浮足立った雰囲気の春もだんだんと落ち着き、5月も終わりに近づいてゆくと気温も徐々に上がり、夏の始まりを感じることができる。とはいっても近年は天気が不安定な事もあり気を抜くと体調を崩してしまいそうだ。
悠里の言葉の意味はまだ分からないし、相変わらずぎこちないままだが、それでも時間は過ぎて行くわけでその件は優介の頭から少しずつ薄れていった。
だが、異変は突如としてやってきた。
5月最後の週、必修の講義にもそれ以外の講義にも悠里は現れなかったのだ。大学生の中にはそういう休み方をして一週間丸ごと海外旅行に行くような者もいることにはいるが、優介の知る限り天草悠里という人物は一回一回の講義にしっかり出席し、講義の後にはしっかり時間を作り復習するほどのストイックさの持ち主だったはずで、それは彼女の欠席を受けた教員や友人たちの反応からも見てとれる。
『今日天草さんは休みですか、珍しい事もあるもんですね。誰か欠席の連絡をもらっている方は居ますか?』
という問いかけに受講する学生たちは皆首を横に振り、
『悠里ったらラインも未読なんだよ?ひどくない?』
『いつもならすぐに返信くれんのにね~』
と友人たちの会話は悠里の話でもちきりになるほどだ。
当然優介も心配になり、何度かラインを送ったり、103号室を尋ねたりもした。だが、悠里からの返事は無い。
そんなおかしな状況のまま迎えた金曜日の夕方、優介の部屋に緊急招集されたメンバーたちの表情は重々しかった。
テーブルを囲むのは順に優介、隆盛、望、蘭子、朱里。4月の事もあり正直隆盛のいる場に朱里を呼ぶことは躊躇われたが、朱里はもう気にしていないと言うので逆にいつまでも気を使うのも迷惑だと思い、この場に来てもらった。
「えっと、本日は足元の悪い中……」
「取りあえずピザでも頼もうぜ。腹減った」
「ふっふっふ、そう言うと思って私は飲み物を持ってきたよ!さあ、緑茶でも麦茶でも綾鷹茶でも好きなのを飲むがいいさ!」
「わーい!ちょうど暑くなって来たし、水分補給大事だよね!」
「え~と、それじゃあ私は綾鷹茶を貰いましょうかね」
どうやら重々しいと感じたのは優介の気のせいだったらしく、面々は好き勝手に話し始める。
「おい!だれがピザパーティするって言ったんだよ!?そんなことの為に集まってもらったんじゃないんだって!」
「落ちつけよ優介。お前の言いたいことは分かってるって」
隣に座る隆盛が肩に手を置く。
「ほんとか?」
「ああ、お前の考えくらい分かるって。友達だろ?」
「隆盛、お前……」
「ピザじゃなくてチキンの方がいいってことだろ?」
「ちげえよ!」
勢いよくツッコミを入れる。何という緊張の無さだろう。思わず悠里の一件がどこか別の世界の事象だと思ってしまうほどだ。
「お前らなあ、今日集まってもらったのは悠里が一週間講義に出てこなかったっていう異常事態について話し合うためなの!事の重大性分かってんのか?」
「部員の子たちに聞いたけど、最近よく繁華街方面の電車に乗る天草を見るって」
望がバスケ部からの情報を伝える。
「俺もバイト先が同じ心理学科の男子に聞いたけど、街の中で天草に似た女子を見たって言ってたぞ」
隆盛の情報はバイト先から。
「私、天草先輩と同じバイト先の友達に聞いたんだけど、最近全然出勤してこないって言ってた!」
悠里のバイト先の情報を教えてくれる朱里。
「天草さん、最近夜遅くに帰ってくることが多くて、挨拶しても殆ど返事してくれないんです」
蘭子が最近の悠里の様子を教えてくれる。
そして全員の視線が優介に向く。それもそうだ。この中で情報を出していないのは優介なのだから。
自分からみんなを集めておいて、話しあおうと言ったのに、自分だけ情報を持っていないという状況に優介は目をそらすことしかできなかった。
「ご、ごめん……。みんなちゃんと悠里の事心配してたんだな。それなのに俺は……」
「まあ、優介は夜眠れないほど天草の事を心配してたわけだし、思いは一番強いんじゃねーの?」
「お、おい隆盛!」
隆盛の爆弾発言に場の空気が凍りつく……と思ったのだが優介の心配をよそに隆盛達は話を続ける。
「つまり天草は最近講義にも部活にもバイトにも行かず、繁華街をうろついて夜遅くに帰ってくるってわけだ」
「そうなると考えられる可能性はあまり良くないことばかりだね」
流石隆盛と望は頭の回転が速い。すぐに話の要点をまとめ、指針を示してくれる。
「ご友人たちにも何も連絡をしないという事からして、何か危険な事に関わっているかもしれませんね」
蘭子も流石大人だけあって状況を良く見ている。
「夜遊び、とかもあり得るよね。天草先輩がそんなことするとは思えないけど」
朱里も自分が想像できる範囲で意見を出してくれる。
