石畳のやたらと広い道路に、木組みの風情のある建物。街中の水路にはさらさらと、透き通った水が流れている。市場の方に顔を出せば溢れんばかりの活気に気圧されそうになる。初めてこの街を訪れる人間は、西欧の都市に迷い込んでしまった錯覚に陥ることだろう。
と言っても、一年以上住めばそれが当たり前の光景となり、観光気分も薄れ、やたらと曲がり角や階段が多いことに不満を感じることもあるのだが。さらに言えば、夏の、日差しが強い日には、日光に照らされた石畳が石焼きプレートの如く熱を放つので、毎日天然露天サウナを楽しむことができる。夢もなにもあったものではない。
もちろん、悪いことばかりが浮き彫りになる訳ではなく、大変微笑ましいこともある。この街はウサギの街と呼ばれることもあるほど、ウサギが多い。公園に行けばウサギ。商店街に行ってもウサギ。道を歩いていてもウサギ。といった具合に、この街の中でウサギとエンカウントすることはさほど珍しくない。
休日に公園に立ち寄り、ウサギを愛でて日々の疲れを癒す、そんな日常を送ることもできるのだ。
「いやあああああ!!」
あまりの癒しの暴力に、叫びながら喜びを体現する者もいる。なんと微笑ましい光景だろうか。
「どこをどうしたらそう見えるのよ!!」
どうやら違うらしい。
目の前のクレープ屋のバイトさんは、三匹のウサギに囲まれ、軽く涙目になりながらも見事なツッコミを入れてくれた。相変わらずキレがあって素晴らしい。
タクトは、そんな彼女に、心の中で感謝と尊敬の意を唱えつつ屋台のメニューを指差した。
「それじゃあバナナクレープを一つ」
「今の私にそんな余裕ないわよ!! ひぃ!!」
シャロを取り囲むウサギのうち一匹が彼女へ近づくと、シャロはその場に両手で頭を庇うようにしてしゃがみこんでしまった。いかにも防御力が高そうなガードである。
このまま眺めているのも悪くはないのだが、これではクレープが食べられない。
この日、タクトは二度寝、三度寝を繰り返し、起床したのは朝とも昼とも言えない時間。彼が食事をしようと冷蔵庫を開ければ、入っていたのは調味料と僅かばかりのコンソメ。つまるところ、彼は今朝から何も食べていないのだ。
今、このクレープ屋を閉店させるわけにはいかない。
タクトはクレープ屋の屋台の裏側に回り込むと、三匹のウサギを抱きかかえ、屋台から離れた場所に彼らを放ってから屋台に戻った。
「もう大丈夫だ」
タクトは、未だカリスマ性が滲み出る防御態勢を取るシャロに声をかけた。
「ほ、本当……?」
彼女は恐る恐る顔を上げると、周囲を見渡した。ウサギがいなくなったことがわかると、安心したように胸をなで下ろし、立ち上がった。
「あ、ありがとう……」
「気にしなくていい。前にも言ったが誰にでも苦手なものはあるさ」
むしろ恐れることは人間にとって有用なことだろう。人が恐怖という感情を失った時、自己防衛の本能も同じく消えることになる。
「タクトにも苦手なものってあるの?」
「ああ。俺は今、クレープが怖い」
「……だからってタダにはしないわよ」
シャロはジト目でタクトを見やると、帰れと言わんばかりに手を払う。あまりに素っ気ない様子に、タクトは少し寂しくなった。
「改めて、バナナクレープを一つ頼む」
クレープは饅頭になり得ないことがわかったところで、目的のものを手に入れるべく、小銭を差し出す。
「はい。ちょっと待ってね」
シャロは、タクトから代金を受け取ると、慣れた手つきで生地に具材を包み込んでいく。
これでどうにか食事にありつけそうで一安心である。いつもよりも少しばかり豪華な朝食だが、たまにはこういうのも悪くないだろう。
「あれ? タクト君?」
出来上がっていくクレープをなんとなく眺めていると、後ろから聞き覚えのある声に呼ばれた。
声のする方に目を向けてみれば、行きつけの喫茶店のマスターの孫と、その自称姉が仲良く並んでいた。散歩の途中だったのだろうか。
タクトが彼女達に軽く手を振ると、あちらも大きく振り返してくれる。
「こんなところで奇遇だね……ってシャロちゃん!?」
「ココア!? チノちゃんまで……」
ココアは、屋台の下でクレープを作るシャロを見て、意外なものを見るような顔をした。
一方でシャロはなんとも複雑そうな表情である。
「こんなところでもバイトしているなんて、シャロちゃん多趣味だね」
