脱兎は木組みの街で何を想う   作:ライスonライス

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第十九話 穏やかな陽に誘われて

 気付いた時にはもう、手遅れだった。

 

 ミルクが注がれた器をひっくり返せば二度と元の姿には戻らないように、時間もまた過去に遡ることはない。一度失ったものは手元に戻って来ないことが世の常である。

 それはもちろんタクトだって理解しているし、寧ろそういった世界の理は受け入れるべきだと常日頃から思っている。

 故にその時が来てもタクトは取り乱すことなく、平静な自分を保っていられた。

 

 

 

 カーテンの隙間から差し込む陽光が布団にくるまったタクトの目元を照らす。それがあまりにも眩しいものだから、太陽に背を向けるように身じろぎを一つしたところでタクトの頭に疑問が浮かんできた。

 今は、果たして何時なのだろうか。

 

 タクトは未だぼんやりとしている頭を無理やり起こし、仄暗い部屋の隅に置かれた棚の方へ眼を動かす。

 ちくたくと、止まることなく時を刻み続ける置時計の短針は今まさに十の数字を指すところだった。

 時間で言えば朝というよりは昼前といったところだろうか。

 休日であればこのくらいの時間に起きて活動を始めることはそれほど不思議なことではない。平日に学校、あるいは会社に通うために早起きをしている人間でも、いざ休みとなるとタクトのように二度寝を繰り返し、幸せと背徳感を味わいつつ布団のぬくもりに身を任せることもあるだろう。

 

「……」

 

 欠伸を嚙み殺しつつ布団から這い出て立ち上がり、カーテンと窓を開ければ、既に高く上がった太陽の光が差し込み、部屋中に満ちた。

 暖かく心地の良い光を全身に浴びつつ伸びを一つすると、眠りかけていた身体に血が巡り一気に目が覚める。

 

 いい天気だ。こんな日は外に出て散歩でもしたい気分である。

 しかし、寝巻のまま外出するわけにはいかない。いつも通りの格好に着替えなければならないのだ。

 顔も洗わなければならないし、若干だが腹も減っている。

 台所の戸棚に食パンが残っていただろうか。冷蔵庫には牛乳と、ハムも入っていたと記憶している。

 軽く何か腹に入れてから出かけよう。

 

「っ……!」

 

 今一度自分の状態を確認したタクトはもう一度大きく伸びをし、深呼吸をした。街の空気に僅かにだが混ざっているコーヒーの香りがタクトの脳を刺激する。

 そういえば、今日は散歩よりも優先するべきことがあった。街中をのんびりと歩き回るのはまた今度にするべきだ。

 とはいえ、何も急いで出る必要はない。ゆっくり朝食を摂ろう。

 差し当たっては、台所に向かって食事の用意をしなければ。

 吸い込んだ空気を吐き出し、自分に喝を入れるようにして独り言を吐く。

 

「さて、学校に行くか」

 

 今日は平日である。休みでもなければ午後授業でもない。

 これはただの――

 

 

 

 寝坊である。

 

 

 

###

 

 

 

 既に遅刻は確定している。少し急いだところで状況が好転することはない。寧ろ、下手に走ったことで街の硬い石畳の上で転び、顔面スライディングでも決めようものなら大惨事は免れないだろう。

 それならば一層のこと、じっくりと準備を済ませ、平日の昼の街並みを見ながら、ふらふらと歩いて学校を目指せば良い。一時間の遅れが二時間になったところで何の問題があるだろうか。

 そういう訳で、太陽に照らされ熱気を放つこの街を、タクトは鞄を肩にぶら下げ歩いていた。

 

 既に通勤、あるいは通学ラッシュの時間を過ぎているためか人通りはそれほど多くない。特に制服を着ているような同年代の人物は、当然だが全く見かけない。

 買い物に向かうのだろうか、バッグを片手に街を歩く婦人がちらりとこちらを一瞥し、そのままスーパーのある方向へとすれ違っていく。

 周りの建物を見てみればベランダに干された洗濯物が風になびき、扉にかけられたOPENと書かれた看板がゆらゆらと揺れている様子がうかがえた。

 

 街は平和そのものである。

 これだけ静かな街並みを見ていると、なぜ自分は遅刻してまで学校に向かって歩いているのか、別に今日ぐらいサボってしまっても構わないのではないのか、といった邪な思考が生まれてきてしまう。

