イミディアの魔女をご存知だろうか?
アールデハイの山の奥。
深い――深い森の奥に、イミディアと呼ばれる地がある。
その地には、一人の魔女が住んでおり、平原の国々に齎される凡そ総ての災厄は、この魔女の起こすものとされる。
曰く、地平線を埋め尽くす程の獣たちを追い立て、町や村を襲わせたのだという。
或いは、作物という作物に呪いをかけ、飢饉によって大勢を苦しめたという。
また或いは、海の怪物を使役し、数多くの漁村を大水に沈めたのだという。
細やかな部分に差異はあれど、平原の国々にはそうしたイミディアの魔女についての逸話が、未だに語り伝えられている。
その多くは魔女そのものではなく、忌まわしき魔女を討伐せしめた、人間たちに関する英雄譚として残されている。
曰く――
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ときの王ラダラックは、民を苦しめる魔女を討つべく、腕に自信のある者たちを募った。
すると、騎士団の者たちや、腕利きの傭兵をはじめとした、数多くの腕自慢が平原の国中から集まった。
彼らは皆、魔女のもたらす災厄によって、故郷や家族・友人といったものを失った者ばかりだった。
その数は、城の広間を埋め尽くすほどに多く、やがて彼らは内々に喧嘩や口論を始めてしまった。
ラダラックは何とかそれを治めようと、彼らに自らの大将を決めよと命じた。
彼らは我先に互いへ飛びかかると、自慢の武器を振るっては、「我こそが魔女を討つに相応しい」と言わんばかりに、その力を示した。
その戦いは一晩中続き、翌朝をも通り過ぎて、ちょうど正午の鐘が鳴る頃に、ようやくただ一人の男だけを残して、全ての者たちはその場に突っ伏していた。
男は、東の平原より来た狩人で、人の身の丈ほどにも有ろうかという巨大な弓を持つ、カドルクという青年だった。
その相手は、南の平原よりやってきた武人で、人の腰ほども有ろうかという太い腕をした、力自慢のアナイという男だった。
ラダラックは、ようやく治まった争いの後に、戦士たちに食事を振舞うと、カドルクを大将に据え、その副官にアナイを据えると宣言した。
平原を揺らす程の歓声が起こり、カドルクとアナイは共に手を取ると、戦士たちへ向けて「共に魔女を討とう」と鼓舞した。
彼らは皆、王より守護の呪いを掛けられた白き石を下賜され、災いを退ける力を与えられた。(平原に語り伝えられる英雄譚より)
“
こうして彼らの英雄譚は始まる。
他にも幾人かの補佐が旅を共にするものや、この宣言の際に魔女の化身が現れて宣戦を布告したというものもあるが、おおむね共通しているのは、こうした幕開けである。
この後、戦士たちを率いるカドルクとアナイは、道中で様々な魔女の妨害行為を受けながらも、イミディアの地を目指して進んでいく。
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魔女は七頭の、大岩の様に大きく頑丈な身体と、鋭い爪や牙を持つどう猛な獣や、七羽の怪鳥(毒の火炎を吐く蛇の頭に、獣のような爪。胴体は針の様に毛を逆立ててあらゆる刃物を通さず、尾羽は矢のように鋭く戦士たちへと降り注いだ。大勢の戦士が死に絶えたが、カドルクの弓により追い詰められた怪鳥へ、アナイは大岩を投げつける事でこれらを一網打尽にした)や、その他にも七対の番いの猿(悪知恵を以ってアナイを罠にかけ、既のところでその命にまで手を掛けんとしたが、カドルクはこれを察知し、危ういところでアナイを助け、共に猿たちを討った)などを嗾けて彼らの邪魔をしたが、戦士たちは力を合わせてこれを切り抜け、魔女を追い詰めることに成功した。
しかし、魔女は恐ろしい魔法を使い、なおも抵抗した。
戦いは三日三晩続き、山や森は焼け落ちて、邪悪な呪いの炎は平原の草木までもを枯らした。
イミディアを囲う湖の水はすっかり干上がり、毒の霧が立ち込めた。
生き物たちはすっかり恐れを抱き、イミディアの地から逃げ去った。
アナイは疾うに敗れ、カドルクもまた、矢を討ち尽くしていた。
カドルクの矢が無い事を知った魔女は、「これぞ好機と」虫の息となったアナイに手を掛けようとするが、カドルクは王より下賜された白き石を鏃に据えると、最後の一矢を魔女へと射かけた。
