脱兎は木組みの街で何を想う   作:ライスonライス

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(2021/12/28)
お久しぶりです。大幅に加筆修正しました。


第一話 街の喫茶店

 扉を開けるとカランコロンと、ドアベルの軽快な音が響いた。

 周囲を見渡せば、年季の入った家具と暖かな照明が彼を迎えた。

 鼻腔をくすぐる芳醇なコーヒー豆の香りと、カウンターにこさえられたサイフォンを見ればここが喫茶店だということはすぐに理解できるだろう。

 心地の良い雰囲気の店内に足を踏み入れると、可愛らしい店員さんが彼を出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ……ってタクトさんでしたか。空いてる席にどうぞ」

 

 水色のストレートのロングヘアとバツ印の髪留めが特徴の女の子だ。

 頭には白い毛玉のようなものが鎮座している。

 言われなければこの毛玉がアンゴラウサギという品種のウサギであることはわかるまい。

 かく言うこの店の常連であるタクトも初めてこのウサギを見た時は、驚愕し思わず当時のマスターに、毛玉が溜まってますよと指摘してしまった経験がある。

 あの時のマスターの困惑した表情とホコリ呼ばわりされたウサギの体当たりは一年経つ今でも忘れられない。

 

「ああ。お疲れ、チノ。ティッピーも、相変わらずもふもふしてるな」

 

 そんなような出来事を経てようやくタクトに小動物だと認識された毛玉はこの喫茶店のマスコットであり、名をティッピーと言う。

 タクトがすれ違いざまに、チノと呼ぶ少女の頭に乗っているティッピーを撫でると、気持ち良さそうに目を細める。

 ただでさえ自身の毛に埋まってしまってる顔だが、こうして目を細めてしまうと最早どこが顔なのかもわからない。

 

 などと考えているとティッピーから敵意と抗議の意が篭った視線を感じたため、タクトはそそくさとカウンター席に腰を下ろした。

 

「タクトさんはいつも通りでいいですか‍?」

「ああ。頼む」

 

 タクトの注文を受け取ったチノはカウンターに入ると、慣れた手つきでコーヒーミルを回し豆を砕いていく。

 コーヒーを淹れる時は大抵インスタントの粉末に湯を注ぐだけのタクトからすると、よく分からない機器を巧みに扱う彼女は関心を抱くには十分だった。

 

「……あの」

 

 しばらくコーヒー豆を挽くチノを観察していたタクトだったが、不意にチノが声をかけてきた。

 

「どうした?」

「……じっと見られているとやりづらいのですが」

 

 どうやらタクトの視線が気になるらしい。

 別に射止めようとして見ている訳でもないので気にする必要はないのだが。

 

「お構いなく」

「……」

 

 それでもやはり気になるようで若干そわそわしている様子のバリスタ少女。

 このまま眺めているのもいいかとも思ったタクトだったが、いやらしい目で見てるなどと変態のレッテルを貼られるのも困るので観察をやめ、改めて店内に目を向けてみた。

 

 落ち着いた雰囲気で、壁や備品を見ても古さを感じる店。

 と言ってもそこに貧乏臭さやおんぼろさはなく、どことなく安心感を覚える佇まいである。

 今はどうやらタクト以外に客は居ないようだ。

 タクトが初めてこの店に訪れた時も今と同じく閑古鳥が鳴いていたことを思い出し、小さく笑った。

 当時はあまりに人が居ないもので、入る店を間違えたかと身構えたものだ。

 その数分後には自分の考えが間違えで、本物のコーヒーを味わえる喫茶店を疑ってしまったことに猛省したのは良い思い出である。

 しばらくしてコーヒーを入れ終わったチノがタクトにカップを差し出してきた。

 

「お待たせしました。うちのオリジナルブレンドです」

「ありがとう」

 

 タクトは受け取ったコーヒーを一口啜った。

 コーヒー豆の豊かな香りが口いっぱいに広がり、程よい苦味が彼の体を満たしていく。

 なんと表現しようにも旨いという言葉しか出てこないタクトは自身の語彙力の低さを呪った。

 コーヒーカップを口から離すと、思わずほっ、と心地良さからため息が出てしまう。

 