だが、この場で優介だけが何も言えていない。何を言っていいのか、何を言うべきなのか、全く分からないのだ。隆盛達の言葉の意味はもちろんわかる。悠里が危険な事に関わっているかもという蘭子や朱里の言葉も最もな想像だと思うし、以前街であった悠里の服装や態度からしてもその可能性が濃厚だと自分でも考えている。
だから、それをみんなに話し共有することが悠里を救うことに繋がるはずなのだ。
なのに、優介はただ彼らの話を聞くだけで自分から言葉を発することができなかった。それは何故か。それは優介が直感的に一つの考えに至っていたからに他ならない。
天草悠里は、救ってほしいと思ってはいないのではないか。
彼女を救うというのは優介たちの主観から成る考えであって、悠里自身がそれを求めないのなら、それはただのおせっかい、余計なお世話でしかないと、そう思ったから。
だから、優介は何も言えなかった。
そうして時間は過ぎて行き、面々は解散した。
後に残ったのはベッドに寝そべり本棚から勝手にひっぱりだした漫画を読む隆盛と、なんとなくパソコンを立ち上げこの前完成した原稿を眺める優介だった。
別に、原稿を直そうと思ったわけじゃない。そもそも原稿自体は津田にOKを貰っているわけで、今更直したところで既に応募した小説に影響するわけでもない。ただ、何かしていないと、あるいは何かしている事を装っていないとおかしくなってしまいそうだったからそうしているのだ。
「……はあ」
ベッドに寝そべっていた隆盛は小さくため息をつき、漫画を閉じると立ちあがりそのまま玄関へと向かう。
「帰るのか?」
「ああ。帰ってゲームする」
「その辺まで送ってくよ」
「珍しいな。優介が送ってくれるなんて」
「……別に。ちょっとコンビニに行こうと思ったから、そのついでだよ」
「そうか」
玄関で靴を履き、そのまま外へと出る。日はすっかりと落ち、星空が広がっている。この土地へ来て3年目だが、この時期の外の気温や空気の匂いが優介は嫌いじゃなかった。
隣を歩く隆盛は特に何か言ってくるわけでもなく、携帯をいじっている。いつもならくだらない冗談を間髪無問わず入れてくるはずなのに、ただ歩くだけ。
そんな空気に耐えきれず、優介は口を開く。
「今日は、ありがとな。来てくれて」
「別に、バイトもなかったし問題ねーよ」
「隆盛も望先輩も朱里さんも大家さんも、みんな悠里の事心配してくれててよかったよ」
そこで何故か隆盛は立ち止まる。
「どうした?」
「優介は、本当にそう思うか?」
「そう思うって、なにが?」
「みんなが天草の事を心配している事がいいことだと思ってるか?」
「……!」
その言葉を告げる隆盛の表情は真面目そのものだった。いつものふざけた様子は一切ない。だから、優介は大きく動揺した。
「な、何言ってんだよ?明らかにおかしい状況なんだから悠里を心配するのは当然だろ?」
「違う。お前は天草を心配するという事を良く思ってない」
「そ、そんなこと――」
「じゃあ、なんで何も言わなかったんだ?」
隆盛の言葉に、すぐに言葉は出てこなかった。だが、思えば手島隆盛に、この親友にウソをついてだませたことなんて一度もなかった。そういう奴なのだ。
だから、ここで誤魔化しても何の意味もない。
「……そう、だな。俺は悠里を心配することが正しいか分からない。普通ならいきつかない考えに俺はいきついてるんだ」
だから、あの場所で優介だけ情報を持っていなかった。誰かに悠里の事を聞くことが不可能だったわけでもないのに、優介はそれをしなかった。悠里を助けようとする心の裏には、そこから目を逸らそうとする何かがあったから。
「なんで、そう思ったんだ?」
「だって、悠里が助けを望んでいるか、分からないじゃないか」
「違う」
「え?」
「天草が助けを求めているかいないかなんてそれこそ本人にしか分からない。それでも、いつものお前なら絶対にそんな考えにはならない」
何も言い返せない優介に対し、隆盛は言葉を続ける。
「優介、お前は天草に関わることを避けたいと、そう思ってるんだ」
「……」
「なぜなら、去年、お前が天草の想いに答えられなかったからだ」
隆盛が言っているのはもちろん去年の学祭のことだろう。あの時悠里の気持ちに優介は答えられなかった。それは、『彼女』がいたから。
「別に、それが悪いって言ってるわけじゃない。中途半端に濁すよりしっかり断った方が誠実だ。だから、あの時のお前は間違ってないと俺は思う」
「……」
「でもな、優介。お前はそれをずっと引きずってるんだ。そりゃ振った相手と気まずくなるなんて良くあることだが、お前はそのせいで大切なものを失ってる」
「大切な……もの……」
「今のお前には、天草を助けようとする、あるいは助けたいと思うための『理由』がなくなってるんだ」