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『それじゃあゆっくり身体を休めると良い――私は別の用事があるから失礼するよ』
そう言って外を出ていったエリンと名乗る変な奴を見送って、これからの事について考える。
俺の身柄は現状、捕虜という扱いでいいのだろうか。捕虜に対しての扱いにしては手厚すぎる。懐柔しようとしてると考えればまぁおかしくはない。
それにしたって、無防備に敵の前に出過ぎだろう。生身で現れて挨拶しにくる上層部が果たして存在するのだろうか。
少なくともあのクソ国家なら居ない。というかさっきの老人もそうだが、情報を与え過ぎじゃないか。何を狙っているんだ。わからない。
ドアがノックされ、その後少し間を空けて再度ノックされる。なんだ、捕虜相手なんだから勝手に入ればいいだろう。
取り敢えず好きにしろ、と声をかけ入ってくるのを待つ。
「……今いいかしら」
さっきのワープ女が、扉越しに声をかけてくる。好きにしろと言っただろう、捕虜に対して何故こんな扱いをするのだろう。わからない。
「なんで私がこんなことを……取り敢えず、軽い食事を持って来たわ。口に合うかは知らないけれど」
湯気の立っている、小さめの鍋の様な物を手に持って部屋に入ってくる。……食事、か。そういえば、俺が気を失ってからどれくらいなのだろうか。
「貴方が気を失ってから――というより、私達と交戦してから一週間は経つわ」
一週間――……か。随分長い間、休んでたみたいだ。手錠で抑えられている右腕を開閉させ、問題がないかどうか確かめる。特に違和感は感じない、いつも通り。
「取り敢えず、胃に優しい物を作ったという話だから少しずつ食べなさ――……」
すぐそばまで寄ってきて、手に持った鍋と俺の方を何度か交互に見て固まるワープ女。
……どうしたのだろうか。何か変な格好でもしてるのだろうかと思い自分の身体を軽く見てみるが、上半身裸に傷口に包帯が巻かれている。今更気が付いたが割と丁寧に治療されているのだろうか。
少なくとも、死なせようという意思は感じない――なん、だろうか。何故なんだろう。わからない。
「……そういうこと。正気なの? だから持っていけって言ったのね……!」
一人で何か憤慨しているが、こちらとしては正直訳が分からない。何か不快になる要素でもあったのだろうか。……まあ、いいか。そんなもの、気にしなくて。
スプーンを鍋に突っ込み、そのまま一掬い。そのスプーンをこちらに突き出してくる。
……正気か?
「……仕方ないわ。私に出された指令はあなたに食事を摂らせる事で、貴方は隻腕でそのうえ身動きが取れないから仕方ない。だから仕方ないの。そう、仕方ないの」
そこまで露骨な態度を取るならば最初から嫌だと言えばいいのに――ズキン、と頭痛がする。
眉を顰め、このままでは埒が開かないので口を開ける。
正直、毒が入っている可能性は無いだろう。純粋に生存させるために栄養を摂らせる――恐らくそうだろう。流石に無償でここまで手を尽くす理由がわからない。
「……ん」
口の中にスプーンを突っ込まれる。正直、視覚があるから自分の口に入っているのが理解できるが感覚はしない。湯気が立っていたが、まぁワープ女が何も言わないという事は、別に熱くないのだろう。
無言で咀嚼する。味は無い。熱も無い。全ての感覚がない。逆に今はそれが安心する。それがあるからこそ、俺は忘れないで済むから。
いつかまた三人で――そこだけは、履き違えてはならない。俺の目的。
◇
何故こんな事をしているのだろう――ワープ女、ミラはそう嘆かざるを得ない。
捕まえた黒トリガー使いの捕虜を、取り敢えず一週間ぶりに起きたので食事を摂らせるという話になった。そしてそのために軽い粥の様な物を作った。
そこまではいい。そこまでは。
腕を封じられている所為で身動きの取れない
異性に物を食べさせるとか、そんなことはしたことがない。国中でワープ女と恐れられている事実があるから、それは間違いない。
でも、指令は食事を摂らせる事。仕方ない、仕方ない。そもそも今更考えた所で後の祭り――仕方ない、のだ。
自分に無理やり暗示しつつ、一先ず食器を片付けに戻す。意外と食いつきは良く、突っ込めば突っ込むほど食べていくから割と楽し――じゃない。
「はぁ……」
思わず溜息を吐く。別に、そこまで気にしてはいないのだが。それでもある程度気にはする。
他にも何かこう、やりようは無かったのだろうか。流石に拠点内で唐突にトリオン体になって安全を確保したうえで自由にさせるわけにはいかないし、誰かが食べさせるしかない。
このままだと世話全部押し付けられる――そんな未来が一瞬見えた。
……流石に無い、と信じたい。これでも黒トリガー使いの遠征にも選ばれる人材なのだ、そこは自信を持とう。
食器を片付ける為に厨房に辿り着く。中に入れば、そこには先程の粥を作った調理人。
特に問題は無かったと報告して、そのまま立ち去ろうとして――ふと、自分自身が食事を摂っていなかったことを思い出す。
……軽く、貰おうかしら。
そう考え、温めなおしてもらう。少な目で、軽食程度に摘まむ。あまり間食はしないし、好みはどちらかというと粥とかではなくパンケーキなのだが折角作ってあるのだし食べる。
自分で軽くは作れるが、流石に本職の作る料理に勝てるとは思わない。
温めてもらう粥に何かアレンジが欲しいかと言われ、特に必要は無いと答える。味が濃いのより、標準位がちょうどいい。
