暗闇に一筋の光る線。
それが煌めく度に形容し難い怪物が斬り裂かれる。一刀の元に斬られるものもいれば、複数の線と共にバラバラにされるものまで。
斬って、斬って、数すら数えるのも無理だと思えるほど斬り続けた。最初の数体の返り血によって全身が血まみれになり、持っている刀など黒から朱へと変わっている。
どのくらい斬った?
後、どのくらい斬ればいい?
そんな疑問も直ぐに消えていく。そのような思考すら斬る上で邪魔だった。
奴らを斬れば斬るほど、奥に進めば進むほど、思考はクリアになっていく。
ゆっくりと見える世界で彼──天道和光は刀を振るう。
全ての感覚が研ぎ澄まされ、脳にあるリミッターが外れたとき、感覚は常人とはかけ離れたものとなる。見る世界がスローモーションとなり、常に火事場の馬鹿力のように身体能力がはね上がる。
和光は
大量に血を浴び、大量の死骸の上に立ち、それでもなお剣を振るい続ける。
一騎当千を体現した姿は多くの者に見られながらも誰も素性を知らない。
忽然と現れ、戦場を駆け巡りガストレアを軒並み斬り殺していく。その神出鬼没と剣のみで戦う姿から畏敬の念も込めて『剣鬼』と呼んだ──
「──と、呼ばれているそうだが?」
「うるせぇ。次、その二つ名を言ったら叩き斬るぞ」
廃墟となった建物の中でランプの光源を中心に話し合う二人の男女。同じ陸戦服に身を包み、レーションを齧りながら話している姿は仲が良く見えるが片方が一方的に話しているだけである。
その一方的に話していた彼女は肩を竦めると、簡易コンロで暖めていたスープをステンレス製のマグカップに注ぎ、ひと一人分ぐらいの距離が離れて座っている和光に手渡す。
「レーションばかりでは身体がもたないだろう。飲みたまえ」
目の前に突き出されたコップを訝しく思いながら渋々といったように受けとる和光。
「何か入れてないだろうな?」
「心外だな。私がそんなことをする風に見えるかい?」
「出会い頭に発砲してくる奴が言えた口じゃないだろ」
それに対して彼女は少し口角を上げるだけで何も言わない。和光は顔を歪めながら恐る恐るコップに入った物を口に含む。
「......コンソメ?」
「正解だ。
「戦場に持ってくるのは邪魔だと思っていたが......考えを改めるか」
和光や彼女の所属する部隊は少し特殊で単独、又は
食料など現地で調達することは良くあることで、手早く栄養を補充できる物を採ってはそのまま食べたり、熱を通すだけで終わらせることばかりだ。
しかし、彼女の言う通り一種類程度ならそこまで邪魔にならず味気ない食事も少しは良くなる。
「......七味だな」
「本気で言ってるのかい?」
神妙な表情で呟いた和光に彼女はギョッとした。
「冗談だ」
「君は......」
冗談を言ってくれるぐらいには打ち解けてくれたことを素直に喜ぶべきなのだろうが、突拍子も無く、神妙そうな表情で言われたら本気にしてしまう。
飲み終えた和光はコップを彼女に返すと身体の凝りを取るように節々を動かす。
「十分後、目的地に向かって出発する。敵の層も厚くなるだろうから武器の整備はしっかりとしとけよ」
身体を解し終えた和光は横に立て掛けていた近代化された鞘から黒闇とした刀身を抜き舐めるように見る。その姿を彼女はじっと見ていた。
「......もし、今日が私の命日に成り得るならばあの時の問いに答えてくれないか?」
唐突に紡がれた言葉に和光は見向きもしなかった。その代わり刀身を鞘に直し廃墟の窓から見える星を見た。
「俺達が人であるために必要な物は何か、だったか?」
ガストレアという脅威に対抗すべく造られたのが彼等。もし人である証がこの身であるのなら、彼らはもう人ではない。人の皮を被った兵器だろう。
対抗すべく身体の一部どころか大部分を機械に置き換え、自身を対ガストレア兵器とし、その身を犠牲にして戦う。
