4月末から始まったゴールデンウィークも終わり、本格的に5月が始まった。各々が新環境に順応し始め、様々なコミュニティが本格的に活動を始める時期である。エレメンタルランドでの一件が終わってから、その後何事もなく4月は過ぎ去った。そもそも、そんなに変ったことが何度も起きるほど世の中はイベントに満ちているわけでもない。それでも、優介にとって5月はかなり重要な時間なのだ。
「うんうん……ほう……」
5月某日、すでに日も落ちあたりもすっかり暗くなった10時半。目の前に座る津田は優介の書いた原稿を念入りに読んでいる。
ここは津田が間借りしているアパートで優介の住む学生街からはかなり遠いのだが、津田の仕事の関係やいつも打ち合わせに使っているカフェの営業時間が過ぎていることから今ここに至るわけである。
そして今津田が読んでいる原稿は今月の中旬にまで締め切りが迫った神童出版の公募企画用の原稿である。優介としては会心の出来なのだが、プロの作家である津田にはどう見えるだろうか。表情から読みとろうにもこういう時の津田はほぼ無表情なため優介は座布団の上で足をもぞもぞと動かすくらいしか出来なかった。
「ふう」
しばらくすると津田が原稿から目を離し、テーブルに置いた。すぐにいつもの優しい笑みを浮かべ優介の方を見る。
「ど、どうでしょうか」
恐る恐る尋ねる優介に対し、津田も少し真剣な面持ちになる。
「そうですね、かなり良くなってると思います。地の文や情景描写から容易に場面を想像できますしキャラもそれぞれ個性がありますね」
返ってきた返答は予想の数倍肯定的なものだった。その言葉に優介はほっと胸をなでおろす。
「いやあ、桜井さんは本当に成長が早くて見ていてとても感心します」
「それは恐縮です」
「お世辞と言うわけじゃないんですよ。私が小説を書き始めた頃なんてそれはもう酷い文章で、正直黒歴史ですね」
津田は少し懐かしそうに笑う。
「でもね、桜井さん。私は今こうしてプロとして書いていますし、桜井さんもその入口に立っています。それって誰でも出来る訳じゃないんです。作家を志す人の中にはモチベーションが続かずに途中であきらめてしまう人や、どんなに頑張っても上手い文章が書けない人もいるんです」
ふと頭をよぎったのは前に投稿サイトで読んだ小説だった。あの作者もキャラクターの書き方はお世辞にも上手いとは言えなかった。だからといってふざけて書いたわけではないだろう。きっと真剣に書いたはずだ。
「夢を見るのは誰にでも出来ます。でもそれを叶えるために努力するというのは本当にその夢を追いかける強い理由が必要なんです。」
理由、優介にとってのそれは彼女がくれたものだった。彼女と同じ世界が見たいから、隣に立ちたいから、だから優介の今がある。でも、もし彼女に出会わなければ夢を追いかける理由なんて一生見つからなかったのかもしれない。
「まあ、説教臭い話しは苦手なんでこの辺でやめときましょう」
津田は再び原稿を手に取りパラパラとめくる。
「そうそう、この後輩キャラ。今までの原稿だと少し浮いていましたが今回のはしっくりきてますね」
「あ、ホントですか。ありがとうございます」
「なにかヒントがありましたか?」
「あーその、最近知り合った後輩をモデルにしました」
「なるほど、それは良い出会いですね。女の子ですか?」
「ええ、まあ」
「もう告白したんですか?」
唐突な発言に思わずむせてしまう。
「あはは。すみません。ジョークですよ」
津田はまるで隆盛の用にからからと笑う。まあ、津田が突拍子もないジョークを言うのはこれが初めてじゃない。いつものカフェでも「あの店員さん、可愛いでしょ?今度デートする約束をしたんです。早く30年後が楽しみですねえ」なんて言ったりするくらいだ。
「まあ、話をまとめると、この原稿で行きましょう。私個人としてはかなり良作だと思いますので」
「はい!これまで何度もチェックしていただいて本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げ感謝を述べる。
「どういたしまして……っともうこんな時間ですか。そろそろお開きですね」
時計を見ると、11時を回っていた。幸い駅は近いので今から帰れば十分間に合うだろう。
津田に玄関先まで見送ってもらい、優介は駅へと向かい歩き始めた。
心なしか足取りは軽い。今ならムーンサルトだってできそうだ。
駅周辺まで来ると、ビルや広告の掲示板などがピカピカと光り、カラオケやネットカフェの客引きがせわしなく人ごみの中を歩き回っている。
そんな中、優介は見知った顔が歩いているのを見つけた。
「……他人のそら似かな?」
優介がそう思ったのは、その人物の身なりがいつもと全く違うからだ。来ている服は俗にいうゴスロリというもので、髪型もいつもより巻かれている。極めつけに、大きな丸メガネをかけている。
