走りに走って、優介たちがたどり着いたのは3日前の公園だった。望の指示のおかげで最短ルートでたどり着いたとはいえ、全力で走ったため、優介も朱里も、そして悠里も肩で息をしていた。
「それで……どういうこと?」
一番最初に息が整った悠里が尋ねてくる。流石はバスケ部、ゴスロリで走っても回復が早い。
「言ったろ……お前を取り返しに来た」
「取り返しに……?私はそんなこと望んでないよ」
「じゃあ、なんであの時、俺を殴ろうとした奴を止めたんだ?俺たちの助けを拒絶したいならあのままにして俺が二度とお前に関わらないようにするのが得策じゃないのか?」
「そうしても……桜井はまた私を助けようとするでしょ」
悠里の言うとおり、何度拒絶されても優介には悠里を見捨てるという選択肢は考えられない。何をどうしようと結果は変わらず、それゆえ今夜優介は行動を起こした。多分それは悠里にも分かっていたのだろう。でも、それでも優介から遠ざかりたいと思ったからこそ今日も、3日前も俯いたまま何も言わなかった。だからこそ、優介が折れるという可能性を信じるしかなかったのだ。
「そう、だな。多分俺は何が何でも悠里を助けようとする。でも、それは俺だけでは出来ないことだった。なあ、悠里。さっきの覆面の連中、どっから集まったか知ってるか?」
「知るわけないでしょ」
「じゃあ、少し考えてみて」
それに対し悠里は文句を言うわけでもなく目を閉じて考え出す。
「……警察?」
「ハズレ」
「……それじゃあヤバい人たち?」
「それもハズレ」
「分かんないよ……」
「あれは全部、バスケ部の男子たちだ。まあ、隆盛も混じってたけど」
「は、はあ!?バスケ部の!?」
「それだけじゃない。あのゲーセンを割りだしたりあの連中の行動パターンやさっき走ってきたルートに関してはバスケ部の女子たちの協力もあった」
優介の言葉と同時にバチンと乾いた音が鳴り響いた。それはまぎれもなく、悠里が優介の頬を叩いた音で、悠里の表情は怒りに満ちていた。
「いてえ……」
「なんで……なんでみんなを巻き込んだの!?男子たちがあの連中に目をつけられたり、女子たちだってこんなことに加担したことがばれたら卒業後の進路にだって影響がでるって、桜井ならわかったはずでしょ!」
怒りに満ちた悠里の強い口調と、頬にじんじんと響く痛みに、優介もつい頭に血が上ってしまう。
「じゃあ、バスケ部の人たちが危ない目に合うのは駄目なのに、お前がそうなるのはなんで許されるんだよ!そんなのおかしいだろ!」
「……!そんなの、ただの屁理屈でしょ!」
「屁理屈を言ってるのはお前だろ!いつものお前なら、そんな支離滅裂な考え方絶対にしない!」
「桜井に私の何がわかるのよ!」
その言葉に、今度は優介が言葉に詰まってしまう。悠里の事をわかっているつもりで3年間隣人をやってきた。もちろん最初は赤の他人だったが、醤油を貸し借りしたり、小説を書くことや隆盛や望の問題が立ちはだかった時、一緒に解決策を模索したりする中で、悠里との絆が深まっていくのを感じていた。それなのに、悠里の今回の行動の原因が優介には分からなかった。そんな自分が腹立たしくて、それが不安で、怖くて、まるで天草悠里とのこれまでが何の意味もなかったことだと突き付けられているようで、それでも、今日に至るまでの時間を信じて。
それに、こんな不毛な喧嘩をするためにみんなに手伝ってもらった訳じゃない。でも、もう何を言えばいいのか、優介には分からなくなってきた。
それは悠里も同じなのか、二人の間に沈黙と言う名の深い溝が生まれてしまった。
「はい!発言いいですか!」
その沈黙をブレイクしたのは、さっきからずっと優介の後ろに居た朱里だった。かなり気まずそうな顔をしているが、この場を何とかしようと発言してくれたらしい。
「何?朱里さん」
それに反応したのは悠里も同じだった。
「えっと、取りあえずバスケ部の人たちのことは置いといて、天草先輩がどうしてあの連中と一緒に居たかその理由を聞いた方がいいかな~と」
朱里の恐る恐るの言葉に優介はハッとするのと同時に、足が小さく震えているのを感じた。
以前の朱里との会話の中で、悠里の現状の要因は優介が絡んでいるのではないかと、そう言われた。あれから今日までそれを考え続けてきたが、明確な答えは分からなかった。
やはり、去年の告白のせいなのか、それとも別の何かなのか、その答えを聞くのが怖いのだ。それを聞いたからといって何か模範回答があるわけでもないのだから。
「それは……」
悠里の言葉は淀んで消えてしまう。
「あ、そうだよね。私居たら言いづらいよね……。それじゃあ、どっか行ってるから、ごゆっくり」
「え?ちょ、ちょっと朱里さん!」
優介の言葉は聞こえなかったのか無視されたのか、朱里は小走りで公園を出て行ってしまった。
それから数十秒の間、二人は黙ったままだった。
「「あのさ」」
それを破ったのは二人とも同じタイミングで、その小さな声はまるで煙のように夜空へ吸い込まれるようだった。
でも、ここでまた沈黙していたら、ずっと前に進めない。それは優介だけでは無く、悠里も、二人を支えてくれている友人たちもだ。
だから、優介は言葉を振り絞った。
「さっきは、ごめん。感情的になっちゃって」
「私こそ、叩いてごめん」
「……」
