七十六
色んな場所を回った。荒野の戦場、草原の戦場、森の戦場、市街地での戦場――ほぼすべての戦場という戦場を回った。
何度も死んだ。首を刎ねられ、胴体を断ち切られ、銃撃が当たって、砲撃で消し飛んで。
それでも進んだ。前を向いた。
希望をもって、目的を忘れずに。
必ず帰る、それだけを胸に。
―――
――
―
「――こうして三人揃うのも久しぶりだな」
アレクセイが言う。確かに三人全員揃うのは随分久しぶりかもしれない。少なくとも俺の記憶の中では、
俺と少女は相変わらず戦場を駆け、アレクセイが新たに構築した夜間防衛システムを広める為に色々やった。本当に色々あった。
最近になってセミロングから伸びた髪をごまかす為によくポニーテールにしている少女が、その黒い髪を揺らしながら言う。
「私は定期的に帰って来てましたけど、どこかの誰かさんが戦ったまま帰ってこないとかよくありましたからねー。その度にどれだけ心配したか……」
ジト目でそういう少女に何も言えなくなる。いや、悪いとは思ってる。でもあれじゃん、撤退するときって殿が必要じゃん?
「へぇ~~~~~」
すみませんでした。
「分かればいいんですよ。……やめるつもりは無いんでしょうけど」
チクリと胸が痛む。最近になってよくこういう痛みが出るようになったから更にイライラが募る。どうせ痛みを感じないなら何も感じないようにしてほしい。そっちの方が効率良いから。
余計なことは置いておいて、俺達がこうして集まったのにも理由がある。
「……いつの間にか尻に敷かれてる……んん、それで本題に移っていいか?」
おう、頼む。
「ついに敵に
黒トリガー……ってなんだっけ。
「トリオン能力が優れた人間が、その命の全てを籠めて作るトリガーだ。ある程度トリガーを理解していて且つトリオン能力が優れていないと作れない所為で優秀な人材しか作る事が出来ない。ただしその分その性能はワンオフ、単騎でノーマルトリガー相手ならどれだけ戦っても負けることは無いだろうな」
それってこの国にもあるのか?
「あるにはある。だが本数が少ないからな、階級制度があっただろう? あれは黒トリガー適合者を探し、優秀な人材を見つける為に始めた物らしい」
今のところ味方で使ってるやつは見たことないけどな……。そんな強力な奴が居たらあそこまで苦戦してないし。
「第一等級の奴しか使えないからな。というより、第一等級は黒トリガー使いしか居ないんだ」
侵略部隊として他の国に侵略する役割はどうなってんだ。第一等級は黒トリガー使いしかいないってことは、第二等級までが通常のトリガー使いの限界なのか?
「そういう事だ。侵略部隊は第二等級総勢三十名から半分選ばれる」
成程ね、第二等級の上位になれば確実って訳か……あれ、てかそもそも黒トリガーなんて強力なものがあんならそんな出し惜しみしてるんだ。
「性能がバレてしまうと、それを完全に対策する戦略を組む事が出来るからだな。だから防衛の際も、本当にギリギリまで使わない。そして今このタイミングで使用してきたという事は相手もここで押し切るという自信があるという事だろう」
ちっ、嫌になるな。そう言うのはこっちの黒トリガー使いに任せて欲しい。俺達下っ端が戦っても死ぬだけじゃねぇのかそれ。
「何、こっちの黒トリガー使いもその内出てくるさ。流石に彼らは馬鹿じゃない。自分たちの力の価値や有用性をよく理解しているからな」
だと良いんだがな。どう足掻いても死しかないって状況だけは避けなきゃいけない。
「大丈夫ですよ、私達なら」
「……ああ、そうだな。私達ならば平気だ」
そうだな。俺達なら大丈夫だ。
心配するな、三人で協力して、生き延びるんだ。
「ふんふんふふふんふーん」
もう耳に染み付いたと言っても過言でない程聞いた少女の鼻歌を耳にしつつ、支給された簡易携行食を口にする。少女やアレクセイからは不評だったが、俺としては効率がいいので採用した。どうせ味覚何てねーしな、二人と食べる時だけちゃんとした物食べてりゃいいんだよ。
腹が空いたという感覚も既に存在してないけど、時間をある程度決めれば身体的には問題ない……筈。