 

 しかし、考えてみれば最近のタクトは律儀に登校時間を守って学校に通っている。その証拠に、遅刻をするのは学年が変わってからは今日が初めてである。

 去年までは進級に支障が出ない程度に遅刻やサボりを繰り返していたのだが、新学期が始まり、ココアや千夜と共に学校に通うようになってから、意識的に学校を休むということはなくなった。

 別に、彼女たちと約束をしているわけではない。ただ、新学期から数週間程、登校時間が被ることがあった。最初は度重なる偶然に三人で驚きあっていたものだが、その後も何度か登校を重ねるうちに、自然と彼女たちと通学するのが当たり前になっていたのだ。

 

 学校への近道にもなっている公園のベンチに腰かけ、携帯の着信履歴を確認してみれば、八時くらいに二人からの電話があったと分かる。

 加えて、メールボックスには最新のメールが以下のような文面で届いていた。

 

 

 

――件名:タクト君生きてる!?

 タクト君大丈夫? モフモフ成分不足で倒れてない? ダメだよ! ちゃんとティッピーをモフモフしないと!

 朝も会えなかったし、電話も出ないから千夜ちゃんも心配してるよ! 学校には来てるんだよね? お昼一緒に食べようよ! 今日はいい天気だから中庭で食べればピクニックみたいだよ! きっと気持ちいいと思うんだけど、どうかな?

 あ、もしかしてお休み!? 具合が悪いなら私がお見舞いに行くよ。タクト君のお家分からないけど……。とにかく! お姉ちゃんに任せなさい!!

 

 PS

 もしサボりだったらお姉ちゃん許さないからね!!!

 

 

 

 あちらこちらに絵文字が(ちりば)められており、メールを作成している時の差出人の表情を鮮明に思い浮かべることができる。

 仮にここで、サボる案も出ていたなどと返信をすれば帰り道、あるいは次にラビットハウスに訪れた際にお小言を頂くことになるのだろう。そもそも、寝坊して遅刻を確かなものにしている地点で少なくとも話のタネには困らないはずだ。

 とは言え、それは彼女たちが本心からタクトを心配してくれているからこその叱咤であることはタクトも理解している。本気の言葉だからこそありがたいと思えるし、同時に申し訳なさを覚えてしまう。

 

 本来ならばさせる必要のなかった心配に対しての謝罪と、寝坊をしたので散歩をしているという旨のメッセージを端末に打ち込み、最後に昼食の約束を添えて画面上の送信ボタンを押す。

 送信完了の文字が画面に表示されたのを確認してから端末を懐に仕舞ったところで、タクトは何者かの視線を受けていることに気が付いた。

 監視、というよりは観察されているかのような感覚だ。

 集中して視線の元を探ってみると、タクトが座っているベンチの後方から何やら音がするようだ。

 該当する場所には草むらがあるはずだが、がさがさと草同士が擦れる音が聞こえてくる。

 

 何事かと体を捻ってそちらに目を向けてみれば、手帳とペンを構えてこちらを凝視している女性がいた。

 屈むようにして草むらと同化する様子は不審人物以外の何者でもなかった。

 

「ふむふむ……昼間の公園で黄昏れる男性……孤独にも不撓不屈の精神で耐え、ついに不登校を克服するために歩みを進める青春ストーリー……いい話が書けそうです~」

 

 何やら納得したように頷きながらメモ帳に筆を走らせているようだった。

 念のため弁明しておくとタクトは孤独でもなければ不登校でもない。

 初対面でこの言われようも珍しい。確かに、タクト自身は過去に何度か孤独を味わった記憶はあるものの、面と向かってぼっちだの引きこもりだのと言われたことはない。

 いつから覗いていた云々、自分をどう見ていたのか云々と色々と聞きたいこともあるが、一周回って目の前の女性に興味が湧いてきた。

 

「あの」

「……あら?」

 

 タクトが彼女に声をかけてみると豆鉄砲を食った鳩のような表情が返ってきた。

 

「き、気付かれてしまいましたか……。どうしましょう……?」

 

 どうしましょうはこちらのセリフである。

 顔を紅潮させ、伏し目気味にちらちらとこちらを窺うようにされてはタクトとしても反応に困る。

 とは言え、何も話さずに気まずい雰囲気に身を投じている訳にもいかない。

 

