春休みというものは若者たちに癒しと安らぎを与える、言わば聖母のような存在である。しかし、どんなものにもいつかは終わりが来る。
「……」
そして彼は現在、自宅でノートとにらめっこをしていた。
「終わりが来ない……」
そう、宿題だ。春休みは高校生にとっても暖かい存在だが、それと同時に悪魔が潜むのである。タクトは春休みが始まる前にもらった問題集をつい数日前に発見したのだ。
「……」
今の時刻はちょうど学生が登校するころだ。休みであるにも関わらず、学校がある時の癖で早く起きてしまったのがタクトだ。朝食を済ませて特にやることもなかったので気まぐれに春休みの宿題をやり始めたのだ。
「……やっぱりめんどくさいな。やめるか」
宿題をやり始めて三十分、彼は解きかけの問題を閉じて立ち上がった。
私服に着替え、腕時計を着ける。
「……散歩にでも行くか」
ゲームや本を読むという手もあるが、なんとなく気が乗らなかった。彼の行動理念は気まぐれなのだ。そうして宿題に手を出してみたが、残念ながら彼は決して勉強が好きということはなかった。
タクトがあてもなく街をぶらついていると後ろから声をかけられた。
「あ! おーい! タクト君!」
何事かと思って後ろを振り返ってみると、そこには大きく手を振っているココアがいた。よく見ると彼女は高校の制服を着ている。
「ココアか。おはよう。学校か?」
「おはよう! そうだよ。タクト君は今日は学校じゃないの?」
ココアはタクトの私服姿を見て首を傾げる。
「ああ。俺達の学校は明日からなんだ」
「そうなんだ。私はこれから入学式なの!」
彼女は嬉しそうにその場でくるりと回った。
タクトはそれを見て微笑んだ。
「制服、似合ってるな」
「ありがとう!」
嬉しそうに笑う彼女の姿を見てタクトはいい暇つぶしを思いついた。
「そうだ、俺今暇だから少しついてっていいか?」
「うん! いいよ! じゃあ一緒に行こう!」
そう言って先を歩くココアの後ろを歩きながらタクトはこう思った。ラビットハウスには随分と面白い新人が入ったな、と。
ココアと一緒に学校を目指して数分後、タクトは街の公園にたどり着いた。
「なかなか学校に着かないなあ……」
「迷ったのか?」
「大丈夫だよ! って、あー!」
ココアは公園でたむろしている野良ウサギに近寄った。
彼女はウサギに目が釘付けになり、ウサギもまた彼女を見つめる。
「これが噂に聞く……野良ウサギ!」
そして、彼女はウサギを抱き寄せここぞとばかりに撫で始める。
タクトは穏やかな気持ちで彼女を見つめる。
「はわぁ……モフモフ……気持ちいい……」
タクトは気持ち良さそうにウサギを愛でるココアを見ながら以前出会った金髪の少女のことを思い出した。ココアとは対照的にウサギからとにかく離れようとしていた彼女を想像してタクトは小さく笑った。
「モフモフ天国〜……あ!」
何かに気づいたココアはウサギを撫でる手を止めた。
タクトが彼女の視線を追うとその先には栗羊羹をウサギの前でゆらゆらさせている少女がいた。
和服が良く似合う黒髪の少女だ。
「おいでー、おいでー……食べないわね。うちの子は食べるのに……あら?」
ココアはいつの間にか彼女に近づいて栗羊羹を凝視していた。
少女はそれに気づいてココアに栗羊羹を差し出した。
「食べる?」
「いいの?」
「ええ」
「ありがとう!」
ココアは栗羊羹を受け取った。
ウサギじゃなくてココアが食いついたという状況にタクトは思わず笑ってしまった。
するとどうやら少女はタクトにも気づいたようだ。
「あら? この子のお父さん?」
「年齢的には兄か?」
「そうなの?」
「タクト君って年上だったの?」
「そこからか」
タクトがココアに年上に思われてなかったことはさておき、とりあえず三人は公園のベンチに座ることにした。
「私はココアだよ!」
「俺は白波託兎、タクトでいい」
「ココアちゃんと、タクト君ね。私は宇治松千夜よ。よろしくね」
タクトが深みを感じる名前だと思っている横でココアは栗羊羹を美味しそうに頬張る。
「それにしてもこの栗羊羹凄く美味しいよ!」
「気に入ってくれた? ふふ、それ自信作なの」
「千夜は和菓子を作ってるのか」
タクトがそう聞くと千夜は嬉しそうに立ち上がった。
「ええ……それは幾千もの世を行く月……名付けて千夜月! 栗を月に見立てた栗羊羹よ!」
「へえ、いい名前だな。なあココア」
「うん! 意味はよくわからないけどかっこいい!」
「うふふ……私達、気が合いそうね! それにココアちゃんの制服、私と同じ学校みたいね!」
「そうなの? ……あ! 忘れてた!」
ココアは何かを忘れていたようだったが、学校という言葉で思い出したらしい。
「入学式! 遅れちゃう! 千夜ちゃん、一緒に行こう!」
「え? でも今日は――」
「じゃあねタクト君! 私達は急ぐから!」
そう言ってココアは千夜の手を引っ張って走っていった。タクトはそんな彼女達に手を振った。
が、数分後。
「あれ!? タクト君!?」
「おかえり」
「ま……待って、ココアちゃん……」
彼女達は戻ってきた。
千夜は大分疲れているようで肩で息をしている。そして途切れ途切れに彼女は言った。
「はぁ……はぁ……あのね……? 私達の学校……入学式は明日なの……」
「え?」