相変わらずガタゴト揺れる車のような何かに乗り、目的地に向かう。転送で向かうよりも消費トリオンがまだマシという理由でこんな方法を取っているけど、トリオン量が多い連中とかは普通に転送で向かうらしい。羨ましい話だ。
「せめて少し風景でも良ければマシなんだがな……」
辺り一面に広がるのは荒野である。余りにも寂しいその光景を眺めた良い景色などと言う程感性は壊れてなかった。
「見慣れちゃいましたねー」
そう、見慣れた。何度も何度も繰り返して、脳に刻み付いている。死んだ場所までは覚えていないが、言うなればデジャヴ。既に何度も見た光景だと、そういう感覚がする。
「君達の世界は違うんだろう?」
「はい! 高い建物が一杯あって、人の住む住宅があって、森があって、山があって、どこに行っても人が居ました」
……そうだったか。住む家があった。それは覚えてる。森があったかどうかは覚えてない。人が居た……ああ、確かに何処に逃げても人が居た気がする。
少しは覚えていないと、いざ帰った時に本当に其処が俺たちの故郷なのかわからなくなってしまうから。三人で帰れば少女が覚えてるだろうが、俺も覚えていて損はない。
それに、態々忘れたいとは思わない。三人でした約束は覚えてる。甘い物を食べる、温泉に入る。それは忘れちゃいけない。それだけは。
「天に届くほどの建造物は流石に嘘だろう」
「いや本当ですよ! 空と同じくらい高い塔とかありましたから!」
名前は忘れたけどあったなぁ。見に行った記憶がある。
その記憶を思い出そうとすると、頭痛が更に酷くなる。あぁクソ、痛ぇな。割れるのでは無いかと疑うほどの頭痛を堪えつつ、二人の会話に混ざる。
この三人でどうか無事に帰れますようにと、柄にもなく祈りながら。
夜になり、昼はあれだけ話していた少女も寝付き静かな空気が漂う。こういう雰囲気も嫌いでは無いが、やはり少女のように元気があってその場の空気を変えれるような子といると騒がしいあの空気が心地よくなる。
それに、静かなのより騒がしい方が俺は好きだ。静かなのは、怖いから。一人しかいないんじゃ無いかと弱気になってしまうから。人が居て、話して、現実を直視しなくて済む。
アレクセイと二人で適当に食い物を摘まみながら、外を見る。相変わらず暗いが、暗い中でも見える様になってしまったのであまり関係がない。
昼も夜も変わらず広がる荒野を無気力に眺めて、溜息を吐く。嫌なもんだ。気が付けば、故郷の記憶が薄れてきている。
必死に足掻いて足掻いて足掻いて、とにかく全力で前に進もうとしてたから無理やり意識しないようにしていたが――深く考える時間が出来てしまうと辛い。
少女は色んなものが有ったと言う。
でも、俺の中には残ってない。
それがどうしようもない程に悲しくて、辛くて、やりきれない。
でも、それでも、だからこそ。未来に希望を持つ。
美味い飯の記憶が無い、味が分からない?――だったらもう一度食べる。味覚を取り戻す。
夜目が異常に利く?普段生活するのが楽になるだけだ。
痛みを感じない?それがどうした、痛みを感じないのは良いだろう。苦しみの一つが減るのだから。トリオン体が出せないんだ、それくらいのハンデはくれたって良いだろう。
何度も何度も死ぬのに、その度に痛い思い何てしたくない。
……駄目だな、マイナスな方向に思考が寄ってしまう。それは良くない。
「……良い夜だな」
アレクセイがぽつりと呟く。そうか、良い夜か。
「ああ、良い夜だ。平和だ。静かだ。……私も、自分の事を深く考える時がある」
自分の事を深く、ね。それは今の存在をってことか、未来を憂いてか、過去を嘆いてか。
「全てだな。過去において、私は大きな大きな失敗をした。仲間を失い、一人我武者羅に戦い続けた。私を隊長と慕ってくれた部下も失い、唯一手に入れた階級も失った」
こう見えて、絶望という物の味はよく知っている――グイッと手に持った飲み物を飲み干し、床に置く。
「そして今……私は、君たちに自分の過去を重ねてるんだ」
俯きながら語るアレクセイに、何も言えなくなる。自分の過去を重ねる、か……それは、どうなんだろう。それは、何か悪い事なのか?
