リストラという言葉を突きつけられて喜ぶ者は居ないだろう。サービス残業などと言って労働基準法の定めるところの、法定労働時間を大幅に超越したのにも関わらず、一切の手当も出ないようなブラックコーヒーよりも黒ずんだ企業に勤めているのなら、あるいは狂喜しうるだろうが、多くは絶望の淵に立たされることになるのではないか。
そうは言っても、一従業員に上からの唐突な解雇命令に抗う術は無い。そのまま流されるようにして消えていくしか道はないという事実は現代社会に潜む闇と言えよう。
ある日の夕方、季節はすっかり夏に移り変わり、太陽が未だ沈まず燦々と輝くなか、タクトは喫茶店ラビットハウスに足を運んでいた。
彼がこの店に顔を出すようになって早一年、彼もすっかり常連である。細部までこだわり抜かれた、極上のコーヒーを求めて足繁く通うのだが、最近彼にはラビットハウスにて、もう一つの目的ができた。
それは従業員との交友だ。
ラビットハウスでは三人の少女が働いており、うち二人のバイトとは歳も近い。何度も店に顔を出すうちに、彼女達とも友人と言える程には話すようになったのだ。せっかく親交を深めることもできたので、彼女達には働き続けてもらいたいものである。
ラビットハウスの安寧と繁盛を祈りつつ、タクトは店のドアノブに手をかけた。
「いらっしゃいませ……あ、タクトさん。今日も来てくれたんですね」
店内に足を踏み入れると、初代マスターの孫娘がタクトを出迎えた。トレイを抱き抱える彼女の姿もすっかり見慣れたものである。
「ああ。いつものを頼めるか?」
「少し待っていてください」
タクトはカウンター席に腰掛け、目の前でコーヒーミルを動かすチノの手元をぼんやりと眺める。
はて、いつもと同じように注文を済ませ、いつもと同じようにカウンター席を陣取ったのだが、違和感を覚える。
何かが足りない。
「なあなあ、チノ。あの人がこの前言ってた人?」
「タクトさん、だったっけ?」
タクトが正体不明の不足感に頭を捻らせていると、見慣れたラビットハウスの制服を着た、二人のバイトがチノに話しかけていることに気がつく。
が、どうしたことか。二人共、今日はやけに小さい。見たところ身長がチノとさほど変わらないではないか。それどころか、髪型も雰囲気もいつもと全く違う。
「……これが俗に言うイメージチェンジというやつなのか」
髪型だけでなく、身長や自身の雰囲気まで自由に変えることができるとは、最近の高校生は摩訶不思議である。
「何を言っているんですか……二人は私のクラスメイトですよ」
「マヤだよ!」
「メグですー」
それぞれ元気よく名乗った二人を観察してみれば、なるほど、確かに中学生らしい容姿をしている。それどころか、下手をすれば、チノを含め、小学生と紹介されても違和感が無いのではないだろうか。
「……今、ものすごく失礼なことを考えられた気がします」
流石に鋭い。接客業は伊達ではないようだ。
タクトはジト目のチノから目をそらし、推定中学生の二人、ショートヘアのボーイッシュな少女と、おさげ髪とほんわりとした雰囲気の少女を順に見やった。
「マヤにメグだったか。俺は白波託兔という。ただの客だが、よろしくな」
「よろしく! ……タクトって、チノに聞いた通りの人だな!」
屈託の無い笑顔で思いもよらないことを宣うマヤだが、果たしてどのような話をされたというのか。チノに限って、あることないことを吹聴することはないだろうが、些か気になる。
「チノちゃんがね、お兄ちゃんみたいな人だ、って言ってたんですよー」
「め、メグさん!」
親切にも、メグが笑顔で噂の内容を軽く教えてくれた。
まさかの兄扱いである。タクト自身がチノに何をした訳では無いはずなのだが、随分と高い評価をいただけたものだ。
タクトには妹属性は無いが、兄と言われて不思議と悪い気はしなかった。もしこの場に、自称姉を名乗る人物が居たら発狂することは必至だろうが。
「喋り方とかが大人っぽいって言ったんです! よくお店の方を手伝ってくれますし、ブラックコーヒーだって飲めますし、セロリだって食べられますし……」
