八十一
――刹那、背筋に凍り付く様な感覚がする。その感覚に従い、前方へと踏み込む。
俺の居た場所に突如現れる爪を見て、やはり粒子化からの攻撃が本命だったと理解する。あれだけ粒子になれるのをチラつかせていれば気が付く。
視線を黒トリガー使い本体に目を向けると、その手に爪は無かった。現状間を開けて粒子化しているが、そこに制限があるとは考え辛い。これもミスリード、こちらの油断を誘っているのだろう。黒トリガーが、その程度の性能の筈が無い。
そもそも粒子化が可能と言う事は、トリオン体を再構成しているのだろうか。それとも既存のトリオン体を保存し、組み立て直してるのか。
粒子化してるのに思考が可能なのか?つまり粒子そのものに身体的な機能、脳の機能を乗せることができるのではないだろうか。
つまり、直接斬って意味があるかどうかが不明という事。もしダメだったらどうするか。……まあ、それでも斬るしか能がないんだが。
そうなれば、粒子を斬るまでやり直す。それだけだ。
若干粒子を浮遊させてる黒トリガー使いに対し、一瞬で加速し懐に入り込み剣を振る。斬る、断つ、殺す、絶命させる。一刀に全てを乗せろ――とまでは言わないが、必死の覚悟を乗せて剣を振る。
俺がこうやって剣を振るその瞬間少女が死ぬ可能性だってあるのだ。油断はしない、無駄にしない。
剣が到達するその寸前に目の前から消えて、視界から完全に消え去る。どこだ、何処に沸く。
恐らく背後にだろう――予想し、前方に転がり取り敢えず速攻の攻撃だけ回避するために動く。転がりつつ背後を確認すると、確かに粒子が集まりつつある。
――その粒子が形作る前に、斬る。
粒子が集まってトリオン体を作るのならば、その粒子がトリオンで構成されてることは間違いない。なら斬る。斬れる。斬ってみせる。
転がり、片膝状態から一歩踏み込む。
踏み込んだ勢いを保ち、剣を振る。粒子化から戻る身体を狙うのではなく、粒子そのものを狙う。トリオンで出来た物質だってこれまで何度も斬って来た。
斬れない理由はない。
徐々に形作られる身体を無視し、狙い澄まし斬る。
スッ、と軽い音を発生させながら振るう剣の感触に集中する。柔らかいのか?固いのか?軽いのか?重いのか。
要素を全て受け止める。その情報ひとつが、俺たちの生存の可能性を上げるから。
粒子そのものに対し、接触するその瞬間――敵の爪が振るわれるが無視する。そんなもの今更避ける必要すらない。今必要なのは、俺の生存ではなく敵の情報である。
ならば死んでやろう。何の慈悲もなく、躊躇いもなく。
振るわれる爪が左肩に接触する。
それがどうした。そんなもの痛くも痒くも無い。
爪が俺の身体を断ち切るまでに、斬ればいい。
いつもと同じだ。剣を振り――斬る。
八十二
――刹那、背筋に凍り付く様な感覚がする。その感覚に従い、前方へと踏み込む。
駄目か、粒子そのものを斬ることは出来なかった。正確には斬るには斬れたが、分裂しただけだった。
次は粒子で形作られた身体を斬れるのかどうかを試してみるか。
前方に距離を詰め、そのまま斬り抜くと見せかけて敵の黒トリガーが後ろに移動した瞬間に向きを変える。単なるフェイントだが、未来が分かる俺だからこそより効果的に使用できる。
爪を振るわれる前に斬る。形作り始めた身体に剣を振り
八十三
