脱兎は木組みの街で何を想う   作:ライスonライス

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第十五話 楽園を求めてモヤシを齧る

 初夏という言葉がある。文字通り夏の初め頃を指す日本語だが、時たまここが日本であるということを忘れてしまうこの木組みの街でも、その季節の足取りをうかがうことができる。

 公園や道の端に植えられている木々を見ればすっかり緑色に染まり、道行く人々の服装も袖が半分であることが当たり前になっていた。更に天気予報で傘の記号を見る回数も増えてきたことも目立つ。

 

 そんなことで、タクトが自宅のカレンダーをめくればもう六月である。

 月の初めに祝日と休日の数を数えて一喜一憂するのが彼の月一の楽しみであったが、今回は外れだ。

 先月には祝日が連なりほぼ一週間丸々休める黄金の週が存在していた。しかし、その帳尻合わせということなのか六月には祝日と言うものが無い。

 更に悪いことに、まだ梅雨入り前であるのにも関わらず雨日が続いていることも相まって、折角の休日なのだが彼の心の空模様までもが生憎の曇天だった。

 

「はぁ……」

 

 タクトは部屋の中にぶら下がる洗濯物を見て、一つ大きなため息をつくとなんとなくもう一度カレンダーに目を通してみた。

 特に何も考えずにぼんやりと数字と文字を眺めていると、カレンダーのある部分に目が留まる。

 

「父の日か……」

 

 第三日曜日の記念日の欄に書かれている文字を見ながら、タクトは故郷にいる父親のことを思い出してみた。

 前回、年末年始の数日だけ帰省したのが最後だっただろうか。先月の連休はバイトだったり生ものの消費だったりに追われて結局帰れなかったというのは記憶に新しい。

 

 今度の夏休みには帰省しようか、などとタクトが考えていると窓から眩しい光が差し込んできた。

 どうやら雨が過ぎ去り、太陽が働き始めたらしい。昼までに上がってくれたのは幸運である。

 タクトは部屋の洗濯物をベランダに出すと、昨日の夕飯の残りのモヤシ炒めで少し遅めの昼食を済ませ、外出の準備をする。

 折角晴れたので散歩でもしよう、とタクトは久々の日向に、少し晴々とした気持ちで足を踏み入れた。

 

 

 

 さて、外出したまではよかったが何をするか、どこへ行くかはタクトは全く考えてなかったのだ。

 ぶらり旅と言えば聞こえは悪くは無いのだが、単にタクトの無計画さと気まぐれが招いた擬似的な迷子であることは否定することができない。

 

 タクトが手提げの鞄を片手にぶら下げて、あてもなくふらふらと石畳の道を歩いていると、友人が働いている甘味処の前まで辿り着いた。

 相も変わらず看板だけはやたらと古いその店の内部を、窓からちらりと覗いてみればこれまた面白い光景がタクトの視界に飛び込んできた。

 タクトは携帯電話を片手に、嬉々とした表情で甘味処『甘兎庵』の扉を開いた。

 

「いらっしゃいま……せ……」

 

 タクトを笑顔で出迎えたのは、彼が足繁く通っている喫茶店『ラビットハウス』の従業員であるリゼだ。普段の喫茶店の制服ではなく、何故か甘兎庵の和風を意識した制服を身に纏っている。

 タクトは、目の前で引きつった笑顔のまま固まる彼女を改めて観察してみた。

 和服と長いツインテールの組み合わせもさることながら、彼女の抜群なスタイルが全面的に強調されているというのは、なかなかどうしてぐっとくるものがある。

 控えめに言って、とてもよい。

 

「……」

「……」

 

 なにやら既視感のある状況の中、二人の間を支配する沈黙を打ち破ったのは、ぱしゃりという音だった。

 

「……な、な、なな何でお前がここにいるんだ!‍? 後それ消せ!! 今すぐ消せ!!」

「何故と言われても散歩をしていたら珍しい格好をした友人を見かけたから撮影……もとい挨拶をしようと思っただけだが」

 