そうでなければ戦えない。守れもしない。それほどまでにガストレアとは怪物だった。
その怪物を相手する自分たちは人間か、それとも同じ怪物か。
「『心』とか、『愛』とか、俺たちが人だって胸張って言いたいなら、そんな漠然としないもんを大切に持っとくしかないだろ」
即ち感情をどう持つか。
和光は機械であろうと感情を持っているのであれば人と同等に扱うだろう。しかし、逆に人間が感情の無いのであれば、それは物と変らない。
ただ命令を聞く物になり果てた者を和光は知っている。故に、彼は感情があれば人と胸を張って言えると思っている。
そもそも、彼女がこのようになること自体珍しい。何かしら感化されたのか、もしくは、この先に待ち受けているガストレアに思うことがあるのか。
「......愛、か。私には縁も所縁も無い言葉だ」
「なら、見つければいい話だろ」
「見つける? 私が?」
その時、やっと和光は彼女と向き合う。何を言っているのか分かっていない彼女に和光は憐れむよう視線を向けた。
「ここに来るまでに街を通ったよな? あの時、道端に落ちていた人形を拾って何を思ったんだ?」
「それは──」
人が消えた街。
廃都となって一年経っていないであろう街にはまだ人の暖かさが微かに残っていた。ここの住人はとても幸せに暮らしていたに違いない。だが、たった一晩で地獄と化した。
その時の惨状が目に見えるように映し出される光景の中、彼女は道端に落ちていた熊の人形を手に取り酷く哀しそうな表情を浮かべ......。
「......分からない」
「そうか......そろそろ準備しろ」
自分たちがやることは変わらない。戦争に勝ちたいなら、生き残りたいのなら、迷いや葛藤など生死に関わる。
しかし、分からないなら、迷いを持っているのなら、それは人間らしさと言えるのではないだろうか。
しかし、未だ動き出そうとしない彼女にもう一度、声をかけようとしたとき。
「──和光くん、なら私に愛を教えてくれないか?」
「......ん? ん?」
彼女の言った言葉で動き出そうとした体が一瞬にして硬直する。彼女の言葉を何度も頭の中で反芻し、その意味を推し量る。
「──いや、待て待て! お前何言ってんの!?」
「聞こえてなかったのかい? あ、あまり何度も言うのは恥ずかしいのだが......」
「何恥じらってんだよっ!? そんな所で乙女とか見せなくていいから!!」
「むっ、失敬な。これでも私は『女』を捨てたわけではない。この
「──変なことを口走るなッ!! というか今、戦時中だぞ! しかもド真ん中! 分かる!?」
そういうと彼女は端正な表情をムッとさせる。立ち上がるとともに体も顔も密着させるように近付いてきた。
女性にしては長身でスラリと伸びた手足。それに不釣り合いな豊満な胸。しかし、それが更に彼女の魅力を高めている。相貌も彼女の娘として現れる小比奈と呼ばれる少女を彷彿とさせるような可愛らしいものだが、どちらかと言えば美人といった言葉が似合う女性。愛らしいより美しい美貌。
絶世の美女だと言われても可笑しくない容貌をした『蛭子影胤』が和光の前に現れたのだ。
それこそ、最初は嘘だと思っていた。原作とは大きく、というかそもそも性別自体が違うので信じてなかったが、戦場で見たあの斥力フィールドと戦闘中の垣間見る残虐性は蛭子影胤その人。
それでも信じられなくて色々調べまわった。それこそ執刀医に聞きに行くほど。
しかし、現実では、この
「君は私と同じで戦場でこそ昂ると思ったんだが......恥ずかしがらなくていい。私も濡れてしまってるからな」
「おまっ!? 近寄るな変態!! なまじ顔がいいから余計不気味だッ!」
その場から、飛び退き指を突き付け和光は影胤に物申す。それに影胤は少し驚いたのち妖艶な笑みを浮かべた。
「ほう? どうやら私の容姿は君の趣向に沿うもののようだ。いいことを知った」
「なっ、くっ! い、いいから行くぞ!」
