本大戦下、現在進行形で欧州での日本の評価が下がっているこの頃、欧州では一つの大きな事件が発生した。
それはオランダの中立違反問題である。
なお、コレは完全に連合国の陰謀と言う名の言い掛かりである。
後日オランダ海軍の潜水艦が連合国の輸送船を撃沈し、戦火が始まる事になる。
なお、この時期のオランダの潜水艦にこの様な事ができるそれだけの性能があるかは定かではない。
そしてこのどっかで見た事のある酷過ぎる理由で開戦したオランダは瞬く間に降伏する事と成る。
そして植民地がなくなる。
そしてこの列強がこの戦争下を良い事に弱小国を生贄に植民地ゲットを目的としたこのクズ過ぎる行動がまさかの大戦終戦まで突き進む事と成る。
まず結果としてだが今オランダ本土は連合国の支配下にある。
当然、未だ局所で抵抗等あるし、国土面積全体での占領率など半分も行ってはいない。
しかしコレに驚いたのがドイツ帝国。
オランダ攻めが海からだった為に急に戦線が増えた形となってしまった。
しかしオランダからたたき出すなり守りを固めるだけなら本土の予備戦力だけでもなんとかなった。
しかしそれは陸軍単体での話であった。
当初迎撃に出たドイツ陸軍は戦略予備や編制中などのマイナス条件を多々含む戦力であったが戦場を優位な形で動かしていた。
しかしそれはイギリス海軍の戦艦の艦砲が届かない位置での話であり、陸軍はこのラインでの停止を余儀なくされ戦場は海へと移った。
そして行われた最後の海戦らしい海戦。
場所的にはユトランド?であるが一部ではこの海戦もユトランド海戦の一つとされる
『オランダ艦隊戦』
の火蓋が落とされた。
イギリス海軍の目的はドイツ海軍の撃退並び上陸兵力の安全確保と砲撃の為の戦艦群のある程度の保全と足かせたっぷりであったがまさかの圧勝してしまった・・・。
戦力的にも各ユトランドの海戦を生き抜いた艦たちであるドイツ。
史実よりははるかに主力艦の損失も多いがそれでも練度は全く問題なくこの海戦の『ド級以降の』主力艦数で言えばむしろドイツの方が多いほどであった。
対するイギリス。
この戦いに就役していたリヴェンジ・ロイヤルオークを主力に展開。
そしてこの戦いではこの2隻が重要となった。(活躍するとは言っていない)
この海域で存在した15インチ砲の艦はこの2隻だけでありその砲撃力も有りドイツ海軍主力艦はこの2隻を狙った。
しかし、イギリス海軍はこの2隻はぶっちゃけ砲撃用で連れてきた為に就役間もないのも有り練度不足の為や主力艦の損失を下げるべくこの2隻は終始遠距離からの砲撃戦に徹しさせた。
結果ドイツ海軍主力艦はドイツ海軍自体が主砲口径が小さめな所為もあり、15インチ砲搭載戦艦であるこの2隻に終始致命打を与えられなかった。
挙句の果て実戦では強いイギリス海軍の名の通り、距離を詰めた際に逆に主砲を叩き込まれる始末であった。
そしてリヴェンジとロイヤルオークの2隻と主力艦が遊んでいた頃他の艦はこの海域に居るドイツ海軍の前ド級戦艦の3倍の数のイギリス海軍前ド級戦艦に近接砲撃戦でフルボッコにされていた。
まさに『戦いは数だよ兄貴』であった。
この砲撃戦の戦闘時間こそ短かったが文字道理ドイツ海軍の主力艦以外はフルボッコにされてしまった。
ドイツ海軍も一矢報いる位はしているのだが、何分こちらが1発撃てば3発で帰ってくる状態な為なぐさめでしかなかった。
途中で主力艦も味方がヤバいと駆け付けはしたのだが、その対応がうまくいかずリヴェンジとロイヤルオークを追っかける艦隊と、援護の艦隊で主力艦を2分してしまうと言う失策が生まれてしまった。
リヴェンジとロイヤルオークを追っかけた艦隊は2隻が基本戦いを避け気味だったので後に当たりどころの関係で自沈したド級戦艦1隻のみであったのに対し、援護に行った艦隊はイギリス海軍の前ド級戦艦を2隻撃沈、6隻を中大破させた代償に1隻沈没半数以上の艦が中大破の失態をさらしてしまった。
この後海戦自体はドイツ海軍が撤退し終了したがドイツ海軍は肝心の目標2隻が素人目でも小破程度の損害しか与える事しかできず、前ド級戦艦を海戦前の半数程度に減らすしかできず、肝心の砲撃支援を辞めさせることも陸上兵力に打撃を与える事にもできずに多くの主力艦をドック入りさせる事と成ってしまった。
その結果再度出撃しても主力艦の数が不十分であったために援護に出て来たグランド・フリート主力相手に戦わずに母港に戻ると言う選択しか取れなくなってしまった。
結果この戦線は膠着してしまい。ドイツは新しいこの戦線に無駄な戦力を割かれる事と成ってしまった。
