リゼに連れられてココアとタクトがやってきたのはラビットハウスの倉庫だった。
部屋を見回してみると営業で使うような雑貨や、ガラクタとも呼べるようなよく分からない物が保管されていた。
リゼは中身が詰まった麻袋の積まれている箇所を指差す。
「じゃあこのコーヒー豆の入った袋をキッチンまで運ぶぞ」
「う、うん!」
ココアがそれらのうち大きめの袋を運ぼうとしたところ、持ち上げるのがやっとのようだった。
「お、重い……!」
「その袋はココアにはちょっと辛いだろ。それは俺が持つ」
ココアの苦戦している様子を見たタクトは彼女から袋を受け取り肩に担いだ。
「ありがとうタクト君……これは普通の女の子にはちょっときついよ……」
「だろうな」
タクトがため息をつくココアの反対の方に目を向けると、そこには軽々と大きい麻袋を担ぐリゼがいた。
その視線に気づいた彼女は慌てて袋を地面に置いた。
「あ、ああそうだな! 確かに重いな! こ、これは普通の女の子には無理だな!」
必死に普通を取り繕う彼女を他所にココアは小さめの袋を持ち上げた。それでもやはり彼女は辛そうな顔をしている。
「うう……こっちの小さいのでも重いよ……! 一つ持つのがやっとだよ……」
「まあ……普通は、そうだな」
再びタクトがリゼに視線を向けると、彼女はココアと同じ大きさの袋を両肩に担いでいた。その数は全部で四つ。
再度袋を落とすリゼにタクトは慈悲深い視線を送った。
「……普通っていいな」
「う、うるさい!」
三人は無事にコーヒー豆をキッチンに運び終え、戻るとカウンターではチノがカップを拭いていた。
「あ、皆さんおかえりなさい」
「コーヒー豆運んどいたぞ」
「ありがとうございます」
カウンター席に腰掛けるココアにタクトはお疲れさんと声をかける。
「ふぅ……チノちゃんはいつもあの袋運んでるの?」
「いえ、いつもは父やリゼさんが運んでくれていますので私が倉庫に行くことはほとんどありません」
「そうなの? リゼちゃんも女の子なのにすごいね!」
「え!? わ、私は大して力になれないぞ?」
ココアから尊敬の眼差しを受け、リゼは狼狽えながら自身の活躍を否定した。
タクトはそれを面白げに見つめる。
「そんなことないですよリゼさん。いつも一度にたくさん――」
「わあああ!! 私は普通の女の子だから少しずつしか運べないぞ! そ、それにタクトがよく手伝ってくれるからなんの問題もない!」
チノの悪意のない励ましにリゼはあくまでも普通と言い張るようだ。
「そうなの? タクト君」
「暇な時は今日みたいに手伝うことはある。と言ってもコーヒーについてはほとんど分からないから力仕事だけな」
タクトはカウンター席に座りながらココアの問いに答える。
「タクト、手伝ってくれてありがとな。何か奢るぞ?」
「じゃあいつものやつをもう一杯」
「はいよ。チノ、オリジナルブレンドを頼む」
「わかりました」
チノはタクトの注文を受け、コーヒー豆を挽き始めた。
「お、おお……!」
その横でココアが目を輝かせて三人のやり取りを見ていた。
「なんか今のかっこいい!」
「そうか?」
チノが出来上がったコーヒーをタクトの目の前に置いた。
タクトは礼を言って飲み始める。
「うん! 常連さんがいつもので……って言ったら商品が出てくるんだよ! ロマンだよ! いいなー」
「ははは、じゃあココアも早くできるようにまずはこのメニューを覚えなきゃな」
リゼは興奮気味のココアにメニュー表を手渡す。
ココアはそれに目を通していく。
「コーヒーの種類が多くて難しいね」
「そうか? 私は一目で暗記したぞ?」
「すごーい!」
「訓練してるからな。チノなんて香りだけでコーヒーの銘柄当てられるんだぞ?」
「私より大人っぽい!」
褒められたチノは恥ずかしそうにしながらタクトの隣の席に座った。
「まだ砂糖とミルクは必須だけどな」
「う……」
「あはは、なんか今日一番安心した! タクト君もなんか特技とかあるの?」
話を振られたタクトはカップを置いて考えた。
