十七
まさか自分の受けた怪我を忘れて死にかけるとは……この海のリハクの目をもってしても見抜けなかった。
目が覚めたら何かベッドに寝かせられててその上点滴もぶっさされてびっくりした。しかも何故か横で空腹少女が寝てるし。とりあえず状況を確認しようと思い、空腹少女を揺り動かすとぐわんぐわん頭を振るだけで起きなかった。――あれ、そう言えば今何時だ?
明かりがついてる上に、周りの光景が見えないようにカーテンしてあるから状況がわからない。動こうにも点滴があって邪魔くさい、どうするか――そう迷ってるときにカーテンが開かれ男が入ってきた。
「む、もう起きたのか。いや、やっとと言うべきか」
お前かアレクセイ、ここはどこで俺は何があった。そう聞いた時
「仮にも自分の身体の事だから把握しといてほしいんだが……君、脇腹から出血し続けてたから血が足りなくて死ぬところだったぞ」
……マジかよ。
そしてアレクセイに「君はもっと自分の身体を労われ」とか「我々だって君を心配している」とか「この子を見ろ!こんなになるまで君を看病していたんだ」とか言って爆睡かまして涎を俺の布団にかけ続ける空腹少女を指さして、シンプルに汚かったから叩いた。
「あだっ……あれ、あれ?」
きょとんと俺の顔を見る空腹少女の顔が、あまり見ない表情で笑ってしまった。
アレクセイの交渉の結果、俺たち三人は防衛力として扱われることになったらしい。まぁ攻め入るには使えなさすぎるよね。
一通り設備の使い方を教えてもらい、さて訓練するかと思った瞬間腹が鳴った。どうやら二人も食事を取っていなかったらしく、三人同時に腹の音が鳴った。
「……先に食事にしようか」
アレクセイの言葉に同意する。空腹少女は相変わらず美味そうに食べるが、俺は相変わらず無味である。かー、お前ほんと味覚すげぇな。これが塩分取りすぎた現代人の末路だと思うとやはり塩分は控えるべきだったと後悔する。
「うーん、この謎肉ハンバーグ美味しいんですけど肉がなんの肉なのか分かんないから怪しいですね」
「考えないほうがいいぞ。この国は真っ黒だからな」
空腹少女の一言にアレクセイの無慈悲な一撃が突き刺さり、流石の空腹少女も躊躇うかと思ったがそんなことはなくまぁいっか!と言いながらバクバク口に運んでる。こいつメンタル強すぎだろ。俺はちょっと嫌になったよ。
「それで、君たちはこの後どうするんだ?君は病み上がりだから無理しない方がいいと思うが」
病み上がりとはいえ訓練しない事には強くならないからなぁ。でもまぁ無理のし過ぎは良くない。それはわかった。今回空腹少女が爆睡してなかったらあと何人かは生き残れた筈だ。
そして空腹少女が爆睡していた理由は昼間の訓練が原因である。つまり俺のせい。……ま、俺は自分のことで手一杯なんだ。悪いな。
ズキリと頭を鈍い痛みが襲ったが気にしないと抑え込む。
「体力をつけるのには賛成だ。君達二人はトリオン体を作れもしないからな」
だいぶ遠慮がなくなってズバズバ言うようになったなお前。ただし事実である。いいもんそんな便利なもの無くても俺死なねーし。死ぬけど。
「え……ま、またあの走り込みですか?」
当たり前だろ、お前体力無くて途中でダウンしたよな?
「そ、それだったらアレクさんもです!!私だけなのは不公平だと思います!!」
「悪いが私の本体はトリオン体だから、別に素の体力は必要じゃないんだ」
膝から崩れ落ちる空腹少女。飯食いながら崩れ落ちるとか器用だなー。
「ぜ、絶対訓練なんかに負けません!」
「はひぃ……も、もう無理ぃ」
訓練には勝てなかったよ――即堕ちすぎる。即堕ちと言っても既に三時間は走りっぱなしだから俺も汗だくで疲れてるが。少女ほど酷くないがな!