――刹那、背筋に凍り付く様な感覚がする。その感覚に従い、前方へと踏み込む。
駄目か、流石に黒トリガー。そもそも身体を斬るまでに死ぬ。どうにか隙を作り出さなければいけない。俺を狙って攻撃してくる場合、避ける事に集中するか斬ることを決めて死にながら斬るかのどちらかしか無い。
斬りながら避ける程の実力はなかった、悲しいな。
俺を囮に少女に斬って貰おう。多少リスクはあるが、彼女なら問題ない、筈だ。
先程同様に転がり、そして後ろを詰める事なく姿を現わすまで待つ。睨むその先に徐々に形作られていく身体をみて、一番最初の時に比べて遅く生成されてる事に気づく。
一番最初に奇襲された時はもっと早かった筈だ。これもミスリードか?それとも制限があるのか。
制限があると考えるにはまだ早いが、そういう思考を持っても良いだろう。そこを調べるように立ち回っても良いかもしれない。
取り敢えず少女の手でシンプルに斬ってもらうために、少女にアイコンタクトを取る。ちょうど俺のいたポジションの後方にいたから、現在移動中の黒トリガーの若干後ろで剣を構えている。
俺が正面でにらみ合い、その隙を狙ってもらう。まぁ狙ってもらうだけで、実際危なそうだったら彼女ならやらないだろう。
チラリとみてから、黒トリガー使いを顎で示す。やれるか、そういう意図を伝えたかったのだがそれを理解してもらえただろうか。
一瞬怪訝な顔をしてから、何か納得したように力強く頷く。……これ大丈夫か。ちょっと不安だな。
いや、大丈夫。信用しよう。ここで信じなければ、いつ信じるんだ。
黒トリガー使いの頭が形成される前に飛び込む。足に力を込め、何時もと同じように、初速でトップスピード付近に到達させる。奴にとって俺を脅威と認識させ、少女を警戒させない必要がある。
既に攻撃を回避している俺を脅威と認識してくれてるのか、先程までと同じならば俺を狙ってくるはず。だが急に彼女を狙わない理由もない。
彼女も俺も、どっちの攻撃も本命である必要がある。だから踏み込む。
懐に潜り込み、それと同時に俺に対して爪が振るわれる。そして爪を振るわれるのは予想済み、振るわれる爪に対し剣で防ぐために軌道を変える。
そしてこの爪が確実にそのまま振るわれる筈がない。必ず、絶対どこかで搦め手を使用してくる。そう、例えば――首を取ったと、敵が油断したその瞬間。
俺の剣と爪が接触するその瞬間になって、目の前から一瞬で爪が消える。やっぱりこれは罠、恐らくさっきの転移速度もミスリードで間違いない。
転移速度で制限があるのではと疑わせ、攻勢に出て詰ませたと相手が油断した瞬間に確実に刈り取る。シンプルな作戦だが、命の奪い合いに於いて黒トリガーという詳細不明な物を扱っているのでこれ以上ない程の作戦だ。
だが、俺もそこまでは予想出来ていた。だからこそ、その瞬間にもう一歩詰める。こうなれば俺を狙ってくるはずがない。後ろから接近する彼女を狙うはずだ。ならばそこをつく。彼女に被害が及ばぬよう、奴の転移速度を上回って斬る。
爪の軌道上に振るわれてた剣をそのまま更に加速させ、無理やり奴の身体に持っていく。視線は変わらず此方を見ているが、そんなものは無視。今大事なのはこっちに警戒を向けさせつつ斬る事。
先程の速度を維持したまま、殺すという意思とトリオンを籠める。
剣が首に伸びていくのを見て、
届――!!