 そこにやましい気持ちは一切無い、とタクトは顔を真っ赤にしながら携帯電話を奪おうと襲いかかるリゼを躱す。

 このレア写真は何としてでも死守しなければならない。これは人類の宝だ。国宝にするべきだ。

 携帯電話を、リゼの手に渡らないように高く掲げながら店内を見回してみると、入口のすぐ側のテーブル席に見知った顔を見つけた。

 

「シャロも居たのか」

「え、ええ……」

 

 彼女もリゼの和服姿を拝みに来ていたのだろうか。

 タクトは首を傾げてシャロに尋ねる。

 

「わ、私は別に! そんなことは……ないわよ」

 

 今の間については特に言及しないでおこう。

 同好の士が一人でも多いのならそれに越したことは無い。

 

「あら‍? タクト君、いらっしゃい」

 

 タクトがシャロを同士、あるいは同類を見るような目で見ていると、店の奥から甘兎庵の本来の看板娘である千夜が顔を覗かせた。

 天々座家に甘兎庵を乗っ取られた訳ではなかったようなので一安心である。

 

「ああ。随分美人な従業員が増えたな‍」

「び、美人……!‍?」

 

 タクトの美人という言葉にリゼはわかりやすくうろたえる。見ていて面白い。

 もちろんその発言はタクトの本心であるが、これを好機と見た彼は一瞬のうちに携帯電話を鞄の奥の方に押し込んだ。ヴィクトリー。

 

「そうなの。しばらくここでも働いてもらうことになったの」

 

 これは集客力抜群ね、とニコニコしながら千夜は言う。

 なるほど、そういうことならリゼがこの店の制服を着ていても何の不思議もない、とタクトは頷いた。

 

「だが、何故ここでバイトを‍?」

 

 しかし、彼女は既にラビットハウスで働いている。

 小遣いを稼ぐだけならばそれだけで十分に事足りるはずだが、複数のバイトをせざるを得ない理由があるのだろうか。

 

「実はこの前、親父がコレクションしていたワインを一本割ってしまったんだ……それで、もうすぐ父の日だろ‍? だからそれまでに頑張ってお金を貯めて、ヴィンテージワインをプレゼントしたいんだ!」

 

 罪滅ぼしをしようということなのだろう。なんと父親想いのいい娘さんであろうか。

 しかしヴィンテージ品のワイン、それもコレクションする程の物ともなれば、一つや二つバイトが増えたところで買えるような代物ではない。

 タクトはそのことを忠告するべきか悩んだが、

 

「ラビットハウスのシフトを少し変えてもらって日替わりで甘兎庵と、それからフルールでもバイトをするんだ!」

 

 やる気に満ち溢れた表情のリゼに水を差すようなことは到底できなかった。

 それよりもリゼの発言で気になる箇所を見つけたので、タクトはそちらについて聞いてみることにした。

 

「フルールでも働くのか?」

「ああ。とりあえず明日は……って、なんだそのキラキラした表情は……」

 

 どうやら聞き間違いではないらしい。

 タクトは自分の耳が正常に機能していることに、心の中で狂喜乱舞した。多少表情に出てしまったようだが、それは問題ではない。

 彼女がフルールで働くということは、例の制服を着るということだ。つまり、あのロップイヤーを、リゼが、つけるということなのだ。

 

 月の形成には様々な説があるが、その中でジャイアント・インパクト説というものがある。生まれたばかりの地球に、火星ほどの大きさを持つ天体が衝突したことで月が生まれたというものだが、人類がそれを観測するには寿命と、歴史があまりにも足りなかった。

 しかし、明日まさに、その奇跡の天体現象が再現されようと言うのだ。容姿端麗な彼女とフルールの完成された芸術との融合によって何が起こるのか、それが明日、わかると言うのだ。

 これを知ってなお、自身の感情を押し殺せる程タクトは成熟していない。

 

「シャロ」

「な、なによ……」

 