「……うん。やっぱりここのブレンドは美味い。コーヒー分からない俺でもわかる」

「ありがとうございます。でも、タクトさん味はちゃんと見分けられるじゃないですか。練習すれば立派なバリスタになれますよ?」

 

 タクトのお世辞にも気の利いた褒め方とは言えない言葉を聞いてチノはくすりと笑う。

 タクトは確かに味の違いを感じることができるが、ただそれだけである。

 どう言った味のコーヒーが何という種類の豆を使ったコーヒーかというのは愚か、旨いコーヒーの淹れ方もわからない。

 ただ自分の舌に合うから旨い。プロが淹れるから繊細な味を出せるということしかわからない。

 

「私だって最初からコーヒーを淹れられた訳じゃないですから」

 

 無論、タクトもそれについては理解しているし、何事も練習すれば上達することは知っている。

 ただ、タクトは自分で淹れたコーヒーと誰かが淹れたコーヒーとでは味わいが違うと思っており、だからこそ足繁くこの喫茶店に通うのだ。

 故に今のタクトにはバリスタになる気は無い。

 だからタクトは、チノの言葉に対してこのように返すことしか出来ない。

 

「そういうものか?」

「そういうものです」

 

 タクトはどこか自慢げに話すチノに相槌を打ち、再びコーヒーを口に含む。

 これが旨い。

 

「それにしてもこの店は相変わらずだな。まあ静かで居心地が良いのはいいんだけど」

 

 店内には他に客がいないため、人の話し声はなく、聞こえてくるのは街の生活音とレコードから流れるクラシック音楽ばかりである。

 

「おじいちゃん的には隠れ家的喫茶店というコンセプトだったらしいのですが……現在の主な収入源は父が夜にやってるバーなのでなんとも言えませんね」

 

 チノには祖父がいる。

 彼は他でもないこの喫茶店を開業した初代マスターであり、タクトがこの店に通うきっかけとなったコーヒーを入れた、白い立派な髭が特徴的な優しいおじいさんだ。

 と言っても彼は去年のうちに亡くなってしまったため、現在は彼の息子、つまりチノの父親が店を継いでいる。

 

「隠れ家的……まあ確かにそんな雰囲気はするか。それにマスターはロマン主義者だったからな」

「ほほう! タクトは分かって――」

「――いえ、どうしようもなくお客が少なかったことの言い訳だと思います」

「な、なんてこと言うんじゃチノ!」

 

 タクトのチノの祖父に対する想像をチノは無慈悲にもバッサリと切り捨てた。

 天国のマスターからも抗議の声が上がり、まるですぐ側に本人がいるかのような幻聴が聞こえ――

 

「わしを勝手に殺すんじゃ……いや死んでいるのは本当だが……ええい! とにかく無視するでなあああい!!」

 

 失敬。幻聴ではなかった。実際に彼の渋い声が店内に響いた。

 声の発生源はチノの頭で憤る白い毛玉ことティッピー。

 可愛らしくモフモフした生物から深みのあるダンディズムを感じさせる声が発せられるのはシュールな光景である。

 一発芸として宴会の席で同様の腹話術を披露すればそれなりにウケるのではないだろうか。

 

 先程チノの祖父は亡くなったと説明したがそれは嘘ではない。

 タクトも実際に彼の訃報を聞き、非常にショックを受けた経緯がある。

 仮にマスターの死が嘘であったとしたら彼が趣味の悪い冗談を演じていたことになるが、可愛い孫娘や常連に対してそのような態度を取ることはありえない。

 受け入れ難い事実だが彼は確かに亡くなったのだ。

 しかし彼は現にティッピーの身体を借り、チノの頭上で全身を使って怒りを表している。

 こうなった原因は不明らしいが、本人曰く天国から門前払いを喰らい、ティッピーに憑依しているとの事だ。

 ちなみにチノはこのことを家族以外には秘密にしているらしいが、去年からの常連客であるタクトには一発でバレてしまった。

 頑なに自分の腹話術だと主張し、頑張って口を開けずに話そうとしていた彼女の姿はタクトの脳裏に深く刻まれている。

 

