「やっぱり、返すべきだよな」
もう何度この自問自答を繰り返しただろうか。
「いや、でもなんて言って返せば?」
もう何度そう言って手を止めただろうか。
「……」
時刻は7時、場所は101号室前。USBの中身を見てからかれこれ3時間以上経過しているが、未だに優介はインターホンを押せていない。
USBの中の関西旅行云々のファイルの内容は「何時に空港へ」とか「どこどこでご飯」と言ったような個人を特定できるものでは無かったが、目に留まったのは「先輩にお土産!」と赤字で書かれた個所だった。優介の周りで夏休みに関西へ旅行へ行き、先輩にお土産を買ってくる人物は一人しかいない。加えてあの小説を見るに最近小説に興味を持ち、書き始めた人物。名前も住所も電話番号も書かれてはいないのだが、ほとんど決まったようなものだろう。
だが、勝手に間違って持って帰り、勝手に中身を確認したことがばれればいろいろまずいだろう。だからと言って人のものを持ち主に返さないという選択肢は無い。
「よし、カウントダウンしよう。あと10秒」
誰に言うわけでもなく勝手にそう決めて秒読みを始める。
「10、9、8」
数えながらインターホンに指を近づけていく。
「7、6、5,4」
インターホンのボタンに指を添える。
「3、にー」
「何してんの?」
「いちいいいいいい!」
唐突にうしろから話しかけられボタンを押してしまう。部屋の中にピンポーンと音がする。
「ナチスの科学力は世界?」
「いちいいい!じゃねーよ!」
勢いよくツッコミを入れながら振り返ると、呆れた顔をした悠里が立っていた。手にはなにやら大きな袋を持っている。
「……よ、よう」
「こんばんは」
なんというか、優介は悠里と話すことに抵抗があるのに悠里はいつもの調子だ。べつに意識してほしいとかではないが、最近の悠里はいつも通りにみえて何か違う気もする。
「で、閣下は何してるの?スターリンと遊びに行くの?」
「総統閣下ネタとか古すぎるだろ!」
「それはさておき、朱里さんの部屋の前で奇声上げるとかもう事案なんだけど」
悠里はそういいながら携帯を取り出す。
「な、なんだ?動画でもとられてた?」
「ううん、警察を呼ぼうと思って」
「まって!本当にまって!ただ俺は落し物を届けようと……」
「落し物?」
不意に後ろから声がする。
「そう、落し物!っておわあ!」
いつの間にかドアを開き陰から顔を出す朱里の出現に優介は驚いて飛び退く。
「ゆーすけ先輩、酔ってるの?」
「しらふだよ!」
「じゃあ、私、もう行くから」
優介がツッコミを入れている間に悠里はさっきまでの会話など無かったかのように玄関から出ようとする。
「お、おう。なんか最近不審者が多いらしいから気をつけろよ~」
取りあえず手を振ってみたが悠里の視界には入らなかったようで、そのまま出て行ってしまった。
仕方ないのでその後姿を見送り、その間にドアから完全に出てきた朱里の方に向き直る。
「やっぱりなんかあったんじゃないの?」
「別に、なにもないよ」
「ほんとに~?」
訝しげな目で見てくる朱里から露骨に目をそらし、音の鳴らない口笛をふくくらいしか優介には出来なかった。
「まあ、いいたくないならいーよ。それで、落し物って?」
「うっ」
やはりその話題に行きついてしまう。あんなにはっきりと大きな声で「落し物」と言ってしまった以上もう誤魔化しようがない。
「えっと、これ……」
ポケットからUSBを取り出し、朱里に見せる。
「え?」
朱里は一瞬ポカンとしていたが、すぐにそれが自分のものだと分かったのか、ものすごい速さでそれを優介から奪い取る。
「な、なななんでゆーすけ先輩がこれを!?」
「あー、その……なんていうか、まあ」
煮え切らない返事しか出来ない優介に対し朱里はものすごい勢いで詰め寄ってくる。
「そもそもなんで私のだって分かったの!?名前なんてどこにも書いてないのに……あ」