 シャロは、普段見ない――以前彼がフルールで見せた、いつになく真剣な眼差しに一瞬たじろぐ。

 

「明日はよろしく」

「それは私のセリフだと思うんだが……」

 

 タクトの明日の予定が決まった。

 桃源郷を、見に行くのだ。

 

「……タクトは少し自重した方がいいわよ」

 

 心なしかシャロとリゼの、タクトに向ける視線の温度が氷点下をぶっちぎっている気がするが、今の彼にはそれは関係なかった。

 

「ところで、さっきの写真がここにあるんだが……」

「……」

 

 タクトが携帯電話の入った鞄の底の部分を指させば、シャロは他のお客様に迷惑が無いように、と快くタクトの来店を許可してくれた。

 無論、タクトは店で騒ぐつもりは無い。自らの欲望の為にアダムの轍を踏むことは彼自身も避けたいと思うところである。

 

 

 

 翌日、タクトは終業の鐘を聞くや否や、自身の限界速度を以て学校を飛び出すと、フルールへと直行した。

 初夏というのは名ばかりで、一段と日差しの強いこの日、タクトは早足で街を通り抜けた。チクチクするような暑さも、汗で背中にシャツが張り付く感覚も、今の彼にはどうでもいいことだった。

 ただひたすら己の目的を果たすために、彼は急いだ。

 

 世界には冒険者が居た。それぞれが何かを追い求め、未知の世界に飛び立った。ある者は伝説の秘宝を。ある者は絶景を。そしてまたある者は新天地を。

 彼らは自身の欲望のまま旅をした。幾層倍もの艱難辛苦を乗り越え、自らが想った理想郷を目指したのだ。

 長い旅路の果てに、ついに成功を収めた者も存在したが、全てがそうだったわけではない。夢を求め、掴もうとして惜しくも散っていった者は数知れないだろう。

 

 そして今まさにタクトは、志半ばで倒れていった勇者達に心の中で敬礼しつつ、目の前の扉を開いた。

 

「い、いらっしゃいませ!」

 

 さすれば、女神が現れた。

 普段は左右で留めている長髪を下げ、そこには代わりにこの店の目玉とも言えるロップイヤーが愛らしく垂れ下がっている。更に、服のサイズが小さいのか、はたまた違う理由があるのか、胸元の布地は柔らかそうに、だがぴっちりと張り詰め、丈の短いスカートと白いニーハイの隙間には乳白色の太ももが雲間の月の如くちらりと見える。それに加えて、恥じらいながらも笑顔で接客するその姿はとても良い。すごく良い。

 タクトは、ふぅ、と息を一つ吐いた。

 

「エリュシオンはここにあったのか……」

「何馬鹿言ってるのよ……」

 

 タクトがやや感動気味に呟くと、リゼの背後から呆れ顔のシャロが現れた。

 もしかしてリゼばかり注目されていることに嫉妬しているのだろうか。

 もちろん彼女には彼女の味がある。

 例えば彼女のくせっ毛とロップイヤーは獅子に鰭、鬼に金棒、シャロにコーヒーである。多少もじゃっとした髪に溶け込むようなふわりとした耳は、彼女の小柄な体も相まって小動物的な庇護欲を掻き立てる。これだけでも十分すぎるアイデンティティである。

 故に小さくても気にすることはない。小さいものには小さいものの良さがあるのだ。ステータスだ。希少価値だ。

 

「……」

「何故腹を殴る」

 

 彼女は何を察したのか、タクトのへその少し上らへんにグーパンをぶち込んだ。

 そこそこ鍛えられた腹筋と、彼女の低い攻撃力のおかげでダメージは抑えられるが、それでも全く痛くない訳ではないし、なによりそこは人体の急所なので遠慮していただきたい。

 最悪の場合死に至る。逆流的な意味で。

 