八十三
――刹那、背筋に凍り付く様な感覚がする。その感覚に従い、
届かない。駄目だった。確かに殺したと思ったが、そんなに甘くは無かった。首に届きはしたが、爪がもう一つ出てきてそれで身体を貫かれて死んだ。
そうか、もう一つは隠し玉として残しておいたのか。この爪が果たしてトリオンの練り直しで無限に作成できるのかそれとも爪は爪で個数が決まっているのかは不明だが、厄介なことに変わりはない。
そして、先程までとは違い後ろに下がる。俺が前方に転がるのを確認して尚後ろに転移し続けたというのがさっきまでの条件だったが、改めてもう一度考える。
そもそも粒子化の最中は思考出来てるのか?――これに関しては恐らくイエス。粒子化して移動していても思考はしている。でなければ人型に戻る最中に攻撃は出来ないだろう。
粒子化の最中視界はどうなっている?――これはなんとも言えない。恐らく見えているだろうが、そうなるとこいつの各器官はどうなっているんだという話になる。トリオン体だからと言って目の場所を変えたりできる様な話は聞いていない。……まぁ、見えていると考えていいだろう。最悪を想定して対策するのは悪い事ではない。時間がある俺ならなおさら。
前二つを確かめる為にも、背後に飛び退いた。彼女も同様に飛び退いて、俺の隣にいる。
粒子化してから、まだ現れない。ある程度の距離を粒子化でワープできるとすればこれ以上厄介なことは無い。消える、移動する、消える、移動するの繰り返しで俺達二人は封殺される。
大丈夫、彼女の勘を信じよう。ピクリと反応するその瞬間を見逃すな。
「…………あの、あんまり見られるとちょっと」
……すまん。反応を見逃さまいとみていると、ちょっと困った感じの笑顔でそう言われた。悪いな、そういうのに鈍くて。
そんなこと話してる場合じゃない、それより黒トリガー使いだ。未だに現れないその姿が恐ろしい。一息ついたその瞬間とか、そういう時が恐ろしいのだ。気を抜けない、緊張感を保ち続けるのはとてつもなく神経を使う。
このままじゃ埒が開かない。油断を誘うか?いや、それも恐らく見抜かれるだろう。余計こっちが精神を擦り減らすだけ。これは我慢勝負だ。先に動いた方が負ける。耐えるしかない。
隣に佇む少女の、既に聞きなれた呼吸の音が耳に入る。空気が入り、肺から浅く吐き出される呼吸のリズム。互いに背中合わせで剣を構え、既に何時間たったかすらわからないくらいには時間が経った。いや、もしかしたらそんなに時間が経っていないのかもしれない。
だが、それくらい時間が経ったと錯覚する程集中している。全神経を聴覚に集中しているせいで、僅かな風の音すら聞き逃さない。遠くから少し木々を揺さぶるような音は聞こえはするが、戦闘らしい戦闘の音は相変わらずしないし話声もまったく聞こえない。
すぐそこにいる少女の吐息が一番よく聞こえる。アレクセイはどうなったんだ。基地は?黒トリガー使いは既にいないんじゃないか?思考がぐるぐる回り続ける。そして思考に集中しようとする脳を無理やり止め、再度耳に集中する。
それを繰り返し繰り返し、既に何度繰り返したかわからない。
一瞬、一瞬だけ深く息をする。深呼吸にはならないが、深く息をする。鼻から空気を吸い肺を満たし、口から軽く出す。一度頭をリセットし再度集中しなおそうとした瞬間――突如、頭痛が酷くなる。
瞬間的に襲ってきた痛みについ眉を顰めて、一瞬だけ視界が途切れる。
――その瞬間、目の前に粒子が集まってきたのを見た。クソ、このタイミングかよ。
けどまぁいいだろう、このタイミングだと分かっていれば次は確実に対応できる。
甘んじて爪を受け入れよう。
――ドン、と後ろから急に押される。背後にいるのは少女一人のみ、押されるというよりは右に突き飛ばされると言った方が正しいか。
急に押された所為で抵抗のしようもなく重力に引かれていく俺の身体を、どこか他人の身体の様に感じながら少女を見る。
何故か俺を押しのけて前に出た少女を見て、動悸が激しくなるのを自覚する。
おい、何してんだよ。何でお前がそこに居るんだよ。
はやくどけろよ。そこは危ないぞ。
倒れながら、剣を持ってないほうの腕――左腕を振り、少女に手を伸ばす。何してんだよ、早く避けろよ。俺は大丈夫だから、頼むから。
ああ、頼む。頼むから早く避けてくれ。
彼女のすぐそこまで迫る爪を見て、呼吸が止まったような感覚がする。今この瞬間、生きている心地がしない。
爪に対し、俺を押しのけた形なので無防備な体勢の彼女はこっちを見て笑う。おい、何してんだ。笑ってる場合じゃない。
ああ、やめてくれ。お願いだ。
『――ごめんなさい』