気付きたくなかった。自分がそんな軽薄な人間だったなんて信じることができなかった。
一度、振った相手と距離ができるのはごく自然なことだ。恋愛ってのはきっとそういうもので、一時的な気まずさも時間をかけて元に戻っていくのだと思っていた。『友人としての悠里』、優介の中ではこれまでもそしてこれからもそういう位置付けであるはずなのだ。
友人が困っていれば助けになるのが優介であり、そのモットーに従い悠里を手助けするという、ただそれだけでいいはずだった。
……だけど実際はどうだ。一度、告白を振ってしまった自分は、あいつの思いを受け取ってやれない自分には、あいつを“思いやる資格”がないのではないか、そう心の奥底で思っていたのだ。それを隆盛の言葉で気付かされた。本当の自分に気付いてしまった。
他の皆には悠里を心配する理由がある。
望は同じ部活動の先輩として、蘭子は自分の経営するアパートの大切な住人として、隆盛は1年の時からの友人として。朱里もきっと優介たちの役に立ちたくて来てくれたのだろう。
なら桜井 優介はどの立場で悠里を助ければいい? 友人として、というのは優介自身が取り繕った仮面のようなものだった。あの告白された日からお互いに本心を隠すように仮面を被っていたのかもしれない。
あの時、悠里を選ばなかったことを後悔しているわけじゃない。
なのに、ずっと悠里に後ろめたい気持ちを持っていて、それを自覚せずにうわべだけ取り繕っていた自分に腹がたつ。
「……少し、夜風にあたるか」
誰かに向けて言ったわけじゃない、ただ気を紛らわすための独り言。
気だるげにベッドから起き上がり、 念のため財布をポケットに入れて自室を出る。玄関口は静まり返っていて、自分の足音だけが響く。そんな音を感じもせずに優介は学生街の通りを真っすぐ歩く。さっき隆盛を送った時よりも少し肌寒い。
特に目的地があるわけでは無かったが、ただうろつくのもなんだったので駅前のコンビニによることにした。
歩くこと10分。コンビニはいつもと変わらず営業している。適当に店内を見て回り、週刊の雑誌をぱらぱらと立ち読みした後、ガムを買って外に出る。
そのまま帰ろうと思った優介の視界に、駅前の横断歩道で信号待ちをしている悠里の姿が入ってきた。
「なんつー偶然だよ……」
この世に神がいるというのならそれはよっぽど性格が悪いのだろう。
だが、さっきの会議での情報から察するにこのまま悠里を街へ行かせていいのか怪しいところだ。
見た限りではどこか怪我をしているわけでもないが、今日そういう危険な目に遭わないとも限らない。
それなら、このまま放置して帰ることもできない。
「おーい、ゆう――」
だが、優介の言葉の最中に信号は青へと変わり、悠里は駅の方へと渡っていってしまう。
仕方ないので優介も走ってそれを追いかける。
しかし、駅構内に入ってみるとすでに悠里の姿は消えていた。電光掲示板を見てみると次の列車が来るまであと一分も無く、このままでは悠里はそれに乗ってしまうだろう。
急いで切符を買い、改札をくぐる。
目的の列車は改札と逆のホームだったので、優介は急いで階段を昇る。
――何か、できるんだろうか。
そんな思考が階段を蹴る足を重くする。
――何か気の利いた事を言えるのか?状況の把握すらできていないのに。
そんな事を問いかける自分がいる。
――なんで、助けるんだ?