朱里は急に冷静な表情になる。
「もしかして……中身、みた?」
恐る恐る尋ねてくる朱里に対してもはや言い訳の言葉も浮かばず優介は頷くことしかできなかった。
「あ……ああ……」
体をわなわなとふるわせる朱里の目には涙すら浮かんでいる。その顔はもう真っ赤だ。
「ゆ、ゆーすけ先輩のバカあああ!女の子のUSBの中身勝手に見るなんてサイテー!プライバシーの侵害だよ!私の肖像権が全部犯されちゃったよぉ!」
こんなところで犯されたなんて言われるとそれこそ通報されそうなものだが朱里はお構いなしに優介の体をポカポカと叩いてくる。
「ご、ごめんって!俺が無くしたUSBとメーカーも色も同じだったから……」
「うるさいうるさいうるさい!私の秘密の日記とか昔好きだった人の写真とか全部見たくせに!」
「え?そんなのも入ってたの?」
「え?」
一瞬だが沈黙が訪れる。朱里はその間にパニック状態の頭を落ち着かせたらしく、自分の自爆にたいしさっきよりもずっと顔を赤くする。
「わ、わー!わすれて!全部忘れて!忘れないなら先輩をころして私もしぬから~!」
「わ、わかった!忘れるから!命を粗末にするなって!」
ポカポカどころか肩を掴みゆすってくる朱里をなんとか引き離す。朱里も流石に疲れたのか肩で息をしている。
「落ち着いた?」
ころ合いを見てそっと話しかけてみる。
「うん……」
「それはよかった」
「やっぱり飛び降りがいいのかな?」
「やっぱりよくねえ!なんで落ち着いて死に方考えてんだよ!」
死に急ぐ朱里にツッコミを入れるも、結局何と説明すればいいのだろうか。素直に小説の事を言うべきか、何か言い訳を考えるか。
「じゃあ、ゆーすけ先輩は何を見て私のだって分かったの?」
だが、そんな言い訳を考える時間は用意されていないようだ。そもそもUSBの中身を見たという事実が明らかになっている時点で白状しなければいけないことは決まっているのだから。
「……小説」
「え?何?もっかい言ってよ」
「小説を見ました。本当にすみませんでした!」
何故か敬語になる優介に対し、朱里は再び体をわなわなさせる。その表情は恥ずかしさと言うよりは血の気が引いている感じに見える。
「あ、朱里さん?」
「ゆ、ゆーすけ先輩にだけは見られたくなかったのに……」
「え、なにそれ、俺ピンポイントで見せたくないってどういうこと?」
恐る恐る聞いてみると朱里は今にも泣きだしそうだ。そんなに優介にみられるのが嫌だったのだろうか。確かに、自分の書いた小説を他人に見せるというのはかなり勇気がいるという事は優介も十分わかっていることだが、それにしたって朱里のまるでこの世の終わりを目の当たりにしているような表情は流石にオーバーな気がする。
「ご、ごめんって!つい興味本位で……と、取りあえずこれ返すから、泣くなって!」
慌ててUSBを朱里に手渡す。
「私の小説、どうだった……?」
「え?」
「だから、感想……。読んだなら何か思ったことあるでしょ……?」
俯いたまま朱里はかすれそうな声で尋ねてくる。
「えっと……」
何と言えばいいのだろうか。投稿サイトのものも、USBに入っていたものも、正直面白いとは言えない。言ってしまえば駄作だ。でも、この状況でそんな事を言ったら朱里はもうもたないだろう。
でも、ウソを言うわけにもいかない。朱里に申し訳ないとか以前に小説というジャンルに対してウソを言いたくないと思ったのだ。
「の、のびしろが大きい……かな?」
考えに考えて出てきたのはそんな言葉だった。ウソではないが、かなり無理のある感想だ。
「やっぱり、つまんないよね……」
「い、いや、そんなことは……」
「じゃあ、何か良かったところ言ってみてよ!どうせないでしょ!」