 状況を打開するべくベンチの片側を空け、鞄から缶コーヒーを二本取り出して、タクトは女性に微笑みかけた。

 

「とりあえず、自己紹介でもどうでしょう?」

 

 

 

###

 

 

 

 話を聞いてみれば女性は青山ブルーマウンテンというペンネームで小説を執筆しているらしい。

 青山と言えば、最近老若男女を問わず莫大な人気を博している小説「うさぎになったバリスタ」の著者も青山という名だったはずだ。

 タクトは小説こそ読んではいないが、その評判はココアや千夜を通じて聞き及んでいる。場面ごとに的確な言葉を選び抜き、あたかも実際に体験してきたかのような描写で、巧みに読者を引き込む青山の文章は幅広く受け入れられ、映画化の話も進んでいるという噂だ。

 彼女が展開する独特な世界観が、映画でどのように表現されるのか気になる、というのは千夜の言である。

 

「タクトさん、と言うんですね。良い名前です」

 

 タクトから見た青山の印象はマイペースでおっとりとしているというものだ。

 ふんわりとした髪型も相まって物静かな雰囲気の女性で、缶コーヒーを傾ける姿を見ても文芸家を匂わせる出で立ちだ。

 

「それで、青山さんは俺に何か御用ですか?」

 

 そんな世間でも有名人という立ち位置にいる小説家が、なぜ一般学生であるタクトの動向を監視していたのだろうか。見たところで面白いものが現れるわけでもあるまい。

 

「はい。新しく書くお話の参考にと思い、観察させていただきました」

 

 タクトの疑惑の視線に対してニコニコとしながら応える青山。

 彼女の人柄からして、この言葉に嘘偽りはないだろう。そもそも、ここで嘘をついたところで何の意味もないし、別にタクトも跡をつけられていたことに対してあれこれ言及する気はない。

 しかし、新作のモデルとして選ばれるとは少々恥ずかしいものがある。

 なぜ彼女はタクトを観察対象として尾行していたのだろうか。

 

「実はネタを探して今朝から街を散歩していたのですが、その道すがらに制服姿のタクトさんを見かけまして……。今日は平日で、時間も既に授業が始まっているはず……。豊作の予感がしてつい……」

 

 なるほど。確かに、平日の昼間に学ランを着て歩いていれば少なからず目立っていたことだろう。もし自分以外に同様の格好をした人物を見かけたらタクトは親近感に近い感情を抱いていたことだろう。

 

「何か収穫はありましたか?」

「はい。とても素晴らしいイメージが湧いてきました。ありがとうございます」

 

 その湧いたイメージというのが不登校だったり引きこもりだったり、何かしらの問題を抱えた人物ということだろうか。

 ぺこりと頭を下げる青山を前に、タクトは微妙な心境になった。

 

「……お役に立てたのなら何よりです」

 

 おそらく自分は苦笑いを隠しきれてないのだろう、とタクトは思った。

 心なしか口に含んだ缶コーヒーも苦く感じた。ブラックだから当然なのだろうか。

 そんなタクトの隣で青山は、さも満足といった表情でコーヒーを啜る。

 

「美味しいコーヒーですね」

「すぐそこのスーパーで買った、百円くらいのコーヒーですよ」

 

 別に見栄を張りたい訳ではないので正直に話す。

 生活費をバイト代で賄っている学生の身で高級なコーヒーを常飲することは難しい。そこでタクトがいつも鞄に忍ばせているのは某有名ブランドの缶コーヒーだ。

 大衆に何十年と愛され続ける商品なので、間違いなく美味しいのは確かなのだが、白銅の硬貨一枚で手に入るコーヒーに感動されても、それはそれで反応に困る。

 

「だからこそ、です。いつも飲むものでも、違う環境と一緒に飲めば味わいも変わってきます」

 

 身近にあるものだからこそ、普段と違えばその差を顕著に感じることができる、ということだろうか。

 日本には古くから花や雪を見ながら酒を嗜む風習がある。同じ酒でも、周りの風景や共に呑む人、酒を注ぐ器などが異なれば感じ方も変わってくる。尤も、その味の違いを感じることができるのは、吞む人が酒を愛しているからであって、実際に味が変わっているわけではない訳だが。

