津島皇国の内乱であるがコレはとある情報が漏れたのが原因である。
その内容は津島と日本の合併案であった。
コレは壱代様の婚姻問題から派生して行き、結構真面目に進み今では裏でかなり細かいとこまで進んでいた。
まぁ、問題点も多々あるのだが、文化、民族的に両国とも似たようなものなのでそこまで問題はないだろうとされた。
で、政府筋と、軍部筋で一部が相手が自国民であったせいもあり、口を滑らせてしまったのが、かつての反乱軍に伝わってしまい、そこから反対派や過激派も合流し、こうなってしまった。
こんなとこなど、当にどっかの大和民族とそっくりなのである意味合併しても問題なさそうであるが、この内乱まともな軍人は少数の過激思想やキチガイを『真面?』に入れてもそれ以外はかつての反乱軍残党位しか無く、その肝心の残党もそもそも数年前の内乱時ですら司令官級は元より、左官尉官不足が深刻であり(三笠兄の初陣時の攻城戦の時も一区画防衛指揮の左官級が一人指揮不能になっただけで指揮権を継いだのが負傷した尉官。その上に士官学校卒業してそんなに立ってないレベルの)、組織的にはかなり脆いと思われ鎮圧は容易と思われた・・・。
が、その期待は早々に裏切られる事になる。
蒼海決戦の世界では文字道理『無敵皇軍』な日本軍が居るせいで比較的慢心気味だったのが祟り、全土で蜂起した勢力に対応しきれなかった。同時に今の情勢の所為で目が国外に向いていたのもあった。
なお、一部地域では決起したは良いが近くの部隊が訓練中や、そもそも高練度部隊などだと、速攻で鎮圧されると言うのも結構あったりした。
ただ、騎兵部隊の基地や派兵中の部隊の基地等ではかなりの苦戦を強いられていたが、そういう基地は友軍が戦場と言う認識が強くむしろ臨戦態勢気味であったこともあり、主力不在で苦戦こそしていたがどの基地でも基地で籠城しながら徹底抗戦となっていた。(なお、攻め手が寄せ集めな所為もあり、結局この様な基地は全てが内乱終結時まで陥落は許さず欧州の友軍に恥じない働きを見せた)
中には泥沼化したとこもあった。
この内乱時、どこもココも泥沼化したのが水軍の軍港であった。
軍艦を奪取される事態などは無かったが中には軍港の弾薬庫が爆破され大火災になったせいで延焼した艦艇や、ドック入り中に破壊工作を受け横倒しになった艦などの発生は防げなかった。
この様な事態に成ったせいで各艦の保全が優先されてしまい、水軍全体で組織的行動どころではなかった。
軍港内も水軍はここ数年で組織や部隊の改変再編が相次いでいた為に部隊規模の人間が時期でもなく移動する事も珍しくなくその隙を突かれ、各所で侵入者を許してしまっていた。
結果、今のような軍港内の各所で戦闘となっていた。
その所為で外から制圧を企む反乱部隊に対して軍港の守備部隊等は内部の戦闘にも人員を割かれ効果的な防衛が出来ず、その援護に保全が完了した艦の人員や艦内の問題がないことが確認できた艦そのものが防衛線に投入され本土の各所に応援に行くことは困難であった。
なお、応援には行けなかったが各所で戦力のまとまった状態で防衛戦となった為、被害の大小は有れ、陥落した基地は無かった。
因みに反乱軍も軍艦等は軍港を襲撃したり、攻撃するように見せかける事で各所に拘束するのが目的であったようだが、中には練度の低さから状況や配置等を見誤り、艦砲の餌食となり小隊中隊規模で消滅した部隊や艦砲射撃の援護下、突撃して来た基地防衛隊や陸戦隊に敗退したりする様なとこもあった。(なお、最もお粗末だったのが包囲した事に調子にのった結果後方の偵察を怠り、後方から近隣基地の陸軍部隊の奇襲を許したとこがあったらしい)
悲惨だったのが陸軍演習場であった。
ココは夜間に襲撃では無く侵入され爆破工作が行われ、日本等から輸入した砲や戦車を粉みじんにされた。
なお、演習場の人的被害は格納庫の警備の人間を殺害された位で、それ以外は両軍犠牲者らしい犠牲者は居なかった。
流石に演習場に居た教導団と事を構える気はなかった用で爆破してサッサとトンズラした。
なお、コレは津島内乱における反乱軍側の数少ない完勝であり、津島側は将来はwikiに載るくらいの物的被害を被った。
具体的には今までせっせと輸入した戦車群の7割がスクラップになり、お高い値段の最新鋭の輸入した重火器・重砲もその大部分が鉄くずと化した。
なお、この演習場の爆破で同じくジープやトラックと言った輸送車両軍も壊滅し騎兵部隊も大部分が国外な為に、津島皇国は快速兵力をほぼほぼ損失し各地の反乱部隊に対して迅速な増援を持っての撃滅が不可能になってしまい、各地の部隊が個々に応戦する破目になってしまったがコレは津島皇国だけの話であり、(各地の部隊が無断で)既に増援として日本軍が出撃しており(なお、師団・艦隊規模のとんでもねー部隊も含む)日本軍は容赦なく空挺での降下強襲する気満々である。(まったくもって辻政信が欧州におり、この場に居ないことが悔やまれる)
なお、無断出撃等を確認した陸海軍は即座に現有兵力(無断出撃部隊)では厳しいと判断し、正式に増援部隊を組織し増援とし、派兵を開始した。
なお、陛下は皇軍が勝手にやらかしたのを次の日の朝刊で知った。
統帥権?軍紀?うるせぇ!そんな事より美少女助けるのが優先だ!