顔を赤くしながら必死に弁明するチノは見ていてとても微笑ましい。
なるほど、兄というのはこういう気持ちなのだろう。タクトは、ココアが姉に期待を寄せる訳を少し理解し、小さく笑った。
それはさておき、タクトには先程から気になっていることがある。
「ところで、マヤとメグはなぜラビットハウスの制服を?」
「私達、ここで働いているんだ!」
「そうそう、少し手伝っているんですー」
なんということだろうか。今まで商品の質を売りにしてきたラビットハウスが、営業方針を変更してしまった。まさかの妹喫茶の導入である。確かに、数多の喫茶店が軒を連ねるこの街では、未開拓のこのジャンルはそこそこ流行りそうではあるし、タクトも嫌いではない。
しかし、それに伴って従業員の変更が必要だったのだろう。妹系従業員が入ったことで、以前までの高校生バイト二人は解雇されてしまったらしい。
タクトは個人的に彼女達にはバイトを続けて欲しかったのだが、ラビットハウスの未来のために必要な犠牲ならば仕方がない。
「そうか……二人共、しっかりな……」
「うん! あ、コーヒーできたよ!」
「ありがとうな……」
世知辛い世の中だが、ココアとリゼには強く生きてもらいたい。願わくば、哀れな仔羊達に幸福のあらんことを。
タクトは心の奥から溢れる、やるせない気持ちを、新人従業員に手渡されたブラックコーヒーで流し込んだ。まったくもって苦い社会である。
すると、店の裏口に繋がる扉が勢いよく開かれた。
「遅れてごめんね! 制服がなかったんだけど……」
慌ただしい様子で店内に駆け込んできたのは、当の仔羊である。しかし、時すでに遅し。彼女の席はすでに埋まってしまっている。
「私、リストラ……!?」
ココアは自身の制服を着て働く新人を見て唖然とした様子だ。自分が今まで座っていた椅子を失ったのだ。涙目になるのも無理はない。
しかし、何を落ち込む必要があるのだろうか。考えてみれば、いや、考えることも必要ない。まだ、手はある。
「大丈夫だ」
「タクト君……」
まだ解決策は残されている。何事も、最後まで諦めてはいけない。
タクトは、弱々しくカウンターに寄りかかるココアに、優しく微笑みかけた。
「まだ、フルールと甘兎庵がある」
「うわあああん!!」
泣いてしまった。
タクトは、失職したのなら新しい職場を見つければ良いという考えの下、妥当な就職先を紹介したはずなのだが、何がいけなかったのだろう。どちらの制服も可愛らしく、同じ接客業だというのに。
「二人は一体何をやっているんで――!?」
「チノちゃあああん!!」
少々騒がしくしすぎたのか、厨房からひょっこりと顔を覗かせたチノに、ココアは勢いよく抱きついた。
「これからは日向ぼっこは週三回にするから! もっとお姉ちゃんらしくするから、捨てないで!!」
「お、落ち着いてください! 一体なんのことですか!?」
ココアタックルを食らったチノは、少しよろめきながら、泣きつくココアを落ち着かせる。
身長について目を瞑ればどちらが姉に見えるかは言うまでもないだろう。
「だって……リスが……トラが……」
動物園だろうか。
支離滅裂な言葉を連ねるココアを見て、チノは一言。
「……タクトさん、一体何をやらかしたんですか?」
あろうことかチノは、タクトが何かしらの悪戯をココアに仕掛けたのだと思っているようだ。確かに彼は冗談好きで、よく誰かをからかっては怒られることはあるが、友人の就職トラブルをネタに盛り上がるほど闇は深くない。
濡れ衣もいいところである。
「……待ってくれ。俺はただ、ココアが途方に暮れないように新しい就職先を提案しただけだ」
「うぅ……私を見捨てないでぇ……」
タクトは、少なくとも事態の解決に貢献したはずだ、と最早見慣れてしまったジト目のチノに抗議した。
「就職先……? 見捨てる……? なんの話です?」
しかし、当のチノは話が見えないようで首を傾げる。
どうも噛み合わない。
「え……? だって、私の制服が……」
「妹喫茶が……」
「妹喫茶!? どこにあるの!?」