朱里が声を荒げる。一体どうしたというのだろう。何故朱里はこんなにも感情を高ぶらせているのだろう。詰まらないと自分で結論が出ているのに優介にこれ以上何を聞いてもプラスな言葉は出てこないと分かっているはずなのに、それなのに執拗に聞いてくる。まるでわらにもすがるように。
分からないが、何か言ってあげなければと思い優介は頭を捻る。
そういえば、何故投稿サイトの小説と朱里の小説が似ていると思ったのだろうか。何故あの時サイトの小説を瞬時に思い出したのか。
それはたったひとつ、印象に残る点があったからに他ならない。
それは――――
「情景描写……」
「え?」
「情景描写だよ!読んでいてまるで映像を見ているかのように風景が想像できる文章!あれは並大抵じゃできない、凄いところだよ!」
自分で言いながらうんうんと大きく頷く。
「ほんとに?私の小説にも、いいところあったの?」
「ほんとさ!あの描写だけは努力で身につくものじゃない、才能だと俺は思う!」
「才能……。そっか……やっぱり私は……」
「朱里さん?」
「え?ああ、ううん何でもない!そっか、じゃあ頑張ったら私もゆーすけ先輩みたいな小説書けるかもしれないんだ……」
朱里はさっきと打って変わって嬉しそうな表情を浮かべる。
「あのさ、言いたくなかったらいいんだけど、なんで俺には見られたくなかったの?」
さっきの言葉が気になり、聞いてみる。
「だって幻滅されると思ったんだもん!」
「なんだ、そんなことだったんだ」
思わず笑いがこぼれてしまう。
「な、なにさそんなことって!真剣に悩んでたのに!」
「だって、最初から上手い人なんてそうはいないしさ。俺の知り合いの作家も没を繰り返してようやく納得のいく文がかけたって言ってたし」
「え!知り合いの作家さん!?プロってこと!?ゆーすけ先輩凄いね、そんな知り合いがいるなんて!」
「凄い……か」
確かに凄い。だがそれは優介の事じゃなく、優介のよく知る『彼女』に対しての事だ。『彼女』の書く文章は優介の世界を変えるものだった。そして周りの人も巻き込んでより大きな世界を作り出していった。
今、『彼女』は何をしているだろうか。元気にしているだろうか。ちゃんと外に出ているだろうか。まさか部屋をゴミ屋敷にしてたりしないだろうか。
「ねえ、知り合いなら今度紹介してよ!」
「……ごめん。その人今遠くにいるんだ」
「えーそうなの?でも知り合いなら連絡先とか知らないの?」
「それは……」
優介が言葉を濁すのと同時に扉の開く音がする。びくっとして音の方を見る。音源は2階からだ。ドアを開けたであろう住人はゆっくりと階段を下りてくる。
「なんだ、うるさいと思ったら優介か」
だぼっとしたTシャツにグレーのスウェットを身につけ、長い髪を後ろで束ねた202号室住人の山田小雪が抹茶豆乳を飲みながらだるそうな視線で声をかけてくる。
「俺イコールうるさいみたいなニュアンスなんだが気のせいか?」
「へえー。優介自覚あったんだ」
「失礼極まりないな!」
「親しき仲にも失礼ありでしょ」
「なんだそのジャイアニズム全開のことわざは!」
「まあとにかく、うるさいから。俺今日はまだ11時間しか寝てないんだ」
寝すぎだろというツッコミを今更入れても小雪の生活態度が変わるわけでもないので、代わりに少し大げさに肩を落とす。小雪は伝えるだけ伝えるとそのまま階段を上り自室へと戻っていった。
「今の人、だれ?」
朱里のいう今の人とは当然小雪の事だろう。正直彼の事をいちから説明するのは骨が折れる。屋上の主などと言っても理解はされないだろう。
「えーっと、まあ、俺の知り合い」
「綺麗な人だったよね~」
「あいつ、男だぞ」
「え?」
「男」
朱里は頭上に疑問符を浮かべる。だが、すぐにやれやれと言わんばかりの表情になる。
「いやいやいや、あんなにきれいな人が男の子な訳ないじゃん、ゆーすけ先輩バカなの?」
「だが男だ」
「そんなこと言ったらあの人に失礼だよ?」