矢は瞬く間に光へと姿形を変え、魔女が魔法の壁を作るよりも早く、その胸を射抜いた。(平原に語り伝えられる英雄譚より)
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こうして魔女は捕らえられ、その場で裁判に掛けられる。
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魔女は「死にたくない、助けてくれ」と懇願し、カドルクは彼女に機会を与えた。
「ならば魔女よ、これまで起こした災厄を人々に詫び、もう二度と悪さをしないことを誓いなさい」
これは最後の機会だった。
魔女がそれを受け入れるのであれば、カドルクは命だけは助けてやろうと考えていた。
しかし魔女は「そんなことは知らない、私ではない」と嘘を吐いたため、カドルクはアナイに命じて彼女の首を切り落とした。
首は水際をごろごろと転がり、苦悶の表情で制止した。
カドルクは、一部始終を見守っていた魔女の手下の猿たちにその首と身体を任せると「せめて埋葬してやりなさい」と命じた。
猿たちは、大いに悲しみながらも魔女の首と胴体を運ぶと、森の奥へと姿を消した。
こうして平原の国々へ平和を取り戻した戦士たちは、少なくなった戦士たちを率いて国へ帰ると、王より沢山の褒美を賜り、自らの故郷へと帰っていった。(平原に語り伝えられる英雄譚より)
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こうしてイミディアの魔女に関する物語は幕を閉じる。
この後、カドルクだけはその弓の腕前と、魔女を討伐したという功績を認められ、ラダラック当人をして帰郷を引き留められることとなる。
若い将として平原の国に残り、兵たちに弓を教えて欲しいと言うラダラックの願いを快諾し、留まる事を決意したカドルクは、自国の兵のみならず、他国からも教えを請われる程に慕われて、死後には弓の神として神殿に祀られるに至っている。
無論、それまでには他にも幾つかの逸話や神話めいた物語や偉業を残しているため、このイミディアの魔女に関する一件は、あくまではじまりのきっかけに過ぎないかもしれないが。
さて、ここまでイミディアという呪われた地に住む魔女が、若き英雄たちに討伐された正義の物語について語ってきた。
しかし、ここでもう一つ。
私は語らなければならない物語を持っている。
これは、この魔女討伐におけるもう一つの側面とも言うべき物語である。
いや、あるいはこれこそが、この物語の真実であるかもしれない。
エメデールの巫女をご存じだろうか?
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緑豊かな森の村エメデールには、一人の美しい女が居た。
この地には神が住まうとされ、彼女はその神に仕える巫女であった。
幼い頃より白き石の加護を受け、村へ災厄が起った時にも、様々な軌跡を起こして村人たちを救った、聡明にして心優しき巫女である。
干ばつに苦しんだ年には、神に祈り雨を降らせた。
また、村を猛獣たちが襲った際には、祈り、説いて彼らを森へと帰らせた。
その他にも、村の人間が大きな怪我をすれば、三日三晩付き添いてこれの治癒にあたり、流行病が起ったならば、片端から村の家々を回り、彼らの病を治したという。
巫女の起こす奇跡とその美しさは、瞬く間に平原の国々にも知れ渡る事となり、平原の王たちはこぞって彼女を手に入れたがった。
村へは事あるごとに密使が訪れ、珍しい金品や珍品を巫女に贈っては、王との婚姻を取り計らおうとしたが、巫女は村を愛しており、また仕える神の居わす地を離れるわけにもいかないと、これらの誘いを全て断った。
しかし、王たちはこのことを快く思わず、また、その美貌と奇跡の御業が他の王たちに奪われる事を良く思わなかった。
やがて王たちは軍隊を率いて村へと攻め込んだ。
村の番犬たちは殺され、家畜の鳥たちは首を刎ねられ、村の人々も皆、無残にも殺されてしまったのである。