「まあまあ。少なくとも俺はこの店の雰囲気はいいと思ってますよ」

 

 このままティッピーを怒らせておくのも忍びないのでフォローを入れると、すっかり機嫌が直ったのかマスターは穏やかな表情に戻った。

 ちょろい。

 

「タクト……お前さんは良い奴じゃのう。どうじゃ‍? このままラビットハウスの従業員にならんか?」

 

 ラビットハウス、それがこの店の名前である。

 たまにウサギカフェと勘違いしてウサギを愛でようとやってきてウサギが居ないことに落胆し、折角来たのだからとコーヒーを飲み、そのまま常連になる客が居る。

 恒久的な顧客を得るのに、この店名が役立っているのはあまり知られていない。

 

 それはさておき、折角初代マスターのお墨付きをいただき、従業員として誘われたが、タクトはラビットハウスを初めとして、バリスタとして働く気は無かった。

 タクトは誰かが淹れたコーヒーを飲むのが好きなのだ。

 だからこそタクトは少し笑って答えた。

 

「気持ちは嬉しいですけど遠慮しときます。俺は今のままがいいので」

「残念じゃのう……」

 

 マスターは心底残念そうにため息をつく。

 ウサギがため息をつくのもなかなか新鮮な光景である。

 とは言え、従業員として誘われる程度にはマスターから認められているということなので、そこは素直に嬉しい。

 

「まあ、今のバイトがクビになったら考えてみますよ」

 

 そう言ってタクトが再度コーヒーに口をつけた時、来客を知らせる鐘が店内に響いた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 チノの接客をスルーしたその客は店内のカウンター、テーブルの下など文字通り隅々を見て回っている。

 何かを探しているのだろうか。

 

「あれ……‍?」

 

 タクトはコーヒーを啜りながら横目でその客を観察する。

 ミルクココアのような淡いブロンドヘアと桜の髪飾りが特徴的な女の子だ。

 この街ではあまり見ない雰囲気の少女だが、旅行者か越してきたばかりの生徒さんだろうか。

 彼女は慌ただしく店内を見回して一言。

 

「う、ウサギが居ない……!‍?」

 

 どうやら彼女はラビットハウスという店名からウサギカフェのような物を想像していたらしい。

 なるほど、先程からの不審行動はウサギを探していたのだろう。

 しかし探せども探せどもウサギらしいウサギが見つからず、自分が入った喫茶店は決してウサギカフェではなかったのだと気づいてしまったようだ。

 悲しい現実に打ちひしがれた彼女は糸が切れたようにフラフラと一つの席に座った。

 それを確認したチノが彼女の席に水を運びにカウンターから出ていく。

 

「あの……お水です」

 

 チノが水を少女の席のテーブルに置くと、少女はチノの頭で訝しげにしているティッピーに注目する。

 

「モジャモジャ……」

「これですか? これはティッピーです。一応ウサギです」

 

 まあ中身は違うのだが。

 

「ウサギ!‍?」

 

 それでも真実を知らない少女にはただのウサギにしか見えない。

 店内を隈無く探すほどにウサギを愛しているらしい彼女は当然目を輝かせた。

 

「あの……ご注文は‍?」

 

 予想外の食い付きにチノは若干引いているようだが、店員としての責務を果たさんと努めている。

 

「じゃあそのウサギさん!」

「……非売品です」

 

 ティッピー非売品宣言を受けた少女は大きくうなだれた。

 と思ったらすぐに立ち直りチノに進言した。

 なんとも忙しい娘さんである。

 

「じ、じゃあせめて……せめてモフモフさせて!」 

「……コーヒー一杯で一回です」

「じゃあ三杯!」

 

