センチメンタル・ネイビー   作:夏色バレッタ

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帝都の桜

ここ、海軍兵学校の隣には、もうひとつの海軍の教育機関がある。

その名は「海軍特別術科学校」

その役目は、海軍兵学校を卒業した若き士官たちのなかから、艦娘を前線で率いて戦う「提督」を選出し、育成することにある。

この学校に踏み入ることを許されるのは、提督としての資格を持つ者だけであり、それゆえ、かなり謎に包まれた世界と言えるだろう。

 

さて、この学校の庭には「連理の桜」と呼ばれる、まこと不思議な桜が植えられている。

何が不思議かというと、その桜は別々の二本の木が繋がり、もはや一本の大木となっているのである。

おまけに、その桜が花を散らしたところを見たものはおらず、この桜は年中咲き続けていた。

 

この連理の桜を知らぬ提督はいないだろうし、また、この桜を知る艦娘もいないだろう。

それというのも、この学校に入校した未来の提督たちはまずこの桜の前で訓示を受け、提督としての決意を新たにする。

そして、この学校を後にしてからは、この桜に誓った思いをただ自分一人の胸に秘めて、提督の任につくことになるからである。

 

この桜の木の下には、名もなき一人の海軍士官と、ある一人の艦娘の物語が埋まっている。

これは、艦娘とともに命を賭して戦う提督のすべてが知りながら、決して誰にも語らない物語である。

 

 

時は昭和。大恐慌を乗り越え、軍靴の足音が近づきつつある未明の時。

嵐を超えて束の間の安寧を手にした帝都は、これから自らに降りかかるであろう火の雨など知る由もなく。

淡々とした日常の中で、静かに朝を待っていた。

しかし、眠っているはずの帝都に灯りが一つ。ある立派な屋敷の小さな窓から零れ落ちていた。

 

耳を澄ませてみれば、万年筆が紙の上を滑る音がする。

部屋の主は、勉学に勤しむ学生か、それとも熱心な作家か。

残念ながらどちらでもない。この部屋に住む少女は、手紙を書いていたのである。

 

 

「親愛なる———さんへ

 

ついに兵学校の合格が決まったのね!本当におめでとう!

自分のペンパルが未来の海軍士官になるなんて、とても信じられないわ。

あなたと実際にお会いしたことはないけれど、兵学校に合格するなんて、きっと素敵な方なのね……

あらいやだ。あなたがとても素晴らしい殿方だってことは、文通していればわかることなのに……

ごめんなさいね。変なこと言っちゃって。

ああでも、あなたの軍服姿!一度でいいから見てみたいわ。

お父様はきっとこの帝都を離れることを許してくださらないだろうけど、それでも、ほんの一瞬でもいいから見てみたい。

純白の軍服に身を包んで、艦隊指揮をとる凛々しい姿。どうして私は海軍に入れないのかしら!

お父様はいつもいつも、お前が男だったらいいのにとボヤいてばかり。

私だって、入れるものなら入りたかったわ!

あなたが艦隊を指揮して、私は水雷長として、必中必殺の魚雷を撃つの。

(ああ、なんで水雷長なのかってあなたは思うかしら。私のお父様はいま海軍省でデスク・ワークだけど、艦に乗っていた頃は水雷長だったの。兄も水雷屋だし、血は争えないのかしらね)

そんな想像ばかりしてしまって、近頃は女学校の「お稽古」も身に入らないわ。

いつか、お父様の目を盗んで私も江田島に行くわ。その時は白手袋で、私をエスコートしてくださいね。

きっと、きっと、約束よ。

 

帝都より、愛をこめて

———より」

 

 

少女は丁寧に手紙を封筒に入れ、熱い蝋で火傷をしないように慎重に封をした。

帝都の外を知らない彼女にとって、この書簡だけが帝都の外と彼女をつなぐパスポートだった。

書棚の奥にしまわれた箱に詰まった、ペンパルからの手紙。それはどんな財宝よりも、彼女にとっては価値あるものだったのである。

 

 

数ヶ月が過ぎた頃。帝都の大通りをひた走る、一人の女学生の姿があった。

その少女は待ちきれないといった表情を浮かべており、桃色の袴を両手でつまみ上げながら駆ける姿は、多くの通行人たちの目に非常に奇異なものに映っただろう。

はたして、彼女は郵便局の前で止まり、はずむ息を抑えながら、重厚なマホガニーの扉を勢いよく開いた。

爆弾で吹き飛ばされたかのような音が玄関ホールに響き、訪れていた市民たちは何事かと振り返る。

しかし、そこで働く局員たちは慣れたもので、むしろ今日に限っては何かを祝福するような表情をしている。

少女は紅潮した頬を隠そうともせずに、郵便局員から手紙を受け取ると、勢いよく封を切って読み始めた……

 

 

「親愛なる———さんへ

 