巫女は神に祈り、白き石に祈り、幾つもの奇跡の御業にて、村を救おうと試みたが、奮闘虚しく兵の一人に射かけられた矢によって、倒れてしまう。
矢には毒が塗られており、巫女はひどく苦しんだ。
何度も何度もうわ言のように「死にたくない」と懇願したが、兵たちはこれを一笑すると、平原の国々に起った様々な災害を彼女の責任になすりつけ、自らの正義と大義とを訴えて、彼女の胸に刃を衝き立てた。
奇しくもそれは、邪悪なるものを祓うとされた、白き石を磨き上げた刃であった。
巫女の死後間もなくして、奇跡によって治療された流行病が平原の国々に蔓延し、湖や川の水は氾濫し、平原の農地は水に浸って全ての作物が流された。
ひどい飢饉が起り、不運にも大風や地震などが相次いで、平原の国々は悉く滅びの危機に瀕するに至った。
そうしてようやくに人々は、今まで自分たちも巫女の奇跡に守らえていたのだと気が付いた。
彼らは巫女の怒りを鎮めようとし、許しを乞うべく幾つもの社を建てて巫女を奉り、救いを懇願した。
しかし、平原の国々には二度と奇跡が訪れることは無かった。
災厄は永きに渡り平原の国々を、そこに住まう人々を苦しめ続け、まるで毒が溢れ出しでもしたかのように、田畑が実る事は無かった。
ただ、エメデールの村だけはこうした災厄から免れ、永きに渡り平穏に暮らしてゆくことが出来たという。(エメデールに語り伝えられる巫女の伝承より)
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エメデールの伝承に関しては、書物によって記されているものは無く、あくまで私が彼の村に住まう老人たちから聞き出した、口伝によるそれを編纂したものとなっている。
しかしながら、平原の国々や数々の災厄。
また、それらにまつわる超自然的な力を行使する女。
そして、大勢(あるいは軍隊)を率いての戦めいた争い。
災厄の責を負わされる女と、大義の下に彼女を殺める平原の国の民。
イミディアという土地こそは現存していないが、恐らくそれはエメデールの事を指していると考えて間違いはないだろう。
これらは典型的な二律史話(※レギウス氏はこの表現を好んで用いる。一つの物事を一つの側面だけでなく、多元的な側面から記したような史実・逸話・神話・物語や、そうした解釈の出来るものを指す。また、三律や四律など、それらの多元的な側面の数に応じた呼び方をされ、それらは総じて多律史話だとか、多律史話群などと呼ばれる)であり、得てしてこうした史話については、権力者側が自らの恥部を覆い隠さんと、虚偽の物語を語り継がせるものである。
――で、あるのならば。
憐れな巫女は、王たちの利己的な欲求を押し付けられ、在らぬ嫌疑や罪状を押し付けられた上に、死後に渡ってまでその在り方を穢されたということになるだろう。
そのような惨たらしい話が有っていいのだろうか。
私は、この二つの物語を知り、憤りすら覚えている。
王たちのみならず、このような虚偽の物語を英雄譚として語り継いだ語り部たちにも――だ。
我々語り部は過去を変える事は出来ない。
しかし、語る史話一つ――語る言葉一つで、その事実を歪めて伝える事が出来る。
誰かの残した尊い軌跡を、その尊厳の総てを穢し、踏み躙る事さえ出来てしまう。
それこそ、誰も気が付かなければ永久に――である。
だからこそ、それゆえに。
私は――我々は、語り部として、物語る全ての物語を、正しく語り継がなければならないのではないだろうか。
そうでなければ、我々の語る全ては、ただの嘘偽りになってしまうではないか。
私は長く、英雄譚に憧れて生きて来た。
物語の中で恐ろしい怪物と対峙し、これを討ち果たす姿を夢想して生きて来た。
私は長く、神話の類に胸を躍らせて生きて来た。
超自然的な存在が起こす、様々な奇跡や超常的な力を夢想して生きて来た。
しかし、これからの私は、そのようには生きていかれない。
そうして生きるわけには行かない。
今一度、ここに誓おう。
この先、出会う全ての物語を、私は虚飾で飾る事はしない。
それら正しく語り継ぐことが、語り部としての私の責務であり、信念であるからだ。
私は、正しい物語を物語ることを、ここに誓おう。