 青山の例えも似たようなニュアンスが込められているのだろう。

 

「……コーヒー、お好きなんですね」

 

 このような返しができるのは彼女が詩人である以前に、生粋のコーヒー好きだからというのに他ならない。

 

「昔、ある喫茶店で頂いたコーヒーの味に惹かれて、それから……」

「なるほど。では、その喫茶店のマスターには感謝しないといけませんね」

「はい。私が物書きとしていられるのも、偏にマスターのおかげです……」

 

 物憂げな表情を浮かべ、缶の側面を撫でる青山の横姿は絵になる。仮にタクトが画家であれば、この光景を作品として残すことだろう。

 今の彼女は世間が認める文豪である。最近では小説の映画化の話もあり、打合せ等でさぞ忙しい日々を送っていることだろう。お気に入りの喫茶店に赴き、恩人と挨拶を交わす時間もそう多くは取れまい。

 あるいは彼女自身の葛藤もあるだろう。映画化という大きな区切りを迎えてからマスターに会いに行くと決めているのか。

 どちらにせよ、世話になった人物に会いたくても会えないというのは辛い。それはタクトも良く知る辛さであり、故に青山の心境は痛いほどにわかる。

 

「また、その喫茶店に行けたら良いですね」

「……はい。その時にマスターに良い報告ができるように、頑張らないといけません」

 

 願わくば、彼女とその恩人の再会が素晴らしいものになるように、とタクトは密かに思う。

 気付けば、公園の石畳の道に設置された時計の針は、もう間もなく十二時を指そうとしていた。

 そろそろ学校に行かなければ、昼食の時間になってしまう。ココア達と約束をした手前、遅れるわけにはいかない。

 僅かに残った缶コーヒーを飲み干し、鞄を肩にかけ、立ち上がった。

 

「もう、昼ですね。俺はそろそろ行こうと思います」

「そうですね。私も彷徨ってきます」

 

 そう言って青山も同様に、手帳をショルダーバッグに仕舞うとベンチから離れた。

 そして、こちらを振り向き、軽く一礼をした。

 

「今日はありがとうございました。コーヒー、美味しかったです。また、機会があればお会いしましょう」

「ええ。また近いうちに。今度は喫茶店で会えたら良いですね」

「その時は私がごちそうします。それでは」

 

 不思議な人だ。

 公園を立ち去る青山の後姿を眺めながら、タクトはそう思った。

 掴みどころがないという印象の人物だったが、だからこそ一世を風靡する小説家が勤まるのだろう。

 彼女とはまた近いうちに合うことになりそうだ。

 

 さて、こちらも急いで登校しよう。今から向かえば約束の時間には間に合うはずだ。

 タクトは公園のゴミ箱に缶を捨て、足早に学校に向かった。

 

 

 

###

 

 

 

「もー、タクト君ったら、お寝坊さんなんだから」

 

 木陰のベンチでサンドウィッチを頬張るココアの表情は、ぷんぷん、という擬音が似合いそうだった。

 タクト達の通う学校の中庭は、公園ほどではないが緑が豊かでくつろげる空間である。天気が良い日にここで昼食を摂れば軽いピクニック気分が味わえるのだ。

 この日もそういった目的で集まったであろう生徒達がちらほらと見える。

 

 青山と公園で別れた後、少し急いだ甲斐あってタクトが学校についたのは十二時を少し過ぎたころだった。

 時間的には昼前の授業が間もなく終わるタイミングで、構内は早く授業が終わった教室もあるのか若干にぎわっていた。とは言え、もちろん依然として多くの教室で授業が続いていたため、静けさの方が勝っていたが。

 タクトはこれ幸いと、普段なら数分と経たず売り切れてしまうフレンチトーストを買いに購買に足を運び、目当てのパンを手に入れたのだ。

 その後、中庭に足を運び、ココアと千夜と合流し、現在はお説教を受けている訳だ。

 

「朝はちゃんと起きなきゃだめだよ?」

 

 予定より四時間遅れて登校したタクトだが、そのあたりの分別くらいはつく。

 時間に縛られる現代社会において、朝の時間は貴重なものだ。早起きは三文の徳という言葉がある通り、朝の時間をいかに利用するかで一日の充足度は変わってくるというのは理解している。