否定が出来ない。こうして分かりやすい反応を見せることしか出来ないぐらいには彼女は魅力的に見えた。
この任務を経て、偶に一緒に行動する程度の中であった二人だったが、影胤の策略により任務では必ず和光と影胤はワンセットとして扱われるようになった。その度に、和光は色々と影胤を避けるようになり、それが逆に影胤の火を点けてしまったことになる。
影胤から逃げる為にも一人で任務を達成出来るように実力と実績を手に入れるために必死に戦う和光と、その後を追うごとに残虐性が増していく影胤。
最強の矛と最強の盾。その矛盾に勝てるものなどそうそう存在しなかった。
✝️
突如、現れたガストレアによって瞬く間に人類の半数が死滅した。無論、人類も抵抗はした。
しかし、十年前のガストレア戦争を皮切りに人類は事実上敗北。そのまま『モノリス』の内側へと閉じ籠もり束の間の平穏を手に入れる。
日本もその一つであり、今では東京・大阪・札幌・仙台・博多のエリアに分断され、それぞれの統治として政治制度ではなく統治制度になっていた。
その中の一つである東京エリア。
第三十九区と呼ばれる外周区で彼は舗装されたアスファルトの真ん中を両手一杯に紙袋を四つも抱え堂々と歩いていた。しかし、そのことを咎める者などいない。いるはずがなかった。
その外周区はモノリスと接している国境線区域のため誰も住みたがらない廃都だ。故に、人はいない。
中心部で小さく見えていたモノリスもここまで来ると大きく偉大に見えた。それほど、普通の人が近づかない最奥部まで来ると彼は一つマンホールの前で止まる。
抱えた紙袋を下したのち三回ほど蓋を叩く。するとしばらくしてから重い音をあげながら持ち上げられ「なにー?」という舌足らずの言葉とともに年端もいかない少女が顔を出す。
「マリア。お土産いっぱい買ってきたぞ」
そう彼が笑み交えて袋を持ち上げればマリアと呼ばれた少女は顔を喜色に染めて半開きだった蓋をひっくり返すように開けた。
「おかしある!?」
「おう、みんなで食べきれないぐらいな」
「やったー! はやくはやく!」
「危ないから引っ張るなって」
早く食べたくて仕方ないのだろう。マリアは彼の右手を万力のように握りしめている。
「マリア、気持ちは分かるが力加減」
「あう」
掴んでいた手を小手先だけで解いて体全体まで飛び出してきていたマリアの頭に手を置く。乱雑に撫でらているのにマリアは嬉しそうにしていた。
彼は撫でているその右手が少し動きにくくなっているのを気が付き、そっと手を離した。
「この二つを持ってくれ。俺も入る」
「うんっ!」
彼も右手に紙袋を下げ、ゆっくりとラッタルを降りていく。降りた先の暗闇には赤い光点が幾つも見えた。足が地面に着いたとともにその赤い光点が一斉に彼を中心に集まる。
「
「カリン、おじちゃんじゃないから。まだまだ若いから」
赤い光点、その正体は少女たちの目の色だった。体に纏わりついてくる少女たちにもみくちゃにされる。
マンホールチルドレン。戦争中、親兄弟を失い孤児になった子供たち。その中でも多く故意に捨てられた『呪われた子供たち』だ。
「じゃあ、わかがしら!」
一人の少女が言ったのを皮切りに面白おかしくみんな「わかがしら」と言い始める。
「じゃあって、何処でそんな言葉を覚えたんだ......?」
知識の偏りに少し苦笑いが零れる。おそらく長老が偶に見ている時代劇を参考にしたのだろう。
少しずつ暗闇に慣れてきた目で周り見ればいつの間にか右手に下げていた紙袋がなくなっており、奥の方で紙袋を持って走っていく少女たちの姿が辛うじて見えた。
「おい......まあ、いいか。ほら、お前たちも行ってこい。お菓子が取られちまうぞ?」
そういえば、少女たちの群れは一斉に奥の方へと急ぎ足で向かっていった。和光もその後に着いていくよう歩いていく。下水道ということで匂いは仕方ないが、それ以外はずいぶんと清潔であり彼女たちが暮らすには十分の広さが確保されていた。