「特技か……そうだな……考えたことなかったな」
「タクトはあれだろ? 力が強い」
「それだとリゼと被――」
「あ?」
「特技というより特徴だろ」
タクトは何かを言おうとしたがリゼの発した威圧に屈して言葉を変える。
「タクトさんは味覚がしっかりしてるじゃないですか」
「そうか?」
「はい。この前うちのオリジナルブレンドの配合が変わったの当てたじゃないですか」
チノの言葉にリゼは目を見開いた。
「私も言われるまで気付かなかったのに……」
「あれはいつも飲んでたやつよりも少し酸味が控えめでコクがあったからもしかしたら、って思っただけさ」
「本当にうちの従業員になってくれないかのう……」
チノの頭の上のティッピーの呟きを聞いてタクトは苦笑いをした。彼は今のところバリスタを目指す気は無いのだ。
ココアはタクト達の話を聞き羨ましそうにする。
「みんなすごいなあ……私も何かあったらなー。あれ? チノちゃん、それは宿題?」
彼女はチノの手元のノートを覗き込んだ。
「はい。春休みの宿題です。空いた時間にこっそりやってます」
「へー……あ、その問題の答えは一二八でその隣は三六七だよ」
数学の問題をものの数秒で解いて見せたココア。
その光景にタクトとリゼは驚きを隠せなかった。
「……ココア、四三〇円のブレンドコーヒーを二九杯頼んだらいくらだ?」
「え? 一万二四七〇円だよ?」
「……合って……るな」
リゼが出した問題を即答したココアはカウンターに頬杖をついた。
「あーあ、私も何か特技欲しいなー」
自分の特技に無自覚なココアを眺めながら、タクトは人は見かけによらないと小さく笑った。
タクトがコーヒーに口をつけたと同時にドアベルの音が来客を知らせた。
「あ! いらっしゃいませ!」
ココアは女性客に話しかけ、二言三言言葉を交わす。
「へえ、ちゃんと接客出来てるじゃないか」
「はい。心配は無いみたいですね」
どうやら先輩従業員からの評価は上々のようだ。
接客を終えたココアがカウンターに戻ってきた。
「やったー! 私、ちゃんと注文取れたよ! キリマンジャロ! お願いします!」
「おー」
「偉い、偉いです」
満面の笑顔で報告するココアに対して先輩方の反応は少しばかりドライだった。
「そういえばチノちゃん。この店の名前はラビットハウスでしょ? ウサ耳着けないの?」
唐突なココアの提案にチノは呆れ顔を浮かべた。
「ウサ耳なんて着けたら違う店になってしまいます」
「えー、リゼちゃんとかウサ耳すごい似合いそうじゃない?」
「そんなもん着けるか! でも……」
ウサ耳、そういうのもあるのか。とタクトが一人で納得しているといきなりリゼが赤面して騒ぎ出した。
「う、うわあああ!! ろ、露出が高すぎだ!!」
「う、うさ耳の話だよ!?」
リゼの様子を見てタクトは想像した。バニースーツを着用し、ウサ耳バンドを着けた三人の姿を。
「確かに、リゼとココアはともかくチノからは謎の犯罪臭が……」
「お前は何を想像してるんだ!!」
「タクトさん……不潔です……」
リゼとチノの冷ややかな視線を受けながらタクトは空になったカップに口をつける。
「じゃあ教官! なんでラビットハウスなのでありますか! サー!」
「……そりゃあ、ティッピーがこの店のマスコットだからだろ?」
リゼにそう言われて改めてティッピーを見てみる。一応アンゴラウサギという品種ではあるが初見でウサギとは分からないだろう。
「んー、でもティッピーはウサギっぽくないよ? モフモフだし」
ウサギのトレードマークといえばピンと伸びた耳だがティッピーの耳は毛に埋もれてしまっている。
「じゃあココアだったらなんて店名にするんだ?」
「ズバリ! モフモフ喫茶!」
「まんまだな……」
「いやそれは流石に……」
タクトがふとチノを見てみると目を輝かせていた。
「モフモフ喫茶……!」
「……気に入ったのか」
ラビットハウス存続の危機と孫の喜ぶ顔を天秤にかけたティッピーは複雑そうな顔を浮かべるのだった。