 三杯も飲めるのだろうか。

 タクトもラビットハウスのコーヒーは好ましく思っているので、よく店に足を運ぶが、一日に三杯も頼むことはない。

 あまり水分を摂りすぎると水腹になってしまうし、割と痛い出費である。

 少女がカフェイン中毒にならないことを祈りながらタクトはコーヒーを啜るのだった。

 

 

 

###

 

 

 

「お待たせしました」

 

 注文を受けたチノはこれまた見事な手際で三杯のコーヒーを入れ、少女の目の前に並べる。

 一見どれも同じコーヒーのように見えるが、全て違う豆を使っており、味わいも香りも僅かにだが違う。

 とは言え、飲み慣れていなければ味を見分けることは難しいだろう。

 

「じゃあコーヒー三杯頼んだから三回触る権利を手に入れたよ!」

「冷める前に飲んでください」

「ああ! そ、そうだね! じゃあいただきます!」

 

 少女はチノに言われるままコーヒーに手を伸ばしてカップを次々と口元に運んでいく。

 まずは鼻を近づけて匂いを確認しているようだ。

 目を閉じ、香りを味わうようにゆっくりと呼吸をする少女を見て、タクトは目を見開いた。

 

 ――まずは豆の香りを楽しみ。

 

「この上品な香り……これがブルーマウンテンだね……」

 

 ――続けて一口。

 

 まさか……。

 

「この酸味……これがキリマンジャロ」

 

 ――余韻を楽しむように息を吐き。

 

 まさかこの少女……。

 

「そしてこの安心する味……」

 

 ――全ての味を見分ける。

 

 この少女、もしかすると……。

 

「これはインスタントの――」

「それはうちのオリジナルブレンドです」

 

 もしかすると非常に面白い娘なのではないだろうか。

 

「――あれ?」

 

 雰囲気だけで言えばコーヒーを嗜む姿はなかなかどうして様になっていて、一見するとプロのコーヒーソムリエのようである。

 しかし――

 

「最初から全部違います。一杯目からコロンビアとブルーマウンテンです」

 

 その上でコーヒーの品種を当てようとして、物の見事に全て外すという光景はタクトからすると非常に興味深いものだった。

 

「……うん、どれも美味しいよ! ウサギさんをモフモフしてもいいかな?」

「……いいですよ」

 

 チノは少し納得がいってなさそうな様子でティッピーを少女に渡した。オリジナルブレンドを事もあろうかインスタントと間違われたことが不服なのだろうか。

 一方で少女は満面の笑みでチノからティッピーを受け取ると勢いよくモフモフしだした。

 なんという愛だろうか。

 些か極端な愛情表現ではあるが。

 

「えへへ~もふもふ気持ちいい~……あ、いけないヨダレが……」

「のおおおおお!!」

 

 少女の口元から白糸の如く垂れるヨダレから逃れようとティッピーが暴れる。

 

「あれ‍? 今なんか聞こえなかった?」

「気のせいです」

 

 少し無理があるのでは。

 明らかにティッピーが叫んでいたのだが、チノはサラッと流す。

 

「そう‍? それにしても本当にこの感触、癖になるな~」

 

 特に気にすることもなく、モフモフを再開する少女を見てタクトはそれでいいのかと疑問を抱くが、当の少女は幸せそうな表情でティッピーを愛で続ける。ティッピーは鬱陶しそうにしているが。

 

「ええい! いい加減に手を離せ小娘が!」

「ええ!‍? なんかこの子にダンディな声で拒絶された!‍?」

 

 ついに我慢の限界に来たティッピーが叫び声と共に少女の腕の中から飛び出さんともがく。

 彼女もこれは流石に驚いたようで目を丸くしている。

 

「えっとそれは……」

 

 対してティッピーが奇天烈な喋るウサギだとバレたくないらしいチノは困ったように口ごもる。

 トレイで口元を隠し、数秒悩んだ後に出した答えは……

 

「……あの人の声です」

「おい」

 

 タクトに全てを委ねることだった。

 濡れ衣を着せられ、タクトは抗議の声を上げる。

 身に覚えのない言動を押し付けられてはたまったものではない。

 

 呆れ顔で席から立ち上がったタクトを少女は不思議そうに見つめる。

 

