センチメンタル・ネイビー   作:夏色バレッタ

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提督、あなただとわからなかった

「奥様、お迎えが参りました。海軍省の砂川中尉です」

 

縁側の方から斎藤が声をかける。

今年は竜胆(りんどう)が綺麗に咲いた。

傾けていた如雨露(じょうろ)を上げ、私は振り返る。

 

「ありがとう、斎藤」

「いえ、奥様。準備の方は整っております」

「それなら、行きましょうか。砂川さんをあまり待たせるわけにはいかないわ」

「奥様……あの……」

 

斎藤は迷ったように目を伏せ、口ごもる。

十五の頃より数えて八年の奉公になる娘だが、こうした仕草はいまだ少女の面影をしのばせている。

 

「斎藤、今年は竜胆の花が鮮やかだわ。あの人の好きな竜胆の花……」

「奥様……」

「……あの人は見ることかなうのかしら」

 

私は返事を待たず、玄関に向かう。

砂川中尉が敬礼し、私は胸に手を当て答礼する。

 

「砂川さん、私はもう艦娘ではないのよ。海軍士官がそうやたらに敬礼するものではないわ」

「すみません。しかし私どもにとっては、いつまでもあなたは艦娘。戦艦大和ですので」

「……昔話は不要よ。それより早く行きましょう」

 

砂川中尉は何かを言いかけ、言葉を呑み込んだように見えた。

運転手が開けた観音開きのドアから、私たちは無言で車に乗り込む。

砂川中尉は運転手に、出せ、と短く命令した。

行先は、海軍病院。

 

 

院内は静まり返っていた。

秋の陽光が廊下の窓から柔らかく差し込んでいる。

沈みきれない影を泳ぐ金色の単横陣。

病室に舳先を向けた光のアーチは、さながら見舞う人々の祈りのようだった。

 

目的の部屋の前で、砂川中尉が扉をノックする。

 

「砂川中尉は宮本提督の奥様をお連れしました」

 

入れ、と返事。若い女の声だ。

 

「入ります。……どうぞ、奥様」

 

砂川中尉が扉を開け、背で扉をおさえる。

私が入室すると砂川中尉は、私はこれで失礼します、と言い残し去っていった。

 

窓際に据えられたベッドの周囲にはカーテンがかけられていた。

純白に限りなく近い銀髪を揺らしながら、女がベッド脇の椅子から立ち上がる。

 

「はじめまして、宮本夫人。翔鶴型航空母艦一番艦、翔鶴です。宮本提督の秘書艦を務めさせていただいております」

「はじめまして、翔鶴。私は『大和』と名乗った方がいいのかしら。それとも宮本の妻?」

「……退役したとはいえ、『初代』大和は、私どもの間ではいまだ一つの伝説です。しかし、この病室では『奥様』と呼ばせてもらおうかと思います。よろしいでしょうか」

「構わないわ。それより、夫の容体はどうなの?」

「……安定こそしているものの、いまだ植物状態です。医師の言では、これ以上の回復は絶望的だろう、と」

「……そう。カーテンをあけて頂戴」

 

そう言うと、翔鶴は無言でカーテンを開く。

夫の顔は激しく焼けただれ、もはや鼻と口の区別はつかなくなっていた。

顔の上半分は包帯に覆われている。

私はかけ布団越しに、夫の左腕に手を伸ばす。

そこに左腕はなかった。

左半身の三分の二が吹き飛んだんです、と翔鶴が呟いた。

私たちは何も言わず、横たわる夫を見つめていた。

 

「夫は、どんな提督だった?」

沈黙を破り、私は翔鶴に問いかける。

 

「提督は常に最前線に立たれる方でした。(おか)から無線で指示される提督が多い中で、常にブリッジから戦況を把握していました。戦場で艦娘と危険を共有することを、なにより大事にしていました。くだけた態度こそ苦手なものの、気配りと気前の良さを忘れない方でした。艦娘の悩みに黙って向き合い、そうして立ち直った娘も多くいます。誰かが轟沈した夜には……」

 

私は翔鶴の言葉をさえぎって、後を引き取る。

 

「部屋に鍵をかけて、蠟燭に火を灯す。それを見つめながら、カリラを注いで、グラスを傾ける。空にするまで、彼は一言も発さない。そして、飲み干した後、一言だけ呟く。……知ってる?」

 

「……『カリラのボトルが軽くなるにつれ、僕の魂も軽くなる』」

 

翔鶴は私の目を見ない。

構わないのに。

あなたが私に罪悪感を持つ必要なんてない。

 

「信頼されていたのね」

 

私はぽつりとこぼす。

すこしだけ声色に効かせたアイロニーは女の意地なのかもしれない。

翔鶴は何も言わない。

 

「……大事にしてくれた?」

 

翔鶴は消え入りそうな声で、はい、と言った。

 

あの人は艦娘が轟沈した夜、秘書艦だけを執務室に入れ、静かにカリラを飲んでその死を悼む。

あの人は公私の別を弁える性格だったから、秘書艦は当番制だ。

おそらくそれはあの頃と変わらないだろう。

しかし、提督も生身の人間であり、ゆえに情はある。

 

あの人が「僕」という一人称を使うのは、限られた相手の前だけだった。

そして、カリラを飲み干した後に「それ」を呟く相手も、限られていた。

 

抱えきれない感情に押しつぶされそうな人。

だから私は彼に抱かれた。

そして、彼女も。

 

私はあらためて、ベッドに横たわる夫を見つめる。

作務衣(さむえ)姿で縁側に腰かけ、煙草を呑む姿を思い出す。

あの人に抱かれて二十年、あの人の妻になって十五年が過ぎていた。

失われない明日を求めて、私は明日なき戦場を退いた。

そうして手に入れたはずの、あの人との幸せな日々。

でも、あの人の瞳はいつでも海と、そこで交わる砲火をみていた。

 

碇を下した日々の波は、私から大和の船霊(ふなだま)を洗い流していった。

淡々と過ぎる日常は、私の戦場を炊事場に縛りつける。

あの人の提案で斎藤を奉公に雇い入れると、私の砲身はすべて錆びつき、やがて私は甲斐甲斐しさと献身を忘れ去ってしまった。

そこにはあの人の好きな竜胆に、如雨露を傾ける平和だけが残った。

 

そしてあの人は軍に戻った。

 

(おか)の平穏に、私たちの比翼が飛べる空はなかった。

 

肌のほとんどを白い包帯に覆われたあの人を見る。

私には、それが誰なのかわからなかった。

でも、とてもよく似合っている。

それはおそらく、軍服の色と同じで、それが戦場にしかないものだからだろう。

だから、あの人には包帯がよく似合う。

そして、私は包帯に覆われた人が誰なのか、わからない。

 

視界の端できらり、と翔鶴の薬指が光る。

あの人の包帯を巻きなおす、やさしい手つき。

 

包帯を巻きなおし、翔鶴は私をまっすぐ見つめる。

その瞳は赤く燃えさかっていた。

 

「その先にあるのは破滅よ」

 

私は翔鶴に短く告げる。

 

「構いません。鶴は献身の鳥ですから」

 

私は翔鶴に背を向けた。

そして、あの人にも。

 

二度と、私がその病室を訪れることはなかった。

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