 

「いいか、ココア。睡眠欲というのは人間の三大欲求に含まれることが多い欲求なんだ。これを満たそうとすることは人間を人間たらしめることの裏返しで、ごく自然なことなんだ」

「タクト君が寝たかっただけだよね!? それっぽく言っても遅刻の理由にはならないよ!」

 

 理解はしているが、人間の本能がそれを許さないのだ。

 朝の時間が限られていると言っても、布団が放つ心地よい魔力には対抗できない。自身の体温で程よく温まった空間は目覚めたばかりの脳を再び夢の世界へと誘い、目を閉じようものなら逃れられない二度寝の快楽に堕ちることになる。

 一度眠ってしまえば自力で起きるのは不可能に近いのだから、寝坊してしまうのも仕方あるまい。

 

「でもわかるわー。二度寝って普通に寝るのよりも気持ちいいものね」

 

 千夜の言うように、二度寝というものは通常の睡眠より遥かに心地が良い。

 罪悪感と引き換えに得られる満足感はまさに禁断の果実の如く。気を付けなければそれが癖になってしまい、貴重な休日の半分を失いかねない。実際に、タクトは何度か日曜日の午後に布団にくるまりながら頭を抱えたことがあるのだから、馬鹿にできない。

 

「ああ。だが、それを享受してはならない……。したら最後だ。深い、深い闇の中に引きずり込まれるぞ……」

「二度寝って怖いのね……」

 

 その通り。二度寝は怖いものだ。

 被害に遭ってからでは遅い。その怖さを知っておくことが大切だ。

 タクトのありがたい忠告を受けたココアは、むすっとして口を開く。

 

「全く、タクト君はしょうがないタクト君なんだから……。今度から私が起こしてあげるよ」

 

 これはまた、突拍子もない提案である。

 あまりにも急な話に、タクトは思わずフレンチトーストを落としそうになった。

 千夜の方に目を向けてみれば面白いものを見つけた、と言わんばかりにニコニコしながらこちらを観察している。

 

「そうすれば絶対遅刻しないし、一緒に学校行けるよ!」

 

 確かに、誰かに起こして貰えれば遅刻は防げるし、それがココア達なら登校時間を合わせることも可能となるだろう。

 しかし、これには二つの問題がある。

 タクトは危うく大地に還りそうになったフレンチトーストを齧り、その問題点についてココアに聞いてみた。

 

「……一応聞くが、どうやって起こすつもりなんだ?」

「え? タクト君のお家に突撃するのはダメ?」

「俺の家からラビットハウスまでは結構距離があるぞ」

 

 そもそもラビットハウスから見た時、学校とタクトの家は方向が全然違う。

 往復するだけでも時間がかかることだろう。

 

「じ、じゃあ電話で起こすよ!」

 

 家に直接行けないのなら文明の利器を使う。当然の発想だろう。

 携帯電話なら、着信音もあるので目覚ましにはちょうど良いし、ココアがタクトを起こすという目的も達成できる。

 タクトが端末の充電を忘れたり、マナーモード状態にしておかなければ非常に有用な手段である。

 しかし、問題はそこではない。もっと根本的な部分だ。

 

「確かに、それなら大丈夫そうだが……」

「でしょ?」

 

 ところで、タクトは以前、ラビットハウスにてチノからある相談を受けていた。

 丁度その時はリゼもココアも店に居なかったため、相談の内容を知っているのはタクトとチノとティッピーだけだ。

 別に、二人には聞かせられないようなデリケートな悩みということはなく、聞けばとても微笑ましい、姉妹の仲睦まじさが伝わってくる、暖かい困りごとなのだが。

 

 

 

――最近、ココアさんが朝起きてくれなくて困ります。休みの日は少しくらいならいいのですが、学校がある日も同じようだと心配です。いつもは私が起こしているのですが、このままではココアさんが自分で起きなくなってしまいます。一緒に学校に行くって言ってたのに……全く、ココアさんはしょうがないココアさんです。別に妹だから気にしているとかそういう訳じゃ……ち、違います! 笑わないでください!! からかわないでください!!