まずは、返信が遅れてしまったことをお詫びさせていただきたい。

それというのも、貴方からの手紙を読んだ途端、私の身体全体に電撃が走り、何を書いたら良いものか、とんとわからなくなってしまったのです。

きっと貴方は私の兵学校合格を喜んでくれるだろうと思っていましたが、まさか故郷の誰よりも祝福していただけるとは思いもよりませんでした。

私は貴方の顔を知りませんが、しかし、どんな表情で文を綴っていたのかは、手に取るようにわかりました……

 

いま私は、江田島に旅立つ準備を終え、故郷の最後の月明かりの下で、この手紙を書いています。

江田島にいけば、数年間娑婆気の無い環境に身を置くこととなります。

当然、貴方に手紙を送ることもできなくなるでしょう……

でも、悲しまないでください。皇国の四方を守る防人となるために、これは必要な時間なのです。

いつの日か、また便りを送ります。

どうかそれまで、貴方の心が変わらずにいれば……

帝都の桜の木の下に、きっと貴方を迎えに行きます。

 

変わらぬ愛を込めて

———より」

 

 

桜の花が散っては咲き、咲いては散った。季節が何度か巡っても、帝都の春は、少女が小さな窓から見つめてきたそれと何も変わらないかのように見えた。

だが、帝都に流れた時間は、少女を大人にするのには十分すぎるものだった。

桃色の袴も、ざくろ色の髪に映える山吹のリボンも、もう彼女の一部ではない。

とはいっても、彼女が万年筆を滑らせるその音だけは、たしかに少女のままだった。

 

 

「私のかけがえのない———さんへ

 

無事に卒業したのね!おめでとう!

数年ぶりの便りは、海軍士官にふさわしい精悍な顔つきで書いていることが伝わってくるようでした。

今のあなたは遠洋航海で太平洋の上かしら。それとも倫敦(ロンドン)?いえ、地中海だったりするのかしら。

きっとあなたは、私の知らない外国でこの手紙を受け取って驚いていることでしょう。あなたの帰国が待ちきれなくて、お父様の海軍の友人の方に無理を言ってお願いしたの。

だってなによりも、あなたを祝福したくて。

本当はこんな手紙なんかじゃなく、あなたのもとに飛んで行って抱きしめたいくらい!

帰国したら、一番に帝都に迎えにきて、そして、どこか二人っきりで外国の見聞を話してください。

それまでに私、もっともっと、素敵な女性になっておくから。お願いね。

 

でも、もしかしたら私たちはもっと早く会うことになるかもしれないわ。

本当は桜の木まで内緒にしておくつもりだったけど……私、海軍に入ることが決まったの!

ああ、言っちゃった!あなたの驚く顔が見たくて秘めておくつもりだったのに、待てなかったわ!

少人数の女性だけでつくられる部隊らしくて……お父様の勧めもあって、そこに入ることになったの!

お父様はなんだかちょっと複雑そうな顔してたけど……きっと愛娘が離れていくのが寂しいんだと思う。

栄光ある帝国海軍初の女性士官として、これからはあなたと一緒に戦える。これ以上誇らしいことはないわ。

次に会うのは軍艦の士官室か、それとも帝都の桜の木の下かはわからないけれど……絶対に迎えにきてね。

私、ずっと待ってるから。

 

この上ない愛と祝福をこめて

———より」

 

 

軍靴の足音はすぐそこまで迫っていた。

帝都の空気は張り詰め、それでいて、なにかを期待するような奇妙な熱気が大衆の間に広まっていた。

いよいよ開戦は不可避のものとなった頃、日米の国力の差を誰よりもよく知る帝国海軍は開戦に先駆け、ある一つの極秘部隊を編成することを計画した。

 

その計画の名は「風号計画」

その計画の詳細は、残念ながら明らかになっていない。戦後の東京裁判を目前にした海軍上層部が焼き払ったとも、海軍省の庁舎が取り壊される際に失われたとも。

はたまた、自らの保身のために、極秘裏に連合国に引き渡されたとも言われているが、一つ言えるのは、その計画の全貌を明らかにする資料は現存しておらず、また、ただ一人の証人も残ってはいないということだけなのである。

 

しかし、この部隊に所属したある士官の書簡が近年になって発見・復元され、その概要を掴むことができた。

そして、何の因果だろうか。その書簡が発見されたのは、深海棲艦が現れ、瞬く間に人類の脅威となった時期と。復元・解読に成功したのは、どこからともなく艦娘が現れ、人類とともに戦い始めた時期と重なるのである。

 

そう、「風号計画」とは「女性の身体に艦の記憶を定着させ、一隻の軍艦に匹敵する人間兵器を生み出す」計画。

そして、その風号計画によって生まれた極秘部隊の中核をなす存在は「神風」と名付けられた。

帝都の屋敷の小さな部屋で手紙を綴っていた少女の、もうひとつの名である。

 

 

