脱兎は木組みの街で何を想う   作:ライスonライス

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第十三話 運命と図書館はこの街に

 タクトは焦燥した。必ず、かの死屍累々の点を除かなければならぬと決意した。タクトには英語がわからぬ。タクトは、街の学生である。コーヒーを飲み、力仕事をこなして暮らしてきた。けれども冗談と、自身の危機に対しては、人一倍に敏感だった。

 彼は勉強がそれほど好きではない。故に最少の学習で、宿題もろくにやってこなかった。その中でも英語だけは本能的に拒絶している。できないからやらない、やらないからできないという負のサイクルが完成しているのだ。

 化学と物理、数学、国語はそこそこな出来栄えだがそれ以外はあまり、いや、かなり絶望的である。特に英語は常に赤点すれすれである。何度か教科担任の採点ミスにより命拾いをしているが、今回の定期考査では追試験を確実に受けることになる、と彼の第六感が告げているのだ。

 しかしいざ勉強をしてみれば、これがどうしたことか。机に向かい、ペンを握って三分も経てばことごとく彼のやる気は雲散し、気分転換にゲームやら小説やらに手を出せば今度は時間が霧消する。

 

 家以外の場所で勉強すればモチベーションも違うのではないか。そう思った彼は、ある日の午後、街の図書館にやって来た。

 この街の西欧風な外観に溶け込むような佇まいのその建物は、外から見た通り、内部も結構広いものである。例えるなら、某魔法の世界に存在する図書館のようだ。

 タクトは辺りを見回して、窓際の眺めが良さそうな場所に腰を下ろした。人も少なく、とても静かで心地よい雰囲気である。

 この環境なら集中して試験勉強に励めるだろう。そう思いながらタクトは勉強道具を取り出し、テーブルの上に広げる。

 

 数分後。タクトは夢の世界に旅立った。

 決して試験勉強をやらなかった訳ではない。タクトは英語の問題を三問程は解いた。ゼロではないのだ。

 更に言い訳をするならば、図書館は静か過ぎたのだ。それと相まって、窓から差し込む程よい日光が彼を安眠へと誘った。ただそれだけである。

 

 そんな、テーブルに突っ伏して穏やかな寝息を立てる彼の体を揺らす者が居た。

 タクトは寝息が乱れる感覚で目を覚まし、寝ぼけ眼で彼を起こした人物の方に顔を向ける。

 

「おはようタクト君!」

「……ああ」

 

 見ると彼の隣の席にはココアが笑顔で座っていた。その更に隣には千夜、テーブルを挟んで向かいの席にはチノとシャロが居た。

 いつの間にか包囲されてしまったようだ。

 タクトは体を起こして伸びを一つする。

 

「……いつから居た?」

「私達はついさっき来たばかりだよ。テストも近いから皆で勉強しようと思ってたんだ。タクト君は‍?」

「俺も試験勉強をする為にここに来た」

「思いっきり寝てたじゃない……」

 

 シャロは呆れたように半目でタクトを見る。

 

「シャロ。この世には睡眠学習というものがあってだな……」

「……要するに居眠りね」

 

 なぜバレたし。

 もしかして彼女は読心術でも持っているのだろうか。

 

「ところでチノもテスト勉強か‍?」

 

 チノの手元を見てみると、ノートと教科書らしいものが握られている。

 

「はい。私も読みたい本を探すついでに、皆さんと勉強をしようかと」

「読みたい本‍? 内容は‍?」

「小さい頃に読んでいた本なのでタイトルは思い出せないのですが……正義のヒーローになりたかったウサギが悪いウサギを懲らしめるんですが、関係ないウサギまで巻き込んでしまって大変なことになるんです! 更に主人公を追うウサギまで現れて……」

 

 どうやら彼女の探し物の中身自体は彼女自身がばっちり記憶しているらしい。

 それでもなお、もう一度読みたいということは相当気に入っているのだろう。

 

「見つかるといいな」

「はい!」

 

 タクトがチノに微笑みかけると、彼女もそれに笑顔で応える。実に可愛らしい。

 

「勉強の方はシャロちゃんに教えてもらったら?」

「シャロさんにですか‍?」

「ええ。特待生で学費が免除されているくらい優秀なの」

 