「どちら様‍?」

「互いにな」

 

 それもそうだろう。

 タクトとこのとても面白い少女は今日出会ったばかりである。

 名前どころか顔もわからないのだ。

 そのような相手を前にウサギのアテレコをするなど、それではまるでタクトが面白い奴みたいになってしまうではないか。

 

「とりあえずコーヒーを全部飲んでください」

 

 やれやれといった顔をしているが、この状況を作り出した主犯であることをチノは理解しているのだろうか。

 

 

 

###

 

 

 

 折角なので自己紹介でもしよう、との事でタクトが席を移動し、一つのテーブルを三人で囲む形で座る。

 目の前にはタクトのものと合わせて四つのコーヒーカップ。

 なかなか壮観である。

 

「それで、君は‍?」

 

 タクトは自分の分のコーヒーカップを片手に少女の話を聞こうと耳を傾ける。

 

「私、春からこの街の学校に通うことになったんだけどね、下宿先を探しているうちに迷子になっちゃって……」

 

 女の子は三杯のコーヒーを交互に啜りながら困り顔を浮かべる。

 

「下宿先?」

「そうそう。それで休憩するついでに道を聞こうと思っていたんだけど……香風さん家って知ってる‍? この近くだと思うんだけど……」

「香風か……チノ‍」

 

 香風という苗字に思い当たる節があるタクトはチノに視線を送る。

 チノも頷いて。

 

「はい。香風はうちです」

「ええ!‍?」

 

 この喫茶店が香風家だということを少女に説明すると、少女は信じられないといった様子だ。

 

「すごい! これはもう偶然を通り越して運命だよ!」

 

 チノの手を取って満面に喜色を湛える少女。

 普段は落ち着いた振る舞いのバリスタ少女だが、唐突なスキンシップに少し驚いているようだ。

 

「確かにすごい偶然だが、これから共に暮らすなら互いに名前くらいは知っておいた方が良いんじゃないか?」

 

 彼女達が新たな友情を育もうとする姿は非常に尊いのだが、このままだと話が進まない気がしたので、タクトは興奮する少女を宥めて自己紹介を促す。

 

「あ! そうだね! 私はココアだよ!」

「私はチノです。ここのマスターの孫です。よろしくお願いします。ココアさん」

「うん! これからよろしくね! チノちゃん!」

「はい」

 

 笑顔で挨拶を交わす二人にタクトは心が暖かくなるのを感じた。

 タクトはコーヒーを飲もうとカップを口につけようとしたが、違和感を覚えて容器の中を覗く。

 既に中身が無かったようだ。

 名残惜しさを抑えつつカップをテーブルに置いたところで、ココアと名乗った少女がこちらに興味を示したようで、声をかけてきた。

 

「ところであなたは?」

 

 そういえば、人に自己紹介するように誘導しておいてタクト自身はまだ名乗っていなかった。

 これは失礼、と軽く謝罪をしてからタクトは名を告げた。

 

「俺は白波託兎、ただの客だ。よろしくな。ココア、だったか?」

「うん! よろしくねタクト君!」

 

 タクトが名乗れば、ココアは人懐っこい笑顔で手を差し伸べてきた。

 突然の出来事に、それが握手を求めるものだと気付くのに少し遅れてしまった。

 ハッとしたタクトがゆっくりと、白くて綺麗な手を握ろうとして腕を伸ばすと、こちらが触れる前に両手で右手を包まれた。

 少しひんやりしていて柔らかい感触が右手を伝わる。

 

「わあ! タクト君の手ってがっしりしてるね!」

 

 なんだろう。

 この癒し力全開の生物は。

 気を抜けばこちらが浄化されて消滅してしまいそうだ。

 

「仕事柄、重たいものを運んだりするからか?」

「仕事?」

「この街でバイトをしているんだ。一人暮らしだと何かと入り用になるからな」

 

 どうにか正気を保ちつつタクトがそう説明すると、ココアは納得したように頷いた。

 

