わり、休み時間となった。
2年1組の秋山澪が、真鍋和から話を聞いて、平沢唯の様子を伺いに2組の教室までやってきた。
秋山澪は、田井中律を見つけると、平沢唯の様子を聞いた。
「おい、律……。唯は、朝からあの調子なのか?」
「そうだぜ。まるで、締め切り前の小説家みたいだ」
まるで、自分には関係のないような物言いである……。
「律、お前、随分と余裕だな」
「だって、赤点取らなきゃいいんだろ。余裕じゃん!」
「……やれやれ。その自信はどこから湧いてくるんだ。」
秋山澪は、田井中律の肩に右手を置いて、頭を下げる格好で、大きくため息をついた。
その秋山澪のそばに、今度は琴吹紬が近づいてきた。
「澪ちゃん、おはよう!」
「ああ、むぎ。おはよう」
「澪ちゃん、見て。唯ちゃん、頑張っているよ」
「ほんと、頑張っているな。でも普段からちゃんと授業を受けていれば問題ないんだけどなぁ」
そう言った秋山澪は、横目で2人の話を聞いている田井中律の方をチラリと見ると「……授業をちゃんと受けても、問題あるやつもいるけどな」と、つぶやいた。
田井中律は、それが自分のことを言われたと気づいて、大いに憤慨した。
「なにをー。それって私のことなのか? 澪!?」
「誰とは言ってないよ、田井中律さん」
秋山澪は、半分うすら笑いで、田井中律の問いに答えた。
琴吹紬は、この2人のやり取りが大好きである。
お互いの事を分かり合えた上での、悪口の応酬。
自分は、見ているだけではあるが、なんだか心が温かくなる気がするのである。
「ちょっと、唯を激励してくる」
そう言うと秋山澪は、窓際にある平沢唯の席に近づいた。
「唯。頑張ってい……」
秋山澪が話しかけようとしたところを、平沢唯は、右手の手のひらを、秋山澪の方へ向けて広げて差し出した。
『ストップ! それ以上話しかけないで』という意思表示である。
そうして、秋山澪をそれ以上話せなくすると、また、ノートを書き写し始めた。
秋山澪は、すごすごと田井中律と琴吹紬のところに戻ってきた。
秋山澪は、戻ってくると、平沢唯の方を振り返りながら、2人に話しかけた。
「『鬼気迫る』って感じだな……」
「うん、今回の唯は一味違うぞ」
「唯ちゃん、本当に頑張っている……」
3人は、平沢唯の努力がなんとか実ることを切に願った。
同じ休憩時間の時、1Fの1年生の教室では、中野梓が信じられないという顔で、自分の机についた状態で、頬杖をついて、ボーッとしていた。
朝、平沢憂が登校してくるとすぐに、平沢唯の試験勉強のことを聞いたのだ。
「うん、梓ちゃん、心配ないよ。お姉ちゃん、ちゃんと勉強したよ」
「憂は、嘘はつかないけど、本当なの?」
「だって、お姉ちゃん、家に『ギー太』を置いてきているんだよ。『ギー太』に触ったら勉強できなくなるからなんだって」
「えっ……。唯先輩『ギー太』に触っていないの?」
今まで、平沢唯には、いろんな事で驚かされっぱなしだったが、今回の平沢憂の発言は、群を抜いていた。
平沢唯が、自分の愛用のギターである『ギー太』を溺愛していることは、学校中で有名なのである。
特に、文化祭学園ライブの時に『ギー太』を家に忘れたからといって、家まで取りに行ったことは、ひとつの伝説になりつつあった。
その平沢唯が『ギー太』に触っていないし、学校にも持ってきていない……。
中野梓は、まだ、平沢憂の話が信じられずにいた。
(唯先輩、今回のテストは、本気で勉強しているんだな……。唯先輩、勉強に集中しすぎて、またギターのコード忘れなきゃいいけど……。でも、もし忘れても今度は私が教えればいいか!……唯先輩、頑張ってください。神様、よろしくお願いします)
中野梓が、心の中で神様に祈願した時に、休憩時間終了のチャイムがなった。
その日の放課後。
いつものように、試験勉強をするため、音楽準備室に集まった『軽音部』のメンバー達。
いつもの席にメンバーが座ると、中野梓は、平沢憂から聞いた「平沢唯が、試験勉強中、一度も『ギー太』に触っていないこと」をメンバーに話した。
田井中律も、秋山澪も、琴吹紬も、この平沢唯の覚悟に驚いた。
当の平沢唯は、あいかわらず黙々と、紬のノートのコピーをしている。
田井中律は、さすがに心配になってきた。
普段、見慣れていない光景が続いているのだ。
中野梓の話と、今回の平沢唯の頑張りを見せつけられて「もしかしたら、今回は自分が赤点とってしまうかもしれない」という恐怖が襲ってきた。
「澪……。なんとなくだけど、自信がなくなってきた……」
「やっと、気がついたか……。律の自信は『根拠がないものだ』ということだぞ!」