ココアが妹喫茶に興味を示しているようだが、それはどうでもいい。今はそんなことよりも確認しなければならないことがあるはずだ。
「ココアにはフルールと甘兎庵、どちらの制服が似合うだろうか」
「うわあああああん!!」
「ココアさん!? お、落ち着いてください!」
再び泣いてしまった。
彼女のことを想っての質問だったのだが、本当に何がいけなかったのだろう。職場を変えるのなら同じ職種なのはもちろん、モチベーションも上げなければならない。タクトは、そのためにも服装にもこだわるべきだ、と思った次第なのだが。
「なあメグ」
「なに? マヤちゃん」
「私達はどうすればいいの?」
「うーん……とりあえず座ってる?」
「そうだね」
完全に置いてかれた新人従業員二名は、目の前に広がる混沌を、静かに見守るのだった。
ラビットハウスは今日も平和である。
事態に収拾がついたのはそれから数分後だった。チノに詳しく状況を説明してもらったところ、ココアとリゼの帰りがいつもより遅かったので、たまたまラビットハウスに遊びに来ていたマヤとメグが二人の代わりに手伝ってくれていただけだと言う。制服は折角なので着てみた、とのこと。
決して二人がリストラされた訳ではなく、ましてや、妹喫茶が開設されることもない。
それはそれで少し残念であるが、ラビットハウスの従業員が変わる訳ではないとわかって一安心である、とタクトは胸を撫で下ろした。
「なるほど、要はココアの勘違いだった訳か。人騒がせだな」
「えへへ、ごめんね……って! タクト君もだよね!?」
「……?」
「なんでそんな不思議そうな顔を!?」
「まあまあ、これあげるから落ち着いて」
「ミョウガ!?」
「リラックス効果があるらしいぞ」
「へえ、そうなんだ……って、そうじゃないよ!!」
「こちらをお求めだったか」
「ショウガも出てきた!?」
「体も暖まるぞ」
「今夏だよね!?」
ショウガ科はお気に召さないらしい。どちらも爽やかな風味と、みずみずしい歯ごたえがなんともクセになるなのだが。
最近の子は好き嫌いが激しくて困ったものだ、とタクトは残念そうに取り出したものを鞄の中に仕舞った。今夜は生姜焼きにでもしようか。
「あはは! 二人共面白いな!」
タクト達のやり取りを目の前にしたマヤは人懐っこい笑顔を咲かせるが、一つだけ訂正させていただきたい。
「残念、面白いのはココアだけだ」
「ひどい!?」
確かにタクトは冗談を好み、本人もその手の話に便乗することがよくある。しかし、人間の本質として面白いか否かを問うならば、軍配は万年道化に努めるココアに上がるだろう。ただそこに居るだけで周りを笑顔にできる彼女に適う者が居るならばそれは本物の道化であろう。
故にタクトは否定する。自分は一般的な人間であると。
「それって私が普通じゃないってことだよね!?」
はて、なんのことだろうか。
タクトは何処吹く風と言わんばかりにコーヒーを啜る。注文して時間が経ってしまったせいか些かぬるい。
タクトの態度に遺憾の意を示すココアを適当にあしらっていると、店の扉が乱雑に開かれた。
「すまない! 部活の助っ人に駆り出されてしまって……」
慌てた様子で駆け込んできたのはこの店のもう一人のバイトだ。
大分急いで来たようで、制服の所々が乱れており、若干汗ばんでいるのが伺える。
いとをかし、とはいつの言葉だっただろうか。
自身の制服を着て店の仕事をこなす、面識のない二人を目の前に唖然とするリゼに、タクトは真剣な面持ちで問いかけた。
「リゼ。和服とメイド服、どちらが着たい?」
「うわあああああ!!」
「り、リゼさん!? 待ってください!」
突然大声で叫びながら店を飛び出すリゼと、それを追うチノの後ろ姿を眺めながらタクトはコーヒーを一口。
一仕事終えた後の一杯は冷めていても、なぜここまで美味いのだろうか。
数分後、笑顔のリゼと『お話』するタクトの姿が、そこにあった。
メイド服と和服、どちらも違った魅力があり、一概にどちらが良いかは言えません。ただ、個人的にはココアにはメイド服、リゼには和服を着てもらいたいです。どちらも丈は短めでお願いしたいです。