そして無駄な睨み合いのみ続くであろうと思われたこの戦線の所為でドイツは皇帝がしびれを切らし大洋艦隊にグランド・フリートが出てくるであろうにも拘らず強硬に出撃を命じ、キールでの反乱の火種となってしまったり、西部戦線の大攻勢の戦力を削る羽目になったり、新しい戦線が本土の近くにできてしまったと言う民衆の不安以外にも致命的な問題を生んでしまった。
よもや実行したイギリス・フランスも陸上の戦力分散や戦線増加に伴う負担の増加が目的のこの戦線がまさか致命傷に繋がるとは実行時は思っても居なかった・・・。
―東部戦線とロシア―
東部戦線自体はロシアが国内がアボンした為に自動消滅したと言ってよかった。
しかし、ブリカスの外交裏攻勢によりポーランド等の旧ロシアの一帯が独立のマメに蜂起。
その為に西はドイツ東部から東はウラル山脈、南は黒海辺りまでが騒乱地帯となってしまいドイツもかなりの戦力を西部戦線に移しはしたものの、東部国境の守りにそこそこの兵力を取られる事と成ってしまった。
なお、騒乱地帯は暴徒と化した民衆、政府側、独立派、指導者の居ないアカの皆さんとその他諸々の勢力による、?つ巴状態になってしまった(笑)
なお、煽ったブリカス情報部と政府は鎮火と制御を放棄し「もうロシアとドイツが苦しむんだからよくね?」と自分達で火に油注いでおいて対岸の火事の扱いであった。
なお、対岸の火事である事を良い事にちょくちょく油を注ぐことを忘れないクソっぷりである。
因みにアカの指導者層や各国の独立派の指導者等を前もってや蜂起後にパンパンしまくって制御不能にした最悪な連中もいるらしい。一体どこの国なんだ!(笑)
そして、シベリア出兵は本来なら主力を担うはずの日本が国内状態からそれどころではなく次に一番近いアメリカを主力とした史実とは違う面々が上陸しロシアの冬やインフラの所為で酷い目に合っていた。
因みにだがこのシベリア出兵でアメリカ義勇軍は史実における八甲田山並の酷い状況も発生し、ルシタニア号事件が無いせいもあり、史実以上に引きこもりを強める事と成る。
-ドイツ降伏-
さて、再びドイツに戻るが終戦間近の時期になるとドイツ軍は陸でも海でも負けない事は有っても勝つ事も無くなっていた。
海では先にも書いたがココで主力艦の総数の差が尾を引き、出撃しても同じく出て来たグランド・フリート主力とにらみ合いして終了しかできず、小規模の戦闘を除けば完全に欧州の海は何処も手詰まりであった。
しかし、この手づまりは連合国からすれば問題無かったがドイツからすればそうではなく、結果バカイザーの所為でキール軍港の蜂起に繋がってしまう事と成る。
陸は最後の西部戦線の大攻勢新しく出来た戦線の所為で史実より兵力少ないのに成功すると思う?で終わってしまう。
で、ドイツは事実の道を転がるのだが・・・。
-講和-
講和会議の内容であるが史実とは大分違っていた。
まず領土問題であるが、ドイツは戦前よりも『増えた』
何を言っているんだ?と言う気持ちはよくわかる。
この原因は例の二重帝国のせいである。
唯でさえめんどくさいこの国であるがロシアが早めにアボンした所為でドイツが講和を言い出した時は何と未だに余力を残していた。
まぁ、調子にのった結果、講和会議をスムーズに進めるためにドイツ停戦後に敵の居なくなった連合国に総力でタコ殴りされ1月足らずで全土陥落し、無条件降伏したのは置いておこう。
で、簡単に言えば講和会議で一番の問題は『このカオスな東欧どうしよう?』であった。
そして、東欧を抑える栄誉ある役目を押し付けられたのがドイツ帝国改めワイマール共和国である。その領土は戦前の物にオーストリアを足したものとなった。
ガンバレドイツ。役立たずのオーストリアだが有効に使え。
あと、東欧の火種がコッチこないようにしろよ以上。
・その為軍備はかなりの物を残されたが、人員もかなりのものが残され、戦後経済を圧迫する事と成る。
・ただし、海軍は史実よりもひどく、掃海艦、沿岸警備艇クラスの保有しかできず、駆逐艦・コルベットですら全て賠償艦とされ、条約で保有を禁止された。
なお、主力艦艇は軒並みイギリスのとあるところで魚礁となった。
海軍をここまで減らしたのは純粋にイギリスの策略と戦後東欧の治安維持に回す兵を確保するためである。
賠償金であるがココは東欧自体がカオスそのものであり、ドイツを盾として使わないと自分達にも火の粉がきかねないと、史実では強固に多額の賠償金を求めたフランスがある程度大人しかった為に史実ほどグダグダはしなかった。
賠償金も連合国がこの戦争で使用した戦費の全保証が主である。
なお、支払えるやり方でなので史実よりは大分マシであろう。
ただし、支払い方や賠償金を減らす過程でルール地方を失う事にはなった。
そして植民地もすべて。