「知るか、そんなこと!今できることをするしかないんだ!」
その言葉で自分を叱咤激励し、階段を昇り切る。連絡通路を走り抜け下りの階段に差し掛かると列車が到着する音が聞こえ、乗車客たちが降りてくる。
人の波ができる前に何とか階段を下り切り、悠里を探すもすでにどこかの車両に乗り込んでしまったらしく見当たらない。
仕方ないので優介も近くの車両に乗り込む。ほどなくしてドアが閉まり、列車は動き出した。
肩で息をしながら周囲を見渡す。時間的にも帰宅ラッシュからは外れているらしく、車内はそこまで混んでいない。座席に座る乗客も見た感じ多くない。
ゆえに、悠里を探すのもそこまで難しくは無いだろう。少しほっとしながら悠里の姿を探すがこの車両には見当たらない。幸いにも優介の乗っている車両は一番後ろなのでこのまま前の車両へ進んで行けば悠里を見つけられるはずだ。
その予想通り、4両先に悠里はいた。座席に座った彼女はずっと窓の外を眺めている。その傍らには先日の様に大きな袋が置いてある。
「取りあえず、声かけないと」
そう呟くことで自分を鼓舞するも優介の足はピクリとも動かなかった。足だけじゃない。まるで鉛でもくくりつけられたように、あるいは機能を失ったかのように、優介の体は動かなかった。それはきっと『助ける理由』が分からないからだ。勢いに身を任せて列車に飛び乗ってはみたが、いざ悠里を止めようと考えると頭が真っ白になる。
だから、優介にできることは車両の隅で自分に苛立つことぐらいだった。
そのまま列車は繁華街の最寄り駅に到着する。場所が場所なだけあってこの時間でも乗り込もうとホームに並ぶ客はたくさんいた。ドアが開くと悠里は傍らの袋を持ち降車する。優介も何とか足を動かし後を追い降車する。
どうやら悠里は優介の存在に気付いていないようで特に変わった様子もなくホームの階段を下りて行く。
「完全にストーキングだよなこれ」
そんな皮肉めいた冗談しか出てこない。だが、それでもここまできて引き返すという選択肢だけは無かった。階段を下りると悠里はそのまま女子トイレへと入ってしまったので優介はなるべく不審がられないように近くの壁に寄り掛かり、携帯を取り出す。
――だれか、呼ぶべきだろうか。
まず思いついたのは警察だったが、本当に悠里が危険なことをしているという確証もなければ、下手をすると悠里の悪評に繋がるかもしれない。確実な証拠もなくそれを決断することは今の優介にはできなかった。次に思いついたのは隆盛や望だったが、今、呼んだとしても悠里が現在地に留まるとは限らない為、すれ違いになる可能性が高い。
「結局、俺しかいないか……」
優介は携帯をポケットにしまい、悠里の入った女子トイレの入り口へと視線を戻そうと……
「どわあ!」
とつぜん視界に現れた存在に、状況も相まって思い切り腰を抜かしてしまう。
「先輩ってば、全然、気付かないんだからぁ」
そう言って呆れた表情をするのは夕方に部屋に集まってくれた一人、朱里だった。
「な、なんだ朱里さんか……びっくりした」
「ごめんごめん。なんか凄い顔してスマホ見てたから声かけづらくてさー」
「そ、そんなに表情強張ってた?」
「うん。ひょっとしてそういう系のサイト見てた?」
「みとらんわ!……てか朱里さんは何してんの?」
「友達とカラオケいった帰りだけど……てかそれブーメランじゃん。ゆーすけ先輩こそ何してんの?」
朱里の言葉に対し返答に詰まる。素直に答えると朱里も巻き込んでしまう事になるからだ。
「先輩?どしたの?」
「あ、いや、その……」
優介がへどもどしていると、女子トイレから一人の人物が出てくる。黒のゴスロリに長い黒髪。優介の記憶には無い人物だった。だから特に意識せずに再び朱里の質問への返答を考える。
「……あ」
だが、そこでようやく頭が機能した。普段はショートヘアの彼女がロングヘアだったから気付かなかったが、この世にはウィッグという便利なアイテムがあるわけだし、何よりあの黒いゴスロリは以前見たことがある。
「ご、ごめん朱里さん!その話はまた今度!」
そう告げてゴスロリの人物、悠里を追いかけようとするも優介の右手を朱里がとっさに掴んでくる。
「な、なんだよ?急いでるんだ、離してくれ」
「ゆーすけ先輩、今の人を追いかけるの?」
「そ、それは……」
「あの人、誰?」