ココアが信じられないことを聞いたという表情で千夜を見る。
ようやく落ち着いた千夜がもう一度言う。
「だからね? 入学式は明日よ?」
彼女からその言葉が発せられたと同時にココアの顔がだんだん赤くなっていく。
「うわあああああ!! 恥ずかしい!!」
ついには恥ずかしさでその場にしゃがみこんでしまった。
タクトはそんなココアをとても慈悲深い目で励ました。
「まあ、間違いは誰にでもあるさ。強く生きろ」
「やめて! そんな優しい声で励まさないで!」
千夜はそんなココアを見て小さく笑って言った。
「ふふ……面白い子。ココアちゃんが迷わないように皆で学校へ下見に行きましょう?」
「うぅ……女神様……!」
その後なんとか落ち着いたココアはタクトと千夜に連れられて一つの学校にやってきた。
「はい。ここが私達が明日から通う学校よ」
「うわぁ……! ここが私の新しい学び舎かぁ……」
何やら感動をしているココアだが、目の前の学校に違和感を覚えたタクトはこっそりと千夜に聞いた。
「ここは?」
「あら? 私ったら、間違えて卒業した中学校に来ちゃった」
間違えたのなら仕方がないとタクトは納得した。そして千夜とは気が合いそうだと改めて思った。
一方で事情を知らないココアは通うことのない学校に青春の思いを馳せるのだった。
その後ココア達と別れ、タクトは一度家に帰った。昼食を食べ、洗濯を済ませた彼はラビットハウスに足を運んだ。
「いらっしゃいませ! あ! タクト君今日も来てくれたんだね!」
扉を開けるとココアがテーブルの掃除をしていた。どうやら高校に行けなかった代わりに店番をしていたようだ。
「ああ。ところでココア、高校はどうだった?」
「……もう。わかってて聞くのはデリカシーがないよ」
タクトの問いにココアは頬を膨らませる。その様子を見てタクトは笑う。
「ふっ……いつものを頼む」
「笑わないで! ……オリジナルブレンドだね。ちょっと待っててね」
二人がカウンターに向かおうとしたところでドアベルが鳴る。
「ただいま」
どうやらチノが中学校から帰ってきたようだ。
「チノちゃんおかえり!」
「おかえり、チノ」
「タクトさんも来てたんですか。ココアさんは高校はどうでしたか?」
チノの質問にココアはびくりと体を跳ねさせた。
「こ、この街って可愛い建物がたくさんあって素敵だよね!」
「そうですか? 高校の方はどうでしたか?」
「まるで童話の中みたいだね!」
自分の醜態を晒したくないのか目を泳がせながら話をそらそうとするココア。
事情を知らないチノはタクトに話を振った。
「タクトさん、ココアさんはどうしたんですか? 学年は違くても確か同じ学校ですよね?」
「え……? 同じ……学校……?」
チノの言葉にココアはきょとんとした表情で聞き返した。
「はい。この前タクトさんからタクトさんの学校の女子の制服はセーラー服だと聞いてましたので、もしかしたら同じかと思ったのですが……違いましたか?」
タクトはチノの推理力に驚いた。それと同時に若干の冷や汗が流れるのを感じた。ココアが肩を震わせていた。
「ふ、ふふ、ふふふふ……」
「こ、ココアさん……?」
チノはココアの様子に怯えてタクトの後ろに隠れた。
「タ、ク、ト、く、ん……?」
タクトはとてもいい笑顔で迫るココアに後ずさりしようとしたが、後ろにチノがいたためそれは叶わなかった。
「……俺はちゃんと教えたぞ?」
「お姉ちゃん、嘘は良くないと思うなー……」
絶対零度よりも冷たい声でそう言うココアに向かってタクトは声を震わせながらもはっきりと言った。
「う、嘘じゃない。ちゃんと思い出してくれ。ほら、朝ココアと会った時……」
そう。彼は彼なりに教えていたのだ。今日は学校が無いと。
「『俺達』の学校は明日から、って……」
それを聞いたココアの顔はみるみる赤くなっていった。
「……え? いや、だって……え?」
「まあ、途中から面白くなって黙ってたのもあるけど」
「やっぱり!! ……もう!! タクト君の馬鹿!! 大馬鹿!!」
彼女は近くのテーブルに突っ伏してタクトを罵倒し始めた。既に先程までの覇気は失せている。
そんな彼女にタクトは恐る恐る声をかけた。
「ところで、俺の注文は……」
「知らないよ!! 自分で入れて!!」
客の注文を突っぱねて拗ねてしまった新人さんを見て、タクトは彼の後ろで唖然としているチノに話しかけた。
「……注文良いか?」
「……どうぞ」
「お姉ちゃんを慰めてやってくれないか……?」
「……自分でやってください」
その後タクトは下校してきたリゼに協力してもらい、二人がかりで慰めてやっと口を利いてもらえた。
ココアだけは本気で怒らせてはいけないと胸に刻むと同時に、次はもう少し加減しようと思うタクトだった。
因みにタクトは結局宿題は諦めた。彼曰くやる気が起きなかった、とのこと。
彼はどこまでも気まぐれで、冗談好きなのだ。
俺は長期休暇の宿題は最後の方にやる派でした。と言ってもほとんどできずに終わってしまいます。
言い訳をしまくって先生が忘れるのを待つというのは俺の常套手段でした。その結果、テスト順位は毎回下から数えたほうが早かったです。
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