「澪。どうしよう、どうしよう、どうしよう」
「もう遅いの! 覚悟を決めろよ! 律」
「……澪、今からでも何とかなる方法を教えてくれ!」
「それがないから、みんな頑張っているんじゃないか!」
秋山澪のまったくもって当たり前な答えに、田井中律は、ほっぺたを膨らませた。
『軽音部』のみんなは、各自に試験勉強を始めた。
秋山澪と琴吹紬は、小さな単語帳を作っていて、英語の単語の暗記をしている。
中野梓は、参考書を開いて、数学の応用問題を解いている。
田井中律は、もう一度自分が授業中にとった英語ノートを見直している。
平沢唯は、何度も言うが、紬のノートを黙々と書き写している。
誰も、口を開くものがいない。
静かな音楽準備室である。
ゆっくりと、放課後の時間が流れていく。
「終わったぁ!!!」
出し抜けに、平沢唯が両手を高く上げて、天井に向かって叫んだ。
「……のわぁ! びっくりしたぁ!」
田井中律がビクンと体を震わせて、叫んだ平沢唯の方を見た。
「唯ちゃん、全部書き写したの?」
「うん。むぎちゃん、ノート貸してくれてありがとね。終わったよ」
平沢唯は、借りていたノートを琴吹紬に渡して、御礼を言った。
「唯……。全部覚えられたのか?」
秋山澪が、平沢唯の方をみて恐る恐る聞いた。
田井中律も、琴吹紬も、中野梓も一様に平沢唯の方を見ている。
平沢唯は、自信をもって答えた。
「ううん。全然、無理!」
この発言に『軽音部』一同、心の中で一斉にズッコケた。
田井中律は、平沢唯の方をみて、ちょっと自信が戻ったような顔つきになって聞いた。
「やっぱり、唯には無理だろうな」
しかし、平沢唯は自信満々である。
「でもね、律ちゃん。今回はね、自信があるんだよ」
「自信? どんな自信なんだよ……」
「うんとね、憂と相談したんだけど……」
そう言うと平沢唯は、書き写したノートを、田井中律に見せながら話し始めた。
「昨日まで、一年生の範囲は憂に教えてもらったから、少し自信があるの。……んでね、今日、和ちゃんにアドバイスもらって、ずっとむぎちゃんのノート書き写してたでしょ」
そう言うと、平沢唯は見せていたノートを自分の方へ向け直して話を続けた。
「つまり……、とりあえず二年生の分も一応全部復習が終わったの。もう、不安な気持ちのままで、実力試験を受けずに済むんだ。憂と相談したのは『ビクビクしながら、試験を受けずにしよう』ってことなんだよ。とりあえず『覚える』『覚えない』は二の次なの。とにかく、『試験勉強やったぞ!』っていう自信が欲しかったんだぁ。……ほら、格言でもあるじゃない!」
そこまで一気に話をした平沢唯は、胸を張りながら言った。
『人事を尽くして、天天を待つ』って……」
最後に自信満々で言った、平沢唯の格言は微妙に違った。
みんなもそれに気づき、一斉に笑い出した。
中野梓は、もう涙目で、顔を隠して笑っている。
田井中律も、秋山澪も、琴吹紬も、机に突っ伏して笑っている。
当の平沢唯は、キョトンして「ねぇ、みんな、どうしたの? 何かおかしいこと言ったかな?」と、みんなに訊ねている。
田井中律は手で涙を拭きながら、平沢唯の肩を叩いた。
「それでこそ、唯だ!」
中野梓も、ようやく笑いが収まってきたようだ。
「……ふぅ、笑い死ぬかと思いました。唯先輩、途中までかっこよかったんですけど、やっぱり、唯先輩ですね」
琴吹紬もやっと笑うのをやめて、自分の席を立つと「唯ちゃんも一段落ついたから、それじゃ、みんなでお茶にしましょ」と、言ってお茶にする準備を始めた。
笑いが収まった秋山澪は、田井中律の方にむかって痛烈な一言を言った。
「律! お前は絶対に笑う資格ないぞ。少なくとも私は唯の努力をこの目で見たからな」
「うん、ごめん。ごめん。唯はよく頑張った。本当に『人事を尽くして、天天を待つ』だ!」
また、田井中律が、さっき平沢唯が言った間違い格言を繰り返したので、再び音楽準備室は笑い声でいっぱいになった。
平沢唯も、今度は自分の間違いに気づいた。
「あっ、そっかぁ! 『人事を尽くして、天命を待つ』だね」
ニッコリと笑った平沢唯に、中野梓はこう告げた。
「唯先輩の頑張りは、きっと神様もみてますから、赤点にはならないと思いますよ」
その言葉を引き継ぐように、お茶の準備が出来て机に運んできた琴吹紬も言った。
「唯ちゃん、自信を持って、試験を受けられるって、それだけですごいことだと思うよ」
「うん、あずにゃん、むぎちゃん、ありがとね」
田井中律と秋山澪は、三人の会話を聞きながら、お互いの顔を見合わせ微笑みあった。
さあ、明日から実力模試である……。