「さてな――善悪で測れるものなのかどうかなんてこと、私には分からない。答えがあるとすれば、そう言われたものが不快であるかそうでないかだ」
最もだな。過去の自分と重ねられた所でどうもしやしない。少なくとも、今のお前は俺達と一緒に行動する仲間だろ。それが答えだ。
「……ふ、はは。全く、随分信頼されたものだ。いいのか?私は君たちを攫った一員かもしれないんだぞ」
それこそありえん。俺達を攫うような作戦を出すのは上層部のカス共であって、前線で戦う奴らはそれどころじゃない。生き残るので必死だろ。
「そうだな。前線は、それどころじゃない。黒トリガーも出現して、もっと、沢山の仲間が死ぬだろうな」
はぁ、とため息を吐く。そのため息に込められた思いを俺が知ることは出来ないが、少なくともアレクセイの抱えている悩みや葛藤が多く混ざっているのだろう。胸の中でぐるぐる渦巻くもやもやした感覚――ああ、お前も俺と同じなんだな。
そうだ、俺だけじゃないんだ。苦しんで、悩んで、必死に乗り越えようと努力して、それでもだめで、諦めるやつもいれば往生際の悪い奴もいる。
「……すまない、ただ愚痴を言っただけになってしまったな。私はね、君たちに幸せになって欲しいんだ」
そう言いながら外を見るアレクセイにつられて、俺ものぞき込む。やはり変わることのない荒野だが、アレクセイの言葉を待つ。
「ごく普通の食事を仲間で楽しんで、君達の言うぱふぇなる物を食べ、君達の広い世界を冒険して、好きなように生きて――実感してほしい。自分は、生きているのだと」
生憎私はそんな経験はしたことないが、と自虐気味に言うアレクセイは、どこか疲れた顔をしていた。
おいおい、お前も一緒に楽しむんだろうが。飯食って、温泉入って、旅行して、ああそうだな。俺たちの故郷の名物とか巡って――だろ?
それに俺は今もちゃんと生きてるさ。息をして、自分の意志を導き出せる。確かに所々普通の人間とは違う場所があるかもしれないが、それでも今は胸を張って生きていると言える。
死んだら巻き戻るんだし、死んでるわけがないからな!
「勿論私も付いていく。君たちに幸せになって欲しいのと同じくらい、私は未来の姿を楽しみにしてるんだ。思うことすらなかった、想像すらできない未知の世界だ。――ワクワクしない訳がない」
……は、はは。そうか、ワクワクか。そんな感覚忘れちまったよ。けど、そうだな。
うん、そうだ。故郷という考えも良いが、未知の世界と考えてもいいかもしれない。
甘いものもロクに覚えてない――否、これから知る。うん、そっちの方がしっくりくる。
ふ、ははは、そうか。そういう考え方があったか。ああ、いいなぁそれ。
「だ、大丈夫か!? 急に笑い出してどうした!?」
いや、なんでもないさ。うん、なんでもない。そうだな。記憶を失くしたなら、新しく楽しみにすればいい。その通りだ。
無駄に深く悩む必要なんかない。ワクワクか。うん、そうしよう。例え過去現在が地獄でも、未来の見通しが悪いとは限らない。光は必ずあるのだと。
アレクセイの近くに落ちてたボトルを拾って、一気に飲み干す。うん、相変わらず何の味も感じないし楽しみもクソもない。けど、これが何時か味が分かる様になるのだろうか。
甘いのだろうか、辛いのだろうか、しょっぱいのか、すっぱいのか。
考えるだけで楽しみだ。
「お、おい! 今君が飲み干したのは――」
あん? 何言ってんだアレクセイ、俺は何も起きな
――瞬間、視界が一回転した。
あれ? おかしいな、なんだこれ。
立とうとするけど、身体に力が入らない。うお、新たな病気か何かか。
ぐわんぐわん揺れる視界に、だんだん吐き気がこみあげてくる。なん、だこれ。段々意識が――