「そ、そうよ! 多趣味よ! 悪い!?」
多趣味であることは良いことだと思うが、手持ちのクリームの絞り袋を握りつぶすのは遠慮願いたい。タクトのバナナクレープが真っ白になってしまう。カロリーの過剰摂取はウェイト的に危険だ。
「ところで、ココア達はこんな朝早くからどうしたんだ?」
「朝早くって……もうすぐお昼の時間ですよ……?」
「一体いつまで寝てたのよ……」
二人から呆れるような視線を受けるタクトだが、なにもずっと寝ていたわけではない。ここは一つ、弁明しておく。
「失礼な。六時には起きた。ただ、布団の温もりに抗えなかったんだ」
「それは起きたって言わないわよ!」
朝の布団には妙な魔力があるのだ。仕方あるまい。
「私達は天気がいいからお散歩してたんだよ!」
「私は家でボトルシップの続きを作りたかったのですが……」
なるほど。チノはココアに引っ張られて外に出てきたということらしい。
休みの日はのんびり過ごしたかったです、とぼやくチノだが、その心なしか明るい表情を見るに、満更でもないようだ。
「シャロちゃん! クレープを二つくださいな!」
「少し待ってて……はい、タクト」
「ありがとう」
ココアの注文を受け取ったシャロは、タクトに出来上がったバナナクレープを渡すと、続けて新しいクレープを作り始めた。
「タクト君もお散歩?」
「まあ、そんなところだ。家の食料を切らしてしまってな。買い物ついでにここに寄ってみたんだ」
タクトは、左手にぶら下げているレジ袋をココアに見せた。
「そうなんだ。あ、そうだ! タクト君はこの後暇? 折角だから一緒にお散歩しようよ!」
「そうですね。タクトさん、どうですか?」
ココアとチノから嬉しいお誘いを受けたタクトだったが、流石にこの袋を持ったまま出歩くわけにはいかない。中には卵や、野菜などすぐに冷蔵庫に保存しなければならないものが入っている。
この公園と自宅を往復するのは流石に時間がかかる。二人に待っていてもらえば問題ないのだろうが、それでは彼女達の貴重な休日の時間を無駄にさせてしまうだろう。
タクトは、申し訳なさそうに二人の申し出を断った。
「今日は特に予定はないが、一度生ものを家に置いてこないといけないな」
「それもそうですよね……」
「そっか、残念……」
わかりやすく落胆する彼女達を見て、若干の罪悪感を感じたので、タクトはフォローを入れることにした。
「すまないな。また今度誘ってほしい。その時はご一緒させてもらおう」
「わかった……じゃあまた今度ね!」
どうやら元気を出してくれたようだ。
タクトは、二人の見せる明るい笑顔に安堵しつつ、購入したクレープにかじりついた。
若干クリームが多いが、バナナとチョコシロップの程よい甘さが実に美味しい。
「はい。お待たせ」
「ありがとう!」
ココア達のクレープも無事完成したようだ。
ココアは、シャロから二つのクレープを受け取ると、そのうち片方をチノに渡して、自分のクレープを頬張った。
「……んー! 美味しい! はい、シャロちゃんも!」
ココアはにこにことした表情でクレープをシャロに差し出す。
対してシャロは迷っている様子だ。
「……私、仕事中よ?」
「まあまあ、ひとくちだけでも」
「ひとくち……」
やはり甘いものの誘惑というのは強かったようだ。ひとくちだけ、という言葉に心が揺らいだらしく、シャロは恐る恐るクレープに手を伸ばす。
「じ、じゃあひとくちだけ――!?」
彼女の手がクレープに触れようとしたその時、空から落ちてきた黒い物体がクレープを押しつぶした。
「あー!! また空からあんこが!」
黒い物体の正体は甘味処、甘兎庵の看板ウサギのあんこだ。以前もカラスに攫われたと聞いたが、もしかしなくても今回もそうなのだろう。
「よりによってクレープの上に落ちなくても……」
ココアがクリームで白くなったあんこを持ち上げると、クレープは見るも無残な姿へと変わり果てていた。
とても可食部分が残っているようには見えない。
購入したばかりのものを目の前で失うのは大層に辛いことだろう、とココアの方に目を向けようとすると、屋台の中から悲痛な呻き声が聞こえてきた。
「うぅ……久しぶりのクレープが……」
どうやら、シャロの方がダメージが大きかったようだ。
クレープなどそう滅多に食べる機会はないだろう。一人暮らしで、節約生活を送っているのなら尚更だ。