 

 

 

 余談だが、この日のチノのココアとタクトに対する当たりには若干の棘があった。

 タクトが自業自得なのはその通りなのだが、ココアは完全にとばっちりである。正直申し訳ないと思っている。

 反省はしている。もちろん、このことを本人に伝える気はないが。

 

 さて、ココアのモーニングコールの問題点だ。

 

「ココアは起きられるのか?」

「……お、お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 当然だが、誰かを起こすのなら自分はその人より早く起きなければならない。

 誰かに起こされているということは、自分も朝の準備で忙しいはずなので、とてもではないが他の人を起こすという余裕はないだろう。

 

 とは言え、目を泳がせながらも必死に腕まくりをするココアを無下にする訳にもいかない。

 自分の朝の時間を使ってまで、彼女がタクトを起こそうとしているのは、一緒に登校したいと思ってくれているからだ。

 そんな彼女の想いに応えられないほど落ちぶれる気はない。

 

「次からは起きられるように努力するさ。だから、そこまで心配しなくてもいい」

「むー……」

 

 というよりも、これはそもそもタクト自身の問題なので自分で解決しなければならない。

 確かに、主人公が幼馴染の少女に起こされるというシチュエーションは、漫画やアニメなどといったフィクションの世界ではよく見られる。世の中の男性の中にはこういった状況を羨み、妬み、渇望する者も少なからず存在するだろう。無論、タクトもその一人だ。クラスでも多くの視線を集める美少女が、毎朝家を訪ね、寝ている自分に優しく声をかけ、起こしてくれる。そんな人生を送ることができればどれほど幸せか。考えたことがない訳ではない。しかし、現実はそう優しくないのがこの世界だ。どれだけ願おうとも転生も召喚もされない。今の生活を受け入れなければならないのだ。

 そんな中で、先ほどのココアの提案だ。正直に言ってしまえば、相当に魅力的な話だった。

 明るく元気な性格の彼女が毎朝起こしてくれるとなれば、気持ちよく一日を迎えることができるだろう。

 

 だからと言って、自分の不甲斐なさで友人に迷惑をかける訳にもいかない。

 地元を離れて一人暮らしをしている手前、友人に生活の世話を任せるというのは情けないことこの上ない。

 それも同年代の少女にモーニングコールを頼まなければ起きることができないというのは、タクトの沽券に関わる。

 

 しかし、考えてみれば、タクトを友人と認めてくれる少女達は皆、顔だちも整っており、文句なしの美少女だ。千夜は和服が良く似合い、甘兎庵の看板娘としても器量の良さが窺える。リゼは物事をそつなくこなす器用さと、面倒見の良さから後輩達からの信頼も厚いと聞く。シャロは立ち振る舞いに気品があり、何事も真面目に、一生懸命に取り組む姿勢が見て取れる。チノは中学生ながらしっかり者で、祖父の喫茶店を継ごうと日々努力をしているが、時たま年相応の無邪気さを見せる。

 もしかしなくても、今の生活はとても恵まれているのではないだろうか。とてもじゃないが、魔王を倒すために異世界に旅立つ気は起きない。

 今のタクトの使命は目の前でむくれるココアを宥めることだ。

 

「まあまあ。また、一緒に学校行けるから。ほら、飴ちゃんをあげよう」

 

 鞄の中からフルーツキャンディが三粒入った小瓶を取り出して見せる。

 散歩の途中で買った、少しお洒落な飴ちゃんだ。

 瓶の蓋にはウサギの装飾が施されており、見た目もかわいらしい。

 小瓶を受け取ったココアがジト目をこちらに向けてくる。

 

「……なんか子ども扱いしてない?」

 

 気のせいだろう。

 していたとして精々妹扱いといったところだろうか。もちろん、そのような気は一切ないが。

 

「千夜もいるか?」

「いいの? ありがとう」

「せめてなんか言って!!」

 

 予め数個用意していたので、千夜にも小瓶を差し出すと、彼女は素直に受け取ってくれた。

 変に勘ぐらず、彼女のようにすんなりと受け入れてほしいものである。

 

 隣で抗議の声を飛ばしてくるココアを横目に、タクトはもう一つ小瓶を取り出し、中の飴玉を一つ口に放り込んだ。

 

 マスカット味だ。

 優しい甘さと、爽やかな風味が癖になりそうだ。




 休日の寝坊は気持ちの良いものです。
 うっかりと寝過ごし、後悔することも良くある話でしょう。
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