奥までいけば開けた場所に出て明かりがある。その中心で先ほど持ってきたお菓子を幸せそうに食べている少女たちが見えた。
「和光くん。いつも悪いね」
奥からゆっくり白髪の小柄な男性が現れ和光の横に並ぶ。微笑みながら少女たちを見ている彼は、少女たちからは長老と呼ばれており、ここで自発的に面倒を見てくれている人だ。
しかし、まだ長老と言われるほど老けていない。笑うと更に柔和な感じが増す人だ。
「松崎さん。体調の方は大丈夫ですか?」
彼も一緒にこの下水道で暮らしている。自発的とはいえ松崎さんは彼女たちほどこの環境に強いわけではない。
しかも決して若いわけではないのだ。いつ体を壊してもおかしくないと和光は思っている。
「ええ、彼女たちには元気を貰ってますから」
だが、和光の心配も他所にとても元気そうだ。
「して、何か困りごとでも? また捕まえてきましたか?」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい」
確かにカリンを筆頭とする何人かの少女たちはここに来るように勧めたりしたが、決して捕らえてきたわけではない。
松崎さんも冗談で言っているのが分かるが、そんな冗談を言うのは珍しい。
「そんな気難しい顔をしているとみんなが怖がってしまいますよ」
言われて思わず顔を触った。見ているには微笑ましい風景のはずだ。笑顔でお菓子を食べみんなが笑いあっているというのに、どうしても嫌な事ばかり思い浮かぶ。
「......失敬。少し面倒ごとがありまして。近々ここを拠点に少し動き回ります」
「そうですか......でしたらうんと遊んであげてください。その方が彼女たちも喜ぶ」
「すみません、ご迷惑をおかけします」
今一度、彼女たちを見たのち気づかれないように来た道を戻る。
何度もガストレアを殺した。何度も仲間を救った。何度も戦った。しかし、何も変わらなかった。
今回のキーマンとなる蛭子影胤に愛を解き、人を解き、間違った方向に行けぬよう手を尽くしたつもりだ。だが、実際はどうだ。
奴は原作通りことを進めようとしている。俺の為だと言い張って。ならば、あのとき仲間であっても斬っておくべきだったのかもしれない。
それに、間違った方向に向かっているようにも思える。俺という異物が混じってしまったこの世界は。
✝️
『天童民間警備会社』
刑事の話では何でも上の階から血の雨漏りがするという通報があり、情報を統合した結果ガストレアの仕業という結果にいたり、今の現状がある。
そこから派遣──彼一人しか動けるものがいない上に名も売れていない民警だが──された彼、里見蓮太郎は『グランド・ナカタ』という普通のマンションのある一室の二〇二号室前にいた。
しかし、状況はなにやら悪化したようでポイントマンの二人が手柄を取られまいと勝手に突入したらしい。
そして、連絡が途絶えた。何とも馬鹿な事か。
「──どいてろボケ共! 俺が突入する!」
刑事、多田島は一瞬蓮太郎の瞳を覗き込むと、顎をしゃくって命令を下す。後ろに控えていたフル装備の警官がドアの前に配置を移し、
蓮太郎もベルトから拳銃──スプリングフィールドXDを引き抜き
つくづく面倒くさいことになってきた、と内心毒付きながらも二丁の散弾銃が火を噴き──ドアを蹴破って突入した。
最初に視界に飛び込んできたのはリビングに広がった夥しい量の朱い鮮血。続いて隠しようも無いほど濃密な血の臭い。そこで蓮太郎は信じがたい物を見る。
部屋の中心に長身の
スラリと伸びた手足にキュッと締まった胴体、服の上からも主張する胸。シルクハットに細い縦縞の入ったワインレッドのカッターシャツ。その上から黒のベストを着ている。そして、その胸の中心には十字架のネックレスが掛けれていた。
何より極めつけは、舞踏会用の