 リゼやシャロが通っている高校はお嬢様が多いことで有名であるくらいには学費が高い。しかし入試で一定以上の得点を取れば学費が免除されるという制度がある為、一般的な家庭でも入学は可能なのだ。と言っても、そのハードルが高いというのは言うまでもあるまい。

 

「美人で頭もいいなんて……」

「非の打ち所が無いです」

「眩しい!」

 

 ココアとチノはわざとらしく両手で目を覆う。

 二人の大げさな反応にシャロは困ったような顔をする。

 

「そ、そんな……」

「おまけにお嬢様だなんて完璧すぎるわ。マブシー」

「……」

 

 シャロがお嬢様かどうかはさておき、おそらく彼女は学校の対偶を受けているのだろう。それなら彼女が勉強できるというのは間違いなさそうだ。

 

「さて、そろそろ勉強を再開するか」

 

 タクトは先程まで枕代わりにしていた、学校で配られた英語の問題集を開く。

 まだ三問しか解けていない。

 

「そうね。私達も始めましょう‍? じゃあ、今日はよろしくねココアちゃん」

「うん!」

 

 はて、聞き間違いだろうか。

 今の千夜のニュアンスだとココアが千夜に学習の手ほどきをするということになる。

 シャロも随分と不思議そうな表情だ。

 

「え‍? 千夜が教えてあげるんじゃないの‍?」

「違う違う。私が教えてもらうの」

「嘘でしょ!‍?」

 

 シャロの問いに、千夜は笑って手を横に振る。

 どうやら聞き間違いではなかったようだ。

 

「私、数学と物理が得意なんだ!」

 

 更に理数系教科が得意なようだ。

 そう言えば、彼女は無自覚にも暗算が早いという特技を持っていた。

 それなら納得できる、とタクトは頷いた。

 

「それだったらココアがチノちゃんに教えればいいんじゃない‍?」

 

 シャロの言うことも尤もである。

 しかしココアはバツが悪そうに、持っているノートで口元を隠す。

 

「私、総合順位で言えば平均くらいだし……」

「そんなに足を引っ張っている教科があるの‍?」

「これ……」

 

 そう言ってココアが取り出したのは前回の定期考査のものだと思われる解答用紙だった。

 見れば英語、国語、歴史の得点が芳しくない。

 

「文系か……俺と同じだな」

「タクト君も文系苦手なの‍?」

「ああ。国語はそこそこ取れるんだが、英語がな……」

 

 一応赤点ではないんだが、とタクトは苦笑いをする。

 

「ココアさんは教え方がアレなので頼りになりません」

「アレ!‍?」

 

 それはなんとなく想像できる。

 ぎゅっとしてドカーン的な、感覚に訴えるタイプの説明をするのであろう。

 なるほど、確かにそれだと常人には理解し難いものがある、とタクトは頷いた。

 

「そう‍なの? わかりやすいのに」

 

 千夜には好評のようだ。

 

「千夜さんはきっと波長が合うんです」

「私達仲良しだもんねー!」

「ねー!」

 

 チノの推測はおそらく正しい。ココアと千夜は互いに手を取り合い、自分達の仲を示す。

 

「放っておいて勉強しましょ‍? チノちゃん」

「はい」

 

 

 

 勉強を始めて三十分、タクトのやる気はとうに失われている。それでも数問は進んだが既に彼の頭は疲弊しきっており、先程から同じ問題文をじっと見つめるだけで解こうとしていない。

 本能的にこれ以上は無理だと判断しているのだ。

 彼は一度ペンを置き、同じテーブルで勉強を頑張る友人達に目を向けてみる。

 

「ここの問題は、さっきの答えをこれに当てはめてみて」

 

 シャロは時折チノのノートに書き込みながら、懇切丁寧に勉強を教えている。

 

「あ……シャロさんの教え方、すごくわかりやすいです」

 

 チノも彼女の説明のもと、スムーズに試験勉強を進めることができているようだ。

 

「よかった。チノちゃんみたいな妹が居たら毎日だって教えるのに」

「え!‍?」

 

 シャロの口から出た妹という言葉にココアは反応する。

 姉というポジションを取られることを危惧しているのだろうか。

 