タクトには、彼女の気持ちが痛いほどわかった。彼も以前、焼きたての鯛焼きを川に泳がせてしまった過去があるのだ。百五〇円。小豆と生地の割合が絶妙で、ほんのりと香る黒ごまの風味が未だに彼の記憶に残っている。
「ほら」
それ故だろうか、それとも単純に目の前で悲しむ二人を放っておけなかったのか、タクトは自身の持っていたものを彼女達に差し出した。
「二人共全く食べられなかっただろう? なら、これを食べるといい」
「え!? で、でも……」
「そ、そんなの悪いわよ……」
差し出されたクレープを、二人は申し訳なさそうに拒む。もしかして、タクトが二、三口程しか食べていないことを気にしているのだろうか。
「気にすることはない。俺はもう十分だ。残りは二人で分けてくれ」
そう言ってタクトは半ば強引に、ココアにクレープを握らせた。
二人の頬が終始赤かった気もするが、この日は日差しも強く気温も高いからだと、タクトは解釈した。
「……タクトさんは少し手加減をするべきです」
なにやらチノがジト目で言っているが、タクトに意味が分かるはずもなく、彼は首を傾げることしかできなかった。
「待ってぇ!」
クレープよりも甘々な雰囲気が流れる公園に、これまた見知った人物が駆け込んできた。
仕事の途中だったのだろうか、和服の制服を身にまとい、肩で息をしている。
そのせい、あるいはそのおかげと言うべきか。布地が乱れ、地肌が露出しているが、決して卑しいことはなく、むしろ適度に艶やかで、上品な雰囲気を醸し出している。
「はぁ……はぁ……やっと追いついた……」
「千夜ちゃん! またカラスにあんこ攫われたの?」
加えて彼女の洩らす吐息が一層色気を立たせ、見る者を陶酔の渦へと引き込む。
早い話が、とても、良い。
「よきかな」
「……そういえば、いつもと制服が違いますね」
何の反応もされないというのはなかなかに辛いものがあるが、それはさておき、チノの言う通り、この日の千夜の服装はいつもと異なり、近代的なデザインである。
何らかのキャンペーンの最中なのだろうか。
「気づいた? 今月はレトロモダン月間なの」
千夜は、そう微笑んでその場でくるりと回ってみせた。
橙色をベースとした布地に、白や水色といった淡い色合いの帯を重ねることで、懐古的だが、妙に先進的なイメージを持たせる。落ち着いた雰囲気の中に、活気を感じさせるような服装で、実に趣深い。
「甘兎もそのうち、フルールよりもいかがわしくなるんじゃない?」
タクトとしては大歓迎なのだが、もしそうなった場合、フルールと甘兎庵の趣向が被ってしまう。ただでさえ喫茶店の多いこの地域で同じような商売をするというのは、あまり好ましくないだろう。ダブってしまうのはライスだけで十分だ。
「そう……それなら脱ぐわ……」
「ここで脱がないでよ! タクトも携帯を構えない!」
着物をずらし、肩をはだけさせる千夜を目の前にして、タクトは無意識に写真機能を起動していたが、これは仕方あるまい。
人間は本当の芸術を前にして、黙っていることなどできないのだから。
「あ、改めて言われると恥ずかしいわ……」
気づけば千夜がなにやら頬を染めて自分を抱きしめていた。
どうやら、またもや声に出てしまっていたらしい。どうも最近は思惑がだだ漏れで良くない。
それだけこの街に染まってきたということだろうか。以前よりも自身の想いを発信するようになったというのは好ましい変化であるが、ものには限度がある。
タクトは、すっかり慣れてしまった周囲からの冷ややかな視線に、困ったように肩を竦めた。
前回の投稿から三ヶ月、筆が進まず右往左往しているうちに元号も変わってしまいました。本当に申し訳ありませんでした。
長い空白期間を経て、もしかしたら文章に違和感を覚えるかもしれませんが、暖かく見守っていただけると幸いです。
今回は当初、オリジナル話を書く予定でした。しかし、筆者の文才、その他諸事情も加わって、アニメ版に沿った展開に変更しました。
それに伴って、前話『楽園を求めてモヤシを齧る』の最初辺りの文章を変更しました。詳しくは活動報告をご覧下さい。
長らく更新停止していた本作ですが、投稿の無い間もアクセスして下さった方、本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。