それを見計らったように女性はゆっくりと首を動かし、仮面の奥から鋭い視線が蓮太郎を刺した。
「民警くん、随分と遅かったじゃないか」
「なんだ......アンタ......同業者か?」
「確かに私も感染源ガストレアを追っていた。しかし同業者ではないよ。なぜならね──」
女性は芝居がかった調子で両手を広げる。
「──この警官を殺したのは私だ」
即ち、敵。そう分かった瞬間身体が反応していた。一瞬で間合いを詰めると、有無を言わずすくいあげるような掌打を繰り出す。角度、タイミング、全て悪くない一撃だ。
「へぇ、なかなかやるね」
女性は軽く受け流すとともに胸に衝撃。胸にめり込んだ拳打に蓮太郎は吹き飛びリビングのテーブルに激突──息が詰まる。
「ウン、私が女性だと分かっていても容赦の無い動きだ......が、遅い。それで本当に民警をやっていけるのかい?」
一体、なんなんだこいつは。
激痛に顔を歪ませながら片目を開くと、至近距離で仮面の女性がスラリとした長い足を天井高く上げていた。慌ててその場から転げ避けると、けたたましい破壊音と共にテーブルが叩き割れる。
蓮太郎は飛び退いて立ち上がるが、回避位置を予測したように側頭部を狙った回し蹴りが飛んで来る。
とても女性の力とは思えない威力の蹴りに、ブロックした腕ごと吹き飛ばされ壁に叩き付けられる。仮面の女性はそんな蓮太郎を見て小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
蓮太郎は気丈に構えながらも絶望的な実力差に気が遠くなりそうだった。その時、場違いな着信音が室内に鳴り響き、仮面の女性が電話に出る。
「
「──こっちを見ろ化物め! 仲間の仇だッ!」
警官がカービンライフルを構えていた、が仮面の女性はそちらを見向きもせず腰のホルスターから拳銃を
青いテクニカルベストから血が噴き上がり壁に飛散する。しかし、仮面の女性はそのまま連射し、瞬く間に三人いた警官を撃った。
「娘と会話をしているんだ、邪魔しないでくれるかな?」
その声色は先ほどの余裕や愉しんでいるような感じは全く無く、凍えるような低い声にゴミでも見るような視線をこちらに向けた。
その冷徹な視線に身体が竦むが蓮太郎は意を決し全力で間合いを詰める。
「天童式戦闘術二の型十六番──『隠禅・黒天風』ッ!」
お返しとばかりに放った回し蹴りは首の動きだけで躱されるが、素早く足を組み替えると続く二撃目『隠禅・玄明窩』を繰り出す。狙いを過たず放ったハイキックが仮面の女性のマスケラに直撃。
決まったと喜んだが、女性は衝撃で上半身だけが仰け反っただけで重心はほぼ動いてなく、何より携帯電話を離してなかった。
「うん、直ぐ合流するよ。そっちで待ってなさい」
女性は携帯電話を仕舞うとじっとこちらをみたまま動かない。その反応に蓮太郎は自分の攻撃が効いていないことに気が付いた。
「いやいや、お見事。油断していたとはいえまさか一撃を貰うとは思ってなかったよ。それに『天童式』......か」
と、一旦言葉を切って右肘を左手に乗せそのまま顎を右手に置くような恰好で思考し始めた。腕が内に寄ることで胸が強調されて、嫌でも視線を追ってしまう。
「はい、キミは
「ッッ!!?」
まさか、今のは
クツクツ、と何処か洗練された上品な仕草で笑う姿は格好も合間ってとても不気味に見える。これが、ドレスなど着ていたのならどこかのお嬢様と言われても疑わないだろう。
「ところで、キミ名前は?」
「......里見、蓮太郎」
女性はやはり、と言った感じに仮面の内側で目を細める。女性は優雅にベランダまで歩いて行くと手すりに手を置いた。
「里見くん、もしキミの
「ッ!? 何でアンタがあの人のことを!? 何者だ!」
「私は世界を滅ぼす者。そして、私を止めたいのなら彼を寄越すといい、それだけで私は止められる......