 憤るシャロをなだめてどうにか席に座ることができた。

 タクトが適当にハーブティーを注文すると、リゼとシャロは店の奥へ消えていった。

 暑さに耐えながらここまで来たためタクトは喉が渇いていたのだが、不機嫌そうなシャロにハーブティーの代わりにカップいっぱいの醤油を持ってこられた場合、彼は全力で額を地面に叩きつける用意はできていた。

 プライドだけでは生き残れない。

 

「待たせ……お待ち遠様です。こちら、リンデンフラワーになります」

 

 どうやらその心配は杞憂に終わったようだ。

 リゼが運んできてくれたティーカップからは上品な香りが立ち上っている。

 タクトは湯気がゆらゆらと立つカップに口をつけ、ほっと一息ついた。

 

「それにしても三件掛け持ちとは、よくやる気になったな」

 

 ふとタクトがそう言うと、リゼは少しバツの悪そうな顔をした。

 

「まあ……ワインを割ってしまったのは私だからな。親父は笑って許してくれたけど、せめて父の日には何かをしてやらないと私の気が済まなかったんだ」

「義理堅いな」

「う、うるさい!」

 

 タクトが感心したように笑うと、彼女は照れたようにそっぽを向く。

 

「そう言うタクトはどうなんだ‍。親父さんに何か送ったりしないのか?」

「ああ……そう言えば何も考えていなかった」

 

 昨日は元々実家への土産を吟味する予定だったはずなのだが、衝撃的な出会いによってそれはタクトの頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。

 リゼがあまりにも魅力的だったのだから仕方ないだろう。

 

「……何か考えなかったか‍?」

「さあな」

 

 野生の勘は侮れない。

 タクトは誤魔化すように目の前のティーカップの中身を喉に流し込んだ。

 

「クッキー焼けたわよ」

 

 タクトがリゼに睨まれながらリンデンフラワーの甘い香りを堪能していると、シャロがトレイにクッキーの乗った皿を乗せてやって来た。

 甘くて香ばしい、微かにハーブの爽やかな香りが混ざった空気が鼻をかすめ、とても食欲をそそられる。

 

「ありがとう。それじゃあ、一つ……」

 

 タクトは、テーブルに置かれた皿からクッキーを一つつまみ上げると、それを口に運んだ。

 

「相変わらず美味い」

「そ、そう‍? ここで働き始めてからクッキーを焼くのに慣れただけよ……」

 

 クッキーを頬張って微笑むタクトに、シャロはもじもじとロップイヤーを弄る。

 

「そう言えば、シャロはどうしてバイトをしているんだ‍?」

「え!‍? そ、それは……! こ、ここの食器がすごく気に入っていて決してお金に困っているとか言う訳ではなくて……!」

 

 リゼに投げかけられた質問に、シャロは目を回しながら答える。

 

「親に頼らずお金を使いたいもんな」

「え、ええ! ……初めて自分のお金で好きな物を買えた時って嬉しいですよね!」

「ああ! 感動したなぁ……」

 

 果たして二人の想像している物が同じ方向性なのかはさておき、タクトは自分がバイトを始めて最初に購入した物を思い出してみた。

 

「……モヤシか?」

「野菜ね……」

「野菜だな……」

 

 野菜だった。

 この街のスーパーで初めて見かけて、あまりの安さに驚いてつい手に取った物がモヤシだったのだ。

 モヤシを侮るなかれ。彼らには食物繊維をはじめとした豊富な栄養が含まれているのだ。

 安価に入手できるというのもモヤシの強みなのだが、悲しいかな。それ故に彼らは食卓では脇役という扱いを受けてしまうのだ。

 調理法一つで肉や魚にも劣らない、ご飯のお供になり得るのに、と力説するタクトを、リゼとシャロはなんとも言えない表情で見つめるのだった。




アニメでリゼのロップイヤー姿を見た時、思わずガッツポーズをした人は俺だけじゃないと信じています。

遅くなってすみません。
たくさんのUA、お気に入り登録、評価、感想、本当にありがとうございます。冗談ではなく、本当に感極まって涙腺が崩壊しかけました。
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