「私もシャロさんみたいな姉が欲しかったです」

「私いらない子だあああ!!」

 

 続くチノによる無慈悲な追撃に、ココアはあえなく撃沈した。

 

「図書館では静かに!」

 

 テーブルに突っ伏して泣きわめくのココアをシャロが咎める。

 

「チノちゃんは将来、私達の学校とシャロちゃんの学校、どっちに行きたい‍?」

「チノちゃんにはセーラー服が似合うよ!」

 

 千夜のふとした一言にココアは早くも立ち直った。先程までの泣き声はどこに行ったのか。

 しかしセーラー服、これはなかなか侮れない。

 ゆったりとした襟元から覗く滑らかな首筋は彼女の長い髪に隠れ、その隙間から僅かに見える鎖骨は、朝靄に包まれながらも日光に当てられ、きらきらと輝く小川を彷彿とさせる。

 更に、着用者が屈む姿勢を取れば見える真理がある。ただの布切れと言ってしまえばそれまでだが、その布切れを隔てた向こう側には無限大の可能性が広がっているのだ。

 

「ブレザーの方が絶対可愛いわよ!」

 

 ブレザーも捨て難い。

 一見形式ばった様子の服装で、セーラー服のようなチラリズムはないものの、自身の想像を掻き立てるだけの魔性を秘めている。

 完全であるが故に不完全であり、己の感性を解放することによって本物となるそれは、ミロのヴィーナスに近しいものを感じさせる。

 

「私は袴姿がいいと思うの」

「いつの時代よ……」

 

 袴姿。

 和服というのはセーラー服やブレザーなどとは形状も異なる。しかし特筆すべき点はそこではない。それ自体が華やかであるのに関わらず、着用者の一挙手一投足全てにおいて、その人本来の美しさ、優雅さ、気品を限界まで引き立ててくれるという特殊性があるのだ。

 僅かな所作により着物のはだけた部分から見える肌は、こちらに感動をさえ与える。

 

「悩むな……」

「どうしてタクトさんが悩むんですか……」

 

 セーラー服、ブレザー、袴、それぞれに違った趣があるのでどれが良いとは一概には言えない。

 むむむ、と唸るタクトをチノはジト目で見つめる。

 

「タクトはとりあえず放っておいて、将来のことを決めるのは確かに難しいわよね」

「将来かぁ、私はパン屋さんか、弁護士さんになりたいな」

 

 ココアが弁護士とは、これまた意外すぎる職業である。

 

「街の国際弁護士ってなんかかっこよくない?」

「何か違和感が……」

 

 街の国際云々は置いといて、弁護士と言えばスーツであるが、これもまた素晴らしい文化である。

 ブレザーよりも更に肌にぴったりと沿う形状は身体のラインを露見させる。そして、スーツと共に着用されることが多いのはタイトスカートである。一般的なスカートに比べると圧倒的に裾が狭く、臀部から太ももにかけてをより強調させる。

 そんな魅力たっぷりの服を、ココアが着たならば何が起こるか。

 客観的に見ると彼女はとてもスタイルがいい。その胸元に掲げる二つの果実もリゼや千夜ほどではないが、同年代の女子の中では豊満な部類に入るだろう。

 

「ふむ、これはなかなか……」

 

 このことを踏まえてタクトは想像してみた。将来的にありうる、ビッグバンを。

 それぞれの要素が表面に浮き出ているのが実に素晴らしい。

 

「……タクトが何を想像しているのかなんとなくわかるわ」

「多分ろくなことじゃないですね」

 

 女性陣の氷柱のような視線が彼に突き刺さる。

 しかし、こればかりは男の本能なので仕方ないのだ。想像するだけならタダであり、誰にも迷惑はかけまい。

 

「立派な夢ね、ココアちゃん」

「千夜ちゃんの夢は‍?」

「私は、自分の力で甘兎をもっと繁盛させるのが夢」

 

 千夜は頬に手を当てながら言う。

 

「私も、家の仕事を継いで立派なバリスタになりたいです」

 

 千夜もチノもそれぞれの実家の店を繁盛させたいようだ。

 家業を継ぐというのも十二分に立派である。今の世の中ではっきりとそう言える若者は少ないのではないだろうか。

 