新しい鍋によそってもらい、厨房の一角で食べることにする。軽く食べる程度の物をわざわざ移動して席を確保する必要はないだろう。
スプーンを入れ、一口分掬う。そのまま息を吹き熱を冷まし――ふと、思う。
――……そういえば、
……若干湯気の立っている粥を、口に入れる。
熱い。シンプルに熱を持っている所為で、味がわからない。いや、わかるけどわからない。
急いで飲み物を取りに行く。水を器に注いで、そのまま飲む。口の中を水で満たし、熱を冷ます。
……かなり、熱い。軽く冷まして、これ。
もしかして、熱いまま口の中に放り込み続けたんじゃ――そんな考えが脳に浮かぶ。もしかしたら、口の中を火傷しているかもしれない。
そこまで気にする必要は無いが、こちらの不手際で何か起きたらマズい。少なくとも、何をしたんだと問い詰められる。
せめて水くらい持っていくべきだろうか。
一瞬迷って、取り敢えず水を持つ。火傷していると決まったわけではない、もしかしたら冷めてて食べやすかっただけかもしれな――いや、確実に湯気は立ってた。
若干早歩きで向かう。そういえば水すら飲んでないのではないのだろうか。一週間寝たきりで、水も何も取らないでいきなり粥――もしかしなくてもよくない対応してるんじゃないだろうか。
扉の前に着き、コンコン、とノックする。少しして、小さな声で返事が聞こえてくるのでゆっくりと開ける。
身を起こし、窓から外を見ている。光を受けて反射している白髪と、片腕のないアンバランスさが目に付く。
「……どうした」
「いえ、特に用があるわけじゃないわ。その……さっき、粥を食べたでしょう」
「ああ」
感情の全く籠ってないぶっきらぼうな声を聞きながら、少しずつ近づく。
「……結構、熱いまま食べさせたから。多分、口の中火傷してると思って」
そのまま水を器に注ぎ、差し出そうと思ったがこれも飲めないことに気が付く。もう面倒くさいから手錠解放してやろうか。
「問題ない、
「一応確認するわ。火傷程度で死ぬわけないでしょうけど」
死なれたら困るから確認するという事を暗に意思表示しつつ、口を開かせる。
――赤い口内に、所々に白く異常な皮膚が存在している。喉付近の場所は、ほぼ一面が白くなっている。
「――……な、に……これ」
異常だ。明らかに異常だ。舌に至っては、全体に亀裂が走り、まともに機能しているかどうかもわからない。ゾクリ、と身震いする。
普通じゃない。絶対に普通じゃない。
「……っ、ねぇ……」
こんな状態で、物を口に入れたのか。何故それで平気な顔をしているのか。
聞こうとして、目を見る。
深い、深い闇。暗い、黒という物以外浮かんで来ない。恐ろしい、恐ろしい。呑み込まれそうな、惹き込まれそうな、とてつもない。通常ではない、一種の狂気。
「問題ない、
再度、そんな事を言う。思わず手に持った器を落として後ずさりしてしまう。
特に、という事は。味はしてないのだろう。そして、さっきの様な熱いのを放り込まれても――特に何も、感じていない。
それは、それでは――口としての機能が、全く動いていない。
「一体……何時、からっ……?」
口から、言葉が漏れる。衝撃が、身体を突き抜ける。こんな状態で、こんな身体で。ずっと、追いかけていたのだろうか。黒トリガーになった人を大切にしている、という話は聞いた。
まさか、本当に全部投げ出してでも追いかけ続けていたのだろうか。
「――……覚えてない。気が付いた頃には、こうだった」
だから、味なんてものは覚えていない――そう言う姿に、嫌悪感と恐怖が増し口を抑える。
何が、何がそこまで追い詰めたのだろうか。一体、何があったのだろうか。ゾクリ、と鳥肌が立つ。背筋が凍る。嫌な感覚という物を、ずっと味わい続けている。
「……ごめんなさい、そんな風になってるとは、思わなくて……!」
謝る。それ以外にやりようもない。
確かに、色々おかしい点はあった。
黒トリガー使いなのに生身で、トリオン体を形成する様子は無い。
襲ったあの時も、周りの兵士はそそくさと撤退していった。助けよう、というより早く逃げたいという様子で去っていった。目標が剣鬼だったから優先したが、今になってみれば妙に感じる。
「……別に、お前が気にすることじゃない」
至極どうでもいい、という態度で語る剣鬼にゾワリとする。狂ってる、何でそこまで無感情になれるのだろうか。
こんな状態で、闘っていたのだろうか。ずっと、仲間を手にして。一人で、孤独に。
「ッ……」
目を逸らして、落としてしまった器と水を片付ける為に下を向く。
そそくさと回収し、扉に向かう。
何とも言えない感覚を胸に抱きつつ、部屋を出て扉を閉める。チラリと見えたその隙間から、外を見る剣鬼の姿が見える。
それを見て、顔を顰める。
何でそこまで、どうして、何があって――様々な疑問が浮かぶ。エネドラを斬った時に言っていた。
必死に、必死に生きてきた――と。
それは、そのままだったのだろう。
自分の事に気を配るなんてことも出来ず、ただ一人で悩んで悩んでそれでも生きてきた――その証が、
扉を背に、ずるずると座り込む。ぺたん、と尻もちをついて地面に腰を下ろす。
はぁ、とため息をついて額に手を当てる。
「……どう、すればいいのよ――……」
わからない。あんな風に追い込まれた人間に対し、どう接するかなんてわからない。
ヴィザ翁に伝えなければ。隊長に、情報を共有しなければ。とんでもない地雷だ、思ってもいなかった。
時間はあまり、残ってないのかもしれない――先程の、暗黒の様な瞳を思い出し身震いしながらそう心に思う。