「でも男だ」
「私告げ口するよ?」
「しかし男だ」
優介の淡々とした言葉に朱里は目で『まじ?』と問いかけてくる。なので『まじで』と目で返す。
「ウソ……。あれで男?」
「俺も最初はそう思った」
「なんか私、女としての自信無くしそう……」
「いや、朱里さんは小雪より全然可愛いでしょ」
「え?」
そこで優介は『しまった』と思った。そう言えば以前悠里に似たような褒め方をしてしばらく気まずくなったことがあったのだ。まだ悠里の事を名字で呼んでいたころの話だが、あれ以降不用意にそういう事は言わないようにしていたのにうっかり口から言葉が出てしまった。
「あ、いや、今のは別に変な意味じゃなくて!単に思ったこと言っちゃっただけで……」
「本能的に口説き始めたってこと!?」
もしかしなくても朱里は誤った理解をしてしまったようだ。慌てて言い訳を考えたが、この状況で何を言っても火に油だ。
「せ、先輩はさ、やっぱり年下好きなの?」
「いや、落ち着けって!俺はそういう意味で言ったんじゃなくて……」
「わ、私は……」
そこまで言いかけて朱里はハッとする。どうやら動揺した勢いでハチャメチャなことを言っていたことに気づいたようだ。
「……ゆーすけ先輩のバカ」
ふてくされてむすっとする朱里はまるで悠里の様な事を言ってくる。
「ごめんって、全面的に俺が悪かった」
「もっかい言って」
「ごめんなさい」
「それじゃなくて」
「え、何?クイズ?」
「だから、その、可愛いってもっかい言ったら許す……」
「言わなかったら?」
「一連の流れを学校で言いふらす」
「やめて!俺の残りの学生生活が灰色になっちゃうから!」
「じゃあ、言って」
ここで何か別の話題を出して軌道をそらすことは不可能だろう。一連の流れは優介が撒いた種な訳だし、USBの中身を見てしまったことへの後ろめたさがある。そうなると、優介のとれる選択肢は一つしかなかった。
「か、可愛いです……」
「う、うっさい……」
何故か優介より朱里の方が照れている。なんだか良く分からない状況になってきたので優介は思い切って今度こそ話題を変えようと試みる。
「あのさ、小説、俺で良ければいつでも読むよ。参考になるかは分かんないけど俺なりのアドバイスもする」
「え!?ゆーすけ先輩に!?で、でもそれは……」
「はは、自作小説を誰かに見せるのって結構ハードル高いよな」
自分が通ってきた道だから、その気持ちは容易に想像できる。
「でも、誰かに見てもらう事ってすごく大事なんだ。自分一人じゃ世界を広げるのって限界があるからさ」
「世界?」
「うん、世界。小説だけじゃなくて学校での勉強や友達とか家族とか、親しい人たちとの関係、それら自分の日々を構成するものそのすべてが世界なんだ。でもそれって最初はっ凄く小さくて、頑張って広げて行っても、どこかで壁にぶちあたる。中には世界が広がるのを怖がったり、広げる必要を感じなくなる人もいる。そんな時、その時間を、その思いを共有できる誰かの存在が重要なんだと俺は思うんだ」
「共有できる誰か……」
朱里は何かを思い出すように真剣な面持ちになる。
「ご、ごめん。ちょっとカッコつけすぎたかな?」
「……ううん。ゆーすけ先輩の言うとおりだと思う。共有できる誰か。大事だと思う」
ゆっくりと言葉を紡ぐ朱里の表情にはどこか影があるようにも見えた。
「あの時も、それができたら……」
でも、最後の一言は余りに小さすぎて優介の耳には聞こえなかった。
「え?」
「な、何でもないよ!いやー流石先輩の発言は違うな~。私より一年長く生きてるだけあるよ!」
「そんな大げさな」
「それじゃあ約束だよ!小説、もっと上手くなるように頑張るから!ちゃんと読んでね!」
今日一日、朱里のいろんな表情を見てきたが、この笑顔は、とても純粋で、無邪気で、晴れやかで、でも、
でも、どこか辛そうにも見えた。