「……」
頑張って声にしたのに、そこでまた会話は途切れてしまう。
「ねえ、桜井」
だが、悠里が口を開く。
「去年、私が桜井に告白したの、憶えてる?」
ストレートな質問に優介は答えられなかった。あの夜、あの一瞬、月明かりに照らされた悠里の姿を忘れることは絶対に出来ない。だが、それと同時にその時の悠里の気持ちに応えられなかった自分の事も忘れられない。
「まあ、忘れられてたら正直ショックだけど、でも、まだ私桜井に伝えてないことがあるの」
「……?」
「私が、ううん。『あの時の』私が桜井を好きになった理由をさ」
悠里があの時のという部分を強調して言ったのは気のせいではないだろう。だから、優介はそのまま何も言わず続きを促す。
「正直に言うと、私、桜井と出会ったころは好きだって思ったりはしなかった。……たぶん、気付けてなかっただけだろうけど。でも、とにかく当時の私には仲の良い隣人って認識だった」
その認識は優介も同じ、悠里は仲の良い隣人だった。あの告白をされるまではずっとその関係が続いて行くのだと信じて疑わなかった。
「でも、去年、私は初めて自分の気持ちに気付いたの。小説家になるって目標をもった桜井は、それまでよりずっと輝いて見えたから。多分、それは変わったとかじゃなくて、桜井の本当に良いところが引き出された結果だと思う」
『本当にいいところ』。そんな評価をしてくれたのは今の悠里が初めてだった。優介本人ですら、そんなことは思いもよらなかった。でも、悠里はずっとそれを見てきてくれたのだろう。
「でも、そのきっかけになったのは私じゃなかった」
優介が小説を書き始めたのは『彼女』の影響だった。小説に打ち込む『彼女』の姿に憧れて、自分も同じ高みに立って同じ景色を見たいと、そう思ったから。
「あの時、すごく悔しかった。ずっと一緒に居たのに、私にはそれができなかったから」
「悠里……」
「だから、すこしでも桜井の力になりたくて、だから差し入れしたり、相談に乗ったりして、ひたむきに頑張る桜井をずっと隣で見ていたかった」
そこで悠里は言葉を切り、空を仰いだ。
「でも、いつの間にか桜井は私のずっと先を歩いてた。桜井だけじゃない、手島も、キャプテンも、『あの子も』、みんなそれぞれの目標や生きる意味を見つけて歩いてるのに、私だけ前に進めてない気がして……」
だから、自分だけが周囲に比べて明確な目標がないという現実から目を背けるために悠里はあの連中と付き合いだしたのだろう。
「ねえ、桜井、私はあの時の約束、守れてるのかな?」
悠里の声は震えていた。その目には涙が浮かんでいた。
優介が小説に打ち込むのと一緒に悠里もバスケに打ち込む。そんな約束を交わしたことがもう懐かしいと感じるのは、それだけあの時間が大切だったからだろう。
「なあ、悠里」
「……なに?」
「俺は、あの時も今も、やっぱり悠里の気持ちには応えられないんだと思う」
「……」
「隆盛や望先輩はやっぱり年上だし、これまで積んできた経験も俺とは全然違う。悠里の言い方を真似すれば俺のずっと前を歩いてるんだ。でも、俺はそれを悲しいことだとは思わない。だって――」
伝えたい言葉はたったひとつ。ずっと支えてきてくれた隣人に、あの時好きだと言ってくれた女の子に、今優介が言えることは、伝えられることは一つしかなかった。
「だって、悠里がずっと隣を走ってきてくれたから」
「桜井……」
「今の俺が本当に悠里の前を歩いているのだとしたら、それは悠里がいてくれたからだよ。互いに目指すところは違っても、たとえ先が見えなくても、悠里が一緒に頑張ってくれたから、今の俺がいるんだ。あの時交わした約束は、今もずっと俺を支えてくれてる。これから大学を卒業したら、それは終わってしまうのかもしれない。でも、それでも悠里がいてくれたことにずっと感謝してるんだ。悠里と、みんなと過ごした時間を俺は絶対に忘れたくないって思うくらいに」
将来に不安があるのは悠里だけでも、優介だけでもない。だれだって新しい世界に進むことに怯えている。でも、それには立ち向かっていくしか無くて、結果ボロボロになることもきっとある。それでも、頑張りたいと、希望を捨てたくないと、前に進みたいと思うのは全て積み重ねてきた時間が、それを共に過ごしてきた友とのつながりがあるから。
「だから、俺は今日悠里を助けようとした。俺を好きって言ってくれた悠里を、俺と一緒に走り続けてくれた悠里を失いたくなかったから」
「……そっか。私も、桜井の頑張る理由になれてたんだね……」
「さっき言ったバスケ部の人たち、最終的に頼んだのは俺だけど、最初はみんな望先輩に『悠里の為に出来ることは無いか』って聞いてきて、だから快く協力してくれたんだ。みんな、お前を失いたくないって、その気持ちは一緒だったんだよ」
「みんな、一緒……」
「さっき、悠里が俺に怒ったのは、バスケ部のみんなの為で、みんながそれを承知で頑張ったのは悠里の為。多分その全てを言葉にして表現するのは難しいと思う。でも、それが繋がりなんだ。それが、新しい世界をきっと作ってくれる」
「桜井、ありがとう……。本当にありがとう……」
袖で涙をぬぐう悠里の姿が、月明かりに照らされる。そのすがたを見て優介は思った。
『あの時とは全く違うけど、それでも同じでよかった』