投げキッスのするように手を降りながら、女性はそのままベランダから飛び降りる。
強張った体は、しばらくの間縫い付けられたように動かなかった。蓮太郎は汗ばんだ掌を開き、ぐっと閉じる。
完全に舐められていた。あんな強いヤツが、この世にはいるのか。そして、何より幼い頃に姿を消した兄を......天童和光のことを知っており、何故か執着している。
呻き声が聞こえてきてハッと振り返ると、女性に撃たれた重傷の警官に仲間が必死に呼びかけながら担架に乗せられて運び出されていくところだった。
「しっかりしろ民警! 俺たちだってこの職業に就いた時から覚悟は出来ている。お前がいまやらなきゃならないのは──」
蓮太郎は舌打ちをしながら銃をもう一度構え直した。
「──わかってる! 『
部屋の押し入れなどを開け放ち、見落としの無いよう部屋中をくまなく探し回った......が。
「おいおい、どういうことだよ。どこにガストレアがいるってんだよ」
後ろから多田島の戸惑う声に同意をしながら拳銃を一度納める。
おかしい、どこにも感染源ガストレアがいないばかりかこの部屋の住人も見当たらない。この出血の量から生きているわけも無いく、生きていたもそう長く動かないハズだ。
「じゃあこういうことか? 『感染源』どころか『感染者』もどこかでまだほっつき歩いてるって?」
それしかないだろう。蓮太郎は頷く。
「多田島警部、至急この辺り一帯の市民を避難させて周囲を封鎖するように言ってくれ。まだ遠くには行ってないはずだ、俺達も外を探そうぜ。パンデミックが起こってからだと、左遷じゃすまないぜアンタ」
「蓮・太・郎・の・薄・情・者・めぇぇぇッ!!」
一人の少女が大声で歩いている。おしゃれなコートにミニスカート。底の厚い編み上げた靴をはいており、小刻みに左右に揺れるツインテールは少し大きめの髪留めで結ばれていた。
明らかに怒りを露わにしている少女に彼は声を掛けるのを一度躊躇ったが、声を掛けた。
「お嬢ちゃん、ちょっと道を聞きたいんだけど」
と声をかけて気が付いた。これでは不審者まる出しでは無いか、と。案の定、少女は驚き、突如飛び退いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。怪しい者じゃないんだ。ちょっと帰り道が分からないんだ」
少女はまんじりともせずこちらを見つめている。やはり、第一声が悪かったのだろう。どう誤解を解こうかと思案していると、少女はどこか困惑したような顔をした。
「お主、自分がどうなっているかわかっていないのか?」
「なんだって?」
一体、目の前の少女は何を言っているのだろうか。自分がどうなっているのか? それは、ただ迷子になっているとしか.......。
「......やはり、お主は気が付いていないのだな。じゃあ、自分の姿を見てみるといい。ただし、パニックにならぬようゆっくりと見るのだぞ。そうしたら妾の言ったことが分かる」
少女から発せられる不思議な諦め、その雰囲気に気圧されるようにして、自分の姿を見た。
「──なんだ、これは......」
腹部が真っ赤に染まっている。いや、腹部だけじゃない。肩口や喉まで引き裂かれたような大きな傷があり、今現在も鮮血を流し続けていた。
どうして今まで気が付かなかったのか。そもそも、何故痛みを感じていないのか。自分はどうしてしまったのかという疑問が湧きおこり、そして。
「思い......出した。そうだ、俺は無一文になって、それで......」
ふと見上げたしまったのが、一番の不幸の始まりだった。マンションのベランダで妻の実家へと電話をかけた時だ。人間サイズもある巨大な生き物がマンションの四階の壁に張り付いていたのだ。それが、こちらに気が付いたのを見計らうように真っ赤な両目を閃かせて襲い掛かって来て、
それで.......。
「......俺は、あのガストレアに殺されかけて必死で逃げて、ここまで来たんだ」