海軍工廠の、遥か地底深くに隠された区画の一室。

いや。むき出しのコンクリートの壁に、清潔すぎるリノリウムの床。そしてステンレス鋼の鈍い光沢だけが彩りを添えるこの部屋を、はたして部屋と称して良いものだろうか。

すくなくとも、この部屋がうら若き女性のものであることに気づける者はいないだろう。

しかし、もはや「人間」ではなくなったこの部屋の主にとって、部屋の装飾など大した問題ではなかった。

部屋の中心にぽつんと置かれた、味気ない灰色の事務机。この机と粗末なパイプベッドのほかに家具はなく、時計の針の音すらしない部屋で、唯一空気を揺らすのは、あの頃と変わらない万年筆のペン先だけだった。

 

 

「私の愛する———さんへ

 

いよいよ私たちの晴れ舞台がやってきましたね。あなたはいま、南方で戦っていると聞いています。

私は本土防衛の要として、いまはまだ待機せよとのことだけど、本当は前線に出たくて居ても立ってもいられない。

戦況はかなり好調だと聞いています。あなたもきっと、大いに戦果を挙げているのでしょうね。

あなたの活躍がきっと皇国に栄光をもたらし、沈めた敵の数だけ、海に平和が取り戻されていくのでしょう。

南方の海は碧く透き通っていて、まるで天国のような場所だと聞いています。

白波をあげて、敵艦に向かって勇往邁進するあなた。

戦線が本土から遠ざかれば、私も一緒に出撃できるかしら。

戦いが一息ついたら、きっと便りをくださいね。

もしかしたら、南方の海か、それとも……帝都の桜の木の下で、言葉を交わす方が、先になってしまうかもしれないけれど。

私、ずっとずっと待ってます。

ご武運を。

 

比翼の鳥に願いをこめて

———より」

 

 

これが現存している最後の書簡となった。本当はもっと多く書き綴られたのだろうが、これより先の書簡は発見されておらず、また、この封筒に消印はなかった。

 

 

軍靴の足音は途絶え、軍歌のマーチが洋上に響く事はなくなった。

海軍はすべて解体され、青い海の奥底に眠る黒い鉄塊は、多くの人々の記憶の中で錆びつき、風化していった。

しかし、かつて帝都とよばれた場所の桜の木の下に、いつも佇む一人の青年の姿があった。

雨の日も、風の日も。春が巡って、夏が過ぎ。雪が舞っては桜が散った。

それでも青年は、何かを待っていた。

しなやかな黒髪が白髪になっても、彼は桜の木の下で待ち続けていた。

 

いよいよ命の灯火が消えかかろうとする頃、深海棲艦が現れた。

彼は何かに導かれるように、かつて海軍工廠と呼ばれた場所に赴いた。

そこで彼はある一つの古びた箱を見つける。

そのなかには彼が、命を賭して守ろうとした、そして、帝都の桜の木の下で待ち続けた思いが詰まっていた。

 

彼は手紙の全てを復元・解読し、彼女の身に起こったことの全貌を知った。

そして同じ頃、洋上で一人の少女が発見される。

桃色の袴に、ざくろ色の髪。そして、髪飾りとして山吹のリボン……

 

 

人類は艦娘とともに立ち上がり、深海棲艦の脅威に立ち向かう存在として「海軍」が組織された。

初代提督とその秘書艦の二人は、海軍の再組織に多くの貢献を果たした英雄とされている。秘書艦は人類によって初めて発見された艦娘がつとめた。

その名を「神風」という。

初代提督の名は明らかになってはいない。だが、彼の筆跡は、ある書簡のそれと同じものだといわれている……

 

 

ここ、海軍兵学校の隣には、もうひとつの海軍の教育機関がある。

その名は「海軍特別術科学校」

その役目は、海軍兵学校を卒業した若き士官たちのなかから、艦娘を前線で率いて戦う「提督」を選出し、育成することにある。

この学校に踏み入ることを許されるのは、提督としての資格を持つ者だけであり、それゆえ、かなり謎に包まれた世界と言えるだろう。

 

さて、この学校の庭には「連理の桜」と呼ばれる、まこと不思議な桜が植えられている。

何が不思議かというと、その桜は別々の二本の木が繋がり、もはや一本の大木となっているのである。

おまけに、その桜が花を散らしたところを見たものはおらず、この桜は年中咲き続けていた。

 

この連理の桜を知らぬ提督はいないだろうし、また、この桜を知る艦娘もいないだろう。

それというのも、この学校に入校した未来の提督たちはまずこの桜の前で訓示を受け、提督としての決意を新たにする。

そして、この学校を後にしてからは、この桜に誓った思いをただ自分一人の胸に秘めて、提督の任につくことになるからである。

 

この桜の木の下には、名もなき一人の提督と、ある一人の艦娘が眠っている。

一人の提督が、帝都の桜の木の下で、一人の艦娘を待ち続けた。

帝都の桜は決して枯れず、その連理の枝は、決してその花を散らさない。

桜への誓いを忘れぬ限り、艦娘の前に神風を吹かせ、すべてを薙ぎ払ってくれるだろう。

 

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