何故か朱里は頑なに手を放してくれない。だが、ここで一から説明していると悠里を見失ってしまう。
「分かった、説明するから来て!」
「え、ちょっと先輩!?」
そのまま右腕ごと朱里をひっぱり悠里の後を追いかける。とにかく悠里に起きている状況を把握しなくてはという思いが優介の体を動かしていた。
***
「ええ!あれ天草先輩なの!?」
夜の繁華街を物陰に隠れながら進む中、隣の朱里が驚きの声を上げる。
「そう……らしい」
「ほえ~。天草先輩ってああいう格好するんだ?」
「いや、普段は全く。俺も見たのこれで2度目だし」
「2度目?」
「前もこの辺でああいう格好をしてる悠里に会ったんだ」
その時とは少し恰好が違ったので危うく見逃すところだったが、今思うとあの時会っていたことが悠里だと判断するのに役立ったわけだ。
「あれ見て先輩どう思った?」
「は?どうって、びっくりしたよ。普段そんなイメージ無かったから」
「そういう事じゃなくて――」
朱里がなにか文句を言おうとした矢先、前方を歩く悠里が立ち止まる。
気付かれたのだろうか。だが、この人ごみの中でいるかもわからない優介をピンポイントで見つけるのは容易ではないだろう。だが、一応近くの看板の陰に身をひそめる。
5分もしないうちに何やらチャラそうな男が二人、悠里に近づき話を始めた。
「え、ま、まじ?天草先輩マジで夜遊びしてたの?」
悠里が男たちに難色を示さず会話に応じているとからして朱里の言葉は十中八九間違いないだろう。
なぜ悠里がそんな事をしているのか理由は分からないが、このまま放置しておいてなにか危険な目に会う可能性は十二分にある。
「ど、どうするの?通報する?」
朱里は携帯を取り出し優介に尋ねるが、優介は首を横に振り朱里を止める。
「朱里さんはここにいて」
「え、じゃあ先輩は?」
「悠里に直接聞いてくる」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ――」
朱里の言葉を最後まで聞かずに優介は看板の陰から飛び出し悠里の方へ向かってゆく。
「悠里ちゃん今日も可愛いね~!まじどストライクだわ~」
男たちの内、長髪の方がバカみたいな口調で話しているのが聞こえる。それに対し悠里も何か答えているようだが、その声は周囲の音で聞こえない。
「で、今日はどこいく?ゲーセン?それともカラオケでも行く~?」
坊主頭の男が悠里の肩に手を回しこれまたあほみたいにでかい声で話す。そんな様子に、優介はただただ怒りを募らせていく。
「おけー!そんじゃカラオケ行きますか~!」
長髪が近くのカラオケ屋を指差す。
「おい!」
その流れを断ち切るように出した優介の声に男たちは訝しげにこちらを見る。
「なにお前?俺らになんか用?」
「何してんだよ悠里!みんな心配してたんだぞ?」
メンチを切ってくる長髪は無視して優介は悠里に問いかける。
「おい兄ちゃん、無視してんじゃねえよ」
「黙れハゲ!お前たちに用なんて無い!」
坊主頭に怒鳴り付け、悠里の両肩に手を置き言葉を続ける。
「講義にも出ないから先生も、お前の友達も、隆盛も望先輩もみんなお前の事心配してたんだぞ!それなのに、こんなところでこんな奴らと何してんだよ!」
必死に肩を揺するが、悠里は俯いたまま返事をしてくれない。
「おいお前、俺らの悠里ちゃんに気安く触ってんじゃねえよ!」
長髪が優介を力強く引きはがす。そのまま優介は尻もちをつく。流石に辺りもざわついてくるが、助けに入る者も、警察に連絡しようとする者もいない。ただの若者の悪ふざけだと認識されているらしい。
「悠里をお前らの所有物みたいに言うのはやめろ!こいつはそんな安い奴じゃないんだ!」
「何言ってんだお前?てかそもそも誰だよ?」
「言っとくが、悠里ちゃんは同意のもと俺らと遊んでんだぜ?」
「そんなわけあるか!悠里、なんとか言ってくれよ!」
必死に呼びかけるもやはり悠里から返事は無い。
「しつこいんだよこの野郎!」
「うぐっ……!」
長髪のひざ蹴りが優介の腹部に当たり、あまりの痛みに優介はその場にうずくまる。
「なあ悠里ちゃん、こいつ君の知り合い?」
長髪の言葉にようやく悠里が顔を上げる。
「……知らない。はやくカラオケいこ?」
だが、悠里が発した言葉は優介の期待していたものとは全く違った。そのままカラオケ屋に入っていく悠里達に対し、優介の意識は遠のいて行った。