その後も数人の客が来るものの繁盛しているとは言えず、四人と一匹でまったりと過ごした。
タクトがふとカウンターに目を向けるとリゼが何やらカップにミルクを注いでいた。
「あれ? リゼちゃん、それは?」
「ラテアートだよ。カフェラテにミルクの泡で絵を描くんだ。ほら、こんな風に」
完成したラテアートを見てみると、ハートがいくつも重なったような模様が描かれていた。
ココアもタクトもその出来の良さに感嘆の声をあげた。
「どうだ? やってみるか?」
「絵なら任せて! これでも金賞貰ったことあるんだ!」
「小学校低学年の部、とか言うのは無しな?」
「……」
「……まあいいや。手本としてはこんな感じだ」
そう言ってリゼは新たにハート、花、猫のラテアートを作った。どれも作品としての完成度が高い。
「すごい! リゼちゃん絵上手なんだね!」
「そ、そうか?」
「うん! ねえ、もう一度やって!」
「し、しょうがないな! 特別だぞ? ちゃんと覚えろよ? タクトもしっかり見とけよ?」
リゼはカフェラテをもう一杯入れた。そして深く深呼吸した。
そして動き出す。
まず、器用な動きでカップにミルクを注ぐ。
さらに浮き上がったミルクの泡にエッチングを施していく。
「うおおおおお!!」
その手さばきは常人のそれを逸脱したもので、素人であるココアとタクトの目では捉えられなかった。
そして、リゼの動きが止まる。
「……完成だ!」
完成したラテアートは戦車だった。細部まで忠実に再現されたそれは、小さなコーヒーカップの中で大きな存在感を放っていた。
「これは……」
「いやー全く上手くないって! 私なんて!」
「上手いってレベルじゃあ……というか人間業じゃないよ……!」
ココアにさりげなく普通じゃないと言われてもリゼは気付かなかった。
「よーし! 私もやってみるよ!」
「頑張れ」
ココアは真剣な表情でカフェラテにミルクを注ぎ始めた。そして数十秒後、ココアのラテアートが完成した。
「うぅ……なんかイメージと違う……」
「どれ?」
「見せてくれ」
リゼは彼女の作品を見る。
そこには口がズレて不機嫌そうにしているウサギがいた。
「……!」
「わ、笑われてる……!」
どうやらリゼにとってどストライクだったらしく、乙女チックな表情を両手で隠している。
それを笑われてると捉えたらしいココアはショックを受けた。
「もー……あ、そうだ! チノちゃんとタクト君も描いてみて!」
「俺もか?」
「私もですか?」
「うん! はいカフェラテ!」
ココアはいつの間にか用意していたカフェラテを二人に渡す。
それを受け取った二人は黙々とカップの中に絵を描き始める。
「どんなのができるか楽しみだね」
「あの二人の絵は確か……」
「できました」
先に仕上がったのはチノだった。
二人が彼女の持つカップを覗く。
「こ、これは!」
そこにはキュビズムに則って描かれた人の顔があった。様々な角度から観察された顔のパーツ全てが一つの平面に見事に収まっている。
「こっちもできた」
ココアとリゼがチノのカップに夢中になっていると、もう一つの作品が完成した。
「どんな感じ――!?」
タクトの作品は、ミルクで描かれた縞模様の上に無数の斑点を散りばめられているというものだった。
チノとタクトは互いのカップを覗き合った。
「チノのそれはマスターか。かっこよく描けてるな」
「ありがとうございます。タクトさんのは春ですね。とても綺麗です」
「ああ。ありがとう」
「なんで分かり合っているんだ……」
二人は互いの作品を褒め合うが、どうやらリゼには分からなかったようだ。
「わーい! 二人も仲間!」
一方これが抽象美術の一種だと気付かないココアは二人の手を取って喜んでいた。
「ち、違うぞココア……これは私達のと一緒にしちゃ……」
ココアに手を繋がれている二人は彼女がなぜ仲間と言うのか分からなかった。
最後の方に出てくるチノのラテアートが云々というのは俺の勝手な考察なので間違ってるかも知れませんのであしからず。