流石に別人だろうと思った優介だったが、なんの奇跡かその人物と視線が合ってしまった。
その人物が「げ」と言ったような顔をしたのを見て、優介はその人物がそら似では無いことに気付いてしまった。向こうも言い訳は出来ないと思ったのか、特に逃げ出したりはしなかった。ゆっくりと近づき、声をかける。
「よ、よう……悠里」
「よ、よう」
なぜか優介の口調を真似するその人物は悠里だった。
「え、えーと……何してんの?そんな恰好で」
「そ、そんなとはなによそんなとは!」
「じゃあ、そのような」
「変わってないからそれ!」
恥ずかしさからかそれとも怒りからか、悠里は顔を真っ赤にしている。
「えっと、なに、罰ゲーム?」
「……ま、まあね」
「今の間はなんだよ」
「なんでもないから!あ、ほら、もうすぐ電車の時間だよ!駅行かなきゃ!」
優介の疑問は一切解決しないまま、悠里は駅へと歩き出した。仕方ないのでそれ以上詮索はせずにその隣を歩く。
「桜井はなにしてんの?こんな時間に」
さっきの話題を続かせないためにか、悠里はそんな質問をしてきた。
「ああ、津田さんに小説のチェックをしてもらってた」
「津田さんって……ああ、プロの人か。そっか、もうすぐ締めきりだもんね」
「まあね」
「そっか……」
なぜか悠里は影のある表情をする。
「悠里が心配してどうするんだよ。大丈夫、今回は結構自信あるんだ」
「別に、心配はしてないよ」
「え?でも……」
「桜井の心配はしてないから」
それが優介への信頼の言葉なのか、それとももっと深い意味の言葉なのか、優介にはわからなかった。
だから、この話題をこれ以上続けても藪蛇になるだけだと思いなにか別の話題を探そうとする。でも、どんな話題を、どんな言葉をかけていいのかまるで分らなかった。
そもそも去年の学祭以降こうして悠里と二人でいることは無かった。というよりは互いが互いを避けていたのかもしれない。学校で見かけても、以前よりずっと声がかけにくかった。その都度その都度あの時の事を思い出した。あの日、自分に想いを告げ、それが実らずとも優介の背中を押してくれた悠里のことは今でもはっきりと思い出せる。だからこそ、その相手にどう接していいのかなんて優介には分からなかったのだ。
「前にも、こんな風に歩いたよね」
意外にも悠里の方から別の話題を切りだしてきた。
「前にも?」
「ほら、鍋の材料買いにスーパー行った時」
「ああ……」
鍋というワードでようやく優介も思い出すことができた。去年の春、隆盛達とやった鍋パーティ。その買い出しの為に悠里とこうして歩いた記憶がある。
「悠里が準備に2時間もかけたときな」
記憶をたどりながら少し冗談めかしてそんな事を言ってみたが、悠里はそれに対し反論するでもなくただ夜空を見上げた。
「あの時も今も、私たちは同じ空の下にいて同じ時間を過ごしていたけど」
「けど?」
「今は全然違う空に見える」
「そりゃあ、あの時はまだ夕方だったし」
そんなつまらない答えしか出なかった。何となく悠里の言いたいことを察したからだろうか。
「あの時桜井は私に大学に進学した理由を聞いたよね?」
「そうだな」
悠里が進学した理由は確か実家が農家で、必然的に将来は家業を手伝わなくてはならないからそれでいいのかどうかを考える時間が欲しかったから、そして大好きなバスケをもう少し続けていたいからというものだった。
「でも来年で卒業なのに、まだ答えが見つからないんだ」
「来年って……まだ後2年あるじゃん」
悠里は力なく首を振る。
「多分、そんな時間はあっという間に過ぎるんだと思う。私の大学生活なんて誰にでもある人生の一過程にすぎないから」
「それなら俺だって隆盛だって同じだよ。進学、卒業、全部みんなが通る道じゃないか」
優介としては最もな解答だったと思ったが、悠里の表情はそれに納得しているようでは無かった。だからと言って、これ以上かけられる答えもない。
「……」
「……」
そこで二人の会話は止まってしまう。これ以上言葉を交わしてもきっとどこかで止まってしまう。そう思っているのは優介だけではないだろう。
でも、ここで黙ってしまうと駅までずっとこのままだ。流石にそれは耐えかねるので今度は優介から話題を切りだすことにした。
「俺の小説の結果発表が7月なんだけどさ、もし通ったら隆盛と望先輩も誘ってまた鍋でもしようぜ」
「……そうだね、できたらいいね」
「なんだよそのフラグめいた解答は……。大丈夫、さっきもいったけど自信あるからさ」
「分かってるよ。さっきも言ったでしょ?私、桜井の心配はしてないから」
悠里のその言葉はさっきよりはっきりとしていて、それでいてどこかよわよわしかった。