「バリスタもかっこいいね! ……決めた! 私、街の国際バリスタ弁護士を目指すよ!」

「街の国際から離れてください……」

 

 正月の福袋並に詰め込まれたココアの夢にタクトは苦笑いをする。

 夢が無いよりはマシだが、方向性を定めるのも重要である。

 

 

 

 結局タクトの試験勉強は大して捗らなかった。今は適当な小説を手に取り、それに目を通している。

 チノとココアは本を探しに行った。

 陽も傾き、館内には暖かい、けれども寂しげな色をした光が差し込む。本棚やテーブルに遮られてできた影が長く伸び、妙に感傷的な気分にさせる。

 

「私が千夜達と同じ学校だったらどうなっていたんだろう……」

 

 そんな夕焼けに照らされ、テーブルに伏せているシャロがぽつりとこぼした。

 

「今の学校、後悔してるの‍?」

「……せめて……せめてリゼ先輩と同じ学年だったら……」

 

 千夜に力ない声でそう答えるシャロは、もしかしなくても本当に後悔しているのだろうか。

 

「人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命にであう」

「な、なによ……突然……」

 

 突拍子もないタクトの言葉にシャロは訝しげな表情を浮かべる。

 タクトは読んでいる本のページをめくった。

 

「この小説によれば西欧の詩人の言葉らしい。仮に今と違った道を辿っていたとしたら今とは違う運命にであうという格言、だと書いてあるな」

「なにを……」

 

 シャロが何かを言いかけたが、タクトは気にせず続ける。

 

「これを俺的に解釈してみたんだが、例えば今の運命でいろんな人と出会って仲を深めたとしても、一方の運命ではそうなるとは限らない、ということだと思うんだが、どう思う‍?」

「……」

「まあ、俺は運命なんてものは占いほどに信じてはいないが、この言葉は何故か納得できる。不思議なものだな」

 

 タクトは読んでいた小説を閉じ、テーブルに頬杖をついた。

 それからしばらく静寂があたりを包み、最初に話し出したのはシャロだった。

 

「タクトは……」

「ん‍?」

「……タクトは今の学校どう思ってるの‍?」

 

 今の学校をどう思うか。

 タクトがこの街にやって来た時、友人はおろか、同年代の知り合いの一人もいなかった。

 おまけに彼の通う学校は元女子校で、周りに同性はほとんどいない。物珍しさで彼に話しかける者はいても、本当に友人と呼べる人物はいなかった。

 

「どう、か。確かに周りは異性ばかりで、下手に趣味の話などもできない。会話についていくことさえ難しい。その上新しい街での生活にも不安があった。正直言って、少し疲れていた」

「趣味……」

 

 シャロは何やら半目でタクトを見つめるが、フルール初来店の時の彼の暴走を思い出しているのだろうか。

 タクトは頬杖を解いて目の前でうつ伏せになりながら彼の話を聞くシャロを見て言う。

 

「だが、少なくとも今は後悔はしていない。これだけははっきりと言えるな」

「……どうして‍?」

 

 その質問にタクトは小さく笑って答えた。

 

「あの学校に通っていなかったら俺はこの街にはいなかったからな」

 

 それを聞いてシャロは体を起こし、タクトを見やる。

 

「この街にはコーヒーが美味い喫茶店もあるし、街並みも俺好みだ。そして何より……」

 

 タクトは千夜、シャロの順に目をやり、微笑んだ。

 

「いい友人達に巡り会えた。これのどこに後悔する要素がある‍?」

 

 その笑顔に当てられた少女二人の頬は夕焼け色に染まっていたが、そのことに彼が気づくことはなかった。

 

 ――人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命にであう。

 過去にこう言った詩人がいたが、別の哲学者は以下のように残したという。

 ――運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその種子を我らに提供するだけである。

 

 

 

 数日後、とある男子高校生が英語の追試験を受けたらしいが、それもまた彼の運命なのであろう。




高校時代、他の教科はなんとかなっていましたが、英語の試験はことごとく赤点でした。そのおかげで放課後の思い出と言えば部活動と、英語の追試くらいしかないですね。
ほとんど全ての試験の追試を受けても大して成績が上がらなかったというのは、なかなか堪えました。
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