そして津島皇国の内乱で最大規模の激戦となったのが『皇都・月待(ツキジ)』であった。
実際にはココよりも挙兵した兵力が多かった場所もあったのだが、やはり首都と言う事もあり、比較的練度が良い兵が多数おり、最大の激戦となってしまった。
ただ、首都が最大の激戦区となってしまった原因は他所の挙兵部隊を日本軍が艦砲の届く距離では市街地でなければ艦砲射撃で。港や海岸沿いだと揚陸した部隊に。挙兵兵力が多めだと降下強襲されたり、急降下爆撃や機銃掃射されたりで内乱の大規模挙兵の地が集中的に狙われた所為で必然的にそうなってしまったのもある。
なお、それを除いても首都戦が激戦であったのは変わりないが。
その証拠に内乱終結後。厳密には日本と併合後に再開発に近い再建が行われている。
なお、皇都の戦闘だが各政府省庁は基本的に多少の銃撃戦などで確保されたがそれ以外の皇都の軍や警察関連の施設では大規模な戦闘となり、多数の死傷者を双方に出す結果となった。
そして最大の目的でもある皇宮はそもそもこの内乱の目的が、「日本との併合なんてとんでもねぇ!、奸臣ども皆殺しにして壱代様に考え直してもらおう」な為に、そもそも皇都で重砲の使用などが双方論外だった上に、通常火器も皇宮に早々打ち込めるか!状態であった為に全く皇宮攻めは捗らず、結局は日本軍の来援までに3日以上あったにも関わらず、正門すらこじ開ける事が出来なかった。
結局のところこの内乱自体は各地の津島皇国軍、日本の増援に鎮圧され2週間ほどで組織的抵抗は沈黙したが、内乱自体が1地方では無く全土規模で起きてしまったせいで国土全域規模で荒廃してしまい、結果欧州大戦終了後に日本・津島両国が派遣軍の帰還が完了次第即座に併合の流れとなり、反乱軍は見事に併合の流れを加速させる大戦果を挙げた(笑)(なお、本来の併合時期はまだ年単位で先であった)
しかし組織的抵抗こそ沈黙したがまだ各所で残党が多数おり、完全鎮圧自体は大戦よりは先に終わったと言うくらいの時期であった。
その所為も有り、津島皇国の欧州組は既に血で貢献もしたのも有り、大戦の残りの時期は軽い戦闘や後方の護衛、軍事パレード等で終える事と成った。
なお、余談であるが津島皇国の欧州組が結果を出した時点で既に連合国から戦後の賠償での特許はどういう物が良いかと言うのが裏から打診されていた。なお、その内容であるが津島側は結構欲張って言ったものであるが、連合国各国からすれば「マジでこんな特許だけでいいの?」レベルであった為に条件すり合わせの交渉など無しに津島皇国の戦利が決まった。
の・だ・が、第一次世界大戦レベルの欧州ですらそんな特許扱いの物を日本が持っていない訳がなく合併後に泣く事と成った。
そしてこの残党鎮圧であるがこの内乱で皇都に居た日本の駐在員達にも多数の死傷者を出した為に津島は日本の怒りを喰らわない為、日本は弔い合戦の意味も含めて容赦なく行った。
実際、津島皇国としても皇都戦で多数の大臣級が殺害されたのも含め、これほどの事態を引き起こした連中をこのままにしておくつもりは無く徹底的にやるつもりだったのだが、ココで一部の馬鹿がこの状況を利用したり、偏見で一部少数民族や他民族を弾圧しようとしたのが問題となった。(流石にこの件は日本からも「お前ら真面目に残党駆除す気があるのか?」という声が出た為)この件はただでさえ皇都戦の際に日本の駐在員たちの避難が間に合わず多数の死者を出してしまったせいでビクビク状態の上に、この内乱の所為で軍や政府の上層部は24時間働けますか状態で精神的にも負担が溜まっていたいた上層部の堪忍袋をブチギレさせるのは容易であり、このような事を起こした人間は元より日頃の言動等から起こしそうな人間まで総じて潰され、結果どこぞのネコミミやどこぞの金髪リア充のツンデレが住みやすくなると言う副作用的な事態も発生した。