「そうなんだ。私もね、高校の方針で下宿させて頂く代わりにそのお家でご奉仕するように言われるんだ」

「それはつまりラビットハウスで働くということか」

「そういうこと!」

 

 やる気は十分だと言わんばかりにココアは胸を張って見せる。

 おもしろ……頼もしいバイトが増えてタクトは今後のラビットハウスでの一杯が少し楽しみになった。

 しかしラビットハウスの正従業員のチノ曰く、

 

「と言っても家事は私一人でも大丈夫ですし、お店の方も十分人手は足りてますので、何もしなくて結構です」

 

 とのことらしく、早速解雇(リストラ)の危機である。

 人件費削減のために店員を減らさざるを得ないラビットハウスの経営状況に、タクト目頭が熱くなった。

 

「いきなりいらない子宣言されちゃった……」

「まあドンマイ」

「うん……でもとりあえず挨拶はしたいんだけど、マスターさんはどこ‍?」

 

 それを聞いたチノの表情は複雑そうだった。

 それもそうだろう。

 私の祖父は天寿を全うした後にウサギになりました。ちょうど貴女が撫でまくっていた白い毛玉がそうです、と正直に暴露する訳にもいかない。

 

「祖父は去年……」

 

 ココアは祖父について言葉にしかねているチノを見て、ハッとしたような表情を浮かべた。

 

「そっか……今はチノちゃん一人で切り盛りしてるんだね……」

「いえ……父もいますし、バイトの子も一人――」

 

 チノが話し終えないうちにココアが慈愛に満ちた表情でチノを抱擁する。

 

「私のことを姉だと思って何でも言って!」

 

 どうやらココアは、チノは祖父が亡くなり、天涯孤独の身になってしまったと勘違いしているようだ。

 いや、チノは孤独でないにしろ、ココアの予想が完全に間違っている訳でもないのだが。

 突然の出来事にチノは目を丸くしていたが、しばらくしてココアがチノに向き直った。

 

「……だからお姉ちゃんって呼んで‍?」

「……じゃあ、ココアさん」

「お姉ちゃんって呼んで!」

「ココアさん」

「お姉ちゃんって呼んで!」

「ココアさ――」

「――お姉ちゃん!」

 

 某RPGのような無限ループを解決すべく動いたのはタクトだった。

 あくまでも親切心から、このやり取りが永遠に続き、抜け出せなくなるのを防ぐための行動だったのだが。

 チノの後ろにしゃがみこんで裏声を使ったところ、その場の時が止まった。

 そして最初に動いたのはチノだった。

 

「じゃあココアさん、早速働いて下さい」

「うん! 分かった!」

「それでは更衣室に案内するのでついてきてください」

 

 そのまま何事も無かったかのように二人は動き出し、店の奥へ消えていった。

 その場に残ったのはしゃがんだままのタクトと、彼の頭に乗り移ったティッピーだけだった。

 静かになった店内でタクトは呟いた。

 

「マスター」

「何じゃ」

「何が駄目だったと思います?」

「全部……かのう」

「そうですか」

 

 ああ、今日も世界は静かだ。

 

 

 

###

 

 

 

 タクトがカウンター席に座って一人寂しくティッピーをモフっていると店の奥からチノとココア、それから紫のツインテールが特徴的な少女がやってきた。

 三人共ラビットハウスの制服を着ているが、こうして三人並ぶと少し姉妹のようだとタクトは思った。

 

「お、なんだ。タクト来てたのか」

 

 ツインテールの少女がフレンドリーに話しかけてきたので、タクトも軽く手を挙げて応えた。

 この少女は春休みからラビットハウスで働いているバイトで、名前はリゼという。

 なんでも、彼女の父親がこの店の現マスターと親しいらしく、便宜を図ってもらったとの事だ。

 所謂コネ採用というものだが、決して父親の友人の店だからといって適当な仕事をしていることも無く、彼女自身も真面目な性格で真剣に業務をこなしており、数少ない常連客からは高い評価を得ている。

 タクトも彼女の働きっぷりを好ましく思っており、歳も同じという共通点もあるためよく話し相手になってもらっている。

 