「あ、アレクさーん! 助けてー!」
「……さて、私はトリオン体操でもしてくるかな」
様子を見に来たアレクセイが空腹少女に声をかけられた瞬間さっさと逃げる。意気地なし!と空腹少女が罵声を浴びせるもまるで効果なし、既に視界の外に消えた。なんだそのトリオン体操って、初めて聞いたぞ。
まぁそろそろいいか……こう言うのは積み重ねて実るものだしな。
「……! じゃあご飯食べに行きましょうご飯!!」
その前に汗を流せ。話はそれからだ。
相変わらず無味の料理を口に放り込み、横でバクバク食べる空腹少女をチラリと覗き見る。いつもは抜けた要素の多い年相応の子だが、戦闘や命の危機に瀕した途端異常な勘の良さを発揮する。
……こうしてれば普通の少女なんだがなぁ。あの鬼神っぷりとの差が激しすぎる。
「アレクさんおかわり下さい」
「本当に良く食べるな君は」
そう言いつつご飯を装いに行くアレクセイ。いやお前パシられてんのかよ、初めて知ったわ。正規兵として前線を支えていた男が一人の奴隷兵士にパシられてる姿を眺めつつ、彼女が話しかけてくる。
「美味しいですね!」
「……ああ、そうだな」
内心一ミリも思ってない同意をする。美味しい?んなわけあるか、味がしない料理は料理とは言わない。飲み物も、料理も、味は土と変わらない。
匂いだってそうだ。料理らしい匂いはしないし、少女が言うまでさっきのハンバーグだって何の肉かなんて考えなかった。考える気すらなかった。何を食べても変わらないから。
「本当に……美味しいよ」
脇腹が抉れていたが、痛みを感じないのでシカトして汗を流す事にする。どうやら幸いシャワー施設が広めに作ってあるらしい。日本人としては風呂に入りたいものだが、このクソ国家に期待するだけ無駄である。
服を脱ぎ生まれたままの姿を晒し、板で区切られただけのシャワールームに入る。ある程度プライバシーには配慮してあるが、本当は奴隷兵士はこんな所は使用できないらしい。使えて川の水だそうだ。アレクセイ様々だな。
ノズルを捻ると、頭の上からシャワーが出てくる。まだ水だからクッソ冷たいけど、それが逆に心地いい。
こうやって落ち着くのは、何だかんだ久しぶりな気がする。普通に過ごしてたら突如侵略され、殺され、生き返ってまた死んで、生き返ってあの人だけはと抗い続けた。
結果がこれだ。元の星じゃない、どこにあるかもわからない人間を人間として見ないゴミ国家。そんな所で、ゴミ国家の為に、トリオン兵と戦っている。くそったれめ、現実にムカつく。
例え死んでも覆せないその事実が心底憎い。俺は本来こんな所にいるはずじゃない、俺には相応しい場所があったのだと。心の何処かで思う。
いつのまにか暖かくなっていたシャワーを浴び続け、汗と血を流す。脇腹が抉られているのに痛みを全然感じない。
益々人間離れしたなと自嘲する。痛みは感じないし、口に入れたものの味すらわからない。本当はとっくに理解していた。それでも、脳が拒否していた。
俺は普通だ。正常だ。異常じゃない。まだ正常だからこそ――響子に出会えると無理やり納得させていた。
軽口でも叩いていないと頭がやられそうだ。そんな絶望に包まれても――その全てを振り払う。
そうだ、俺の生きる目的は何だ?もう一度、アイツに出会う為だ。帰る方法がほぼない?絶望的?はっ、抜かせよ。
協力してくれる奴が少なくとも二人いるんだ――天才とベテラン。ほら、何も絶望的な物なんかあるもんか。逆に希望だ。
「そうだ。大丈夫だ。俺は、俺は、まだ、大丈夫だ。正常だ、出会える。そう未来があるんだ。安心しろ、気を張れ、足を止めるな……!」
壁に拳を打ち付ける。壁は凹み、パラパラと破片が落ちる。打ち付けた手から血が溢れるが構いやしない。
「どうした!?」
ドタドタとアレクセイが下着姿で突撃してくる。やめろよ、野郎の下着姿なんて見て何になるんだ。
「……ハァ、君は本当に学習しないな。いいかい?君がそうやって自分を蔑ろにしたり傷つけると一番大変なのは私なんだ。あの子はそれはもう悲しむし、そのまま放って置けないし君は何もしないしで私がやるしかないんだよわかるかい?最近ご飯の時とか何も言い返せなくなってきたじゃないか、別に私は尻に敷かれる為に君達と行動を共にしているわけじゃないんだ。もうほんと、彼女には勝てないよ……だから頼むからそういう行動はしないでくれ!」
お、おう、善処する。
「絶対だぞ!」
シャワーを終えて、アレクセイを待ちつつ適当に水分を拭う。タオルの貸し出しまであるとは正直驚きだ。奴隷兵士の身分なのにこんな贅沢していいのか。
「ふぅ、やはりこれだけは良いものだな」
シャワーから上がってきたアレクセイの顔には、でかでかと満足と書いてあると思うほど幸せそうだった。お前綺麗好きなのな。
「ああ、湯浴みは私達人間のできる最高の技術の一つだと思うくらいには好きだな。正規兵の私が言うのもなんだが、この国は本当に上層部がクソだからな。前線の兵士の楽しみといえば食事と湯浴みと夜の街を歩き回るくらいしかないのさ。まぁ夜の街を歩く機会なんか人生でも数回あるかないかレベルだが」
ほーん、こいつが風呂に出会ったら死んででも自宅に導入しそうだな。
「風呂……?」
おうそうだよ。桶っつーのかな、人間一人がゆっくりと腰を下ろして身体に負荷を与えないくらいの大きさに掘られた穴に湯を張るんだがこれがまた良いんだよなー。
「……ぜひ詳しく教えて頂きたい」
めっちゃ目が輝いてますけど、こいつテンプレかってくらいキャラクター出来てるな。あと俺は専門家じゃないから教えられないぞ。見様見真似でやっても失敗するだけだし。
「こうなったら君達の国まで行くしかないな……!」
それでいいのか正規兵。……ま、暇が出来たら教えてやるよ。俺のにわか知識でよけりゃな。