「感染源ガストレアに体液を送り込まれたな」
自分の肩口にある二本の牙のある傷跡をみれば分かり切ったことだろう。
「ああ」
諦めのような声が自然と喉から発せられていた。
戦時中、何回も見たテレビの内容を思い出す。実験用のラットはガストレアウィルスを投与されて数分後に凄まじい異形の姿になって産声を上げていたのを。
自分も今、遺伝子レベルで身体の構造が組みかえられているのだろう。
「じゃあ、君は民警の......?」
「うん、妾は『イニシエーター』
その言葉に笑ったつもりだったが、不格好な引きつった顔に変わってしまった。既に身体中が思うようにならない。
「......頼みたいことがある。妻と子供に、謝っておいてくれないか──いままで、ゴメンって」
「......承った」
それが彼が最後に見た世界だった。彼はあっさりと人の身体を留めていられる臨界点を突破し、手足が異常な速度で萎んだと思うと、体を突き破るようにして真っ黒な細長い足が飛び出す。
毛の生えた八本の長い脚、遅れて頭部の部分から四対の真っ赤な単眼が現れた。腹部は鞠のように膨らみ、口角からは濡れ光る二本の牙が生える。
その姿は人間に対して生理的嫌悪を与えて止まない。
──それは巨大なクモだった。
しかし、目の前の少女は逃げ出すことも悲鳴を上げることもせずただ静かに構えた。と、その時割り込むような声があさっての方向から聞こえた。
「ガストレア──モデルスパイダー・ステージⅠを確認。これより交戦に入るッ!」
少女は声の方を振り返る。
「蓮太郎!」
「延珠、無事か!」
延珠は走り出す。蓮太郎も両手を広げ彼女の元に走り寄った。わずかな時なれど別れ離れになっていた二人はそのまま抱擁を──交わすことも無く延珠の放った蹴りが蓮太郎の股間に直撃した。
「ぐあああああああっ」
蓮太郎は股間を抑えながら地面にうずくまる。彼岸の激痛にのたうち回りながらも、蓮太郎は顔を上げる。そこには身長一四五センチの少女、藍原延珠が両手に腰を当てて傲慢とした態度で蓮太郎を見下ろしていた。
「妾を自転車から放り出しておいて、よくもぬけぬけと妾の前に顔を出せたな」
「お、怒ってんのかよ?」
「当たり前だ」
そのまま二人はヒートアップしていく。幼女に蹴られるか美少女に蹴られるか、どちらかの二択を迫られた時に銃声が響いた。
「おい、お前等。敵を放って漫才か! 仕事しろ民警!」
生まれて間もないガストレアの皮膚は、銃弾が当たり血を噴き出していたが、次の瞬間凄まじい勢いで治癒し始めた。
ガストレアは撃った多田島の方に回頭して、シィィと鋭く鳴く。マズイ。
蓮太郎は叫ぶより早く走って体当たりで多田島の上体を倒す。
「うおッ、お前なにしや──」
巨大なクモの影が二人がたった今立っていた場所を恐ろしい勢いで擦過していった。多田島は青ざめる。そして、一旦、危機を脱したが延珠の悲鳴のような声が聞こえた。
「蓮太郎!」
勢いよく振り返ればクモの飛んだ方向には角から飛び出した民間人がいたのだ。
そんなバカな、避難警報は出てるはず!?
しかし、現に今にも襲われかかっている民間人がいる。延珠は咄嗟に足に力を込める。しかし、延珠であっても間に合わないだろう。それでも、と蓮太郎はスプリングフィールドを引き抜き撃──。
「『天童式抜刀術三の型八番──雲嶺毘却雄星』」
しかし、全員が呆気に取られた。知覚出来ないほどのスピードで抜かれた機械染みた刀がゆっくりと鞘に納まって行くのが蓮太郎たちがやっと認識出来た動作であった。
余りにも早すぎる上に無駄が一切無い。
ガストレアは自分が斬られたことすら認識出来ずにいたのだろう。もう一度、襲い掛かろうとした瞬間、無数の剣閃が走りバラバラに斬り裂かれた。
「──久しいな、蓮太郎」
もう何十年ぶり以来の再開となる義兄がそこにいた。
もう影胤は全くの別人と思った方がいいかと。