「ああ、少し前からな。リゼこそ居たのか」

「私も少し前に来て着替えていたんだが、更衣室に知らない気配が近づいてきたから隠れていたんだ」

 

 少し前、というとタクト達が話していた辺りだろうか。

 正面の扉が開かなかったという事はおそらく裏口から店に入ったのだろう。

 気を使わなくても客入りは少ないのだから堂々と入ってくれば良いのにとタクトは思ったが、手元に居たティッピーに睨まれたのでさり気なく目を逸らす。

 それにしても、客を気にして裏から出入りするのも、着替えに時間がかかるのもタクトには理解出来たが、一つだけ疑問が残っていた。

 

「隠れる必要はあったのか?」

 

 リゼが更衣室に居ながらにして室外の気配を察知できることはこの際置いておくとして、知らない存在に対してそこまで警戒する必要はあるのだろうか。

 仮に着替えの最中に部屋に近づかれたとしても、そこが女子更衣室である限り入ってくるのは少なくとも同性の人間のはずだ。多少の羞恥は覚えるだろうが、襲われることは多分ないだろう。

 これが盗撮や覗き目的の助平野郎が相手なら、その行動は正しいが、店内に居る純人間の男性はタクトだけだ。

 もしそのケースを想定しての行動だった場合、タクトはリゼのタクトに対する評価を再確認した後で、リゼと全力でお話しなければならない。

 

「て、敵の素性がわからない以上身を隠すのは当然だ!」

 

 恥じらいながら問いに答えるリゼを見るに、どうやらタクトの懸念事は杞憂だったらしい。

 大方、いつもの癖で早とちりしたリゼが暴走したのだろう。

 タクトとしては変態扱いをされてなくて一安心である。

 全く人騒がせな話だ。

 

「いやー私もびっくりしたよ。クローゼットを開けたらいきなり脅されたんだもん。最初、泥棒さんかと思ったよ」

「し、仕方ないだろ! 私の父は軍人で、幼い頃から色々仕込まれているんだから……ああ! でも私はいたって普通の女子高生だからな!」

 

 普通の女子高生が果たしてモデルガンとコンバットナイフを携帯するのだろうか。

 

「ふつう……?」

「タクト。言いたい事があれば聞くぞ」

 

 相手に銃を突きつけながら問うのなら、言い遺したい事ではないだろうか。

 タクトは向けられた銃口を前に肩を竦め、話題を変えるようにココアに話しかけた。

 

「ところでココアはもう制服を着ているのか」

「そうだよ! どうかな?」

 

 ココアは嬉しそうにその場でくるりと一回転して見せる。

 それに合わせてスカートがフワリと浮き上がり、胸元のリボンが可愛らしく揺れる。制服のカラーリングも、彼女のイメージにピッタリな暖色であり、とても似合っている。

 

「ああ似合ってるな」

「本当!? ありがとう!」

 

 タクトの言葉にココアは満面の笑みを浮かべる。

 あまりにも幸せそうな彼女の表情につられてタクトの頬も自然と緩む。

 

「よし、じゃあ早速ココアの初仕事だ。行くぞ!」

「了解です! サー!」

「いい返事だ! ついてこい!」

 

 早くも仲良くなったらしいリゼとココアを、タクトは温かい気持ち見送った。

 店の奥に三人が消える直前でリゼが振り返った。

 

「あ、タクトも手伝え!」

「俺は客なんだが」

「どうせ暇だろ‍?」

「否定はしないが……」

「よし決まりだな! 行くぞ!」

 

 本人の了承を得ずに先頭を切るリゼを見てタクトは笑った。

 

「全く客使いの荒い店員さんだ……」

 

 そして、そう言いつつも付いて行くあたり自分もノリが良いのだと彼は苦笑いするのだった。




どうでしょう。記念すべき初投稿です。幾つか矛盾点などあるかもしれませんがサラリと受け流して下さい。



――追記――
皆さんお久しぶりです。最後の更新から大分経ちましたが、また更新していきます。よろしくお願いします。
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